器用な老人
総流社の血管に、熱が生まれていた。
最初は、たった一つの言葉だった。
未分類人型荷物。
それは地上の片隅に落ちた小さな火種にすぎなかった。誰かが怒り、誰かが笑い、誰かが捏造だと断じ、誰かが保存した。
そして、次に流れたのは数字だった。
配送遅延ログ。
薬品供給記録。
地域別欠損率。
代替配送の偏り。
未登録倉庫と欠番荷物の奇妙な一致。
数字は感情よりも遅く燃える。
だが、燃え始めると消しにくい。
総流社を信じる者ほど、否定するために調べた。
否定するために計算し、比較し、過去の記録を掘り返した。
その結果、否定したかった者たちの手で、違和感は拡散していった。
総流社は削除した。
削除したことで、疑惑は増えた。
総流社は声明を出した。
声明には、数字への具体的な反論がなかった。
火種は煙になった。
煙は、街に入り込んだ。
◇
冥下と地上の境目にある旧総流支所は、もう使われていないことになっていた。
表向きは廃棄済みの配送拠点。
壊れた看板。
錆びたシャッター。
割れた窓。
積み上げられた古いコンテナ。
だが、総流社の建物は死んでも死なない。
床下にはまだ配線が残り、古い仕分け機の内部には微弱な電流が流れ、壁の荷札読み取り装置は時折、存在しない荷物を読もうとして赤く瞬いた。
切り捨てられた血管。
だが、まだ血の匂いがする。
「第三断片は奥の制御室だ」
砕耀が低く言った。
久夜、梟、ラナ、鈴木が続く。
第三断片。
総流社の薬品供給記録と未登録倉庫番号を結びつける、次の情報公開の核になる記録だった。
慧悟は短い警告を寄越していた。
『移動しろ。旧総流支所に置き続けるな。万具の翁が動く』
万具の翁。
総流社の要。
枯野万作。
「ただの老人なんだろ」
久夜が言った。
「その言い方をする奴から死ぬ」
梟が即答した。
「死なねえよ」
「死なないまでも、転ぶ」
鈴木が倉庫内を見回しながら顔をしかめる。
「嫌な場所だな。どこ触っても何か出てきそうだ」
「出てくるだろうな」
砕耀は周囲を見ながら言った。
「総流社の要が出るなら、ここはもう倉庫じゃない。あの爺さんの道具箱だ」
ラナは天井を見上げた。
落とせそうなものは多い。
古い照明。
吊り下げ式の案内板。
空のコンテナ。
錆びた金具。
けれど、前の倉庫戦とは違う。
落とせるものが多すぎる。
それが、逆に怖かった。
「梟、上は?」
砕耀が聞く。
「取れる」
梟は二階の作業通路を見上げた。
高所。
遮蔽物。
広い射線。
狙撃手にとっては理想的な位置だった。
理想的すぎた。
「でも取らない」
「罠か」
「たぶん」
梟は車椅子を止めたまま、銃を膝の上に置いた。
「上を取らせたい場所に見える」
砕耀は小さく頷いた。
「いい判断だ」
その時だった。
こつん。
倉庫の奥から、杖の音が響いた。
こつん。
こつん。
古い仕分け機の影から、一人の老人が姿を現した。
白い髪。
深い皺。
古い杖。
腰には小さな工具箱。
背は高くない。
身体も大きくない。
歩き方もゆっくりしている。
ただの老人に見えた。
だが、その瞬間、久夜は直感した。
この倉庫の中で、何一つ無関係なものはない。
床も、壁も、荷札も、油染みも、古い機械も、積まれた箱も、空気の流れさえも。
すべてが、あの老人の手に握られている。
「枯野万作」
砕耀が言った。
老人は穏やかに笑った。
「砕耀。お前さんを見るのは、ずいぶん久しぶりじゃな」
「知り合いみたいに言うな」
「知っとるよ。総流社は流れを見る。誰がどこで生まれ、どこで怒り、どこで詰まり、どこへ流れていくか。お前さんは昔から、流れに逆らう石のような子じゃった」
砕耀の目が細くなる。
「俺を観察してたってわけか」
「総流社が観察しておった。わしは、その記録を見たことがあるだけじゃ」
久夜が一歩前へ出た。
