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白いカラス  作者: シンドゥー


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8/15

世界の血管

 冥下第5圏、旧採掘区。


 戦いの跡は、まだ残っていた。


 砕けた岩壁。

 抉れた地面。

 白い外套の切れ端。

 焼けた金属片。

 そして、砕耀の大剣が放った衝撃波によって形を変えた無人地帯。


 保安社は撤退した。


 総流社も撤退した。


 だが、それで終わりではない。


 むしろ、本当に始まったのはここからだった。


   ◇


 砕耀の拠点に戻った後、しばらく誰も口を開かなかった。


 ラナはソファーに倒れ込み、毛布を頭からかぶっている。

 梟は車椅子の固定具と狙撃銃の損傷を確認していた。

 鈴木は壁際で腕の銃器を収納しながら、無言で弾数を数えている。


 久夜は新しいダガーを一本、指先で回していた。


 往路で斬る。

 復路でも斬る。


 流星が作った刃は、戦場で十分に役立った。


 だが、久夜の頭に残っていたのはダガーの感触だけではない。


 白い外套の女。


 大天使、天永或澄。


「あの白い女、弱くはなかったな」


 久夜が言うと、砕耀は椅子に腰を下ろしながら答えた。


「大天使だからな。保安社の前線戦力としては十分上澄みだ」


「大天使って聞くと、かなり偉そうに聞こえるけど」


 ラナが毛布の中から声を出す。


「実際は違うの?」


「保安社の階級は、天使の階級を参考にしている。大天使は前線に出る上位兵だが、最高位じゃない」


 砕耀は端末を操作し、簡単な階級表を表示した。


「今回、俺が相手した権天使は大天使より上だ。戦場の制圧や危険対象の裁定を任される連中だな」


「それを三人相手にしてたんだろ」


 久夜が笑う。


「やっぱ化け物じゃねえか」


「俺一人で天界を落とせるなら、こんな苦労はしていない」


 砕耀は静かに返した。


「保安社は、観令の裁定を現実に反映する刃だ。危険人物、禁忌研究、異理者、観令照合不能存在。そういうものを調査し、制圧し、必要なら処分する」


「つまり、天界の番犬か」


「言い方は悪いが、遠くはない」


 梟が銃身を拭きながら言う。


「でも、今回の保安社は総流社に利用されていた」


「完全に利用されていたわけじゃない。保安社側も、ラナを危険個体として処理する理由はあった」


 砕耀はラナを見る。


「だが、総流社は情報を隠した。ラナがどこから来たのか。マッドファザーとどう関係しているのか。なぜ総流社が先に回収班を出していたのか」


「私、完全に厄介者じゃん」


 ラナが毛布の中で丸くなる。


「厄介者じゃない」


 久夜が言った。


「荷物でも検体でもない。ラナだ」


 ラナは毛布の中で黙った。


 少しだけ、布の端が震えた。


 その時、古い端末が鳴った。


 砕耀が画面を見る。


 表示されたのは、また一文字。


 ――X。


 砕耀の目が細くなる。


「動いたな」


「保安社か?」


 梟が問う。


「いや。総流社だ」


 砕耀は端末の内容を読み上げる。


「観令監査が入ったせいで、第5圏関連の物流権限が一部凍結された。総流社は隠し荷を移動させるつもりだ」


「隠し荷?」


 久夜が問う。


「観令に見られたら終わる荷だ」


 砕耀は地図を広げる。


 冥下と地上の境界付近。

 その中間に、巨大な物流倉庫が示された。


「総流社の表向きの物流拠点じゃない。帳簿に載らない荷を一時的に保管する隠し倉庫だ」


「そこにラナ関連の証拠があるってこと?」


 梟が言う。


「可能性が高い。マッドファザーとの取引記録、観令未報告の搬送記録、ラナを“回収対象”として扱った内部資料。総流社が急いで動かすなら、それだけ危険なものがある」


 久夜は笑った。


「じゃあ奪いに行くか」


