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白いカラス  作者: シンドゥー


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6/15

宝珠の一撃

総流社管理棟の地下には、公式には存在しない会議室がある。


 観令の監視網から完全に逃れられる場所ではない。


 そんなものは、この世界のどこにも存在しない。


 ただ、その部屋は記録の優先順位を落とすように作られていた。


 旧式の在庫管理室。

 通信状態の悪い地下階層。

 搬入記録の中継地点。

 帳簿上は、ただの補助施設。


 そこに、総流社の幹部たちと、保安社の白い外套を纏った者たちが集まっていた。


「自社の回収班では限界です」


 総流社の女が、淡々と告げる。


 机上には、複数の映像が展開されていた。


 冥下第5圏の市場。

 旧医療区画。

 光年の星の工房。

 白い刃を操る少年。

 屋根から放たれる正確な狙撃。

 落下する工具箱。

 そして、金髪の少女。


「対象は観令照合不能。通常の流通回収網では対応不能と判断しました」


 保安社側の男が映像を見る。


 白い外套の肩には、権天使の階級章が刻まれている。


 大天使より上位に位置し、戦場の裁定と高危険対象の制圧を担う階級。


 その男は、総流社の女を冷たく見た。


「観令照合不能個体なら、本来は即時報告案件だ。総流社が独自に動いた理由は」


「流通上の異常として確認されたためです。対象は、マッドファザーと名乗る禁忌研究者によって冥下へ持ち込まれた可能性があります」


「可能性」


「はい」


「確定情報ではないと」


「現在、照合中です」


 権天使の男は答えない。


 部屋の端。


 白い外套を纏った女が一人、黙って資料を見ていた。


 大天使、天永或澄。


 この場において、彼女の階級は決して高くない。


 権天使たちのように作戦全体を裁定する立場ではない。


 だが、前線に出る実働戦力としては十分な格を持つ。


 或澄は、表示された少女の映像を見ていた。

 アステール・ラナ。

 観令照合不能。

 戸籍なし。

 過去記録なし。

 移動履歴なし。

 購買履歴なし。

 医療記録なし。


 存在しているのに、世界の記録には存在しない少女。


 総流社の女は続ける。


「保安社に求めるのは、対象の回収です。殺処分ではありません」


「回収」

 

或澄が、静かにその言葉を繰り返した。

 誰も返事をしなかった。

 総流社の女は、ほんのわずかに眉を動かす。

 権天使の男が話を戻した。


「妨害者は」


「天理久夜。天理家より破門済。現在、冥下第5圏に潜伏。砕耀と呼ばれる男と行動を共にしています」


「砕耀」


 その名に、保安社側の数名が反応した。

 宝玉の主人。

 冥下でその名を知らぬ者は少ない。


「宝珠の心を持つ男です。高い再生能力と、巨大な宝石質の大剣を用いる。総流社の回収班では対処不能でした」


「なるほど」


 権天使の男は映像を切り替える。

 砕耀が大剣を担ぐ姿。

 市場で久夜を拾った時の姿。

 旧医療区画でラナを連れ出す一行の姿。

 工房で総流社刺客と交戦した時の映像。


「危険度は高い」


「そのため、保安社の協力が必要です」


「観令への正式申請は」


 女は、一瞬だけ沈黙した。


「まだです」


「理由は」


「対象の正体が確定していません。正式申請の前に、身柄を確保し、記録を整理する必要があります」


「先に身柄を確保し、後から理由を整えるつもりですか」


 或澄が言った。


 声に感情はない。


 だが、その問いだけが、わずかに部屋の温度を下げた。


 総流社の女は表情を変えない。


「秩序を守るためです」


 保安社の者たちは、誰もその言葉を否定しなかった。


 秩序。


 この世界では、その二文字が最も重い。


 会議の末、部隊の派遣が決定された。


 表向きは、冥下第5圏における危険個体確認任務。


 実態は、総流社の重要検体――アステール・ラナの回収。


 総流社の関与は記録に残さない。


 保安社は観令の名を直接使わない。


 互いに、互いの存在を隠して動く。


 観令の死角。


 彼らは、そう信じた。

 


