異世界ライフの始まり
俺は外の光景に目を奪われた。
王宮の上から見たときよりも、ずっと現実感がある。
人の声。
馬車の音。
石畳を踏む足音。
全部が混ざって、変な熱みたいになって街を満たしていた。
(やっと俺の異世界ライフか!)
そんな軽い考えが頭をよぎる。
正直、ウェルを完全には信用していない。
何か仕掛けてきたらすぐ逃げる。
そう思いながらも、目は勝手に動いていた。
街は広い。
というより、広すぎる。
道はまっすぐじゃない。
途中で分かれて、また合流して、また消える。
建物はバラバラだ。
木造と石造りが混ざっている。
高さも揃っていない。
そのせいで、余計に迷いそうだった。
「……すげぇなこれ」
思わず呟く。
そんなことを思っていると、ウェルが近くにいた小汚い格好の男の子へ声をかけた。
その子は木の板を首から下げている。
板には文字が書かれていた。
案内人。
行きたい場所へ連れて行きます。
「案内人?」
思わず口に出る。
ウェルは当然のように頷いた。
「この街は広いからね」
「初めて来た人はよく迷うんだ」
なるほど。
確かに迷う。
むしろ迷わない方がおかしい。
だが、それより気になったことがあった。
その子供だ。
年齢はウェルと同じくらいに見える。
学校へ行く年齢じゃないのか。
そんなことを考えていると、ウェルはその子へ何かを伝えた。
案内人の少年は慣れた様子で頷く。
そして俺達の前を歩き始めた。
俺達はその後ろをついていく。
しばらく歩いていると、一際目立つ建物が見えた。
他より明らかに大きい。
壁が綺麗で、窓も揃っている。
人の出入りも多い。
俺は指をさした。
「あれはなんだ?」
ウェルがその方向を見る。
少しだけ間を置いてから答えた。
「学校だよ」
「学校?」
その単語に、俺は一瞬だけ固まる。
(学校……?)
頭の中で勝手にイメージが浮かぶ。
机。
黒板。
先生。
そして――
魔法。
「もしかして魔法学校か?」
少し期待して聞く。
ウェルは軽く首を振った。
「魔法に学校はないんだ」
「え?」
思わず聞き返す。
「魔法は基本的に才能だから」
ウェルは当たり前のことを話すように続けた。
「王族とか、生まれつき才能を持った人しか使えない」
「もちろん努力して覚えようとする人もいるよ」
「でも何十年頑張っても何も起きないことの方が多い」
「仮に使えるようになったとしても、最初から才能を持つ人には勝てない」
そう言ってウェルは肩をすくめた。
「だから覚えようとする人は少ないんだ」
「人生は短いからね」
俺は少しだけ複雑な気分になった。
俺より年下に見えるやつが人生を語っている。
なんというか、不思議な感じだった。
だが俺は気にしない。
なぜなら――
俺には才能があるからだ。
たぶん。
きっとある。
異世界に来たんだからあるはずだ。
異世界特典とかで。
なかったら困る。
いや、本当に困る。
ふと思う。
もしこのまま逃げたら、もうあの拷問官に会えないかもしれない。
せっかく魔法を使っていたのに。
聞きたいことは山ほどある。
そこで別のことに気付いた。
(待てよ)
王族。
才能。
魔法。
つまり――
「ウェル、お前も魔法使えるのか?」
ウェルは少し考えたあと頷いた。
「使えるよ」
「マジか!」
思わず食いつく。
だがウェルは苦笑した。
「そんなにすごいものじゃないよ」
「僕が使えるのは回復魔法だけだから」
「回復魔法?」
「うん」
ウェルは自分の手を見る。
「怪我を治したり、病気を軽くしたりかな」
「それだけ?」
思わず聞く。
ウェルは笑った。
「それだけだよ」
俺は黙り込んだ。
いや、それだけじゃないだろ。
回復魔法とかめちゃくちゃ当たりじゃないか。
そんなことを思いながら街を歩く。
その途中。
ふと嫌な臭いが鼻をついた。
生ゴミみたいな。
何かが腐ったような臭い。
風向きによって流れてくる。
俺は思わず顔をしかめた。
周囲の人達も同じらしい。
何人かが鼻を押さえている。
どうやら俺だけではないようだ。
