↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白いカラス  作者: シンドゥー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/31

裁きの光

総流社は、終わったわけではなかった。


 世界の血管は、一日や二日で止まるほど単純ではない。


 地上にはまだ総流社の配送車が走っている。

 駅前にはまだ総流社の受取ロッカーが並んでいる。

 病院にも、薬局にも、工場にも、学校にも、総流社の荷は届き続けている。


 人々の生活は、今日も流れていた。


 だが、昨日と同じではなかった。


 総流社の紋章を見た時、人々はほんの一瞬だけ足を止めるようになった。


 未分類人型荷物。

 要後継計画。

 異世界線由来個体。

 マッドファザーとの取引記録。

 万具の翁による内部告発。


 消されたはずの言葉は、消えなかった。


 削除されれば保存され、否定されれば検算され、沈黙すれば疑われた。


 総流社はまだ倒れていない。


 だが、世界の血管に毒が流れていたことを、人々は知ってしまった。


   ◇


 冥下第三区にある小さなカフェは、昼前の静けさに包まれていた。

 

 古い木の床。

 焦げた豆の匂い。

 壁にかけられた小さな時計。

 窓際に置かれた観葉植物。

 外の雑踏から、少しだけ切り離されたような空気。


 久夜は窓際の席で、湯気の立つカップを見下ろしていた。


 黒い液面が、薄く揺れている。


「飲まないの?」


 向かいに座る梟が言った。


 普段の鋭い目つきは変わらない。

 車椅子の横には、折り畳まれた狙撃銃が布に包まれて置かれている。

 けれど今日は、髪の片側が丁寧に耳へかけられていた。


 黒を基調とした服。

 細い首筋。

 膝の上に置かれた薄い布。

 カップを持つ指先は、銃を握る時とは違って静かだった。


 静かにしていても気の強さは感じる。


 ただ、戦場では見えにくい柔らかさが、そこにはあった。


「熱い」


 久夜が答えた。


「猫舌なの?」


「全然違う」


「じゃあ何」


「……毒が入ってないか見てるんだ」


 梟は一瞬だけ黙った。


 それから、呆れたように息を吐く。


「あんた、休むの下手すぎ」


「それ褒めてるのか」


「褒めてるわけないでしょ」


 そう言いながら、梟は自分のカップに軽く息を吹きかけた。


 白い湯気が、彼女の睫毛の前を薄く通り過ぎる。


 久夜はその様子を一瞬だけ見て、すぐに視線を逸らした。


 梟は気づいたのか、気づかなかったのか、何も言わない。


 少し離れた席では、鈴木が大きな皿を前にしていた。


「やっぱ飯はいいな。情報戦とか内部告発とか、腹が減るだけで何も食えねえ」


 砕耀はカウンター側の席で端末を見ている。


「食ってる時くらい静かにしろ」


「お前も端末見てんじゃねえか」


「俺は仕事だ」


「休憩会って聞いたぞ」


「俺は忙しいんだ。お前と違ってな」


 鈴木はパンをかじりながら、不満げに唸った。


 ラナはメニュー表と睨み合っていた。


 開いて、閉じて、また開く。


 梟がそれに気づく。


「まだ決まらないの?」


「うん……」


「好きな」


「それが難しいんだってば」


 ラナは小さく唇を尖らせる。


「元の世界だと、私が選ぶと大体文句言われたし。こっち来てからも、しばらく荷物扱いだったし。選んでいいって言われると、逆に困る」


 久夜はカップを置いた。


「じゃあ全部頼め」


「全部は食べきれない」


「なら二つは」


「そんな簡単に言う?」


「選びきれないなら、そもそも選ばなきゃいいじゃねーか」


 ラナは呆れたように久夜を見た。


 それから、小さく笑った。


「久夜って、雑だけどたまに優しいよね」


「褒めてるのか」


「半分くらいは」


 ラナは店主に向かって、少し緊張した声で注文した。


「えっと……甘いやつと、しょっぱいやつ、一つずつください」


 店主は穏やかに頷く。


「はいよ」


 それだけのことだった。


 けれど、ラナは少しだけ肩の力を抜いた。


 梟はその横顔を見て、静かにカップを口へ運ぶ。


 気が強く誰にも引けを取らない少女。

 軽口ばかりで中身のない久夜。

 食べることしか考えていなさそうな鈴木。

 端末から目を離さない砕耀。


 そして、自分。


 この時間がいつまで続くのかは分からない。


 でも、今だけは穏やかだった。


 梟はカップを置き、久夜の右手を見た。


「手」


「あ?」


「右手。切れてるよ」


 久夜は自分の手を見た。


 小さな傷があった。


 総流社本部から出る時についたものだろう。


「ハッこんなの大したことねえ」


「そうやって放置するから、後で面倒になるんでしょ」


 梟は膝の布の下から、小さな手当て用の包みを取り出した。


 久夜が眉をひそめる。


「何で持ってんだよ」


「あんたが怪我するから持ってあげてるの」


「俺が怪我する前提かよ」


「事実でしょ」


 梟は久夜の右手を取った。


 指先は少し冷たい。


 けれど、触れ方は思ったより柔らかかった。


 久夜は一瞬だけ動きを止める。


「何だよ」


 梟が目だけで見上げる。


「いや」


「変な顔」


「してねえよ」


「してる」


 消毒液がしみる。


 久夜が少しだけ眉を動かした。


 梟はそれを見て、わずかに口元を緩める。


「痛い?」