「第三断片を取りに来たのか」
「そうじゃ」
「渡すと思うか」
「思わん」
万作は杖をついた。
「だから、運びに来た」
空気が変わった。
久夜がダガーを抜く。
梟が銃を構える。
鈴木が拳を鳴らす。
ラナが天井を見た。
砕耀が半歩前へ出る。
万作はそれを見て、懐かしむように目を細めた。
「若いのう」
「年寄り扱いしてほしいなら帰れ」
久夜が低く言う。
「いや、羨ましいのじゃ」
万作は静かに言った。
「助けたいもののために、迷わず走れる。そういう時期は、短い」
その言葉の意味を考える前に、久夜は動いた。
速い。
床を蹴り、一直線に万作へ迫る。
しかし三歩目で、床の感触が変わった。
滑る。
久夜は反射的に身体を捻り、転倒を避けた。
足元には、薄く透明な油が塗られていた。
久夜が体勢を戻すより早く、頭上の空箱が崩れる。
視界が塞がる。
久夜は箱を斬った。
箱の中から白い粉が舞う。
久夜は即座に息を止める。
「毒じゃない」
万作の声が粉塵の向こうから聞こえた。
「小麦粉じゃ。見えにくくなるだけでのう」
久夜は粉を裂いて飛び出す。
その先に、万作はいない。
老人は数歩横へずれていた。
速いわけではない。
久夜が見失うように、最初から粉の流れと箱の落下位置を置いていただけだ。
梟が銃を上げる。
だが引き金を引く寸前、車椅子の駆動が重くなった。
「磁気板……!」
床に薄い磁気板が仕込まれている。
一瞬だけ、車輪の反応が遅れる。
梟は即座に補正し、撃った。
弾丸は万作の肩を狙う。
万作は杖を軽く上げた。
弾は杖に当たり、火花を散らす。
杖が弾かれる。
久夜がその隙を逃さず踏み込む。
だが、弾かれた杖の内部から細い鎖が伸び、久夜の足首を掠めた。
完全には絡まない。
久夜は空中で足を捻って鎖を避ける。
それでも、半歩遅れた。
「杖は手に持っている間だけが杖ではない」
万作は言った。
「置いてからも道具じゃ」
鈴木が横から回り込む。
「なら、考える暇ごとぶっ飛ばす!」
鈴木が拳を振るう。
万作は避けようとしなかった。
近くにあった古い台車を、足で軽く押す。
台車が鈴木の拳を受け、金属音を立ててひしゃげた。
「ぐっ……!」
台車の骨組みが歪み、逆に鈴木の腕を挟み込む。
壊れた道具が、そのまま拘束具になった。
「壊れてからが本番の道具もある」
万作が言う。
「ふざけんな!」
鈴木は力ずくで台車を引き裂く。
その間に、万作はもう制御室へ近づいていた。
ラナが天井の照明へ手を向ける。
「落ちて!」
古い照明器具が外れる。
万作の頭上へ落下する。
直撃する、と思った。
だが照明は途中でワイヤーに引っかかり、横へ大きく揺れた。
そのまま古い棚へぶつかる。
棚が崩れ、中から煙幕が噴き出した。
「えっ……?」
ラナの顔が青くなる。
自分が落とした。
でも、結果は万作の都合のいい煙幕になった。
万作の声が煙の中から届く。
「落ちるものには、落ちた後の仕事も持たせる。倉庫では基本じゃ」
砕耀が煙の中へ突っ込む。
万作の位置を読んで、拳を振るった。
砕耀の拳は重い。
当たれば老人の身体など耐えられない。
だが拳が届く直前、砕耀の足が床に沈んだ。
重力固定具。
空衡社の古い部品だ。
床下に仕込まれていたそれが、一瞬だけ砕耀の踏み込みを殺した。
拳の軌道が落ちる。
万作はその下をくぐり、砕耀の腕に針を刺した。
砕耀はすぐに針を抜く。
「毒か」
「再命社の神経抑制剤。薄めてある」
「この程度で俺が止まるか」
「止める必要はない」
万作は煙の向こうで言った。
「半拍遅れれば、十分じゃ」
直後、天井から水袋が落ちた。
砕耀の背に当たり、破裂する。
床に水が広がる。
水は油と混じり、床をさらに滑らせた。
久夜がダガーを投げる。
刃が煙を裂いて万作へ向かう。
万作は避ける。
久夜は指先で戻るタイミングを測る。