「行く」


 砕耀は即答した。


「ただし、今回は工馬と土龍は前線に出さない」


「何で?」


 ラナが顔を出す。


「二人は地上で生活している。普段は異理を隠し、普通の仕事をしている。観令に拾われれば、その生活が終わる」


 砕耀は端末に届いた別の通信を表示する。


 工馬からは、倉庫内部の搬送機械の構造図。

 土龍からは、地下搬入口と旧水路の地盤情報。

 どちらも、前線には出ないが情報は送ってきていた。


「地上で生きている奴らを、毎回泥の中に引きずり戻すわけにはいかない」


 砕耀の声は静かだった。


「反逆は、叫ぶ奴だけで成り立つんじゃない。隠れて生きる奴も、支えている」


 久夜は地図を見る。


「前に出るのは?」


「俺、久夜、梟、ラナ、鈴木」


「私は行くの?」


 ラナが明らかに嫌そうな顔をする。


「お前に関する記録だ。見たいか見たくないかは選べ」


 砕耀が言う。


 ラナは少しだけ黙った。


「……見る」


 その声は小さかった。


「私を荷物扱いした記録なら、私が見たい」


「決まりだ」


 梟が銃を畳む。


「流星は?」


「来ない」


 砕耀は短く答える。


「さっき工房に寄った。梟の車椅子と久夜のダガーは調整済みだ」


   ◇


 数時間前。


 光年の星の工房で、流星は久夜のダガーを一本だけ確認していた。


「空間糸の摩耗が早い」


「戦闘で使ったからな」


「使い方が荒い」


「武器は荒く使うもんだろ」


「使い手がそう思っている武器は、だいたい早死にする」


 流星は淡々とダガーを返した。


「今回は行かないのか?」


 久夜が問う。


「行かない」


「薄情だな」


「中立にも生活がある」


「それ、気に入ってんのか?」


「便利な言葉だからね」


 流星は梟の車椅子の固定具を調整しながら、ラナを一瞥した。


「倉庫なら、ラナの魔法は役に立つ」


「私の?」


「上にあるものを下へ落とせる。物流倉庫ほど、上に物が積まれている場所は少ない」


「つまり、私は倉庫向き?」


「そうだ」


 ラナは少し複雑そうな顔をした。


「嬉しいような、嬉しくないような」


 流星はモノクルを直す。


「弱い力は、場所を選べば強くなる」


 それだけ言って、彼は作業台へ戻った。


   ◇


 総流社第八隠匿倉庫。


 そこは、地上と冥下の境界に作られた巨大施設だった。


 表向きは廃棄済み物流拠点。

 実際には、総流社が帳簿に残せない荷を保管するための隠し倉庫。


 外壁は分厚い灰色の金属。

 内部には無数のコンベア、貨物リフト、冷凍区画、薬品保管区、無人搬送機が並んでいる。


 総流社は、世界の血管。


 ならばここは、血管の奥に溜まった血栓のような場所だった。


「でかいな」


 久夜が外壁の上から内部を見下ろして言う。


 梟は車椅子を貨物レールに固定し、狙撃姿勢を取っていた。


「高低差がある。嫌いじゃない」


 鈴木は腕を展開し、銃器を確認している。


「警備機、多数。有人兵もいる」


「封荷衆だ」


 砕耀が言った。


「総流社の隠し荷を守る特殊部隊。表の警備員とは違う。人を荷物として扱うことに慣れてる連中だ」


「嫌な名前」


 ラナが呟く。


「封じる荷、で封荷衆か」


 久夜はダガーを抜いた。


「ちょうどいい。荷札を剥がしてやる」


 砕耀は端末を見る。


「目的は三つだ。一つ、マッドファザー関連の記録。二つ、ラナの回収記録。三つ、総流社が観令に未報告で異世界線由来の物品を流通させていた証拠」


「証拠を取ってどうする?」


 鈴木が問う。


「地上へ流す」


 砕耀は言った。


「地上の人間の多くは、天界の本当の姿を知らない。十柱がどこまで生活を握っているかも知らない。総流社はただ便利な流通企業だと思われている」


「そこに悪事を流すのか」


 久夜が笑う。


「いいね。刃じゃなくて噂で斬るわけだ」


「噂じゃない」


