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白いカラス  作者: シンドゥー


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19/31

白い杭

 第1制御塔は、地上と冥下のあいだに刺さっていた。


 冥下の濁った天井を貫き、地上の底へ食い込む白い塔。


 それは道であり、杭であり、目だった。


 昇降路。


 物資の流れ。


 重力値の補正。


 監視網。


 地上へ上がる者、冥下へ落ちる者、その両方を記録する白い喉。


 だが、空衡社にとっては、心臓ではない。


 重要な施設の一つではある。


 しかし、ここが落ちたところで空衡社の操作体系が全て止まるわけではない。


 空衡社の制御は、無数の塔、衛星、管制網、補助端末、地上施設、天界側の回線によって成り立っている。


 冥下と地上をつなぐ第1制御塔など、天界から見れば辺境の管理設備にすぎなかった。


 だから守りは薄い。


 冥下の連中に落とされるはずがない。


 その傲慢さが、白い塔の根元に染みついていた。


 砕耀はそれを見上げ、低く笑った。


「舐められてるな」


 久夜は隣でダガーを回す。


「なら、ちょうどいい」


「ただし勘違いするな。あいつらにとって機能的には致命傷じゃねえ。ここを折っても空衡社は止まらない」


「じゃあ、なんで折るんだ? 制御核を切るだけじゃないのか?」


 砕耀は白い塔の紋章を見た。


 空衡社の紋章。


 冥下の汚れの中で、そこだけが不自然に白い。


「制御塔は十柱の権力の象徴だ。そんなものが冥下の連中に折られた。その事実が必要なんだ」


 久夜は少し笑った。


「なるほど。面子を潰すのか」


「面子じゃねえ。支配の信用だ」


 その背後で、凪佐小平は古い布袋を両手で持っていた。


 くたびれた会社員のような男が、布の中身を見てひどく嫌そうな顔をしている。


「本当に、これ使うの?」


 砕耀は振り向かずに言った。


「それ以外で双落の騎士とやるつもりか」


「やらないという選択肢は?」


「ない」


「だよね……」


 凪佐は布袋を開いた。


 中から出てきたのは、細く軽い剣だった。


 地上で隠し持っていた安っぽい折り畳み剣ではない。


 冥下でかつて使っていた剣。


 刃は細く、重さはほとんど感じられない。


 しかし、頼りないわけではなかった。


 軽さそのものが、刃の思想になっている。


 重いものを叩き割る剣ではない。


 鎧ごと押し潰す剣でもない。


 隙間を抜ける剣。


 迷いを許さない剣。


 一瞬の差を、死ぬほど広げる剣。


 凪佐は柄を握り、ほんの少しだけ目を細めた。


 梟がそれを見る。


「叔父さん、顔変わった」


「変わってないよ」


「変わった」


「なんかやだな」


「なんで」


「昔に戻ったみたいで」


 梟は黙った。


 凪佐はすぐに弱く笑う。


「今のなし。気にしないで」


「じゃあ言わないで」


「だよね。ごめん」


 そこへ巫里の声が通信から入る。


『今回の作戦を再確認します。目的は双落の騎士の撃破ではありません。第1制御塔の破壊です』


 久夜が返す。


「分かってる。双落の騎士は凪佐が引き受ける」


『引き受ける、という表現が正確です。勝利を前提にしないこと。双落の騎士は第1制御塔との接続下にありますが、彼女の全容はまだ不明です。前回までの情報から、彼女が何らかの制限を受けている可能性は高い。しかし、その制限が外れた場合の規模は予測不能です』


