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白いカラス  作者: シンドゥー


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10/15

全てを知るもの

火種は、思っていたよりも静かに広がった。


 総流社内部資料に存在する不可解な分類名。


 未分類人型荷物。


 最初にその言葉を見つけたのは、地上の小さな掲示板に張りついていた数人の暇人だった。


 次に、それを保存した者がいた。


 さらに、総流社の内部印に気づいた者がいた。


 誰かが捏造だと笑い、誰かが気味悪がり、誰かが過去の行方不明者情報と結びつけようとした。


 投稿はすぐに削除された。


 だが、削除は遅かった。


 画像は複製され、切り抜かれ、別の掲示板へ流れ、短い動画に加工され、噂として広がっていった。


 地上の人々は、まだ何も知らない。


 総流社が何を隠しているのか。

 冥下で何が起きているのか。

 天界がどこまで記録を握っているのか。


 何も知らない。


 ただ、一つの言葉だけが、喉に刺さった小骨のように残った。


 未分類人型荷物。


 人を、荷物と呼ぶ言葉。


 その夜以降、総流社に関する小さな検索が増えた。


 未登録倉庫。

 総流社 内部資料。

 人型荷物。

 荷物番号 欠番。

 行方不明者 配送記録。


 小さな波だった。


 だが、波は立った。


   ◇


 砕耀は古い端末の画面を見つめていた。


 拠点の空気は重い。


 第一弾の証拠は流れた。


 しかし、それで総流社が崩れるわけではない。


 むしろ、ここからが本番だった。


「勢いはある」


 鈴木が言った。


「少なくとも、火はついたんじゃねえか?」


「火種だ」


 砕耀は画面から目を離さずに答えた。


「まだ火じゃねえ。踏まれりゃ消える」


 梟が端末に表示された投稿の推移を見ていた。


「削除が早い。総流社側も気づいてる」


「ああ。次は潰しに来る」


 久夜は壁に背を預け、腕を組んでいた。


「来るなら来いよ。潰し返せばいい」


「そういう話じゃねえ」


 砕耀は短く返す。


「総流社を殴って倒すなら倉庫を壊せばいい。だが、信頼を殺すには順番がいる。順番を間違えれば、俺たちがただの捏造犯になる」


「面倒くせえな」


「面倒だから情報戦なんだよ」


 ラナは部屋の隅で膝を抱えていた。


 自分の記録が火種になったことを、まだうまく飲み込めていない。


 自分は荷物ではない。


 そう言うために、荷物と書かれた記録を使った。


 それは正しい。


 分かっている。


 でも、胸の奥が少し痛い。


 ラナは端末を見ないようにしていた。


 見ればまた、あの言葉を見つけてしまう。


 未分類人型荷物。


 そこに自分の名前はない。


 アステール・ラナという名前は、どこにもない。


「次に何を流す?」


 梟が尋ねた。


「未登録倉庫の番号か?」


「それだけじゃ弱い」


 砕耀は眉間に皺を寄せた。


「倉庫番号は改竄される。存在しない施設だと言い切られたら終わりだ。こっちには証拠があるが、向こうには信用がある」


「じゃあ、どうすんだよ」


 鈴木が苛立つ。


「信用を崩すには、信用の崩し方を知ってる奴に聞く」


 砕耀は端末を閉じた。


「黎明の星に会う」


 部屋の空気が少し変わった。


 久夜が眉をひそめる。


「また星か」


「天城慧悟。世界最高峰の研究所、理に認められた天才。地上の監視網、観令の挙動、情報拡散の癖。その辺りを理解してる数少ない人間だ」


「人間なのか?」


「少なくとも、体はな」


 梟が静かに言った。


「接触できるの?」


「する」


 砕耀は立ち上がる。


「できるかどうかじゃねえ。必要だからする」


   ◇


 地上の昼は、相変わらず眩しかった。