戻る刃が、背後から万作を狙う。
だが、その軌道上に細いワイヤーがあった。
刃はワイヤーに触れ、わずかに角度を変えられる。
万作の肩を裂くはずだった刃は、白髪を数本散らしただけで久夜の手元へ戻った。
「戻る刃には、戻る道がある」
万作が言う。
「道があるなら、荷を置ける」
久夜は歯を食いしばった。
速さでは負けていない。
剣技でも負けていない。
それなのに、届かない。
相手は超人的な反射神経で避けているわけではない。
異理でねじ伏せているわけでもない。
ただ、先に置いている。
道具を。
状況を。
久夜たちの動きの先に。
◇
枯野万作は、昔から道具が好きだった。
壊れた椅子を直すのが好きだった。
錆びた包丁を研ぐのが好きだった。
穴の開いた靴に布を当て、また歩けるようにするのが好きだった。
若い頃の万作は、冥下に近い地上の外れで暮らしていた。
総流社に入る前、彼はただの器用な青年だった。
喧嘩も強かった。
だが、喧嘩が好きだったわけではない。
困っている誰かのために、身体を張るのが好きだった。
荷を奪われた老人を助けた。
暴力で脅された店主の前に立った。
崩れた橋を、拾った鉄材で一晩かけて直した。
薬が届かない子どものために、危険な道を走った。
その頃の彼は、まだ何も持っていなかった。
だから、何でも差し出せた。
やがて恋人ができた。
家族ができた。
守りたいものが増えた。
増えれば増えるほど、彼は綺麗な道だけを選べなくなった。
総流社に入った。
最初は、流通を正すためだった。
必要な場所へ、必要な荷を届けるためだった。
だが上に行くほど、見たくないものが見えた。
届くべき薬が止められる。
届けなくていい兵器が運ばれる。
人間が荷物として扱われる。
帳簿の上で命が消える。
声を上げれば、家族に危険が及ぶ。
逆らえば、守るべき者の生活が折れる。
見逃せば、自分の心が腐る。
それでも、彼は選んだ。
醜くても。
卑怯でも。
汚くても。
やらねば守れないものがある。
そう言い聞かせて、道具を増やした。
杖。
薬。
毒。
ワイヤー。
荷札。
拘束具。
重力固定具。
古い通信部品。
他社から流れてきた規格外の廃材。
人の癖。
組織の弱点。
自分の老い。
全部を道具にした。
そしていつしか、彼は万具の翁と呼ばれるようになった。
名誉ではなかった。
称号でもなかった。
ただ、引き返せなくなった老人につけられた名前だった。
◇
煙が薄れる。
万作は制御室の扉の前にいた。
砕耀が飛び込む。
宝珠の心が脈打ち、身体の内側から熱が上がる。
拳が重くなる。
先ほどより速い。
先ほどより強い。
万作はそれを見て、ほんの少し目を細めた。
「その心臓、厄介じゃな」
「なら止めてみろ」
「止めん」
万作は扉の横に手を伸ばした。
壁に残っていた古い配送タグを引く。
床下の搬送レーンが唸り、砕耀の足元だけが横へ流れた。
踏ん張る。
だが床そのものが動く。
砕耀の拳は万作の頬を掠め、壁を砕いた。
衝撃で制御室の扉が歪む。
万作の頬に血が滲んだ。
初めて、久夜たちの攻撃が届いた。
万作は頬の血を指で拭い、少しだけ笑った。
「よい拳じゃ」
砕耀はもう一撃を放つ。
今度は万作も完全には避けられない。
杖で受ける。
杖が折れる。
老人の身体が後ろへ飛ぶ。
だが、飛ばされた先に積まれていた緩衝材の袋があった。
衝撃を吸収する。
万作は転がりながらも、制御室の扉の前へ戻っていた。
久夜はその動きに気づく。
吹き飛ばされたのではない。
吹き飛ばされる位置まで、最初から計算していた。
「こいつ……!」
久夜が駆ける。
梟が今度こそ射線を作る。
上を取らず、地面すれすれからタイヤの隙間を通すように撃つ。
弾丸が万作の工具箱の留め具を撃ち抜いた。
工具箱が開き、中身が床に散らばる。
薬瓶。
針。
金具。
小型端末。
