表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

従順な娘〜もれた言葉

倒れたのは、十一月の終わり。


ずっと疲れていると感じていた。


その日は朝から頭が重かった。


でもやらなければいけないことが山積みだった。




業務マニュアル刷新の最終確認、セキュリティレポートの提出、午後には他部署からのトラブル対応の依頼も来た。


断る理由はない。


特にマニュアルは誰かにお願いできるように。


少しでも楽になるように、と思って始めたことだ。




たぶん夕方。気づいたら、病院に運ばれていた。


点滴に繋がれて、天井を見ていた。


過労と睡眠不足、と先生は言った。


特に重大なものは何もない。


考えていたより限界だった、ということみたいだ。




誰かが連絡してくれたらしく、宮本さんが来た。


「友梨さん」


「宮本さん、すみません、迷惑かけて」


「まだそんなことを。その気持ちは尊重するけど、無理しすぎだよ」


宮本さんは椅子を引いて座った。オフィスでよく見る動作だった。


「大丈夫だと思ったのですが」


「大丈夫じゃなかったね」


私は何も言えなかった。


「友梨さん、言っていい?」


「はい」


「しんどいって言って欲しかった。俺ももっとできたと思う」


しんどい、と言えなかった理由を、私は探した。


迷惑をかけたくなかった。


評価を失いたくなかった。


でも、言いかけて止まった。


それだけじゃない気がしたからだ。


「言っても、何も変わらないと思ってたから」


自分の口から出た言葉に、私は少し驚いた。


今まで言ったことのない理由だった。


でも言ってみると、それが一番正確な気がした。




「変わらないかもしれない。でも言ってほしかった」


「なぜですか」


「知りたかったから。あまり手伝いすぎるのも迷惑かもと思った」


宮本さんはそれだけ言って、それ以上説明しなかった。




私はしばらく、点滴の管を見ていた。


「宮本さん」


「うん」


「助けてください」


声に出してから、自分でも驚いた。


武器として言ったわけじゃなかった。


同情を引こうとしたわけでもなかった。


ただ、そうだった。


助けてほしかった。それだけだった。




宮本さんは黙っていた。しばらくして、「わかった」と言った。


何かが、ゆっくりほどけた気がした。




三日間、入院した。退院してから一週間、休暇を取った。


宮本さんが毎日、夕方に連絡をくれた。


電話ではなく、短いメッセージだった。


「調子はどう?」とか「何か買い物いる?」とか。私は短く返した。




ある日のメッセージに、いつもと少し違う空気があった。


「会社の業務がうまく回らなくなっている。一人に押し付けたツケを払っているよ」


「俺も断った、専門じゃないから。委託して高くついてるよ」


返し方が分からなかった。




宮本さんが怒っているのか、呆れているのか、それとも別の何かなのか、分からなかった。


そのメッセージがしばらく頭から離れなかった。


だめだ。




もう、この会社辞めようと思った。




ある日、宮本さんから「今日、少し話せる?」とメッセージが来た。


「はい」と返した。




宮本さんは近くの喫茶店に来た。


私は紅茶を頼んだ。宮本さんはコーヒーを頼んだ。


「体はもう大丈夫?」


「だいぶ良くなりました」


「そっか」


少し沈黙があった。


「友梨さん、これからどうするの」


「転職を考えてます。また同じことしそうで」


「どこか当てはある?」


「しばらく休みながら探そうかと」


「そっか」


また沈黙があった。


宮本さんはコーヒーを一口飲んで、テーブルを見ていた。


何かを言おうとして、何度か止まっているのが分かった。






「俺も辞めようと考えてる」


「えっ」


「友梨さんのことがあって、改めて思った。使い捨てにする会社で、何年も働く気にはなれなくて」


私は自分の中を確認した。


宮本さんが辞める。


それが何を意味するのか、うまく整理できなかった。


ただ、完全に会社に戻る選択は、もうなくなった気がした。


「完全に回復したら食事でも行こうよ」


「はい、ぜひ」




帰り道、一人で歩いた。空は暗くて、街灯がついていた。




助けてください、と言った夜のことを思い出した。


あの言葉は、今まで言った言葉の中で一番本音に近かった。


ただ、本当にそう思ったから、そう言った。それだけだ。




「私はこうしたい」と言うことも、今日初めてちゃんとできた気がした。


辞めるとか言ったら、もっと頑張れとか言われるんじゃないかって、今まで止めていた言葉。


何かが大きく変わったわけじゃない。ただ、私を優先している私がいる。




それだけで、今は十分だと思えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