「痛くない」


「嘘つき」


「うるせえ」


「はいはい」


 梟の指は丁寧だった。


 包帯を巻き終えると、彼女は久夜の手を離した。


「これでいい。次は自分でやって」


「次はねーえよ」


「あるでしょ。あんた、絶対また無茶する顔してる」


 久夜は答えなかった。


 代わりに、ようやくコーヒーに口をつけた。


 苦い。


 それでも、悪くなかった。


   ◇


 休息は、長く続かなかった。


 最初に違和感に気づいたのは、梟だった。


 彼女は窓の外を見たまま、少しだけ目を細める。


「……影がない」


 久夜が顔を上げた。


「影?」


「外」


 カフェの外、細い通り。


 さっきまで人通りがあったはずだった。


 買い物袋を持つ女。

 配送用の小型カート。

 汚い服を身に纏い歩く男。

 古い端末を見ながら歩く老人。


 それらが、いつの間にか消えていた。


 人がいない。


 それだけではない。


 建物の影が薄い。


 人工太陽の光が上から差しているはずなのに、通りの端にあった暗がりが消えている。


 すべての光が、均一に伸ばされている。


 砕耀が端末を閉じた。


「店主、奥へ行け」


 店主は、何かを察したように頷く。


 鈴木は椅子から立ち上がった。


「敵か」


 久夜は窓の外を見た。


 光が集まっている。


 街灯。

 窓の反射。

 広告端末。

 水たまり。

 地下を照らす人工太陽の光。


 それらが細い糸のように通りの中央へ流れていた。


 その中心に、一人の男が立っていた。


 白でも黒でもない、淡い銀灰色のスーツ。

 襟元は崩れていない。

 袖口には皺一つない。

 戦場に現れたというより、劇場の客席からそのまま歩いてきたような男だった。


 顔立ちは整っている。


 だが、美しいというより、どこか輪郭がつかみにくい。


 見ているはずなのに、焦点が合わない。


 光の中に立っているからではない。


 男そのものが、視線を滑らせているようだった。


 久夜はすぐに分かった。


「天理家か」


 男はゆっくりとこちらを見た。


 その動作は遅い。


 あまりにも遅い。


 戦場に立つ者の動きではなかった。


 男の声は、外からではなく、店内に直接差し込むように響いた。


「天理久夜」


 静かな声だった。


 だが、保安社の天使たちのような事務的な冷たさではない。


 もっと個人的で、もっと澄んでいて、もっと遠い。


「裁定の時です」


 久夜は立ち上がる。


「俺に裁定だと?」


「あなたが総流社に与えた損害は、天理家の名に影を落としました」


「影?」


 久夜は笑った。


「天理家に影なんて見えてたのか。それとも自分たちが太陽みたいに影のない存在だとでも思ってたのか?馬鹿らしいな」


 男の周囲で光が揺れる。


「口は、そのままのようですね」


「俺を知ってるのか」


「あなたごとき、知る必要がありますか」


 男は一歩前へ出た。


「あなたは、裁かれる側です」


 久夜はダガーを抜いた。


「名乗れよ」


 男は少しだけ首を傾ける。


 ゆっくり。


 一語ずつ、相手の理解を待つように。


 だが、それは親切ではなかった。


 速すぎる者が、遅い者の世界に合わせてやっているだけだった。


「名は、必要ですか」


「敵の名前くらい知っておきたいだろ」


「では、名前ではなく性質を」


 男は右手を胸に当てた。


 まるで舞台の上で挨拶する役者のように。


「私は光です」


 久夜の目が細くなる。


「ふざけてんのか」


「いいえ」


 男は微笑んだ。


 笑みには嘲りがない。


 怒りもない。


 ただ、遠い。


「あなた方が私を見る時、すでに私はそこにはいない。あなた方が私を聞く時、声は遅れて届いている。あなた方が私を斬ろうとする時、刃は私の残した明るさを裂いている」


 久夜の指がダガーの柄を握り込む。


「余裕ぶってんな」


「合わせています」


「あ?」


「私は速すぎる。ですから、話す時くらいは、ゆっくりにしなければ可哀想ではないですか」


 男は柔らかく言った。


「そうでなければ、あなた方は私の言葉にすら追いつけないのですから」


 次の瞬間、店内の明かりが消えた。


 いや、消えたのではない。


 光が奪われた。目に入る光が奪われたのだ。


 久夜の視界が一気に暗くなる。


 窓から差していた光も、照明も、端末の画面も、すべてが濁った灰色に沈む。


 ラナが短く悲鳴を上げた。


「見えない……!」


 梟が銃を手に取る。


 だが、彼女の視界も奪われていた。


 狙撃手にとって、視界を奪われることは致命的だった。


 それでも、梟は慌てなかった。


 呼吸を整える。


 久夜の足音。

 砕耀が椅子を蹴った音。

 鈴木の息遣い。

 ラナがテーブルに手をついた音。

 そして外の通りで、光が擦れるようなわずかな音。


 梟は目を閉じた。


 見えないなら、見るのをやめる。


「久夜」


「あ?」


「三歩右」


 久夜は一瞬だけ迷いかけた。


 だが、梟の声は揺れていなかった。


 久夜は三歩右へ動く。


 直後、彼が立っていた場所を光の線が貫いた。


 床が焼ける。


 久夜は歯を見せて笑った。


「助かった」


「貸し一つ」


「数えてんのかよ」


「当たり前でしょ」


 久夜は窓を蹴破り、外へ飛び出した。


   ◇


 視界に入る光が少しずつ戻ってくる。

 