  ◇

 その情報は、会議が終わるより早く砕耀の元へ届いた。


 冥下第5圏。


 砕耀の拠点地下。


 古い端末が短く震える。


 表示されたのは、たった一文字。

 ――X。


 砕耀は椅子に座ったまま、端末を開いた。


 久夜は新しいダガーの感覚を確かめている。


 梟は狙撃銃の整備をしている。


 ラナはソファーで毛布にくるまり、半分眠っていた。


 流星はこの場にいない。


 彼は手を貸すが、味方として居座る男ではない。


 光年の星は、あくまで自分の工房と航路の上に立っている。


「何だ?」


 久夜が問う。


 砕耀は画面を見たまま、低く答えた。


「保安社が動く」


 梟の手が止まった。

 ラナも、眠そうな目を開く。


「保安社って、天使の?」


「ああ」


 砕耀は端末を机に置いた。


 暗号化された文章が並ぶ。

 ――総流社、保安社と非公式接触。

 ――対象、観令照合不能個体。

 ――作戦地、冥下第5圏。

 ――大天使複数、権天使複数を確認。

 ――総流社関与、秘匿。

 ――観令正式申請なし。


「Xから?」


 梟が言う。


「そうだ」


「相変わらず早い」


「命がけでな」


 久夜は端末を覗き込む。


「Xって誰だ?」


「知らなくていい」


「天界の内通者か?」


「知らなくていいと言った」


 砕耀の声は、いつになく硬かった。


 久夜は少しだけ眉を上げ、それ以上は踏み込まなかった。


「総流社だけなら、まだ小細工で済んだ」


 砕耀は立ち上がる。


 壁に立てかけられた巨大な剣が、鈍い光を放っていた。


「だが保安社が出るなら、話は別だ。連中はラナを危険個体として扱う」


「危険個体って、私?」


 ラナが自分を指差す。


「どう見ても弱いけど」


「弱いかどうかは関係ない」


 梟が言った。


「観令に登録できない。総流社が隠している。異世界から来ている。保安社から見れば、それだけで危険扱いされる」


「ひどい」


 ラナは毛布に顔を埋めた。


「私、ただ寝たいだけなのに」


「寝てる場合じゃない」


 砕耀は机に地図を広げた。

 冥下第5圏の全体図。

 市場。

 旧医療区画。

 居住区。

 廃工場群。

 旧採掘区。


 砕耀は、地図の端を指で叩いた。


「ここで迎え撃つ」


「旧採掘区?」


 梟が目を細める。


「人がいない。建物もほとんど廃墟。砕耀が暴れるにはちょうどいい」


「俺だけじゃない」


 砕耀は地図を見下ろした。


「保安社が権天使まで出してくるなら、戦いは大きくなる。街中ではできない。住民を巻き込む」


「旧採掘区なら壊してもいいってことか」


 久夜が言う。


「壊していい場所なんてない」


 砕耀は静かに答えた。


「だが、壊れても人が死なない場所はある」


 その言葉で、久夜は黙った。


 砕耀は自分の胸元に手を当てる。


「俺の宝珠の心は、ただ再生するだけじゃない。損傷し、再生が一定まで進むと、心臓が温まり始める。エンジンみたいにな」


 ラナが毛布から顔を出す。


「エンジン?」


「俺自身の出力が上がる。剣の威力も上がる。さらに宝珠が回れば、剣に力を溜めて衝撃波として放てる」


「どれくらいの威力だ?」


 久夜が問う。


「最大なら、山一つくらいは吹き飛ぶ」


 空気が止まった。


 ラナが小さく口を開ける。


「……今、さらっと怖いこと言った?」


「だから、街では使わない」


 砕耀の声は淡々としていた。


「俺は、自分の力で冥下を壊すつもりはない」


 久夜は砕耀を見る。

 ただ硬いだけの男ではない。

 ただ死なないだけの男でもない。

 自分がどれほど危険な力を持っているのかを知り、その上で戦場を選ぶ男。


 それが砕耀だった。


「仲間を呼ぶ」


 砕耀は端末を操作する。


「いつもの連中?」


 梟が言った。


「ああ」


「むさ苦しい?」


「むさ苦しい」


「最悪」