 久夜はフードを深く被り、人混みの中を歩く。


 総流社の配送車。

 偶愛の星、チセラの広告。

 駅前の大型ビジョン。

 買い物袋を下げた人々。

 何も知らない顔で笑う学生たち。


 全てが平和に見える。


 だが、その平和の血管には、総流社が流れている。


 そしてその血管に、久夜たちは小さな毒を流し込んだ。


「最初の接触地点は?」


 久夜が低く尋ねる。


「旧市街の古書店」


 砕耀が答える。


「慧悟本人じゃなく、間に一つ挟む。いきなり本人へ行くのは危険すぎる」


「向こうもそう思ってるだろうな」


 梟が車椅子を進めながら言った。


「こっちの動き、読まれてる可能性がある」


「読めるなら読ませときゃいい」


 久夜は歩調を変えない。


「会えばいいんだろ」


 梟は呆れたように息を吐いた。


「そういうところだと思う」


 古書店は、地上の外れにあった。


 高層ビルの隙間に残された、時代から置いていかれたような店。


 砕耀が扉を開ける。


 中には誰もいなかった。


 店主もいない。


 客もいない。


 ただ、カウンターの上に一冊の本が置かれていた。


 砕耀が本を開く。


 中はくり抜かれていた。


 そこに小さな紙片が入っている。


『尾が四つ。右後方の配送車、二階窓際の端末、新聞売りの老人、そして君たちの通信端末。まず切れ』


 久夜が紙片を覗き込む。


「何だこれ」


「慧悟だろうな」


「もう始まってんのか」


「始まってるんじゃねえ」


 砕耀は紙片を握り潰した。


「こっちが店に入る前に終わってたんだよ」


 梟が窓の外を見る。


 右後方の道路に、総流社の配送車が停まっていた。


 不自然ではない。


 この街に総流社の車があることなど、当たり前だからだ。


 だが、当たり前に紛れるものほど見つけにくい。


「二階窓際」


 梟が小さく呟く。


 向かいの建物。


 カーテンの隙間に、小さな端末の光。


「新聞売りの老人もいる」


 鈴木が舌打ちした。


「こっちの端末もかよ」


 砕耀は自分の端末を見た。


 画面に、新しい通知が出ていた。


『その暗号は三日前に破られている。使用継続は推奨しない』


 久夜が苛立った顔をする。


「性格悪いな、こいつ」


「合理的なだけだろ」


「お前、今のでよく平気だな」


「平気じゃねえよ」


 砕耀は端末の電源を落とし、鈴木へ放った。


「潰せ」


 鈴木が端末を分解し始める。


 梟は窓の外へ銃口を向けない。


 撃てば目立つ。


 撃たずに切る必要がある。


「配送車はどうする?」


 久夜が聞く。


「動かす」


 砕耀は短く言った。


   ◇


 尾を切るのに、三十分かかった。


 久夜にとっては、苛立つだけの時間だった。


 敵がいるなら斬ればいい。


 追ってくるなら潰せばいい。


 だが、砕耀はそれを許さなかった。


 総流社の配送車には、別ルートから偽の受取信号を送った。車は勝手に別の地点へ向かった。


 二階窓際の端末には、鈴木が拾った廃棄回線から過負荷をかけ、画面だけを焼いた。


 新聞売りの老人には、梟が小さな紙飛行機を撃ち落とすように飛ばし、足元へ落とした。


 紙には一言だけ。


『見えている』


 老人は即座に店を畳んで去った。


 通信端末は鈴木が完全に分解した。


 その間、久夜は何もしていない。


 それが一番苛立った。


「次はどこだ」


 久夜が低く言う。


 砕耀は古書店の奥に残された別の紙片を見つけていた。


『第三水路跡。だが、最短経路を通るな』


 久夜の眉が動く。


「最短経路を通るな、だと?」


「お前向けの言葉だな」


 梟が言う。


「うるせえ」


 第三水路跡へ向かう道は複数あった。


 一番早いのは、人通りの少ない裏道を抜ける経路。


 久夜は当然そこを選びかけた。


 だが、砕耀が止めた。


「やめろ」