 砕耀の声が低くなる。


「証拠だ」


 その言葉を合図に、作戦が始まった。


   ◇


 最初に動いたのは梟だった。


 銃声は一発。


 だが、その一発で外壁上の監視装置が三つ沈黙した。


 弾丸は装置を貫いた後、背後の金属板に跳ね、別のセンサーの根元を砕いた。


「入口、開ける」


 鈴木が腕を伸ばす。


 銃口ではない。

 手首から細い切断工具が展開し、外壁の保守用ロックを焼き切る。


 重い扉がわずかに開いた。


 久夜が隙間に滑り込む。


 中は、巨大な倉庫だった。


 天井まで届く棚。

 上下に走る貨物リフト。

 無数のコンベア。

 自動搬送機。

 赤い警告灯。


 そのすべてが、血管の中を流れる荷物のように動いている。


 久夜は笑った。


「戦場としては悪くねえ」


 警報が鳴る。


 封荷衆が現れた。


 黒い作業服。

 顔を覆う防護面。

 背中には総流社の小さな紋章。

 手には、荷物固定用のワイヤーと電撃棒。


 彼らは人間相手の言葉を使わなかった。


「侵入物を確認」


「未登録荷物として処理」


「封鎖開始」


 久夜の顔から笑みが消える。


「未登録荷物?」


 ダガーを投げる。


 一本目が電撃棒を裂く。

 二本目がワイヤー射出器を壊す。

 三本目が防護面の横を掠め、通信機を落とす。


「戻れ」


 三本の刃が反転する。


 背後から戻る刃が、封荷衆の装備をさらに切り裂いた。


 往路で武器を殺し、復路で足を奪う。


 封荷衆が倒れる。


 久夜は戻ってきたダガーを掴み、低く言った。


「人に荷札を貼るなよ」


 倉庫の上層では、梟が射線を取っていた。


 流星製の車椅子は、貨物レールの上に固定されている。

 車輪の側面から伸びた金属爪がレールを噛み、反動を殺す。


 梟は倉庫全体を見下ろしていた。


「上を取った」


 彼女の声が通信に乗る。


「ここからは私の倉庫」


 銃声。


 貨物リフトの制御盤が撃ち抜かれる。

 動き出そうとしていた封荷衆の昇降足場が停止する。


 次の銃声。


 天井から降りてきた拘束ワイヤーの接続部が砕ける。


 三発目。


 無人搬送機の前輪だけが撃ち抜かれ、横転した機体が敵の進路を塞いだ。


 ラナは砕耀の背後で、周囲を見上げていた。


 高い棚。

 積み重なったコンテナ。

 吊るされた貨物。

 照明。

 鉄板。

 木箱。


 上にあるものが、多すぎる。


 流星の言葉が頭に浮かぶ。


 ――弱い力は、場所を選べば強くなる。


「……ほんとだ」


 ラナは小さく呟いた。


 封荷衆の一人が、鈴木へ向けて拘束網を放つ。


 ラナが手を振る。


 その上に積まれていた空のコンテナが、突然落下した。


 轟音。


 拘束網ごと床へ叩き潰される。


 鈴木は無表情で親指を立てた。


「助かった」


「私、今ちょっと強くない?」


「倉庫限定で強い」


「限定って言わないでよ」


 砕耀が前に出る。


 大剣を振るう必要すらなかった。


 彼は封荷衆の突撃を肩で受け止め、電撃棒を握り潰し、相手の防護服の襟を掴んで床へ転がす。


 殺さない。


 だが、二度と立ち上がれない程度には叩き伏せる。


「久夜、中央制御室へ行け」


「お前は?」


「搬送路を止める。荷を逃がされると面倒だ」


「了解」


 久夜はコンベアの上へ跳び乗った。


 足場が動く。


 左右から荷物が流れてくる。


 封荷衆がコンベアの反対側から迫る。


 久夜は加速した。


 コンベアの速度に、自分の速度を重ねる。


 視界が流れる。


 敵が遅くなる。


 白い刃が倉庫の赤い警告灯を切り裂くように走った。


 一人目の武器を砕く。

 二人目の足元を裂く。

 三人目の背後へ抜けた刃を戻し、背中の装置を切る。


 敵は久夜の前方だけを警戒する。


 だが、久夜の刃は通り過ぎた後も死なない。


 戻る。


