第89話 ドリゼラ
先代女王が姿を消して行方不明となり、本来であれば次の女王となるはずだったシンディーナも幼い頃に発症した醜い呪いのせいで、とても儂らサッキュバスを率いるに相応しい姿とは言えなんだ。
なので長老たちの話し合いによって儂の母上が次の女王となったのじゃが、控えめに言っても先代ほどの実力を持っていなかったのが災いして、他部族からの武力と伴った威圧行為が我が領内で繰り返されるようになった。
彼奴らとて元は儂ら夢魔と同じ魔王軍の一員であったのに、魔王様が倒されて以降既に2000有余年もの月日が流れたにも関わらず、未だに次の魔王候補どもが血肉を削る争いを繰り返しており、そのせいで年々人族どもの生息圏が広がっておるのじゃが、誰も脅威とは感じておらぬようじゃった。
儂ら夢魔の国の周りには、グレートオーガやオークキングが治める鬼族の国や悪魔族が中核を成す魔族の国があり、嘗ての味方は今日の敵とは良く言ったものじゃ。
そして悪魔族との抗争によって母上までが行方不明となり、臨時で開かれた長老会によって儂が新しい女王となったのは、まだほんの100年くらい前の事じゃった。
女王たる儂が国元から動く訳にはいかなかったので、妹のナーシャと哀れなシンディーナに軍を任せて鬼族や悪魔族との抗争を続ける事になったのじゃが、先代女王と母上の二人を失ったばかりで夢魔族の弱体化を隠す事は出来ず、防戦一方の戦いが続いておった。
そんな状況の中、人族が力を付けてきたのが災いし、これまでのように人族のメスを攫って来て自分たちの子を産ませる事が難しくなってきた隣国の鬼族どもが、今度は儂ら夢魔族から嫁を出せと要求して来たのじゃ。
もし夢魔族から毎年一定の人数の嫁を差し出すなら、悪魔族からの侵攻を防ぐ協力をしてやると言いよったのじゃが、魔族の約束なぞ魔王様のように卓越した実力者でも無い限り守らせるのは困難な話じゃろう。
それでも『嫁』という名の人身御供さえ差し出せば、その期間中だけは信頼出来ずとも自分たちの利益の為に儂ら夢魔族の味方にはなってくれるじゃろうが、鬼族と交わった場合に産まれて来る子供はほぼ全てが鬼の子で、儂らが一方的に苗床にされる未来しか見えんから安易に彼奴らの手を取る訳にはいかなんだ。
そんな時じゃ。シンディーナめが人族の軍隊を追跡していた折に吸血鬼が治める城を発見したのじゃが、彼女から聞いた話では兵の数こそ少ないが一騎当千どころか、たった数人の兵士を相手に数百を超えるグレーターデーモンの群れが撃退されたと聞いた。
そしてここからが重要なのじゃが、あの武力だけは一人前のシンディーナめが一方的にボコられて、もう死ぬしか無いところまで追い詰められた時、一人の紳士が現れて死の運命から救ってくれたと言うから、そのような御仁を儂の意のままに操れば我が夢魔族の未来は安泰じゃと安易に考えてしもうたのが、そもそもの間違いじゃった。
よくよく考えて見れば、あの醜くブクブク太ったシンディーナめに指輪を渡すくらいのデブ専を相手に、儂のような均整が取れたウルトラダイナマイツなボディなぞ、あの男の眼中には無かったのかも知れぬ。
じゃが、あの男がシンディーナめにキスをすると状況が一変した。
なんと……あの醜くブクブク太って丸々としていたシンディーナめの身体が見る、見るうちに痩せ細ってゆき儂らの目の前には、歴代最高と謳われたスタイルを誇った先々代女王もかくやと言わしめる程の美女が現れたのじゃ。