「何でだよ」


「読まれてる」


「読まれてるから何だ。逆にそのまま行きゃ裏をかけるだろ」


「その考えまで読まれてる可能性がある」


 久夜は舌打ちする。


「じゃあどうすんだよ」


「遠回りする」


「くだらねえ」


 久夜は一歩踏み出した。


 その瞬間、足元で乾いた音がした。


 久夜は反射的に跳び退く。


 路面の一部が沈んだ。


 壊れかけの地下配管が露出し、細い警報線が切れている。


 もし踏み抜いていれば、音と振動で周囲の監視が一斉に反応していた。


 壁に、小さな紙が貼ってあった。


『君は最短距離を選びすぎる』


 久夜のこめかみが動いた。


「……ぶっ殺す」


「今のところ、一方的に負けてる」


 梟が淡々と言う。


「黙れ」


 砕耀は紙を剥がし、しばらく見つめていた。


「こいつ、久夜の性格まで読んでやがる」


「会ったこともねえのにか」


「だから黎明の星なんだろ」


   ◇


 第三水路跡に着く頃には、久夜たちは全員、疲労とは別の消耗を感じていた。


 敵と戦ったわけではない。


 走ったわけでもない。


 だが、一つ動くたびに、すでに誰かの掌の上へ足を置いている感覚があった。


 水路跡は、今では使われていない地下施設だった。


 地上と冥下の境目にある古い排水設備。


 湿った匂いがする。


 壁には苔が生え、ところどころに古い監視装置の残骸があった。


 梟は車椅子を止め、周囲を見渡す。


「高所がない」


「狙撃手対策か」


 鈴木が言う。


「違う」


 梟は天井付近を見る。


 小さな反射板がいくつも仕込まれていた。


 角度が嫌らしい。


 どこへ銃口を向けても、射線の一部が反射で外部のセンサーに拾われる。


 壁にまた紙があった。


『上を取る癖は優秀だが、単純だ』


 梟の表情が消えた。


 久夜が少し笑いそうになる。


 梟は無言で銃口を久夜へ向けた。


「笑ってない」


「まだ何も言ってない」


「顔が言ってた」


 砕耀は水路の奥へ進んだ。


 そこには古い投影機が置かれていた。


 電源は入っていない。


 だが、砕耀が近づくと、勝手に起動した。


 壁に文字が映し出される。


『接触拒否。理由は三つ。観令、総流社、そして君たち自身』


 久夜が目を細める。


「本人はどこだ」


 文字は続く。


『君たちは危険だ。物理的危険ではない。観測上の危険だ。君たちに接触することは、私が守るべきものを危険域へ押し上げる』


 砕耀は黙って読んでいた。


『学者の城は、この件に関与しない。今後も接触しない。君たちがその名を出した場合、以降の全経路を閉じる』


 ラナが小さく呟く。


「学者の城……?」


 砕耀はラナを制した。


「今は聞くな」


 投影の文字がさらに変わる。


『帰れ。君たちの火種は、君たちで処理しろ』


 そこで投影は終わった。


 水路跡に沈黙が落ちる。


 久夜がダガーを抜いた。


「ふざけやがって」


「落ち着け」


 砕耀が止める。


「落ち着けるかよ。ここまで人を動かして、帰れだと?」


「だから、ここからだ」


 砕耀は投影機の裏を調べた。


 そこに、一つだけ古い端末が残されている。


 画面には入力欄。


 短い文字。


『反論があるなら、三百字以内』


 鈴木が目を丸くした。


「三百字?」


「多分、これ以上は読む価値がないってことだ」


 砕耀は笑った。


「いい性格してる」


 久夜は苛立ったまま言う。


「そんなもんで説得できんのか」


「する」


 砕耀は端末に向かった。


 指が迷わず動く。


 文章は短い。


『総流社が揺れれば観令の注視は流通と天界系統へ傾く。君が隠したい研究の周囲に余白が生まれる。総流社物流記録には感情平坦化、薬品供給、地域別発症偏りの痕跡が残る可能性がある。こちらは証拠を持つ。君は流し方を知る。接触は君個人に限定。学者の城の名は出さない』


