第十六章 父親の嘘
哲太は、再び深田のオフィスを訪れた。今度は、単刀直入に切り出した。
「二十年前、僕をここから連れ出したのは、あなたなんですか」
深田は、しばらく黙って哲太を見つめたあと、ゆっくりと頷いた。
「修司から、頼まれた」
「なぜ、あなたに」
「あの頃の俺は、この病院の裏の仕事にも関わっていた。だからこそ、抜け道も知っていた」
深田は、煙草に火をつけた。
「修司は、お前が正式に『P-0』として登録される前に、お前をどこか安全な場所に隠したがっていた。だが、正面から連れ出せば、すぐに見つかる。だから、俺のルートを使った」
「どこに、連れて行かれたんですか」
「地方の、俺の知り合いの家だ。ひと夏、お前はそこで過ごした」
「なぜ、記憶がないんですか」
深田は、少し言い淀んだ。
「修司が、意図的に、お前の記憶を曖昧なものにした」
哲太は、思わず立ち上がった。
「僕の記憶を、父が、消させたということですか」
「消させた、というのとは、少し違う」深田は、言葉を選ぶように続けた。「引っ越しの理由も、親戚に預けられたという話も、全部、修司が用意した作り話だ。お前が誰かにあの時期のことを聞かれても、家族全員が同じ話を、同じようにできるようにしてあった。母親にも、口裏を合わせさせていた」
「母は、それを知っていて」
「知っていて、というより、修司に、そう信じ込まされていた部分もあるだろう。修司は、母親自身にも、詳しい事情までは話さなかったはずだ。『哲太を守るためだ』とだけ言って」深田は、煙草の灰を落とした。「あの頃のお前の記憶なんてものは、もともと混乱して曖昧だった。そこに、大人たちが口を揃えて、同じ話を繰り返し聞かせ続けた。それだけで、本当にあったことの輪郭は、驚くほど簡単に、ぼやけていくものだ」
「特別な処置をしたわけじゃない、ということですか」
「ああ」深田は頷いた。「一番効果があったのは、薬でも、特別な技術でもない。家族ぐるみで、二十年近く、同じ話をつき通したことだ。それだけの話だよ」
「なぜ、そんなことを」
深田は、哲太の目をまっすぐに見た。
「お前が、あの時期のことをはっきり覚えていれば、いつか誰かに聞かれたとき、正直に話してしまうかもしれない。子供だからな。それが、お前自身の命に関わると、修司は考えた」
「僕を、守るために」
「そうだ。修司は、お前を守るために、お前から、お前自身の記憶を奪った」
哲太は、その言葉を、しばらく飲み込めなかった。