「短く」


『塔を折ったら即撤退します』


「分かりやすいじゃねえか」


 凪佐が小さく手を上げた。


「あの、僕が負けた場合は?」


 砕耀が即答する。


「あるわけないだろ。死ぬ気で何とかしろ」


「ひどい」


「冗談だ」


「冗談に聞こえないんだよ」


 梟が静かに言う。


「叔父さんは双落の騎士を倒さなくていい。離してくれればいい」


 凪佐は梟を見る。


 少し困ったように笑う。


「簡単に言うね」


「簡単じゃないのは知ってる」


「なら、もっと応援してほしいね」


「頑張って」


「雑だなあ」


 砕耀が地図を広げる。


「警備が見えないが保安社は来るだろう。もし空衡社が通報したなら、今回は下位兵だけじゃ済まねえ。大天使、権天使あたりは混じると見ていい」


 鈴木が口笛を鳴らした。


「中位天使まで来るか」


 久夜はダガーを握る。


「なら、そっちは俺たちで止める」


「お前、梟、鈴木、ラナで保安社を抑えろ。俺は保安社を叩きながら宝珠を温める。塔を壊す一撃は、俺がやる」


「また溜めるのか」


「その言い方やめろ」


 梟が淡々と言う。


「でも間違ってない」


「事実なら何言ってもいいわけじゃないぞ」


 ラナは自分の手を見た。


「私は小さいものを落とすんだよね」


「そうだ」


 砕耀が頷く。


「前回、お前の魔法は大きいものだと空衡社に上書きされた。なら小さいものを狙え。留め金、ボルト、配線の固定具。あいつらが軽視するものを落とせ」


 ラナは頷いた。


「小さいものなら、私の方が早い」


 巫里が最後に言った。


『もう一度言います。塔を破壊した後、勝利を確認しようとしないこと。双落の騎士の変化を観察しようとしないこと。作戦成功後は、全員、土龍の地下道へ撤退してください』


 久夜は笑った。


「了解。逃げる準備も勝ち筋ってやつだな」


『その通りです。あなたにしては珍しく正しい』


「毎回一言多いな」


『気にするほうが悪いです』


   ◇


 作戦は、炎から始まった。


 鈴木が第1制御塔の外周警備線へ火を放った。


 炎は壁を焼くためではない。


 視界を潰し、警備兵を動かし、塔の監視端末を一斉に反応させるための火だった。


 警報が鳴る。


『外周東側、熱源発生』


『冥下側侵入者確認』


『防衛線、展開』


 白い装甲服の兵士たちが動く。


 その中に、保安社の天使が混じっていた。


 背に白い機械翼を持つ大天使。


 その後方に、より重い装甲と制御槍を持った権天使。


 さらに、天使ではない保安社兵たちが固定杭を打ち込み、重力場の変動に備えている。


 久夜は炎の影から飛び出した。


「まずは道を開ける」


 ダガーが走る。


 白い線が兵士の間を抜ける。


 久夜は正面の兵士の肩を蹴り、空中で身体を捻った。


 投げたダガーが固定杭の留め具を断ち、戻る刃が別の兵士の拘束銃を切り裂く。


 だが、保安社は前回の通常部隊とは違った。


 権天使の一体が槍を地面に突き刺す。


 空間に光の網が展開された。


 久夜の戻るダガーが、その網に触れてわずかに速度を落とす。


「ちっ」


 久夜は無理やり腕を伸ばし、ダガーを掴む。


 その瞬間、大天使が上から降りた。


 光刃が久夜の背中を狙う。


 梟の銃声。


 光刃を持つ腕の関節部が撃ち抜かれ、角度が逸れる。


『久夜、左』


「分かってる!」


『右』


「どっちだ!」


『今は右』


「言い方!」


 久夜は右へ跳ぶ。


 直後、彼がいた場所に拘束杭が三本突き刺さった。


 梟は塔の外壁から少し離れた横穴にいた。


 土龍が掘った狙撃孔。


 高所ではない。


 地面に近い、低い射線。


 上から撃てば重力で落とされる。


 ならば、低く、短く、曲げられる前に撃つ。


 梟の弾丸は兵士の頭ではなく、膝の補助装甲を撃った。


 重力変動に耐えるための脚部固定具が壊れ、兵士が崩れる。


 そこへ鈴木の炎が走る。


「まとめて寝てろ!」


 炎が兵士を包む。


 装甲は燃えにくい。


 だが、視界は奪える。


 呼吸も乱せる。


 熱でセンサーを狂わせることもできる。


 その隙にラナが手を伸ばした。


「落ちて」


 大きな瓦礫ではない。


 塔の外壁に残っていた小さなネジ。