 背後から斬る。


 それが、新しい久夜の戦い方だった。


   ◇


 中央制御室へ向かう途中、ラナは一つの保管区画の前で足を止めた。


 扉には、赤い文字で表示が出ている。


 未分類人型荷物。

 検体候補。

 魔法体系保持の可能性。

 観令照合不能。


 ラナの顔から血の気が引いた。


「これ……」


 砕耀が端末を確認する。


「開けるぞ」


 鈴木が扉のロックを焼き切る。


 中には、保管箱と記録端末が並んでいた。


 その一つに、ラナの画像が表示されている。


 アステール・ラナ。


 回収対象。

 異世界線由来個体。

 魔法体系保持者。

 戦闘能力低。

 逃亡可能性中。

 商品分類不可。

 研究価値高。

 搬送優先度、最上位。


 ラナは画面を見つめた。


 しばらく何も言わなかった。


 やがて、唇が震える。


「商品分類不可……?」


 誰も答えない。


「私、商品じゃない」


 ラナの声は小さかった。


 だが、その奥に怒りがあった。


「王女でも、出来損ないでも、検体でも、荷物でも、商品でもない」


 彼女は手を上げた。


 保管区画の上には、巨大な貨物コンテナが吊るされていた。


 中身は分からない。


 だが、重い。


 ラナの魔法は弱い。


 物を上から下に落とすだけ。


 ただ、それだけ。


 だが、ここは総流社の倉庫だった。


 上には、落ちるものがいくらでもある。


「私を、荷物みたいに書くな」


 ラナが手を振る。


 貨物コンテナが落ちた。


 轟音。


 床が揺れる。


 保管棚が連鎖的に崩れ、封荷衆の進路を塞ぐ。

 積まれていた木箱が割れ、薬品容器が転がり、警報がさらに激しく鳴る。


 梟が通信越しに言った。


「ラナ、今のはかなり良い」


 ラナは肩で息をしながら、少しだけ笑った。


「でしょ」


 久夜が戻ってくる。


 その手には、制御室から奪った記録媒体が握られていた。


「証拠、取れたぞ」


 砕耀は記録媒体を受け取る。


 中身を確認する。


 マッドファザーとの取引記録。

 登録外検体の搬送記録。

 観令未報告の倉庫番号。

 総流社内部の隠蔽指示。

 ラナを“荷”として扱った分類表。


 十分だった。


「撤退する」


「もう壊さなくていいの?」


 ラナが問う。


「壊すだけならいつでもできる」


 砕耀は記録媒体を握る。


「だが、これは総流社が一番嫌がる形で使う」


 久夜が笑う。


「地上へ流すんだな」


「ああ」


 砕耀の声は低い。


「総流社は世界の血管だ。だが、地上の人間の多くは、自分たちの血管に何が流されているか知らない」


 警報が鳴り響く。


 封荷衆が再編成され、重装備の警備機が起動する。


 鈴木が腕の銃を展開する。


「敵、増加」


「帰り道を開ける」


 梟が貨物レールの上から狙撃する。


 銃声。


 搬送機の制御盤が撃ち抜かれ、巨大なコンベアが逆回転を始める。


 封荷衆が足を取られる。


 久夜が先頭を走る。


 ダガーを投げる。

 戻す。

 また投げる。


 白い刃が、赤い警告灯の中を舞う。


 砕耀は大剣を担ぎ、追手を壁のように受け止める。


 ラナは落とす。

 照明を。

 荷箱を。

 看板を。

 吊り下げられた空コンテナを。


 そのたびに道が開く。


 倉庫そのものが、ラナの武器になっていた。


 最後の隔壁が閉じようとする。


 鈴木が前に出た。


 両腕が開く。


 銃口ではなく、太い杭打ち機のような装置が生える。


「壊す」


 短い宣言。


 衝撃。


 隔壁のロック部が歪む。


 久夜がその隙間へダガーを投げた。


 刃が内部の固定具を裂く。


「戻れ」


 戻る刃が反対側のロックも切断した。


 隔壁が止まる。


 砕耀が大剣の柄で押し開ける。


「出るぞ!」


 一行は倉庫の外へ飛び出した。


