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従順な娘〜はじまりの場所

退職が決まった週末、実家に帰った。


電話で伝えることもできた。


でも、直接言わなければならない、という言うより顔をみて言いたかった。


なぜそう思ったのか、うまく説明できない。




母は台所にいた。


「あら、友梨来たの。あなたの分ぐらいはご飯あるから、食べていきなさい」


「うん」


あれほど言おうとした言葉が出てこない。


「何? 座って待ってなさいよ」


「うん」


リビングには父がいた。


本を読んでいる。


私の目を見ておかえりとだけ言った。


それを見た瞬間、涙が溢れそうになった。


「ただいま」深呼吸してからそう言った。




三人で食事を済ませ、私はお茶を淹れて黙っていた。


母が何か話している。


父はもうすぐリビングから出て行ってしまう。


心臓の鼓動が聞こえてくる、それを聞きながら話を切り出した。




「私、この前会社で倒れて入院したの」


母の振り返った顔は、最初は驚きで、すぐに別の何かに変わった。


「……どういうこと。会社からも連絡なかったわよ」


「携帯番号変えたでしょ、変更出してなかった。家の電話はもうずいぶん前に解約したでしょ」


「それにしたって気がついた時に、なんで言わなかったの! 連絡してくれれば、すぐ行ったのに」


心配かけたくなかったと言いかけて、止まった。言いたいことと違う、と思った。




「言ったら余計なことが増えると思ったから」


母は黙った。


「……余計なことって、何よ」


「ごめん、言い方が悪かった。でも、いろいろと考えてるの」


母はしばらく黙っていた。台所の換気扇の音だけがしていた。


「仕事も辞めた、しばらくゆっくりする」


「辞めたって……辞めてどうするの。あんなに喜んでたのに、いい所に入れたって」


来た、と思った。


「心配してくれてありがとう。でも自分のことはなんとかするから」


「なんとかするって、そんなに簡単じゃないでしょ」




思わず父の方を見た。目があった。


「友梨。なんともならなくなったら言いなさい。お前ひとりぐらいならどうにでもなるからな」


「お父さんもそんな甘いこと言って。友梨も相談もなしに言われても困ります」


少しの間、沈黙が続く。




ずっと飲み込んできた言葉が、今日は止まらなかった。


「私は好きなように生きたい。そんなこと言われたら相談できない」


母の顔が変わった。怒るかと思った。でも怒らなかった。怒らなかったけど——


「友梨の言うことは聞こえはいいけど、これからどうするの」


話が終わらない気がしてきた。


私には私の正解と思うものがある、それは母も同じなんだ。




「私のことを心配してくれてるのは分かってる。それをありがたいとも思ってる。でも、迷惑かけないから好きにさせて」


「迷惑なんて」それ以上母は何も言わなかった。


私も何も言わなかった。


父が立ち上がって「友梨、いつでも家に帰って来てくれ。待ってるから」そう言ってリビングを出ていった。


しばらくして、母と一緒に洗い物をした。


母が納得したわけじゃない、と分かった。


でも今日はそれでよかった。


言えた。


それだけで十分だった。




帰り道、電車の中で窓の外を見ていた。


母からまた電話が来るだろう。


でも、大丈夫と思えている私がいる。


今は、それだけで十分だった。

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