 警備用足場の留め金。


 補助装置の端にある薄い金属片。


 それらが、ぽとり、ぽとりと落ちる。


 誰も見ない。


 空衡社の制御も優先しない。


 だが、落ちた先で小さな異常が起きる。


 固定杭の角度がずれる。


 権天使の槍の接地が狂う。


 重力補正用の端末がわずかに傾く。


 そのわずかなズレに、久夜が飛び込む。


「今だ!」


 ダガーが権天使の槍を弾く。


 権天使はすぐに反応した。


 中位天使。


 大天使より格上の戦闘処理。


 久夜の速度にも、完全ではないが追従してくる。


 権天使の槍が、久夜の進路を読む。


 久夜は笑った。


「読めるなら、戻る方も読んでみろ」


 投げたダガーが権天使の背後へ抜ける。


 権天使は前方の久夜を警戒した。


 戻る刃が、背中の翼制御具を切断する。


 権天使が落ちる。


 久夜は落下する権天使の肩を踏み、さらに前へ飛んだ。


   ◇


 塔へ向かう正面橋。


 そこに、双落の騎士が現れた。


 全身を包む白銀の鎧。


 二本の剣。


 重力すら従えるような、揺れない立ち姿。


 橋の向こうには第1制御塔の主柱がある。


 彼女をどかさなければ、砕耀は塔へ近づけない。


 凪佐小平が前へ出た。


 その背中は弱々しい。


 それでも、細い剣だけは揺れていなかった。


「あの〜できれば、通してもらえませんか」


 騎士は答えない。


 凪佐はため息をつく。


「やっぱり駄目か」


 騎士の剣が動いた。


 その瞬間、橋が沈んだ。


 空間が、凪佐を下へ引く。


 石畳が割れ、橋の手すりが内側へ曲がる。


 凪佐の靴底が床へめり込みかけた。


 だが、彼は潰れなかった。


 重力が落ちるより、半歩だけ早く横へ抜ける。


 騎士の剣が首を狙う。


 凪佐の細剣が、その刃の腹を軽く撫でた。


 受け止めない。


 押し返さない。


 ただ軌道をずらす。


 もう一本の剣が胴を狙う。


 凪佐は肩を落とす。


 刃は服をかすめ、空を斬った。


 金属音が鳴った。


 一度。


 すぐに二度。


 次には、十を越える音が橋の上に散った。


 騎士の剣は重い。


 ただの腕力ではない。


 剣に乗った重力が、触れたものを沈める。


 受ければ足が止まる。


 止まれば次の剣が来る。


 避けても、避けた先の床が下にされる。


 凪佐はそれを破っているわけではなかった。


 受けない。


 止まらない。


 下になる場所に、いない。


 久夜は遠くからその打ち合いを見ていた。


「……あれが剣心か」


 凪佐は久夜ほど速くない。


 だが、久夜とは違う速さだった。


 久夜は距離を殺す。


 凪佐は無駄を殺す。


 踏み込みが小さい。


 避ける幅が薄い。


 剣を振る角度が浅い。


 それなのに、騎士の剣に触れない。


 必要な場所にだけ、必要なぶんだけ動く。


 それが異常だった。


 騎士の周囲に、円形の重力場が広がる。


 橋の石片が一斉に床へ叩きつけられた。


 凪佐の動きがわずかに遅れる。


 騎士が踏み込む。


 双剣が交差し、凪佐の逃げ道を塞いだ。


 初めて、凪佐が剣で受けた。


 金属音。


 細剣が悲鳴を上げる。


 凪佐の腕が沈む。


 骨が軋む。


「これは、長くやると死ぬな〜」


 凪佐は小さく言った。


 騎士の兜の奥で、視線が動く。


 凪佐は、ほんの少し困ったように笑った。


「君じゃなくて、僕がね」


 次の瞬間、彼は力を抜いた。


 受けるのをやめる。


 騎士の重みが空振りし、橋の床を砕く。


 その反動を使って、凪佐は後方へ跳んだ。


 距離を取る。


 騎士はすぐに追う。


 凪佐はさらに上へ跳んでいた。


 橋の上ではなく、空へ。


 細い身体が、白い塔を背にして浮く。


 ほんの半拍。


 戦場が、凪佐を見失った。


 久夜は肌が粟立つのを感じた。


 何かが来る。


 ただの攻撃ではない。


 戦場を塗り潰す何か。


 騎士も反応した。


 重力を上へ伸ばし、凪佐を空中で引き落とそうとする。


 だが、その半拍の間に、凪佐の剣は既に構えを終えていた。


 凪佐が落ちる。


 同時に空に火花が散った。