「頼りにはなる」

   ◇

 最初に現れたのは、作業着姿の男だった。

 肩幅が広く、腕には油汚れが染みついている。

 年齢は三十代半ばほど。

 地上の工場で、そのまま働いていても違和感がない男だった。

「久しぶりだな、砕耀」

「工馬」

 砕耀が短く呼ぶ。

 男は笑いながら、久夜たちを見た。

工馬鉄磁こうば・てつじだ。普段は地上で機械整備をしてる」

「地上の人?」

 ラナが聞く。

「元は冥下。這い上がっただけだ」

 工馬は自分の胸を親指で叩く。

「異理持ちだが、地上じゃ使わねえ。天界に目をつけられたら面倒だからな」

「どんな異理だ?」

 久夜が問う。

 工馬は床に落ちていた鉄片を指で弾いた。

 次の瞬間、鉄片が空中で跳ね、工馬の掌へ吸い寄せられる。

「磁石と同じ性質を、自分に付けられる。引き寄せと反発。できるのは磁石にできることだけだ」

「十分便利じゃねえか」

「便利だが万能じゃない。木も石も無理だし、変な合金は効きが悪い」

 次に現れたのは、長身の男だった。

 髪はぼさぼさで、目つきは悪い。

 服には乾いた土がこびりついている。

紫外土龍しがい・どりゅうだ」

 男は不機嫌そうに名乗った。

「呼ばれたから来た。用が済んだら帰る」

「相変わらず愛想がないな」

「愛想で天使が止まるかよ」

 土龍は足元の泥を軽く踏む。

 地面がわずかに盛り上がり、小さな土壁ができた。

「土や岩を動かせる。規模が大きいほど体力を食う。街一つ動かせとか言われたら死ぬ」

「今回は防壁と分断が主だ」

「なら死なない」

 最後に来たのは、鈴木だった。

 本当に、ただ鈴木と名乗った。

 年齢は分かりにくい。

 顔の半分は人工皮膚で覆われ、首元には金属の継ぎ目が見える。

 服の下から覗く腕は完全に機械だった。

「鈴木だ」

 久夜は眉を上げる。

「名前、普通すぎねえか?」

「覚えやすいだろ」

 鈴木は無表情で答える。

 その腕が、機械音を立てて開いた。

 中から銃口が覗く。

「他の冥下で活動してる。全身サイボーグだ。腕から銃を生やせる」

「言い方が雑だな」

「事実だ」

 ラナが小声で呟く。

「むさ苦しい……」

 梟が頷いた。

「むさ苦しい」

 工馬が豪快に笑う。

「お嬢ちゃんたち、正直だな」

 彼らは天界に名を知られた英雄ではない。

 星でもない。

 世界を救った伝説でもない。

 地上で働き、冥下で戦い、天界に見つからないように力を隠して生きている男たちだった。

 だが、砕耀が呼べば来る。

 それだけで十分だった。

「状況は?」

 工馬が問う。

「総流社と保安社が組んだ。狙いはラナ。旧採掘区に誘導して迎え撃つ」

「保安社相手に正面からやるのか」

「奴らは観令の目を大きく使えない。今回だけは、こっちが有利だ」

「本当にバレないと思うか?」

 土龍が低く聞く。

「思わない」

 砕耀は即答した。

「いずれバレる。だから、その前に総流社の首を絞める」

 鈴木が腕の銃口を閉じた。

「分かりやすい」

 砕耀は全員を見回す。

「工馬、お前は敵の武器を殺せ。殺すのは人じゃない、道具だ」

「あいよ」

「土龍、地形を作れ。住民がいる区画には触るな」

「分かってる」

「鈴木、火力は抑えろ。保安社を殺しすぎると総流社が喜ぶ」

「殺しすぎない程度に撃つ」

「梟、お前は高所を取れ。空を押さえろ」

「了解」

「久夜、お前は前に出ろ。ただし戻ってこい。新しい刃の感覚を掴むにはちょうどいい」

「言われなくても」

「ラナ」

 ラナがびくっとする。

「お前は俺の後ろだ。怖けりゃ伏せろ。だが、自分を荷物だと思うな」

 ラナは少し黙った。

 それから、弱々しく笑う。

「……うん」

 砕耀は大剣を背負った。

「ここは冥下第5圏だ。天界の連中に、好き勝手歩かせるな」


旧採掘区は、冥下第5圏のさらに奥にある。

 かつて鉱石を掘っていた場所らしいが、今では巨大な穴と、崩れた足場と、錆びた作業機械だけが残されている。

 人はいない。

 住める場所ではない。