細い刃。
万作の動きが一瞬止まる。
「今!」
ラナが叫ぶ。
天井ではなく、床に転がった工具の一つへ手を向ける。
「落ちて!」
それは本来、落ちるものではなかった。
だが、床に置かれた小さな金属片が、わずかな段差から下へ滑り落ちた。
金属片は搬送レーンの隙間へ入り込み、ギアに噛んだ。
レーンが止まる。
砕耀の足元の流れが消える。
砕耀は笑った。
「やるじゃねえか、ラナ!」
久夜が踏み込む。
今度は滑らない。
油の位置も、粉の流れも、ワイヤーの高さも、もう見えている。
ダガーを振るう。
万作は避ける。
だが完全には避けきれない。
袖が裂け、老人の腕に浅い傷が走る。
梟の次弾が、万作の足元の薬瓶を撃ち抜く。
薬液が床に広がる。
万作は足を止めた。
鈴木が横から飛び込み、歪んだ台車を蹴り飛ばす。
台車は万作と制御室の扉の間へ滑り込む。
退路を塞ぐ。
一瞬。
万作の動きが止まった。
久夜の刃が、老人の首元へ届く距離に入る。
殺せる。
そう思った。
だが久夜は首を狙わない。
肩を狙う。
武器を落とさせるために。
その選択を、万作は読んでいた。
老人は自分から一歩踏み込み、久夜の刃の内側へ入る。
肩ではなく、浅く胸を裂かせる。
血が飛ぶ。
久夜が目を見開く。
万作はその一瞬の動揺を使い、久夜の手首を押さえた。
「甘い、とは言わん」
万作が近くで囁いた。
「だが、優しい刃は読まれやすい」
老人の膝が久夜の腹に入る。
久夜は後ろへ飛ばされるが、空中で体勢を戻す。
その間に万作は制御室へ入り、隠し箱を開けていた。
第三断片。
黒い記録片を手に取る。
砕耀が低く吠える。
「万作!」
万作は記録片を懐に入れた。
「今日は、これは運ばせてもらう」
「逃がすと思うか」
「逃げるのではない」
万作は折れた杖を拾う。
「荷を運ぶのじゃ」
その瞬間、倉庫全体のスプリンクラーが作動した。
水が降る。
粉が溶ける。
油が流れる。
煙幕の粒子が落ちる。
視界は晴れる。
だが床は最悪になった。
滑る。
沈む。
足音が乱れる。
万作はその中を、最短ではなく最も安全な足場だけを選んで歩いていく。
追える。
だが追えば崩れる。
久夜はそれを理解してしまった。
万作は出口で振り返る。
「昔はのう」
老人は静かに言った。
「わしも、お前さんらのように走れた。助けたい者のためだけに、真っ直ぐ走れた」
雨のように水が降る。
老人の白髪が濡れる。
「じゃが、守るものが増えると、人は道具を選べんようになる。汚い道具でも、使わねば守れん日が来る」
砕耀は拳を握る。
「それで総流社の犬になったのか」
「そうじゃな」
万作は否定しなかった。
「犬にも、守りたい家はある」
久夜は老人を睨む。
「言い訳だろ」
「そうじゃ」
その返事はあまりに早かった。
久夜は言葉を失う。
万作は笑っていなかった。
「言い訳じゃ。醜くて、古くて、腐った言い訳じゃ。だが、それでも今日までわしを歩かせた」
彼は久夜と砕耀を見た。
「お前さんらが羨ましい。まだ、怒れる。まだ、選べる。まだ、汚れた道具を持たずに済むと思っておる」
静かな声だった。
「そのまま行けるなら行け。わしには、もうできんかった道じゃ」
万作は背を向ける。
「次は街で会おう。倉庫より道具が多い」
杖の音が遠ざかる。
こつん。
こつん。
誰も追えなかった。
追えるだけの力はある。
だが、追うための場を奪われていた。
◇
旧総流支所に残されたのは、濡れた床と、散らばった道具と、敗北の感触だった。
久夜はダガーを握ったまま立っていた。
手が震えている。
恐怖ではない。
怒りでもない。
もっと嫌なものだった。
届いた。
確かに届いた。
それでも、取られた。
梟は車椅子の駆動系を確認していた。
「完全に壊されてはいない。けど、次から磁気板対策が要る」
鈴木は歪んだ台車を蹴った。