 一撃目は、騎士の右肩へ。


 騎士が剣で受ける。


 二撃目は、左膝へ。


 三撃目は、兜の側面へ。


 四撃目は、背後から来た。


 落ちているはずの凪佐の軌道が、途中で変わる。


 落下しながら横へ流れ、斬りながら上へ跳ね、突進しながら背後へ回る。


 斬撃が増える。


 前から。


 斜め上から。


 足元から。


 背後から。


 凪佐の身体が一つなのに、刃だけが百も千もあるように見える。


 凪佐がかつて数多の強敵を切り落としてきた冥下で、伝説として語り継がれる技。


 凪佐本人にとって、それは技ではなかった。


 ただ剣を振り、ただ踏み込み、ただ相手へ届くための通常攻撃だった。


 だが、その斬撃はあまりに多すぎた。


 刃と刃が空中でぶつかり、火花を散らす。


 斬撃同士が衝突し、白い橋の上に無数の閃光が咲く。


 空を裂く刃の群れが、乱れ、重なり、ぶつかり、さらに次の刃を呼ぶ。


 閃く空。


 乱れる刃。


 それを見た冥下の人々は、こう呼んだ。


 閃空乱刃。


 騎士の重力が凪佐を潰そうとする。


 橋の一部が陥没する。


 手すりが折れる。


 空気が沈む。


 それでも凪佐は止まらない。


 重力が落ちた場所には、凪佐はいない。


 凪佐がいた場所には、斬撃だけが残っている。


 騎士が剣で防いだ先には、もう次の斬撃が展開されていた。


 双落の騎士は強い。


 双剣の動きだけでも尋常ではない。


 重力で斬撃を沈め、剣で刃を弾き、足場を砕いて凪佐の着地点を奪う。


 だが、凪佐の斬撃は多すぎた。


 弾く。


 避ける。


 防ぐ。


 押し潰す。


 どれだけ防御しても、凪佐の猛攻は止まらない。


 そして、白銀の鎧に亀裂が走る。


 肩。


 腰。


 膝。


 腕。


 騎士の右手の剣に、凪佐の細剣が重なった。


 軽い剣が、重い剣を砕いた。


 白銀の破片が火花の中へ散る。


 騎士は残った剣で兜を守ろうとした。


 だが、閃空乱刃の最後の斬撃は、守りの隙間に入った。


 兜が斜めに裂ける。


 白銀の面が割れ、橋の上を転がった。


 髪がこぼれる。


 そこにあったのは、若い女の顔だった。


 二十歳を少し越えた程度の、美しい顔。


 白い肌。


 整った目鼻。


 長い睫毛。


 だが、美しさより先に目に入ったのは、動揺だった。


 騎士でもない。


 鍵でもない。


 空衡社の要でもない。


 そこには、人間がいた。


 凪佐は着地し、肩で息をした。


 細剣の切っ先は下げない。


 けれど、追撃もしない。


「……若いね」


 ただ、それだけ言った。


 騎士の目が揺れた。


 直後、塔全体が赤く点滅する。


『第一鍵、外装破損』


『第一鍵、武装破損』


『接続率、不安定』


『拘束率、低下』


『重力出力、上昇兆候』


 騎士が残った剣を握り直す。


 その顔から動揺が消えた。


 代わりに、何かを決めたような静けさが宿る。


 凪佐の表情が変わった。


「……まずい」


 騎士は、何かを外そうとしている。


 何を外そうとしているのか、凪佐にも分からない。


 だが、今まで彼女が抑えられていたものを、ここで解こうとしているのは分かった。


 その時、塔の奥から別の声が混じった。


 機械音ではなかった。


 細く、途切れた、人の声。


『……落葉……』


 騎士の目が揺れた。


 久夜はその名を聞いた。


「落葉……?」


 梟も銃口を下げないまま、呟いた。


「名前を呼んだ?」


 スピーカーがすぐに無機質な音声で上書きする。


『第二鍵、覚醒兆候』


『第二鍵、出力抑制』


『第一鍵、命令補正を再適用』


 騎士の身体が、びくりと跳ねた。


 凪佐が低く言う。


「ひどいな」


「何がだよ」


 久夜が聞く。


「名前を呼ぶ声まで、命令で潰してる」


 巫里の声が通信に入る。


『今です。彼女と塔の拍がずれました』


   ◇


 塔の地下では、土龍たちが一斉に物理回線を切断した。


 工場の技術者たちは、外部から偽装電力を流し込む。


 空衡社内部の協力者が、数秒だけ制御扉を開ける。


 巫里は重力値だけを見ていなかった。


 騎士の呼吸。


 心拍に近い反応。


 塔側の接続周期。


