第51話 メビウスの輪
フェルディナント様の説明によると、テオさんは第3騎士団で合格後、第1騎士団へ移籍したらしい。
身分は王族だから問題はない。むしろ、魔法の修練という意味では第1騎士団のほうが充実しているから、テオさんにあっているだろうとフェルディナント様が勧めたのだそうだ。そして、フレンディ副騎士団長もそれを認め、推薦状を出した。
「強くなりたかったんだ」
静かにテオさんは言い含めるように呟く。
「肝心なことを隠さないで下さい。テオさんは第1騎士団に入りたかったのではないはずです」
じっとテオさんの蒼い瞳を見つめると、カールが苦笑した。
「テオドールはイリーナのために自分を売ったんだよ」
「売る!?」
その爆弾発言を聞いて、頭から水を被ってしまったように飛び跳ねる。ナニソレ!
「おい、お前!」
「売るだなんて人聞きが悪い」
青ざめながらカールに続きを促すと、彼女は端的にこの事態を説明してくれた。
最後の試合後、フェルディナント様が移籍について話を持ちかけたこと。それに対してテオさんが対価を求めたこと。
「元々、王位継承権を持つ人間がクリスタルパレスに来ることに対して、王太子殿下の周りは不安に思っていたんだよ。色々な政争に発展しかねないからね。テオドール自身が第3騎士団の一員として故郷での赴任を強く望んでいたとしても、騎士という王家の枠に足を踏み入れた時点で、不穏になるのは確定だ」
ならば手の届くところで管理したい、できれば王太子殿下の味方になって欲しいというのが、王太子殿下の側近であるフェルディナント様の思惑だった。
そしてそれは、私のためにお金を用立てたいと思っていたテオさんの思惑と合致した……。
あまりに一途な想いに……テオさんらしいと思いつつ、どうしようもなく体が震える。
「テオさんが自分を売ってどーするんですか!」
やりたいことがあったのでしょう?
守りたいものがあったのでしょう?
意志の強い貴方には。
「私があの日、グリーンマーメイドに行かなければ」
行かなければ、テオさんの人生を狂わせることはなかったというのに。
じわりと溢れてくる涙を必死でこらえていると、ぎゅっと抱きしめられた。何度こうして抱きしめられたか分からない。私が泣き出しそうになると、こうして彼は「大丈夫だ」と言う代わりに抱きしめてくれる。
「これは俺の意思だ」
大きな手が頭を撫でた。
「テオさん、馬鹿ですよ」
「惚れた弱みだからな」
威張れることじゃないですよ。私が悪い女だったらどうするんですか!
そう、弱々しく噛み付いてみたら、一笑に付された。そのときは俺の責任なのだと囁いた。
「テオさん」
「ん?」
抱きしめられたまま、見上げるようにテオさんを見つめる。その眼差しが優しくて、思わず顔が赤くなってしまった。
「あ、あのですね」
「ああ」
心臓が口から飛び出そうなんですけど。
――責任、取ってくださいね
彼にだけ聞こえるように、小さな、小さな声で呟くと、ビクッとして腕を緩めたテオさんの唇にそっと触れるようなキスをした。
「イリーナ、ボクともう1人この部屋に存在してるって気づいてるの?」
「いやあ、見ているこちらが赤面してしまいそうな二人ですね」
カールとフェルディナント様が苦笑して、ようやく私は二人がいたことを思い出し、今度こそ耳まで真っ赤になってしまう。
「ひゃああああ」
「お前、もう黙っとけ」
そんな私の悲鳴を止めるかのように、上からキスが降ってきた。慌てて止めようとしてテオさんの顔に触れると、メビウスの輪に気づいた彼は手首や腕輪にもキスを落とす。なんだかとても嬉しそうなので、それ以上は止められず、私はされるがままになっていた。
それから借金を返済しに行くと、相手はキラキラした大貴族(と王族)が一緒にいることに驚いて、口をあんぐりあけたまま手続きを済ませた。私自身、いま、何がどうなってこうなっているのか分からないだけに、その気持ちは理解できるよ。うん。
「フェルディナント様、お借りした金貨2千枚については必ず私からお返しします」
帰り道、馬車に揺られながらそう申し出ると、彼は「心配無用です」と手を振って笑った。
「その金貨は、別にテオドール様を縛る鎖にはなりません。元々、テオドール様の意思は尊重しろと申し付けられております」
第1騎士団を抜けたければそれも良い。ただ、テオさんが王太子の味方であると、周りに知らしめることが出来れば目的は達成できると彼は言う。
「実はその金貨、出所はわたくしではなく、王太子殿下なのですよ」
「えっ!? 王族って貧乏なのでは!?」
合宿最終日に王弟殿下が話していたことを思い出して反射的に反応すると、すごく困ったような顔をされた。
「確かに普通はそうなのでしょうけれども、あのお方は規格外といいますか……。愛する方のために個人的に立ち上げた事業が大当たりしまして、その辺の大貴族より資産をお持ちでいらっしゃいますよ。むしろ国王陛下よりも金持ちといいますか。薔薇の入浴剤や香水などを扱っているこのマークご存じないですか?」
目の前に出された小さな香水瓶を見て、見覚えのあるマークに目を丸くする。貴族令嬢御用達の人気店で取り扱っている品物であり、パーティでよく耳にしていたものだ。まあ、侍女バイトで出席していたパーティですけどね!