 空気は乾き、地面は割れ、風が吹くたびに砂と鉄粉が舞う。

 戦場には向いていた。

 戦いが始まる前から、土龍は地面に触れていた。

 細かな溝を作る。

 隠し壁を作る。

 崩れやすい足場を、あえて残す。

 工馬は鉄骨や廃材の位置を確認している。

 どこに鉄があるか。

 どこまで引けるか。

 どの角度で弾けば、人ではなく武器だけを壊せるか。

 鈴木は腕の銃器を展開し、弾種を切り替えていた。

 梟は旧採掘塔の上にいた。

 流星製の車椅子が、塔の細い足場に固定されている。

 その姿は、車椅子というより、狙撃用の小さな砦に近かった。

 久夜は足元の泥を軽く蹴り、新しいダガーを三本だけ抜いた。

「三本まで、だったな」

 流星の声を思い出す。

 戻る刃は便利だが、便利な武器ほど自分を傷つける。

 久夜は笑った。

「分かってるよ。多分な」

 ラナは砕耀の背後にいた。

 震えている。

 だが逃げてはいない。

「大丈夫か」

 砕耀が聞く。

「全然」

 ラナは即答した。

「でも、荷物じゃないって言われたから。荷物じゃないなら、せめて自分の足で怖がる」

「それでいい」

 砕耀は笑った。




保安社の部隊が現れたのは、旧採掘区全体が薄い霧に沈み始めた頃だった。


 白い外套。

 無機質な仮面。

 統一された歩幅。

 冥下の泥に一切馴染まない、天界の秩序そのもののような部隊。


 数は、想定より多かった。


 通常天使の制圧部隊が二十。

 その前面に、大天使が三名。

 そして後方に、権天使が三名。


 権天使。


 保安社において、大天使よりもさらに上位に位置する階級。

 現場の執行者ではなく、戦場そのものを裁定するために投入される存在。


 その三名がいるというだけで、総流社がどれほどラナを欲しているのかが分かった。


 白い外套の一人が、前へ出る。


 女だった。


 年齢は二十代後半ほど。

 表情に揺らぎはない。

 手には、白く細い剣。


 天永或澄。


 保安社所属、大天使。


 その名を砕耀は知らない。

 久夜も知らない。


 だが、立ち姿だけで分かる。


 この女は、ただ命令を受けて後ろに立つ者ではない。

 前に出て、対象を斬る者だ。


「観令照合不能個体を確認」


 或澄が静かに言った。


 その視線はラナを捉えている。


「対象、アステール・ラナ。総流社提供情報に基づき、保安社が身柄を確保する」


「私は荷物じゃないんだけど」


 ラナが砕耀の背後で小さく呟く。


 声は震えていた。


 久夜が一歩前に出る。


「聞いたか? 本人が嫌だってよ」


 或澄の視線が久夜へ移る。


「天理久夜。天理家より破門済。現時点をもって、任務妨害対象と判断する」


「判断が早いな」


「不要な会話は、任務の精度を下げる」


「つまんねえ女だ」


 久夜が笑う。


 或澄は剣を構えた。


「排除する」


 その言葉と同時に、戦場が動いた。


 通常天使の部隊が左右へ展開する。

 大天使二名がラナへ向かい、或澄が久夜の正面に立つ。

 権天使三名は、迷うことなく砕耀へ向かった。


 砕耀は笑った。


「上等だ」


 彼は大剣を肩から下ろし、地面へ叩きつける。


「久夜、或澄はお前が止めろ。梟、空を取れ。工馬は敵の武器を殺せ。土龍は地形を割れ。鈴木、火力支援。ラナは俺の後ろから出るな」


「命令が多いな」


 久夜が笑う。


「リーダーだからな」


 砕耀が返す。


「ここは冥下第5圏だ。天界の連中に、好き勝手歩かせるな」


 梟の銃声が、開戦の合図になった。


 弾丸が通常天使の足元を撃ち抜く。

 進軍の一歩目が崩れる。


 工馬鉄磁が前へ出た。


「鉄はこっちだ!」


 保安社兵の拘束具、電撃槍の金属部品、腰に吊るされた小型刃。

 それらが一斉に工馬へ引かれる。


 兵たちの手元が乱れた瞬間、工馬は腕を振る。


 磁力が反転する。


 引き寄せた金属片が、散弾のように弾け、保安社部隊の足元と武器だけを叩いた。