 砕耀は送信した。


 数秒。


 何も起きない。


 久夜が舌打ちする。


「無駄だったんじゃねえか」


 その瞬間、端末に返信が表示された。


『続けろ』


 砕耀の口角が上がった。


   ◇


 最後の指定場所は、旧天文台だった。


 地上の中心から少し離れた丘の上にある、使われなくなった観測施設。


 今の空には星が見えない。


 光害のせいだと人々は言う。


 だから天文台は、長い間忘れられていた。


 錆びた門を抜け、久夜たちは建物の中へ入る。


 丸いドームの天井。


 壊れた望遠鏡。


 埃をかぶった観測記録。


 そして、その中央に一人の青年が立っていた。


 黒髪。


 細いフレームの眼鏡。


 派手さのない服装。


 戦う者の姿ではない。


 逃げる者の姿でもない。


 だが、そこに立っているだけで、久夜は奇妙な違和感を覚えた。


 隙がないわけではない。


 むしろ、肉体的な隙はいくらでもある。


 久夜なら、一歩で距離を詰められる。


 梟なら、狙える。


 砕耀なら、殴り倒せる。


 鈴木でも、撃てる。


 だが、誰も動かなかった。


 動けば、その動きの意味まで読まれている気がしたからだ。


 青年は、久夜たちを見る。


「十三手」


 第一声は、それだった。


 久夜が眉をひそめる。


「あ?」


「接触までに十三手。想定より二手多い。原因は天理久夜の短絡行動と、梟の射線確認の遅れ。砕耀の修正で致命域は避けた」


 梟の目が細くなる。


 久夜は一歩前へ出た。


「お前が天城慧悟か」


「そう呼ばれている」


「人を駒みたいに動かしやがって」


 慧悟は表情を変えない。


「駒として扱っていない。危険物として扱った」


 久夜の指がダガーに触れる。


 砕耀が横から止めた。


「やめろ。斬る相手じゃねえ」


「斬れるだろ」


 慧悟が静かに言った。


「斬ることはできる。斬った後、君たちは七分以内に総流社の監視に捕捉される。三十分以内に天理家の警戒網へ上がる。翌朝には君たちの第一弾情報は殺人犯の捏造として処理される」