 外の通りは、白と灰色の世界になっていた。


 色が薄い。


 影がない。


 濃淡が消えている。


 男だけが、そこに立っていた。


 銀灰色のスーツ。

 整った襟。

 ゆっくりとした所作。


 だが、足元に集まる光だけが異常だった。


 久夜は踏み込んだ。


 男の姿が消える。


 考えるより先に、久夜は横へ跳んだ。


 直前まで久夜がいた場所を、光線が貫く。


 地面が焼ける。


 遅れて、男の声が届いた。


「遅いですね」


 久夜は着地と同時にダガーを投げる。


 刃は男の喉元へ向かう。


 だが男は、そこにいなかった。


 光が折れる。


 街灯の反射。

 窓ガラス。

 濡れた石畳。

 広告端末の白い光。


 それらを繋ぐ線の上を、男は滑った。


 光速。


 ただし、自由ではなかった。


 直線。

 反射。

 経路。


 故に読めないものではなかった。


「速いだけじゃねえな」


 久夜は走った。


 男が光の線を走る。


 久夜は地面を走る。


 速度の種類が違う。


 男は点から点へ飛ぶ。


 久夜は線を曲げる。


 男が光となって久夜の背後へ抜ける。


 久夜は振り返らない。


 壁を蹴り、身体を横へ倒し、戻るダガーを自分の背後へ呼び戻す。


 刃が光の軌道を横切る。


 男が一瞬だけ実体化し、光剣でそれを弾いた。


 金属音はなく白い粒子が散る。


「よく見えていますね」


「見えてねえよ」


 久夜は笑った。


「見えた時には遅いんだろ」


 男の笑みが少し深くなる。


「理解が早い。良い教育を受けた証ですね」


「お前は喋るのが遅いんだよ。赤ちゃんにでも話しかけるつもりか?」


「わざわざ合わせてあげています」


「上から言ってんじゃねえ」


 久夜は地面を蹴った。


 真正面。


 男の手に、光剣が生まれる。


 久夜のダガーと光剣がぶつかった。


 一合。


 二合。


 三合。


 男の剣は速い。


 速すぎる。


 普通なら、見えた瞬間には斬られている。


 だが久夜は、剣そのものを見ていなかった。


 光が集まる前の空気。


 反射が生まれる前の角度。


 男の足元にできる、影になりきれない揺らぎ。


 それを読んでいる。


 強者との戦闘経験は少ないが、久夜の類まれなるセンスがそれ可能としていた。


 久夜の刃が男の袖を裂いた。


 銀灰色のスーツに、細い切れ目が走る。


 男は初めて、わずかに眉を上げた。


「服を斬られるのは、好みではありません」


「なんだお気に入りだったか?」


「正装です」


 男の姿が消える。


 今度は上。


 人工太陽の光を背に、レーザーが降る。


 久夜は跳ぶ。


 だが、落下地点に次の光が置かれている。


 逃げ場を焼く攻撃。


 速さだけではない。


 光で逃げ道を塞いでくる。


「久夜!」


 梟の声が飛んだ。


 視界はまだ奪われている。


 彼女の目には、白い残像しか映っていない。


 それでも、久夜の足音は聞こえる。


 光が壁を焼く音も聞こえる。


 空気が熱で鳴る音も聞こえる。


「右じゃない。下」


 久夜は迷わず身体を屈める。


 頭上をレーザーが通過する。


「次、前。二歩だけ」


 久夜は二歩だけ進む。


 そこは、レーザーの死角だった。


 梟は撃った。


 弾丸は男を狙っていない。


 通りの端にあった広告板の金具を撃ち抜く。


 広告板が傾き、光の反射角が変わる。


 男が移動しようとしていた光の道が、わずかに曲がった。


「……なるほど」


 男の声が、少しだけ近くなる。