「殺すなって言われてるからな! 道具だけ壊してやる!」


 紫外土龍が両手を地面につける。


「くそ、いきなり大仕事かよ……!」


 旧採掘区の地面が鳴動した。


 割れた地面が隆起し、保安社部隊の進路を分断する。

 岩壁が生まれ、土の坂が崩れ、部隊の隊列が三つに裂かれた。


 土龍の顔色が一気に悪くなる。


「長くは持たねえぞ!」


「十分だ」


 砕耀が言った。


 鈴木の腕が機械音を立てて開く。


 銃口が生える。


 だが、彼は敵の胸を狙わない。

 足元。

 武器。

 通信機。

 拘束具。


 無表情のまま、機械のように正確な射撃で保安社の機能を削っていく。


「鈴木、地味にえぐいな」


 久夜が言う。


「鈴木だからな」


「意味分かんねえよ」


 その久夜の前に、或澄が踏み込んだ。


 速い。


 天理家の武人とは違う。

 砕耀の重さとも違う。

 或澄の剣は、迷いなく、無駄なく、任務を遂行するためだけに振るわれていた。


 久夜はダガーを抜く。


 白い刃と、白い剣がぶつかる。


 金属音が旧採掘区に響いた。


「大天使ってのは、もう少し上品に戦うのかと思った」


「戦闘に上品さは不要」


 或澄の剣筋は美しい。


 だが、美しさのための剣ではない。


 最短で関節を断つ。

 最短で視界を潰す。

 最短で呼吸を奪う。


 徹底している。


 久夜は笑った。


「いいじゃねえか」


 ダガーを投げる。


 或澄は首を傾けて避ける。


 だが、久夜が指を曲げた。


「戻れ」


 背後へ抜けたダガーが反転する。


 或澄は一瞬だけ目を細め、剣の角度を変えた。


 戻る刃を弾く。


 初見で反応した。


「へえ」


 久夜の笑みが深くなる。


「今のを防ぐか」


「武器機構、未登録。以後警戒」


「つまんねえ言い方だな。褒めろよ、新武器だぞ」


「不要」


 或澄が踏み込む。


 剣が久夜の首元を狙う。


 久夜は半歩だけ下がり、二本目のダガーを投げる。


 往路で剣を弾き、復路で或澄の足元を狙う。


 或澄は跳んだ。


 その瞬間、久夜はすでに懐へ入っていた。


 速い。


 或澄の目がわずかに動く。


 反応はしている。

 だが、身体が追いつかない。


 久夜の肘が、或澄の腹部へ入る。


 或澄は後方へ飛ばされ、地面を滑った。


 すぐに立ち上がる。


 だが、呼吸が乱れていた。


「勝ち目ねえぞ、お前」


 久夜が言う。


「任務に勝敗は関係ない」


「そういうところがつまんねえんだよ」


 或澄は剣を構え直す。


 その目に恐怖はない。


 ただ、ほんの少しだけ、別の色があった。


 疑問。


 久夜ではなく、背後で震えているラナへ向けられた疑問。


 総流社の職員が叫ぶ。


「大天使、対象確保を優先しろ! その男は足止めでいい!」


 或澄は答えない。


 久夜はその一瞬を見逃さなかった。


「おい」


 久夜が言う。


「あいつら、お前らにも全部話してねえだろ」


「不要な推論だ」


「そればっかだな」


 或澄の剣が再び走る。


 久夜は笑いながら迎え撃った。


 一方、戦場の中央では、砕耀が権天使三名を相手にしていた。


 格が違う。


 権天使は、大天使のように前線で対象を追うだけの存在ではない。

 保安社の中でも、危険対象を裁定し、制圧するために選ばれた上位戦力。


 三名が連携した瞬間、空気が変わった。


 一人が砕耀の足を止める。

 一人が大剣の軌道を封じる。

 一人が再生の中枢――胸の宝珠の心を狙う。


 正確だった。


 砕耀の肩が裂ける。

 腹を貫かれる。

 大剣の刃が欠ける。


 ラナが悲鳴を上げた。


 だが、砕耀は下がらない。


 裂けた肉が盛り上がる。

 貫かれた腹が塞がる。

 欠けた大剣の断面から、宝石のような結晶が芽吹く。


 宝珠の心が、脈動していた。


 胸の奥で、低い唸りが鳴る。


 エンジンが温まるように。