 久夜は慧悟を睨む。


「脅しか」


「予測だ」


「分かりやすく言え」


「必要な情報は渡した」


「そういうところがムカつくんだよ」


「君の感情は、私の説明義務を増やさない」


 空気が張り詰める。


 慧悟は久夜を見ていないようで、見ていた。


 久夜の重心。

 指の動き。

 呼吸の乱れ。

 踏み込む距離。


 全てを数値ではなく、構造として見ている。


「君は速い」


 慧悟が言った。


「だが、速い者ほど選択肢を削る。最短を選ぶ。最短は読みやすい」


「言ってくれるじゃねえか」


「事実だ」


 久夜が踏み込もうとした瞬間、慧悟が視線だけを床へ落とした。


 久夜は反射的に足を止める。


 床板の一部が、わずかに浮いていた。


 罠ではない。


 ただ、古くなった板だ。


 踏めば音が鳴る。


 音が鳴れば、外の監視が拾う。


 久夜は歯を食いしばった。


 戦っているわけでもないのに、止められている。


 それが腹立たしかった。


 砕耀が前へ出た。


「話をしに来た」


「拒否したはずだ」


「だからメリットを出した」


「不足している」


「何が」


「君たちは情報を持っている。だが処理能力が低い。火種を置いた後の風向きが読めていない。次に出すべき情報の選択基準も不安定だ」


 鈴木が小さく呟く。


「喧嘩売ってんのか、こいつ」


「事実を言っている」


 慧悟は鈴木を見もせずに答えた。


 砕耀は笑った。


「性格悪いな」


「性格は関係ない」


「そういうところだよ」


 慧悟は砕耀へ視線を戻す。


「君の提示した利益は二つだけ有効だ。総流社への注視誘導。そして物流記録に含まれる症状分布の可能性」


「十分だろ」


「危険の方が大きい」


「学者の城を守りたいんだろ」


 慧悟の目が、わずかに冷えた。


 久夜はその変化に気づいた。


 ほんの一瞬。


 だが、確かに空気が変わった。


「その名を出すな」


 慧悟の声は低かった。


「ここに研究チームは存在しない。私が単独で接触し、単独で判断し、単独で切る。君たちが彼らへ向かえば、私は君たちの経路を全て閉じる」


 砕耀は頷いた。


「それでいい。こっちも巻き込むつもりはねえ」


「信用できない」


「信用しなくていい。条件にすればいい」


 砕耀は端末を出さず、口頭で続ける。


「俺たちはお前を内通者として扱う。ただし、名前は残さない。接触記録も残さない。情報は片方向じゃなく交換だ。総流社の流通記録から、お前が必要とする症状分布や薬品供給の偏りを抜き出す。お前は、俺たちが地上に流す順番と形を設計する」


 慧悟は黙った。


 沈黙は長くなかった。


 だが、誰も口を挟めなかった。


 ラナは息を潜めている。


 梟は慧悟の顔を見ている。


 久夜は苛立ちながらも、動けなかった。


 慧悟はやがて言った。


「協力ではない」


「何でもいい」


「限定的な情報交換だ」


「それでいい」


「私の指示に反した場合、次はない」


「分かった」


「分かっていない」


 慧悟は砕耀を見る。


「君は理解しても、周囲は実行しない可能性がある」


 視線が久夜へ移る。


「特に彼だ」


「俺かよ」


「君以外に誰がいる」


 久夜は舌打ちした。


 慧悟は壊れた望遠鏡の台座に手を置く。


「次に流すのは未登録倉庫ではない」


 砕耀が眉を上げる。


「何だと?」


「倉庫は否定される。番号は改竄される。存在証明に時間がかかる。次に必要なのは、再現可能な不一致だ」


「具体的には」


「薬品供給記録と配送遅延ログ。そこに地域差を重ねる。感情平坦化、対人応答鈍麻、自己喪失感に近い症状が多い区域で、特定薬品と代替配送が不自然に変動している可能性がある」