 久夜はその瞬間を逃さなかった。


 戻るダガーを呼び、手元で半回転させる。


 往路ではなく、復路を主軸にした斬撃。


 男の肩口を裂いた。


 血が銀灰色のスーツに滲む。


 男は傷を見た。


 怒りはない。


 ただ、興味だけがある。


「狙撃手。視覚を奪われても撃つとは。お見事です。しかしその弾丸は美しくない」


 梟は銃口を下ろさず、静かに言った。


「女の扱いが下手な男は嫌われるよ」


「ご教示ありがとうございます。麗しいお嬢さん」


「ためになったなら私も嬉しいよ。オッサン」


 男は梟を見る。


「あなたは目を失っている、尚も彼を導くのですね」


「失ってない」


 梟は、目を閉じたまま言った。


「少し貸してるだけ」


「誰に」


「久夜に」


 男の表情が、ほんのわずかに変わった。


 裁定者の顔に浮かんだのは、興味だった。


 その時、砕耀が動いた。


 背中から大剣を抜く。


 それを自身の胸に突き刺した。


 体が貫かれ血が噴き出る。


 体が再生する。


 そして宝珠の心と共鳴する特製の大剣。


 刃は砕耀の体の再生に共鳴していた。


 赤黒く刃の光が脈を打つ。


 大剣が力を溜めている。


  この状態の大剣を街中で振るえば、周囲を壊しかねない。


 だから砕耀は、これまで使わなかった。


 使える時を待っていた。


「久夜、伏せろ!」


 砕耀が叫ぶ。


 久夜は即座に地面へ滑り込む。


 砕耀の大剣が、横薙ぎに振るわれた。


 直接、男を狙ったわけではない。


 通りの上に集まっていた光の障壁。


 それを、砕耀は大剣の重量で叩き割った。


 轟音。


 光の壁にひびが入り、空気が震える。


 砕耀の大剣が砕ける。


 だが、砕けた刃は宝珠の心の鼓動とともに再生を始めた。


 破片が赤く脈打ち、元の形へ戻っていく。


 男は初めて、はっきりと後退した。


「その剣も、報告以上ですか」


 砕耀は大剣を肩に担ぐ。


「報告書好きだな、お前ら」


「情報は光と同じです。届いて初めて意味を持つもの」


「だったら、遅れて届いた情報に価値はねえな」


 砕耀が踏み込む。


 大剣の一撃。


 男は光速で避ける。


 だが避けた先には、久夜がいる。


 久夜の刃。


 男は光の剣で受ける。


 さらにその背後、梟の弾丸が反射板を撃つ。


 光の道が曲がる。


 ラナが叫んだ。


「落ちて!」


 上にあった古い看板が落ちる。


 男は見上げもしない。


 光の刃が看板を切り裂く。


 だが、看板が落ちたことで一瞬だけ影が生まれた。


 光の道が乱れる。


 鈴木が炎を走らせ、眩しすぎる光を煙で濁らせる。


 速さの勝負は、久夜一人の勝負ではなくなった。


 だが、中心にいるのは久夜だった。


 男が直線の最速なら、久夜は曲線の最速。


 男が光へ溶ける。


 久夜は影へ滑る。


 男が点を移る。


 久夜は線を奪う。


 男がレーザーを撃つ。


 久夜は撃たれる前の光の集まりを斬る。


 男が障壁を張る。


 砕耀の大剣がそこへ叩き込まれる。


 梟の弾が、障壁のひびへ入る。


 ラナの落とした金具が、男の反射経路をわずかに塞ぐ。


 鈴木の炎が、光の輪郭を歪ませる。


 久夜の刃が、男の胸元へ届いた。


 銀灰色のスーツに、斜めの傷が走る。


 浅い。


 だが、確かに届いた。


 男は足を止めた。


 久夜も止まる。


 互いの距離は、数歩。


 男は自分の胸元の裂け目を見た。


「……速さでは、私が上ですが」


「ああ」


 久夜は息を荒げながら答えた。


「最高速度だけならな」