そんなことを考えているうちに、結構な距離を歩いた気がする。
そして俺は遂に限界を迎えていた。
ずっと聞きたかったことがある。
聞かなければ気が済まない。
「いい加減、教えてくれないか」
思わず強めの口調になる。
案内人の少年がびっくりしたようにこちらを見た。
ウェルが振り返る。
「何を?」
「俺を助けた理由だよ」
その瞬間だった。
ガチャリ。
近くから剣が抜かれる音。
気付けば護衛の騎士達が一斉にこちらを見ていた。
剣先がわずかに俺へ向いている。
「あ……」
そりゃそうだ。
今まで忘れていた。
こいつは王候補。
俺は監視中の怪しい男。
警戒されていて当然だった。
というか、護衛がいること自体忘れていた。
気付かなかった俺がおかしい。
だがウェルは慌てたように手を振る。
「やめてあげて」
騎士達は渋々剣を収めた。
ウェルは少し困ったように笑う。
「その話もするよ」
「でも、その前に――」
「?」
前を見る。
すると、大きな煙突のような建物が見えた。
白い湯気が空へ昇っている。
俺は思わず目を見開く。
「まさか……」
温泉だ。
そう思った瞬間。
ウェルが言いづらそうに口を開いた。
「その……」
「君、少し匂ってて……」
「は?」
思わず聞き返す。
匂う?
俺が?
そんな馬鹿な。
試しに脇の匂いを嗅ぐ。
――嗅がなきゃよかった。
「うわっ」
自分で引くレベルだった。
ウェルはよく平気な顔してたな。
いや、平気じゃなかったのかもしれない。
そういえば異世界に来てから風呂に入った記憶がない。
森。
逃亡。
牢屋。
勉強。
気付けばかなりの日数が経っている。
そこでふと思い出した。
前の世界。
学校。
たまたま風呂に入らなかった日のことだ。
隣の席の女子がなぜか泣いていた。
当時は意味が分からなかった。
だが今なら分かる。
「あー……」
「あれ俺のせいだったのか」
妙に納得した。
ウェルは小さな袋を差し出してくる。
「これ使って」
中には硬貨が入っていた。
たぶん、この世界のお金だ。
「ありがとう」
受け取りながら聞く。
「お前は行かないのか?」
「僕は別の用事があるから」
そう言ってウェルは笑った。
本当にそれだけらしい。
そう言うとウェルは護衛を一人だけ残し、案内人の少年とどこかへ向かっていった。
どうやら本当に用事があるらしい。
俺は少し呆れる。
散々警戒していたのに。
結局、連れ出した理由は風呂だった。
俺は逃げることも忘れて温泉へ向かった。
建物の中へ入る。
近くを通った人達が露骨に顔をしかめた。
一人なんて鼻を押さえている。
「……」
ウェル。
お前よく耐えてたな。
中には番台のような場所があった。
金を渡すと中へ通される。
服を脱ぎ、木で編まれた籠の中へ入れる。
石鹸らしき物は見当たらない。
代わりに壁際から水が流れ続けていた。
皆その水を浴びてから湯船へ入っていく。
衛生的なのかそうじゃないのかよく分からない。
だが誰も疑問には思っていないらしい。
俺も真似をする。
そして湯船へ沈んだ。
体から汚れが落ちていく。
思わず声が漏れる。
「生き返る……」
異世界最高。
そう思った。
だが。
温泉に浸かりながら、ふと気付く。
「……あれ?」
俺は目を開く。
結局。
俺はまだ聞いていない。
ウェルが森で俺を助けた理由を。
王の前で庇った理由を。
なぜ俺を信じたのかを。
湯気の向こうを見つめながら、俺は小さく呟いた。
「結局、なんなんだよあいつ……」
いつも作品を読んでいただき、本当にありがとうございます!今後の更新についてですが、これからは「数話分ずつお話を書き溜めてから、一定期間【毎日更新】でお届けし、ストックがなくなったらまた裏で貯めていく」というスタイルで続けていこうと思います。途中で更新が止まる期間ができてしまいますが、その間も次のエピソードを一生懸命執筆していますので、気長に待っていただけると嬉しいです。自分のペースで無理なく、でも確実に面白いお話をお届けできるように頑張りますので、これからも応援よろしくお願いいたします!