 鈴木が顔をしかめた。


「全然分からん」


 慧悟は鈴木を見ない。


「君に分かる必要はない」


「腹立つな」


「重要なのは、総流社が否定しにくいことだ。未分類人型荷物は感情に刺さる。だが、感情は反論で濁る。次は数字を使え。数字は捏造と言われても、第三者が検算したがる」


 砕耀が頷く。


「数字に餌を混ぜるのか」


「そうだ。疑う者に検算させる。総流社を信じている者ほど、否定のために調べる。調べれば、不一致に触れる」


「否定させるために流す」


「肯定を求めるな。否定を誘導しろ」


 砕耀は笑った。


「いいな、それ」


「よくはない。必要なだけだ」


 慧悟は淡々としている。


「三段階で流す。一つ、地域別の配送遅延。二つ、薬品在庫の欠損。三つ、未登録倉庫番号の断片。順序を逆にするな。倉庫を先に出せば、陰謀論として処理される」


「保安社との非公式接触は?」


「まだ早い」


「マッドファザーは」


「さらに早い。異世界線由来個体などという語は、一般層には毒性が強すぎる。理解より拒絶が先に立つ」


 ラナが小さく震えた。


 慧悟はその反応を見逃さなかった。


 視線だけを向ける。


「君は、偶愛の星を見すぎるな」


 ラナが顔を上げる。


「え?」


「君は空白が大きい。自分の帰属も、目的も、未来も定義していない。あの星は、そこに入り込む」


 久夜が慧悟を睨む。


「おい」


「事実だ」


「言い方があるだろ」


「ない」


 慧悟はラナを見る。


「画面の中の言葉は、君に向けられたものではない。だが君は、自分に向けられたものとして受け取る。そういう状態だ」


 ラナは唇を噛む。


「……悪いことなの?」


「悪いとは言っていない。危険だと言っている」


「どう違うの?」


「悪は価値判断。危険は状態だ」


 ラナは黙った。


 分かったような、分からないような顔をしている。


 慧悟はそれ以上説明しなかった。


 久夜が低く言う。


「お前、どこまで知ってる」


 慧悟は久夜を見る。


「君が知る必要のある範囲まで」


「そうじゃねえ。星のことも、観令のことも、総流社のことも。何でそんなに見えてる」


「見えているのではない。構造上、そうなる」


「またそれか」


「君は答えを人物に求めすぎる。世界は個人の意思だけでは動かない。根がある。根が二つあれば、枝の揺れ方も二種類に分かれる」


 砕耀の表情が変わった。


「根?」


 慧悟はそこで口を閉じた。


 話す気がない。


 久夜にも分かった。


 今、何か重要なことを言いかけて、意図的に切った。


「続きは」


「不要だ」


「こっちは必要だと思ってる」


「順序が違う」


 慧悟は眼鏡の位置を直した。


「知識には順序がある。順序を誤れば、真実は武器ではなく毒になる。君たちはまだ、毒を飲んで動ける段階にない」


「偉そうに」


「実際、君たちよりは知っている」


 久夜は笑った。


 怒りを通り越して、少しだけ面白くなってきた。


「本当にムカつくな、お前」


「感想は不要だ」


 砕耀が間に入る。


「で、条件は」


 慧悟は短く答えた。


「三つ」


 指を一本立てる。


「一つ。学者の城の名を出すな。存在も匂わせるな」


 二本目。


「二つ。私との接触経路は毎回こちらが指定する。君たちから来るな」


 三本目。


「三つ。次の情報公開は私が組んだ順序で行え。変更する場合は、事前に理由を出せ」


 鈴木が小声で言う。


「完全に上からじゃねえか」


 慧悟は聞こえていた。


「上下ではない。機能分担だ」


「やっぱ腹立つな」


 砕耀は少し考え、頷いた。


「飲む」


 久夜が砕耀を見る。


「いいのかよ」


「こいつが必要だ」


「信用できねえ」


「信用はしない。使う」


 慧悟がわずかに眉を動かした。


「その認識でいい」


 砕耀は笑う。


「お互い様だ」


   ◇


 慧悟は小さな記録片を取り出し、砕耀へ渡した。


 砕耀は受け取る前に一瞬止まる。


「罠か?」


「罠なら渡す必要がない」


「まあ、そうか」


 記録片には、短い設計図のようなものが入っていた。


 情報公開の順序。

 拡散経路。

 偽の否定反応を誘発するための文面。

 第三者検証を呼び込むための数値断片。

 総流社が削除した時に逆に疑惑が増す配置。


 砕耀は目を通し、息を吐いた。


「これを今ここで作ったのか?」


「来る前に八割。君たちの反応を見て二割修正した」


「化け物かよ」


「違う」


 慧悟は淡々と答えた。


「学者だ」


 久夜は記録片を覗いたが、ほとんど理解できなかった。