 その二つが、閃空乱刃の直後に初めて大きくずれた。


「今しかありません」


 巫里は言った。


 砕耀はその言葉を聞いて、笑った。


 保安社の兵士と中位天使たちは、まだ彼の前にいた。


 大天使が上空から光刃を降らせる。


 権天使が重力杭を打ち込み、砕耀の脚を地面に縫いつける。


 拘束槍が肩を貫き、胸を裂き、腹に刺さる。


 砕耀の身体は傷だらけだった。


 だが、宝珠の心は燃えていた。


 壊されるたび、再生する。


 再生するたび、熱を持つ。


 熱を持つたび、大剣が育つ。


 大剣はもう、最初の形をしていなかった。


 刃は厚く、赤黒く、宝珠の光を内側に溜め込んでいる。


 剣というより、山を割るために作られた楔だった。


 久夜が叫ぶ。


「砕耀!」


 梟の弾丸が、権天使の槍の固定具を撃ち抜いた。


 鈴木の炎が、大天使の視界を焼く。


 ラナの落とした小さな金属片が、塔の接合部へ滑り込む。


 久夜が戻るダガーで最後の拘束具を切った。


「行け!」


 砕耀が大剣を振り上げる。


 その瞬間、周囲の空気が震えた。


 保安社の兵士たちが下がる。


 権天使の一人が叫ぶ。


「宝珠出力、異常上昇!」


 砕耀は笑った。


「異常じゃねえ」


 大剣が鳴る。


 塔の白い壁が、その音だけで震えた。


「これが本調子だ」


 砕耀は踏み込んだ。


 宝珠の大剣が、第1制御塔へ振り下ろされる。


 山すら砕く一撃が放たれた。


 騎士が反応した。


 兜を失い、剣を一本失ってなお、彼女の反応は速かった。


 残った剣を掲げ、砕耀の一撃へ重力を重ねる。


 大剣の軌道が沈む。


 橋が割れる。


 砕耀の腕が裂け、骨が砕ける。


 騎士はその一撃を、攻撃としては処理した。


 だが、砕耀の狙いは騎士ではない。


 塔だ。


 しかも、ただ塔を傷つけるための一撃ではなかった。


 ラナが落とした留め具。


 梟が撃ち抜いた固定具。


 土龍が地下から切った支柱。


 工場が流し込んだ偽装電力。


 内通者が開いた数秒の制御穴。


 それら全てが、塔の一点を死にかけの傷にしていた。


 そこへ、宝珠の大剣が入った。


 次の瞬間、第1制御塔は折れた。


 いや、折れたという表現では足りなかった。


 白い塔の根元が爆ぜる。


 主柱が縦に裂け、外壁が花弁のように開き、内部の制御線が赤い火花を散らして吹き飛ぶ。


 塔の上部が傾く前に、砕耀の一撃の余波がさらに内側へ走り、二層、三層、四層と連鎖的に破壊していく。


 制御室が潰れる。


 昇降路がねじ切れる。


 監視盤が粉々に砕ける。


 白い紋章が、真ん中から割れる。


 砕耀の一撃は、塔を壊すには強すぎた。


 過剰だった。


 第1制御塔は、倒壊する前に内部から死んだ。


 砕耀が吼える。


「落ちやがれ、白い杭!」


 宝珠の大剣が地面へめり込む。


 遅れて、塔全体が崩れた。


   ◇


 勝利の声を上げる者はいなかった。


 塔が崩れた瞬間、双落の騎士の周囲から音が消えた。


 彼女は、残った剣を下ろした。


 割れた兜の下の顔から、表情が抜け落ちる。


 次の瞬間、戦場そのものが沈んだ。


 重力が落ちた。


 橋が一瞬で潰れる。


 手すりも、石畳も、支柱も、まとめて地面に叩きつけられる。


 保安社の装甲車が平たい鉄片になり、外周施設の屋根が床へめり込む。


 塔の残骸は落下するのではなく、上から巨大な手で押し潰されたように粉砕された。


 人間が立てる重さではなかった。


 久夜の膝が折れる。


 肺が押し潰され、息が漏れる。


「っ……!」


 声にならない。


 砕耀が久夜の襟を掴み、無理やり引きずる。


「逃げろ!」


 その叫びすら、重力に潰されて低く歪む。


 鈴木が梟の車椅子を押す。


 車輪が地面に沈む。


「重すぎるだろ、これ!」


「文句言う前に押して」


「分かってる!」


 梟は歯を食いしばり、自分でも車輪を回す。


 ラナが震える手を上げた。


「落ちないで……!」


 落下を止める魔法ではない。


 それでも、彼女は小さな瓦礫の落ちる先だけをずらした。


 大きなものは無理だった。


 重力が強すぎる。


 小さな破片だけ。


