ルード・ウェル・ライトという少年
「……毒とか入ってないよな?」
思ったまま口にしてしまった。
ウェルは一瞬きょとんとする。
そして――
「そんなわけないよ」
くすっと笑った。
隣ではバルカンが吹き出しそうになっている。
後ろにいた騎士達からは呆れた声が飛んだ。
「失礼だぞ」
「ウェルライト様に向かって何を言っている」
言われてから気付く。
確かに失礼だった。
普通なら怒られてもおかしくない。
だが仕方ない。
全部怪しく見えるのだ。
森で助けられた。
王の前で庇われた。
牢屋から出された。
飯まで貰っている。
むしろ怪しまない方がおかしい。
ウェルは苦笑しながら食べ物を差し出してきた。
「ほら」
俺は言われるまま受け取る。
そして考える。
大丈夫だ。
たぶん。
きっと。
森で変な実を食って死にかけた。
あれを乗り越えた俺だ。
毒耐性くらい手に入っていてもおかしくない。
たぶん。
そう信じることにした。
意を決して口へ運ぶ。
――うまい。
思わず目を見開いた。
甘い。
柔らかい。
今まで食べていたパンとは全然違う。
今までのは生きるための食事だった。
これは違う。
楽しむための味だ。
どこか菓子パンに近い。
その瞬間。
前の世界を思い出した。
コンビニ。
スーパー。
学校帰り。
毎日のように買っていた菓子パン。
太れるだけ太っていた頃の俺。
もう二度と食べられないと思っていた。
なのに今。
異世界で似た味を食べている。
少しだけ胸が熱くなった。
「……うまい」
気付けばそう呟いていた。
ウェルは少し嬉しそうに笑う。
「よかった」
その顔を見て。
俺はまた少しだけ思う。
もしかしたら。
本当に悪い奴じゃないのかもしれない。
ウェルはもう一本取り出した。
「いる?」
「いる」
即答だった。
俺は大事に手に握りしめた。
するとウェルは案内人の少年にも同じものを渡した。
少年は目を輝かせる。
チップみたいなものだろうか。
そう思っていると、俺は気になっていたことを聞いた。
「そういえば、その買い物が用事だったのか?」
ウェルは少しだけ笑った。
「うーん」
「半分正解かな」
「もう少しだけ待って」
そう言って案内人の少年へ頷く。
少年は再び歩き出した。
俺達もその後ろをついていく。
しばらく進んでいると。
ふと嫌な臭いが鼻についた。
「……臭いな」
思わず呟く。
そういえば街へ入った時も少し臭っていた気がする。
俺は腕を上げる。
脇の匂いを確認した。
風呂には入った。
多少汗臭いかもしれないが、さっきみたいな異臭ではない。
「俺じゃないよな……」
少し安心する。
だが臭いはどんどん強くなっていった。
やがて案内人の少年が大通りを外れる。
細い道へ入る。
さらに奥へ進む。
気付けば周囲の景色も変わっていた。
建物は古い。
道は汚れている。
人通りも少ない。
そして――
臭いの原因はここだった。
俺は思わず足を止める。
そこには痩せ細った子供達がいた。
壁にもたれかかる老人。
顔色の悪い大人達。
ぼろぼろの服。
痩せた腕。
今まで歩いていた街とは別世界だった。
「……」
言葉が出ない。
ウェルは案内人の少年へ礼を言った。
そして硬貨を数枚渡す。
少年は嬉しそうな顔をして走っていく。
奥にいた親らしき人物へ見せている。
その親は青白い顔をしていた。
俺はその様子を見つめていた。
その時だった。
服を引っ張られる感覚。
振り返る。
痩せた子供がいた。
そして俺は目を見開く。
「……あれ?」
その子が着ていた服。
見覚えがある。
昨日盗まれた俺の制服だった。
ぶかぶかの制服をすっぽり被るように着ている。
丈が長すぎて膝の辺りまで隠れていた。
まるで服というより毛布だ。
俺は少し怒り混じりに言う。
「お前……」
だが子供は怯えたように一歩下がる。
視線は俺じゃない。
俺の手にある食べ物へ向いていた。
そこで俺は周囲を見る。
痩せた腕。
痩せた顔。
青白い肌。
その中には、俺のズボンを体にかけて丸くなって寝ている子供もいた。