 ただ、一つだけ分かった。


 この男は戦えない。


 剣も振れない。


 銃も持っていない。


 たぶん、久夜が本気で踏み込めば一秒で殺せる。


 それなのに、この場にいる全員が、最初から最後まで慧悟に動かされていた。


 それが、黎明の星。


 久夜の知っている星とは違う。


 死蝕の星のような恐怖ではない。

 光年の星のような遠さでもない。

 災焔の星のような圧倒的な熱でもない。


 この男は、夜明けそのものではない。


 夜明けが来る前に、闇の形を測る者だった。


 慧悟は出口へ向かう。


「待て」


 久夜が呼び止めた。


 慧悟は振り返らない。


「何だ」


「お前は、俺たちが総流社を落とせると思ってるのか」


 少しだけ沈黙があった。


 慧悟は答えた。


「落とすだけなら可能だ」


「だけなら?」


「落とした後に何が崩れるか、君たちはまだ理解していない」


 久夜は何も言えなかった。


 慧悟は続ける。


「血管を切れば、毒も止まる。だが、血も止まる。総流社を壊すなら、代わりに何を流すかを考えろ」


「俺たちは政治家じゃねえ」


「なら、政治をする者を殺すな。残す者を選べ」


 久夜の眉が動く。


「どういう意味だ」


「今は不要だ」


 慧悟はまたそれだけ言った。


 黒髪が、天文台の薄暗い光の中で揺れる。


「最後に一つ」


 慧悟は出口の前で足を止めた。


「偶愛の星を軽視するな。戦闘能力の有無で危険度を測るな。君たちの周囲で最も深く影響を受けるのは、彼女だ」


 視線はラナへ向いていた。


 ラナは何も言えない。


「彼女の声が君の答えになる前に、自分の問いを持て」


 それだけ言い残し、慧悟は天文台を出た。


 追おうとした久夜の足が止まる。


 どうせ追っても、また読まれている。


 そう思ってしまった自分に、久夜はさらに腹が立った。


   ◇


 慧悟が去った後、しばらく誰も話さなかった。


 鈴木が最初に口を開く。


「何なんだよ、あいつ」


 梟が静かに答える。


「星」


「いや、そうだけどよ」


 砕耀は記録片を握っていた。


 その顔には、疲労と苛立ちと、ほんの少しの興奮が混じっている。


「使える」


 砕耀は言った。


「ムカつくが、使える」


 久夜は天文台の外を見る。


 街の明かりが遠くに見える。


 地上の夜。


 星の見えない空。


 その下で、総流社の血管がまだ動いている。


「次は数字か」


「ああ」


 砕耀は記録片をしまう。


「未分類人型荷物で感情を刺した。次は、否定する奴らに調べさせる」


「総流社を信じてる奴ほど、こっちの証拠を掘るわけか」


「そういうことだ」


 ラナは黙っていた。


 久夜が声をかける。


「ラナ」


「……私、自分の問いって何か分からない」


「今すぐ分かる必要はねえだろ」


「でも、分からないと、またあの人の声を聞いちゃう気がする」


 久夜は少し考えた。


 うまい言葉は出てこない。


 慧悟のように、相手の空白を正確に言い当てることもできない。


 砕耀のように、戦いの形へ変えることもできない。


 だから、久夜は自分の言葉で言った。


「じゃあ、聞いてもいい」


 ラナが顔を上げる。


「いいの?」


「ああ。でも、最後に決めるのはお前だ」


 ラナは少しだけ目を伏せた。


 そして、小さく頷いた。


 天文台を出ると、地上の街に大型ビジョンが見えた。


 遠くでチセラの広告が流れている。


 声はここまで届かない。


 だが、ラナは一瞬だけそちらを見た。


 それから、ゆっくり目を逸らした。


   ◇


 同じ頃。


 地上の複数の小さな掲示板に、第二弾の情報が流れ始めていた。


 総流社配送遅延ログ。

 地域別薬品在庫の欠損。

 特定区域に集中する不可解な代替配送。

 そして、第一弾で出た未分類人型荷物との、まだ明示されない接点。


 それは派手ではなかった。


 誰かを怒らせる言葉でもない。


 ただの数字だった。


 だが、その数字は、否定したい者ほど見てしまう形で置かれていた。


 総流社を信じる者が言った。


「こんなの偶然だ」


 別の誰かが言った。


「じゃあ、計算してみよう」


 火種は、煙に変わり始めた。


 総流社はまだ燃えていない。


 けれど、血管の奥で、確かに熱が生まれていた。


 黎明の星は語らない。


 ただ、夜がどの方向から薄くなるのかを、誰よりも先に知っている。

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