 背後で、総流社第八隠匿倉庫の警報が赤く鳴り続けていた。


   ◇


 撤退後、冥下の古い地下水路で、砕耀は奪った記録媒体を確認していた。


 工馬から通信が入る。


『機械系の暗号はこっちで解ける。送れ』


 土龍からも別の通信。


『逃走経路の崩落はごまかしといた。地上側の工事記録には載らねえ』


 地上で暮らす者たちは、前線には出なかった。


 だが、確かに戦っていた。


 砕耀は短く礼を返し、通信を切る。


 ラナは壁にもたれ、膝を抱えていた。


 久夜が隣に座る。


「大丈夫か」


「大丈夫じゃない」


「だろうな」


「私、商品分類不可だって」


「総流社の連中の目が腐ってるだけだ」


 ラナは少し笑った。


「それ、慰め?」


「事実だ」


 ラナは膝に顔を埋める。


「元の世界でも、出来損ないって言われた。こっちでは荷物。どこ行っても、私って何かに分類されるんだね」


 久夜は少し黙った。


 それから言う。


「分類できないから、怖いんだろ」


「え?」


「王女でも、出来損ないでも、荷物でも、商品でもない。分類できないから、あいつらは勝手に名前を貼る」


 久夜はダガーを指先で回す。


「なら、貼らせるな。自分で名乗れ」


 ラナは顔を上げる。


「アステール・ラナって?」


「ああ」


「……うん」


 ラナは小さく頷いた。


「私は、アステール・ラナ」


 その声はまだ弱い。


 でも、確かに自分の名前だった。


 砕耀が記録媒体を懐にしまう。


「よし、この証拠は地上へ流す」


 梟が問う。


「どうやって?」


「いくつかルートがある。地上の小規模報道網、反十柱の掲示網、総流社に恨みを持つ商人組合。全部に同時に流す」


「観令に消されない?」


「消される前に広げる。完全には信じられなくてもいい。疑いが生まれれば十分だ」


 久夜が笑う。


「便利な会社が、実は人を荷物扱いしてましたってな」


「地上の人間の多くは天界を知らない。だが、自分たちの生活を握っている企業が何をしているかは知る権利がある」


 砕耀は静かに言った。


「総流社を倒すには、倉庫を壊すだけじゃ足りない。信頼を断つ」


 血管を断つ。


 それは、剣だけではできない戦いだった。


   ◇


 数時間後。


 総流社第八隠匿倉庫に、一人の老人が現れた。


 枯野万作。


 万具の翁。


 彼は崩れた棚を避けながら、ゆっくりと歩く。


 足元には、切断された拘束具。

 破壊された警備機。

 落下したコンテナ。

 そして、白い刃が通った痕跡。


 万作は、床に落ちていた荷札を拾った。


 そこには、こう書かれていた。


 未分類人型荷物。


 老人は、深くため息をつく。


「人に貼る札ではないのう」


 封荷衆の一人が、負傷した身体を起こそうとしていた。


「枯野様……申し訳ありません。侵入者に記録媒体を――」


「よい」


 万作は遮った。


「隠したいものほど、雑に扱えば落とす。総流社は物を運ぶ会社じゃが、最近は物の重さを忘れとる」


 彼は床の傷を見た。


 一本の刃が往き、戻った痕跡。


「刃が戻るのか」


 万作は少しだけ目を細める。


「面白いのう」


 そして、別の場所を見る。


 大量の荷物が落下した跡。


 小さく、弱く、しかし確かに倉庫の流れを変えた力。


「意図的に落とす技、か」


 万作は静かに笑った。


「総流社の倉庫で、それほど恐ろしい力もない」


 老人は荷札を懐にしまう。


「さて。流れがいよいよ荒れてきた」


 万具の翁は、崩れた倉庫の中を歩いていく。


 総流社の血管は、まだ世界に張り巡らされている。


 だが、その奥に溜まった腐敗は、もう隠しきれない。


 白い刃が、最初の傷をつけた。


 そしてその傷口から、やがて地上へ、真実が流れ出す。

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