「まさか、王太子殿下のお店だったとは……」
「様々な意味で規格外なのですよ」
言い難そうに苦笑するフェルディナント様から、一体どれほど規格外なのだろうかと考えてしまう。
「香水なんて、俺には全然分からん」
テオさんが鼻をしかめるように呟いた。そりゃ、まあ、グリーンマーメイドにいればあまり縁がないかもしれませんが。ティアラさんは香水にも通じていたけれど、テオさんはむさ苦しい集団で修行の日々だったっぽいからなぁ。
「まあ、私でよければちょこちょこ説明しますって」
役立てるのが嬉しくて、ニヤニヤしていたらチョップをかまされる。惚れた女とか言っておきながらこの仕打ち! ひどすぎる!
「俺は覚えんぞ。パーティとやらにはお前を連れて行くから、対応は任せる」
「丸投げかあああああっ!」
「何のために金貨2千枚用意したと思ってる!」
「ひでえええ! ひでええええええええええ!」
私は外交係ですか!? 通訳ですか!? って、パーティ? テオさんと行くんですか!?
ぎゃー! 目立つ、目立つよおおおお。
またテオさんと言い合いしていたら、カールが「似合いのカップルだな」と遠い目で呟いた。
「貴族のしきたりに疎いテオドールにはイリーナが丁度いいのかもな。家柄も没落しきっているとはいえそこその貴族だし、親戚連中も静かだし、本人あんな性格だし」
カールの言葉にフェルディナント様は頷く。
「金貨2千枚の資金援助についても、その点が考慮されて、あっさりオッケーがでましたからね」
それ以前に、王太子殿下はテオドール様にかなり親近感を抱いておられましたけれど……と続けてから「あ、そうだ」と、思い出したかのようにフェルディナント様は手を叩いた。
「王太子殿下からの伝言です」
―― 恋に生きる男は嫌いじゃないぜ
その後、馬車の中で爆笑が起こったのは言うまでも無い。
メビウスの輪を真ん中で裂いたらどうなるか、輪を作って実際にやってみた。
二つに分かれると思っていた輪は、意外なことに大きな一つの輪になった。
さらにそれを真ん中で裂いてみた。
輪は二つに分かれたけれど、お互い引っかかるようにして、しっかりつながっていた。
引き裂かれても、離れていても、私たちはきっとつながっている。
「遠くに離れても、メビウスの輪の中を歩いているなら、いつかきっとまた出会える。イリーナが裏面を歩いていても、俺が走れば追いつける」
あのとき、そう言いたかったのだとテオさんは後に語った。子供だった私には難しすぎるよと頬を膨らませたら、「それでいいんだよ」とぶっきらぼうにテオさんは答える。
長く伸ばした髪はエメラルドグリーンの髪飾りで綺麗に結い上げられ、首元にはパールのネックレス。
宝石箱には大事に、大事に、あの日、皆からもらったガーディアンを入れている。
人生も人とのつながりもメビウスの輪のようで、ねじれて、裏返って、こんがらがって、何が起こるのか分からないけれど、全てつながっているのかもしれない。
「じゃあ、これからは一緒に歩いていけますね」
「ん」
よろしくとばかりに手を出され、私はその手をとった。




