弱肉強食
走った。
走った。
今まで出したことのない速さで走った。
腹の痛みも。
熱っぽさも。
全部忘れていた。
逃げなければ死ぬ。
それだけだった。
だが――逃げ切れなかった。
背後から迫る重い足音。
木々を揺らす音。
振り返る余裕なんてなかった。
次の瞬間。
背中に衝撃が走った。
視界が回る。
体が宙に浮く。
そして――。
---
目が覚めた。
最初に感じたのは痛みだった。
「っ……!」
右足に激痛が走る。
恐る恐る手を伸ばす。
触れた瞬間に分かった。
折れている。
素人の俺でも分かるくらい明らかだった。
体調不良のことなど忘れていた。
熱も。
腹痛も。
全部どうでもよくなる。
死ぬ。
そんな言葉が頭をよぎった。
嫌だ。
まだ魔法も使えていない。
何一つ成し遂げていない。
こんなところで終わりたくない。
俺は必死に呼吸を整えた。
周囲を見回す。
薄暗い。
いや、暗いというより光がほとんど届いていない。
どうやら穴の中らしい。
土の匂い。
湿った空気。
獣臭さ。
嫌な予感しかしなかった。
俺は手探りで周囲を探り始める。
少しでも出口を見つけるために。
その時だった。
カラッ……
何かに手が当たった。
石かと思った。
だが違う。
細い。
妙に細長い。
そして関節の感触がある。
指だ。
人間の指の骨。
「っ!?」
慌てて手を引っ込める。
心臓が暴れる。
呼吸が乱れる。
嫌な汗が流れる。
震える手でもう一度触る。
指。
手首。
腕。
そして頭蓋骨。
骸骨だった。
人間の。
「……」
声が出なかった。
それが、この世界で初めて見る人間の痕跡だった。
周囲を探る。
一つではなかった。
骨がいくつも転がっている。
人間のもの。
見たこともない生き物のもの。
ここは巣だ。
そして食料置き場だ。
俺もその一つだった。
次に転がる骨は俺かもしれない。
「ふざけんな……」
震える声が漏れる。
ここで死んでたまるか。
俺は這った。
右足は使えない。
腕だけで進む。
土を掴む。
爪が割れる。
痛い。
それでも進む。
生きるために。
必死だった。
やがて前方に光が見えた。
出口だ。
俺は必死に外へ這い出る。
冷たい風が頬を撫でた。
生きている。
まだ生きている。
だが安心はできない。
あの化け物が戻る前に逃げなければ。
少しでも遠くへ。
そう思った時だった。
ドン。
ドン。
ドン。
地面が揺れる。
戻ってきた。
俺は咄嗟に近くの木の陰へ身を隠した。
息を殺す。
頼む。
気付くな。
そう願った。
だが次の瞬間。
別の音が聞こえた。
ゴロゴロと車輪の音。
馬車だった。
森の向こうから三台の馬車が現れる。
人間だ。
思わず息を呑む。
助かるかもしれない。
そう思った。
だがその考えはすぐに吹き飛ぶ。
馬車の後ろから別の化け物が現れた。
巨大だった。
蜘蛛のようにも見える。
だが違う。
足の数も違うし、尻にはサソリのような尾まで生えていた。
何より大きすぎる。
あんなものが存在していい大きさじゃない。
次の瞬間。
先頭の馬車が吹き飛んだ。
木片が宙を舞う。
悲鳴が響く。
騎士たちが飛び出した。
剣を抜く。
盾を構える。
戦うつもりらしい。
だが、その化け物は気付いていなかった。
もう一匹いることに。
俺をここまで運んだ化け物だ。
そいつが森の奥から飛び出した。
轟音。
二体の化け物が激突する。
木が折れる。
土が舞う。
牙が肉を裂く。
爪が血を飛ばす。
本能だけで殺し合っていた。
まさに弱肉強食だった。
その隙に俺は叫んだ。
「助けてくれ!!」
騎士たちが一斉にこちらを見る。
無事だった一台の馬車。
その窓が開く。
中から一人の子供が顔を出した。
年齢は俺よりかなり下に見える。
その子と目があった。
子供は何かを叫んだ。
騎士たちが一瞬だけこちらを見る。
だが次の瞬間、命令に従うように動き出した。
二人が駆け寄ってくる。
俺は訳も分からないまま両脇を抱えられた。
折れた足に激痛が走る。
思わず悲鳴が漏れる。
だが騎士達は気にしない。
俺を助けたというより回収したような動きだった。
気付けば子供の乗った馬車は先に走り出していた。
残された騎士達は俺を別の馬車へ運ぶ。
そして――
放り投げた。
「ぐっ……!」
俺は馬車の床を転がる。
騎士の一人が俺の様子を確認する。
何か言っているが聞き取れない。
その直後。
馬車が大きく揺れた。
発進したのだ。
外ではまだ化け物達の咆哮が響いている。
騎士達も緊張した顔で外を見ていた。
俺は床に転がったまま息を吐く。
助かった。
たぶん。
そう思った瞬間だった。
張り詰めていたものが切れる。
熱。
疲労。
空腹。
痛み。
全部が一気に押し寄せてきた。
視界が滲む。
騎士達の声が遠くなる。
俺は再び意識を失った。
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