「対象、損傷後に出力上昇」


 権天使の一人が告げる。


「再生能力だけではない。武装も成長している」


「正解だ」


 砕耀は血塗れの顔で笑った。


「俺は、殴られてからが本番なんだよ」


 大剣が振るわれる。


 権天使が防御する。


 だが、防御ごと吹き飛んだ。


 岩壁に叩きつけられ、地面が割れる。


 二人目が背後から斬りかかる。


 砕耀は避けない。


 背中を裂かせ、そのまま振り向きざまに肘を叩き込む。


 権天使の仮面が割れる。


 三人目が胸を狙って突く。


 砕耀は大剣の柄で軌道を逸らし、逆に踏み込んだ。


「宝玉の主人を殺したけりゃ、もっと深く抉れ」


 砕耀の胸が、さらに強く光る。


 大剣の根元に力が溜まり始めた。


 空気が震える。


 地面の砂が浮く。

 鉄骨が軋む。

 土龍が顔色を変える。


「砕耀、それ以上は採掘区ごと飛ぶ!」


「分かってる」


 砕耀は権天使三名を見た。


「だから、奥へ行く」


 大剣を地面へ叩きつける。


 小規模な衝撃波が走り、権天使たちの隊列を乱す。


 砕耀はそのまま無人区域へ駆け出した。


「俺を止めたいなら、ついてこい」


 権天使三名は追う。


 当然だった。


 砕耀を放置すれば、戦場全体が崩れる。


 だが、その判断こそが砕耀の狙いだった。


 敵の最高戦力を、自分一人に引きつける。


 久夜はその背中を横目で見て、口元を歪めた。


「やるじゃねえか」


 或澄の剣が迫る。


 久夜はダガーで受ける。


「よそ見をする余裕があるのですか」


「あるんだよ」


 久夜は踏み込む。


 或澄は剣で受ける。


 だが、久夜はすでにもう一本のダガーを投げていた。


 往路は外す。


 或澄はそれを無視しようとする。


 だが、久夜が笑った。


「戻れ」


 背後から戻る刃。


 或澄は剣を返す。


 だが、間に合わない。


 ダガーは或澄の外套の肩口だけを裂いた。


 血は出ていない。


 だが、完全に取られていた。


 久夜は言う。


「今ので終わらせてもよかった」


 或澄は何も答えなかった。


 ただ、裂けた外套を一瞥し、剣を下げない。


「任務続行」


「頑固だな」


「任務ですので」


「それしかねえのかよ、お前」


 一瞬、或澄の目がラナへ向いた。


 ラナは総流社の職員から逃げ、梟の射線の中で必死に身を縮めている。


 総流社職員が叫ぶ。


「回収対象を逃がすな!」


「私は荷物じゃない!」


 ラナの声が戦場に響く。


 或澄の眉が、ほんのわずかに動いた。


 久夜はそれを見た。


「聞こえたか?」


「……」


「今のが、回収対象の声に聞こえたか?」


 或澄は答えない。


 答えないまま、剣を構え直した。


 だが、その沈黙は、先ほどまでの無機質な沈黙とは少しだけ違っていた。


 旧採掘区の奥で、轟音が響く。


 砕耀の大剣から放たれた衝撃波が、無人の岩壁を吹き飛ばした。


 山を砕くには程遠い。

 だが、旧採掘区の地形を変えるには十分すぎる威力だった。


 岩壁が崩れ、砂塵が空へ舞う。

 権天使三名のうち二名が膝をつき、一名が大きく後退する。


 砕耀は血と蒸気をまといながら立っていた。


「まだ温まった程度だ」


 その声は、戦場の全員に届いた。


 保安社部隊が、初めて動きを鈍らせる。


 総流社職員の顔から血の気が引く。


 久夜は笑った。


「いいねえ」


 或澄は、初めて砕耀の方を見た。


 その目には驚愕ではなく、分析があった。


 だが同時に、分かってしまったはずだった。


 この男は、ただの情報屋ではない。


 冥下の泥の底から天界へ刃を向ける者たちの、中心に立つ男だ。


 宝玉の主人、砕耀。


 その名が、保安社の記録に刻まれるには十分な戦いだった。

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