体系
火蟻と蛇は最後まで何もなく、火蟻はログハウスの裏へ向かった。蛇は『えっ行っちゃうの?』と物欲しそうな顔で火蟻が扉を押すのを見つめた。
そして笑う。
火蟻がどこに行こうとも彼女の目は常に火蟻のそばにいる。
日もすっかり暮れ、火蟻が向かった先はログハウスの裏。
「これ、規則違反じゃないの?」
そこにいるのはバーシニア・ティターンと、
「いえ、確認しましたが、訓練するのは構わないそうです」
正義子だ。
「じゃあ、始めていいですか」
火蟻が双方に確認をとる。
「どうぞ」
返事はバーシニアだけ。そして正義子と火蟻は、素手でバーシニアに襲いかかる。火蟻は右側から回し蹴りを、正義子は左側から脇腹を殴る。だがバーシニアは一本後ろに下がっただけだ。それだけで火蟻は正義子の手を蹴り、また正義子は火蟻の足を殴って倒れる。
「君たちねえ、僕は一歩下がっただけですよ」
バーシニアは一歩下がっただけだ。ただし絶妙のタイミングで。それ以上遅ければ火蟻の足がバーシニアの左脇腹を、正義子の拳がバーシニアの右脇腹を襲っていた。一方、もう少し早く避けていれば確かにバーシニアは避けることができた。だが、それでは第二、第三撃がくる。
「それどうやったんですか」
立ち上がりながら火蟻が聞く。正義子も遅れて立ち上がる。
「これは、さすがに難しいから、まずは原則から行こうか」
火蟻はバーシニアに稽古をつけてもらおうとしたのだ。一切の異能を使わず、異能者を圧倒した戦闘体系について教えてもらおうとしたのである。その話を、たまたま通りがかった正義子が自分も混ぜろと言い出して今に至る。
「まずね、これは、一朝一夕で身に付くものじゃないよ。それだけは覚悟してね」
「「はい」」
二人は声を揃える。
「一番大切なことは呼吸! 呼吸だよ」
バーシニアは声を高らかにして言うのだが二人はポカンとしている。
「何か、特別な呼吸の方法があるとかですか?」
正義子が訊ねる。
「そういうのはあるけど、本質じゃないから今は無視。呼吸し続けることが大事」
バーシニアの言うことを火蟻も正義子も理解していない。
「わかんないかなあ、例えば……」
バーシニアは何気なく火蟻に近づく。そこに、殺気、ましてや何かしようという意志は感じられない。ひさしぶりに会った友達に握手をするように、腹を殴った。
「がはっ」
火蟻は悶絶し、倒れこむ。
「火蟻くん! 呼吸してないよ、呼吸、呼吸」
バーシニアは応援するが、殴ったのは彼だ。
「鼻から吸って、口から吐く。これだけ。がんばって」
火蟻はちょっとずつだが、呼吸し始める。
「痛みを吸って、口から吐くのをイメージして。で体が完全に回復したなーと思ったらまた立ち上がってね」
火蟻は音を立てて呼吸しながら、頷く。
「正義子さんも僕のこともう一回殴ってみて」
バーシニアの言う通りに、腹を思いきり殴る。大きな音が鳴るものの、全く効いていないことがわかる。
「今のでも、得られることがたくさんあるよ、まず正義子さんは殴る瞬間、呼吸止めてるね。そうじゃなくて殴る瞬間は口から吐くんだ」
そう言って、フラフラになりながらも復活した火蟻を、バーシニアは殴る。
「かはっ」
「完全に回復してから立つんだよ。見栄を張ったり、やる気をだすのも命取りだ。自然体が一番にかぎる。ほらっ呼吸だよ」
地面にへばる火蟻に優しく話しかける。
「先生、私は殴ってもらえないのでしょうか」
正義子は姿勢を正し、きりっとした表情で言う。
「姿勢は大事だけど、そーゆーんじゃないんだよなあ。あと、僕は先生と呼ばれるほど上手くはないよ。それから殴ってほしいなら殴るけど」
そう言って、バーシニアは正義子を拳ひとつで吹っ飛ばす。三メートル以上飛んだのだが、
「あれ、あんまり痛くない」
地面に座る正義子は不思議そうに腹を撫でる。
「それは“痛くないパンチ”だよ、それでこれが“重いパンチ”」
バーシニアは復活した火蟻を殴る。
「かはっ……スーハースーハー」
今度の火蟻は地面にへばることもなく、何とか堪えられた。
「いいね、火蟻くん。筋がいいよ」
バーシニアは心から感心した。
○○○
しばらく訓練したあと、
「今日はじゃあここまでにしよう。最後にマッサージして終わろうね」
バーシニアは火蟻をひざまずかせる。
「痛かったら呼吸だよ、覚えているよね」
バーシニアが火蟻のふくらはぎを踏んだ。それだけなのだが。
「があああ、スーハー、があああ、スーがあああ」
首をはねられるのは一瞬。だが、“こういうの”は痛い。拷問である。
「じゃあ、二人で交代しながらやって。僕はもう戻るから」
バーシニアは本当に戻ってしまった。
「ありがとうございましがあああ」
挨拶の途中で火蟻は正義子にふくらはぎを踏まれた。
○○○
「火蟻が、女の子と二人……だと」
蛇は一部始終を監視していた。監視人だからではない。好きだからだ。大好きだからだ。
「これで行くのは良くないか。火蟻は修行のつもりなんだ。ダメだダメだ。いや、でも火蟻が、ひざまずいた女の子の、ふくらはぎを、踏んでいる。女の子が悶絶してる……。ずるいずるいずるいずるいずるい。私もしてほしい。踏んで……ほしい」
蛇はものすごい勢いで扉を出る。
○○○
蛇がやってきたのはログハウスの裏。火蟻が正義子のふくらはぎを踏んでいる。火蟻の足で正義子が悶絶している。
「火蟻! 私もやって。やってやって」
蛇が物欲しそうにせがむ。
「どうしたの蛇。これ痛いんだよ」
火蟻は不思議そうに言う。正義子はそのままぶっ倒れる。よほど痛かったらしい。それでも呼吸は続けている。
「して……痛いのして、部屋戻ろう、部屋で……火」
もう我慢できない蛇は火蟻を強引に引っ張る。
「今日はありがとう。じゃあね」
火蟻は引っ張られながらもくたばっている正義子に手を振った。
他の女に手なんて振らないで、とはさすがに言えない。けれど蛇はムッとした。
○○○
火蟻と蛇が部屋に戻ると、誰もいなかった。バーシニアを含め、全員が気を使っているのである。
「はー、はー、火……。して……」
蛇の興奮が止まらない。息が荒くなる。
「そうそう、呼吸が大事なんだよ」
火蟻は勘違いをしている。蛇は火蟻に……痛めつけられたいのだ。彼女はステラもテンペランスも真っ青になるほどの……変態なのだ。
火蟻が、蛇の細くてもきちんと肉のついたやわらかいふくらはぎをゆっくりと踏みつける。
「ふぁああ、いいいいい痛い」
「ごめん痛かった?」
火蟻は労う。だが、蛇にとってそれは“おあずけ”のようなものだ。
「やめないでええ、してして火。お願い……やめないで」
蛇はせがむ。
「いいの?」
この“いいの?”は“大丈夫?”の“いいの”だったのだが。
「いいの」
この“いいの”は気持ち“いいの”である。
やわらかいふくらはぎの形を火蟻の足が変える。
「いいいだい、ひいいいいいいいいいいいおおおおお!」
蛇は絶頂を迎え、倒れた。