「なんなんだよ、あの爺さん。こっちは本気だったぞ」
「だから負けたんだろ」
砕耀が言った。
鈴木が振り返る。
「どういう意味だよ」
「本気の俺たちを、あいつは準備で上回った。そういうことだ」
砕耀の声には苛立ちがあった。
だが、それ以上に重い納得があった。
「力で負けたわけじゃねえ。経験で負けた。場所で負けた。流れで負けた」
ラナは床に落ちていた小さな金属片を拾った。
自分が落として、搬送レーンを止めたものだ。
「でも、少しは届いたよね」
「ああ」
砕耀は頷いた。
「届いた。だからあの爺さんも傷を負った」
久夜はようやく口を開いた。
「次は勝つ」
「勝つだけじゃ駄目だ」
砕耀が言う。
「第三断片を取り返す。次の情報公開を通す。街を巻き込ませない。あの爺さんの流れを読む」
「やること多いな」
梟が言った。
「相手が総流社の要だからな」
砕耀は旧総流支所の出口を見る。
万作の姿はもうない。
だが、古い杖の音だけが、まだ耳に残っている。
こつん。
こつん。
「街で会う、か」
久夜は呟いた。
「上等だ」
◇
その夜、総流社上層管理棟。
枯野万作は役員たちの前に第三断片を置いた。
役員たちの顔に安堵が広がる。
「さすがです、翁」
「これで次の流出は止まる」
「やはり要が出れば、冥下の連中など」
「止まらんよ」
万作の一言で、会議室は静まり返った。
役員の一人が眉をひそめる。
「どういう意味です」
「これは一部じゃ。複製もあるじゃろう。あの砕耀が、核を一つだけにしておくはずがない」
「では、なぜ奪ったのです」
「流れを乱すためじゃ」
万作は椅子に腰を下ろした。
胸が痛む。
再命社の薬の副作用が来ている。
手の震えも戻り始めていた。
だが、表情には出さない。
「連中は本気じゃった」
「本気?」
「そうじゃ。殺しに来たわけではない。だが手を抜いてもおらん。勝つために動いておった」
役員が鼻で笑う。
「ならば、なおさら未熟ですな」
「未熟じゃよ」
万作は認めた。
「じゃが、未熟な火ほど広がる時は早い。余計なことを知らぬぶん、真っ直ぐ燃える」
「始末すべきでは?」
万作はその役員を見た。
「始末。簡単な言葉じゃな」
「敵です」
「敵にも種類がある。殺せば終わる敵。殺すと燃える敵。殺しても別の火に移る敵」
万作は第三断片に触れる。
「あやつらは、最後の類じゃ」
役員たちは不満げだった。
万作はそれを見て、静かに息を吐く。
この者たちは、まだ火を見ていない。
煙だけを嫌がっている。
煙の奥で何が燃えているのかを見ようとしない。
「次は街で会う」
万作は立ち上がった。
「総流社の本当の流れを、あやつらに見せてやる」
「必ず止めてください」
「止めるかどうかは、見てから決める」
「翁」
役員の声が冷える。
「お孫様の件を、我々は忘れていません」
会議室の空気が止まった。
万作はゆっくり振り返る。
老人の目に、怒りはなかった。
ただ、底の見えない疲れがあった。
「そうか」
それだけ言う。
そして、静かに続けた。
「脅しは道具じゃ。使いどころを間違えるな」
役員の喉が鳴る。
万作は工具箱に手を置いた。
「わしは古い道具じゃ。壊れても惜しくない。じゃが、古い道具ほど、壊れる時に周りを傷つける」
誰も言い返せなかった。
万作は会議室を出た。
廊下は静かだった。
こつん。
こつん。
杖の音が響く。
胸の痛みが増す。
それでも、万作は歩く。
恋人。
家族。
孫。
総流社。
腐った荷。
若者たちの火。
守るものが増えるたび、人は軽く歩けなくなる。
万作はそれを知っている。
だからこそ、まだ軽やかに走ろうとする久夜たちが眩しかった。
「若いのう」
彼は小さく呟いた。
羨望と、嫉妬と、ほんの少しの願いを込めて。
血管はまだ止まらない。
けれど、その奥で流れる血は、確かに熱を帯び始めていた。