 それだけでも、仲間の頭を割るものを逸らせた。


 凪佐は最後尾にいた。


 落ちてくる鉄骨を斬る。


 だが、斬った鉄骨の破片がその場で地面に突き刺さる。


 軽いものが、槍より重い。


 凪佐の顔から血の気が引いていた。


「これは、マジで死ぬ……」


 空が鳴った。


 全員が見上げる。


 冥下の濁った天井のさらに上。


 地上の空よりも高い場所から、白い光点が落ちてくる。


 一つではない。


 三つ。


 五つ。


 大槍のような軌道兵器が、双落の騎士の重力に引かれて落下していた。


 それは砲撃ではない。


 空そのものが、刃を落としている。


 一本目が、折れた第1制御塔の根元へ落ちた。


 地面が波打った。


 衝撃で外周の建物がまとめて吹き飛び、白い橋の残骸が粉になって空へ舞う。


 いや、舞う前にまた重力で叩き落とされる。


 二本目が、塔の補助施設へ刺さる。


 爆発ではなく、圧壊だった。


 施設全体が内側へ折り畳まれ、空気が押し潰され、熱を持った風が地表をなめる。


 保安社の防衛線が、兵士ごと地面へ押し込まれた。


 三本目が、遠くの旧昇降路へ落ちた。


 そこにあった構造物は、一瞬で消えた。


 瓦礫すら残らない。


 黒い穴と、白い粉塵だけが残った。


 四本目の光点が落ちてくる。


 久夜は理解した。


 これは戦闘ではない。


 災害だ。


 双落の騎士は、ただの敵ではなかった。


 空衡社が鎧と塔と命令で押さえつけていた、空そのものの暴力だった。


「地下だ!」


 砕耀が叫んだ。


 誰も反論しなかった。


 勝ったかどうかを確認する者はいない。


 塔がどう崩れたかを見る者もいない。


 双落の騎士がどこまで本気なのか確かめようとする者もいない。


 確認したら死ぬ。


 全員が、それを理解していた。


 土龍が開けた地下道へ走る。


 久夜は戻るダガーを地面に打ち込み、崩れかけた足場を無理やり繋ぐ。


 鈴木は炎で粉塵を払う。


 梟は車椅子の固定具を締め、舌打ちしながら衝撃に耐える。


 ラナは小さな破片だけを必死に逸らす。


 凪佐は最後尾で、落ちてくる破片を斬り落とし続ける。


 四本目の槍が落ちた。


 地下道の入り口が半分潰れる。


「急げ!」


 砕耀が梟の車椅子ごと押し込む。


 久夜が最後に飛び込む。


 その瞬間、外の世界が白い土煙と重力の轟音に飲まれた。


   ◇


 地下道の中でも、揺れは止まらなかった。


 天井から土が落ちる。


 鉄板が曲がる。


 照明が割れる。


 粉塵が喉に張りつく。


 誰もすぐには喋れなかった。


 最初に声を出したのは、梟だった。


「……塔は」


 砕耀は血を吐きながら、笑った。


「折った」


 鈴木が壁にもたれ、荒い息を吐く。


「勝った気がしねえ」


 ラナは震える手を握っていた。


「空が……落ちてきた」


 巫里の通信が入る。


『全員、生存確認を。返事を』


 久夜は咳き込みながら答えた。


「生きてる」


 梟が続く。


「生きてる」


「こっちもだ」


 鈴木が言う。


 ラナも小さく返した。


「生きてる」


 砕耀は息を整えながら言った。


「生きてるぞ」


 最後に凪佐が返す。


「生きてる。けど、奇跡」


 誰も笑わなかった。


 凪佐は細い剣を見下ろしていた。


 刃は折れていない。


 だが、彼の手は震えていた。


「次は、まじで死ぬ」


 砕耀が凪佐を見る。


「弱音か」


「違う。事実」


 凪佐は珍しく、はっきり言った。


「あの人が最初から今の重力で来たら、僕は近づけない」


 久夜は地下道の暗闇を見つめた。


 第1制御塔は破壊した。


 空衡社の権力の象徴を、冥下の者たちが折った。


 作戦は成功した。


 だが、同時に知ってしまった。


 双落の騎士は、空を落とせる。


 そしておそらく、第1制御塔は空衡社にとって本気で守る場所ではなかった。


 次がある。


 もっと上に。


 もっと重要な塔が。


 遠くで、まだ地鳴りが続いている。


 それは勝利の余韻ではなかった。


 次の空が、こちらを見下ろす音だった。


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