驚く儂らを尻目に、シンディーナめの手を取ったあの男が部屋を出て行った後も妹のナーシャ共々暫くは何もする気が起きなんだ。儂は何処で間違えてしまったのか……。
そんな時じゃった。何時までも此処で腐っている訳にはいかず、とにかく夢魔国を回すため日々の業務へと没頭する事にしたのじゃが、入場を禁止していたはずの夢魔の地下迷宮へ向かった者たちが居て、粗奴らが他の者らを誘い次々と入場を繰り返していると聞いたのは。
最初のうちは厳重注意で済ませよと妹のナーシャに命じておいたのじゃが、いくら注意をしても儂の配下たちの目を盗んで地下迷宮へ向かう者たちを止める事は出来なんだようじゃった。
そうして手を拱いているうちに地下迷宮を探求する者たちの数は増える一方で、その人数が推定でも100名を軽く超えてると聞いて、妹のナーシャに儂の親衛隊を率いて地下迷宮を踏破し、その奥底でどのような異変が起こっているのか調べて来るように命じたのじゃが彼女らが戻って来る事は無かった。
この段階で、ようやくこれは国の一大事じゃと言う判断となり、もし儂の身に何かあれば長老会で次の女王を決めて貰うように頼んでおいてから、残りの親衛隊50名を自ら率いて地下迷宮へと向かった。
ここは昔から有用な剥ぎ取り素材を持つ魔物が少なく、採掘可能な鉱物資源も少なかったせいで、これまで内部を探求する者が居無かった事と併せて、最近は報告が無くなったが『忌み児』が産まれた場合に遺棄する場所として使われて来た場所じゃから、尚の事近寄る者など居ない曰く付きの地下迷宮のはずじゃった。
じゃが地下迷宮を進んで行くと10階層の辺りで、全身の肌が真っ白のアルビノ種としか思えないインキュバスを発見した……いや、発見されたのは儂らの方じゃったか。
取り敢えず目の前に現れた怪しいインキュバスから詳しい事情を聞き出さねばならんと考え親衛隊の者たちに捕縛を命じるが、飛びかかろうとした瞬間に別のフロアへ飛ばされたり、落とし穴に嵌められたり、また天井が落ちてきて下敷きにされたりして配下たちが次々と無力化されていった。
そしてインキュバスと戦った経験を持たない若いサッキュバスたちが、突然背後から味方に襲い掛って来たのは彼奴の目を見てしまったのが原因じゃろう。
つい先ほどまでは50人も居た親衛隊も、一瞬で半分近くまでその数を減らされてしまい、その多くがインキュバスの配下となってしもうたが、これこそがインキュバスの子供を育ててはいけない理由じゃった。
周りの者たちに取り押さえられた儂は、身体の自由を奪われた配下の者たちが一人ずつ魅了に掛けられ精神を蝕まれてゆくのを黙って見ているしか出来なかった。
儂の親衛隊は一族の中から特に強い女たちを選んでいたのじゃが、インキュバスに抵抗しても最後には屈服させられて寝返ってしまうから打つ手が無かったのじゃ。
「今度は逃げられるなんてヘマはしねぇからな」
インキュバスの魅了はとても強力じゃが長くは続かんようじゃったが、彼奴に精神を犯されると胎の中に何かを仕込まれてしまう。
じゃが、この何かが成長して宿主を操れるようになるまで若干の時間が必要みたいで、儂らより先に被害に遭った者たちのうち、何人かはこの何かが育ちきる前に逃げ出す事に成功したようじゃ。
(すると、ナーシャたちは無事なのか?)