「認めるのですね」


「事実だろ」


 久夜はダガーを構え直す。


「でも、速さってのは前に進むだけじゃねえ。曲がる。止まる。戻る。選ぶ。お前は速すぎて、そこが雑だ」


 男は静かに笑った。


 不快ではなさそうだった。


 むしろ、少し楽しそうだった。


「あなたは、光を裁くつもりですか」


「俺はお前を斬るだけだ」


「では、裁定を修正しましょう」


 男の身体が、光に溶け始める。


 久夜は踏み込もうとした。


 だが梟が言った。


「追わないで」


 久夜は止まる。


 梟の声に、今は従った。


 男はそれを見て、目を細める。


「良い判断です。今のあなたなら、追えば死ぬ」


「次は追っても死なねえ」


「次があるなら」


 男は光の粒になりながら言った。


「天理久夜。あなたは、天理家の外で力を持ちすぎた」


「だったらどうした」


「次は、正しき裁きが下ります」


 光が細くなり、男の姿が消えた。


 通りに影が戻る。


 眩しすぎた白も、重すぎた暗闇も消えた。


 人の気配が少しずつ戻ってくる。


 遠くで誰かの声がした。


 広告端末が再起動する音がした。


 砕耀は大剣を地面に突き立て、息を吐いた。


「ちょこまかと厄介な奴だな」


 久夜は肩の傷を押さえた。


「でも斬れた」


 梟は銃を下ろした。


 視界が戻り始めていた。


 彼女はまばたきを数回して、久夜を見る。


 その目に、少しだけ安堵が滲む。


「だから言ったでしょ」


「何を」


「私の弾を疑う方が悪いって」


 久夜は小さく笑った。


「次も頼む」


 梟は一瞬だけ視線を逸らした。


 それから、いつもの強い声で言った。


「当然」


   ◇


 その夜、拠点には消毒液の匂いが残っていた。


 久夜は壁際に座り、肩の手当てを受けている。


 梟が包帯を巻いていた。


 今度は何も言わない。


 ただ少しだけ、巻き方がきつい。


「痛い」


「我慢」


「さっき無理するなって言っただろ」


「あんたに言われたくない」


 ラナは端末でチセラの広告を見ないように、画面を伏せていた。


 鈴木は床に転がりながら天井を見ている。


 砕耀は机の上に総流社の内部資料を並べていた。


 総流社の崩壊。

 万具の翁の内部告発。

 天理家の刺客。

 光を名乗る男。


 流れは止まらない。


 むしろ、総流社を揺らしたことで、新しい流れが生まれていた。


「で、次はどうするんだよ」


 鈴木が天井を見たまま言った。


 砕耀は端末を閉じる。


「天理家が動いた以上、こっちも止まれない」


「次も天理家か?」


 久夜が聞く。


「いや」


 砕耀は首を振った。


「天理家だけを見てると、十柱が動く。十柱だけを見てると、天理家が刺す。どっちも見なきゃならない」


「面倒だな」


「世界を相手にしてるんだ。面倒で済むだけありがたい」


 梟が尋ねる。


「次の柱は決めてるの?」


 砕耀は答えなかった。


 代わりに、砕耀の端末に短い通知が届いた。


 発信者はない。


 だが、誰からかは分かった。


『次に折るべき柱は、血管ではない。空か、法か、命か、鎖か。選択を誤れば、天理家が先に動く』


 天城慧悟。


 砕耀は画面を閉じた。


 久夜が聞く。


「何て?」


 砕耀は窓の外を見た。


 冥下の暗い空の向こうに、天界の光が微かに滲んでいる。


「次の戦場は、まだ見えない」


 彼はそう言った。


「だが、もう近い」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。