昨日は腹が立った。
服も金も盗まれたのだから当然だ。
でも今は少し違った。
もし俺がこの場所で生まれていたら。
俺も少しだけなら知っている。
あの森で夜を過ごした時の寒さを。
毛布もない。
まともな服もない。
ただ朝が来るのを待つしかなかった時間を。
同じことをしなかったと言い切れるだろうか。
「……」
正直、少しは返してほしい。
金はウェルから貰ったものだ。
たぶん。
もう残っていないだろう。
食べ物になったのか。
薬になったのか。
それとも別の何かになったのか。
分からない。
だけど――
少なくとも贅沢のためじゃない。
生きるためだった。
そう思うと、怒る気にはなれなかった。
制服だって気に入っていた。
毎朝面倒だと思いながら着ていた服だ。
学校へ行く時。
帰る時。
当たり前みたいに着ていた。
もう二度と着ることはない。
そう思うと、少しだけ寂しかった。
俺は小さく息を吐く。
「まあ、もう着ねぇしな」
そして子供を見る。
怯えたままの目。
だけど視線は俺じゃない。
俺の手にある食べ物へ向いていた。
腹が減っているのだろう。
俺は少しだけ悩む。
そして。
「ほら」
持っていた食べ物を差し出した。
子供は一瞬だけ驚いた顔をした。
そして無言で受け取る。
夢中で食べ始めた。
その姿を見ていると、制服のことを怒る気にはなれなかった。
その様子を見ていたウェルが少しだけ笑った。
俺は何となく恥ずかしくなった。
ウェルは抱えていた袋を開く。
中には大量の食べ物が入っていた。
そして一人一人へ配り始める。
子供。
老人。
病人。
誰に対しても同じだった。
その途中。
咳き込んで苦しそうにしている老婆がいた。
周囲の人達が慌てる。
ウェルはすぐに駆け寄った。
膝をつく。
老婆の手を握る。
そして小さく呟いた。
次の瞬間。
淡い光が手のひらから溢れる。
俺は思わず目を見開いた。
魔法だ。
老婆の呼吸が少しだけ落ち着く。
周囲から安堵の声が漏れた。
「治ったのか?」
俺は思わず聞く。
ウェルは首を振った。
「少し楽になっただけ」
「病気そのものは治せないよ」
「え?」
ウェルは苦笑した。
「僕の魔法は万能じゃないから」
「傷を塞ぐことはできる」
「痛みを和らげることもできる」
「でも病気によってはどうにもならないんだ」
そう言って立ち上がる。
そして何事もなかったように次の人へ食べ物を渡した。
俺も自然と手伝うことになる。
気付けば食べ物はどんどん減っていった。
「これを配るためだったのか」
俺は思わず呟く。
ウェルは振り返った。
「うん」
それだけだった。
特別な理由なんてない。
困っている人がいるから助ける。
そんな顔だった。
食べ物を配り終える頃には空が赤く染まり始めていた。
俺は小さく息を吐く。
そしてウェルを見る。
「今日の用事ってこれか?」
ウェルは頷いた。
「うん」
そう言って笑う。
俺は少しだけ考える。
そして。
「……悪かった」
ウェルが首を傾げる。
「君が僕を疑っていたことのこと?」
俺はドキッとした。
気付いていたのか?
ウェルは苦笑する。
「流石に気付くよ」
「ずっと警戒してたでしょ」
図星だった。
俺は視線を逸らす。
ウェルは続ける。
「君から見たら不思議だったと思う」
「森で助けて」
「薬を使って風邪を治して」
「王様の前で庇って」
「牢屋から出して」
「街まで連れてきてるんだから」
「普通は怪しいよね」
俺は知らなかった。
薬もウェルが手配してくれたのか。
思わず頷く。
その通りだ。
俺が逆の立場でも絶対に疑う。
ウェルは空を見上げた。
夕日が顔を赤く染める。
「だから」
「言葉で説明するより、見てもらった方が早いと思ったんだ」
そう言って路地裏を見渡す。
子供達。
老人達。
病人達。
皆、少しだけ笑顔になっていた。
「これが僕だよ」
ウェルはそう言った。
俺は何も返せなかった。
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