こうして精神を蝕み凌辱の限りを尽くされたサッキュバスたちが、意識を失ったまま床に転がされているのは、彼女らの胎内に仕込まれた眷属虫が成虫に育つ時間を稼ぐ為じゃったのか……本当に酷い事をしよる。
サッキュバスに限らず女の胎という器官は、己が選んだ男の子を宿すために存在するのに、そんな神聖であるべき場所を無遠慮に踏みにじった罪が許されて良い訳なぞ無い。
儂は今も精神の内側を蝕まれ、身体の真ん中を抉り出されるような激痛を味わされながら、滲んだ瞼の裏に浮かんだのはシンディーナめの手を取って儂の前から姿を消してしまった男の後ろ姿であった。
もし、あの男の笑顔が儂にも向けられていたら……たったの一度しか顔を合わせていないはずの男の顔を今でもハッキリと思い出せるのは、もしかしたらあの時から儂も魅了されていたのかも知れぬな。
これまで一族の者からは一目見て伴侶を決めてしまい早計じゃと諌める事もあったが、これは決して抗う事の出来ぬ感情じゃと思い知った気がするの。
何度も何度も精神を蝕まれるが、その度に黒衣の背中が『まだ諦めるな』と励ましてくれるから、もう心も身体もとっくに手遅れな状態じゃと自分でも判っていたが、それでも意識を完全に失ってしまう事だけは避けねばなるまい。
もう何日も前に失ってしまった儂の想いを胸に、既に取り返しがつかないくらいボロボロにされて痛みすら感じなくなった心と身体が完全に死に絶えてしまうまで、最後の瞬間までインキュバスなんぞのモノになってやるものか。
儂は、まだ死ぬ訳にはいかぬのじゃ……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《おい、聞こえてるか、まだそこに居るんだろ?》
そう言えば館で始めて会うた時も、このように心地よい声じゃったか。
《お前には一族を率いる責任があるはずだ》
そう、儂には夢魔一族を率いて安寧な未来へと導いてやる責務があった。
過去形なのは儂がもう死出の旅に出てしまったからで、後の事は長老たちに託して来たから大丈夫じゃと思いたい。それに儂らが運ばれた地下迷宮の中からナーシャたちの気配がしなかったから、インキュバスめが取り逃がしたと言っていたサッキュバスとは、ナーシャと親衛隊の者たちじゃろう。。
《お前の精神と繋がって、お前が何に悩み行動していたのか理解した》
もし其方があの男じゃったとしても、もう手遅れじゃ。儂の心と身体は既にボロボロで、サッキュバスとして一番大切な臓器すら寄生虫に喰い破られてしもうた。最早このような身体では惚れた男の子を宿す事すら出来ぬから手遅れじゃと申しておる。それはサッキュバスとしての生を諦めるに足る理由なのじゃ。
《一体、お前の身体の何処が失われていると言うんだ? 目を覚まして自分の目で見るがいい》
じゃから何度も言っておるように、儂の身体はインキュバスめにボロボロにされたはず……じゃったのに、あの憎き寄生虫に喰い破られてポッカリと空いてしまった儂の腹も完全に塞がっており、それどころか全身傷だらけで例え治療しても、深い傷痕はそのまま残っても仕方の無いものじゃったはず。
「よく頑張ったな」
そう言って儂の頭を撫でてくれたのは、夢の中で想い描いた男じゃった。そして男の周りには人族の女どもが居て、儂の配下の者たちも治療してくれていたようじゃった。
「目が覚めたようだな」
「うむ」
儂が羽織ってる黒いコートが、この御仁の物だと気がついたのは目の前の男が上着を着ていなかったからじゃが、儂が着ていた襤褸布のような赤いドレスの残骸は治療の邪魔になったという理由で全て剥がされており、コートの中が素っ裸じゃと気づいた途端に儂の顔がどうしようも無いくらい熱くなってゆくのが判る。
(儂は何を恥ずかしがっておる? サッキュバスにそのような感情なぞ無いはずじゃ。それと以前に此奴から貰った指輪が、仄かな赤から白い光に変わったのは何故じゃ?)
儂は、まだ残っていた魔力を身体の表面に纏わせて真紅のブラとショーツだけは生成したが、ボディスーツやブーツなど他の部分まで全て復元するほどには回復しておらなんだ。
黒いコートの袖に腕を通す際じゃが、自然に他所を向いて儂の方を見ないようにしていたのは、紳士として気遣ってくれたのか、それとも出会った時の印象が悪すぎて『見る価値無し』と判断された可能性すらあるから聞くのが怖いのぅ。




