定着
ドアを閉めると、外の気配が遮断された。
室内はいつも通り静かで、どこか現実感が薄い。ついさっきまで感じていた違和感が、嘘のように引いていく。
剣也は靴を脱ぎながら、小さく息を吐いた。
「……一旦、落ち着いたか。」
リアはリビングの中央で立ち止まり、目を閉じる。
数秒の沈黙。
やがて、ゆっくりと目を開いた。
「外部からの干渉は検知されない。この空間は正常。」
「結界、ちゃんと機能してるな。」
剣也はそう言って、ソファに腰を下ろした。
セレスティアから支給されたこの部屋には、簡易的な霊的遮断機構が組み込まれている。完全ではないが、少なくとも“外からの侵入”を防ぐ程度の効果はある。
リアはキッチンへ向かい、いつもの動作で湯を沸かし始めた。
その一連の動きに、無駄はない。
だが同時に、人間的な自然さも備わっている。
剣也はその背中を眺めながら、ぼんやりと考えた。
(……兵器、なんだよな。)
そう思っても、違和感がある。
戦闘中の冷徹な判断力と、こうして日常をこなす姿。その落差が、未だに完全には飲み込めていない。
「剣也。」
リアの声で、思考が途切れる。
「なに?」
「暁から、追加データ。」
「早いな。」
リアはテーブルに小型端末を投影した。
空中に、淡い光のパネルが展開される。
そこには、白羽市の簡易マップと、いくつものマーカーが表示されていた。
「……これ全部か。」
剣也の表情がわずかに引き締まる。
マーカーは市内各所に散らばっている。しかも、どれも均一ではない。
「反応強度にばらつきがある。完全に同期してるわけじゃない。」
リアが淡々と説明する。
「中心点も存在しない。発生源不明。」
「厄介すぎるな……」
剣也は前のめりになり、画面を睨んだ。
「これ、どういう状態なんだ?」
リアは一瞬だけ思考を巡らせる。
「仮説になるけど――」
わずかに間を置く。
「“向こう側”との境界が、局所的に薄くなっている可能性。」
「境界の劣化か。」
「もしくは、“こちら側に定着しようとしている”動き。」
その言葉に、剣也は眉をひそめた。
「定着って……この世界に居座るってことか?」
「そうなる。」
リアの答えは簡潔だった。
剣也はソファにもたれ、天井を見上げる。
「最悪だな。」
霊災は本来、一時的な干渉現象だ。排除すれば消える。だが、もし“定着”が起きるなら話は別だ。
「消えない敵が増えるってことだろ。」
「……はい。」
短い肯定。
それだけで十分だった。
部屋の中に、重い沈黙が落ちる。
やがて、湯の沸く音が小さく響いた。
リアはカップに紅茶を注ぎ、テーブルへ置く。
「どうぞ。」
「ありがと。」
剣也はそれを受け取り、一口飲んだ。
温かさが、わずかに緊張を緩める。
「なあ、リア。」
「なに?」
「お前、“定着したやつ”って見たことあるか?」
リアは少しだけ視線を落とした。
その仕草は、ほんのわずかに“人間的”だった。
「……ある。」
「やっぱりか。」
「ただし、数は少ない。連合のデータでも、事例は限定的。」
「そいつら、どうなった。」
剣也の問いに、リアは一瞬だけ沈黙する。
そして――
「完全排除には、通常の数倍の出力が必要だった。」
それは、ほぼ答えだった。
剣也は苦笑する。
「つまり、めちゃくちゃ面倒ってことだな。」
「そうなる。」
リアは否定しない。
そのまま、静かに言葉を続ける。
「でも、剣也。」
「ん?」
「あなたとなら、対処可能。」
その言い方は、あまりにも淡々としていた。
励ましでも、感情でもない。
ただの“事実”としての評価。
剣也は少しだけ肩をすくめる。
「随分と買ってくれてるな。」
「データに基づいた判断。」
「はいはい。」
軽く流しながらも、その言葉は嫌いではなかった。
ふと、剣也は思い出したように口を開く。
「そういや、さっきさ。」
「うん。」
「家の前で、一瞬だけ違和感あったんだよな。」
リアの視線がわずかに鋭くなる。
「詳細を。」
「ほんと一瞬。気配ってほどでもないけど……なんか見られてる感じ。」
リアはすぐに立ち上がり、窓の方へ歩く。
カーテンをわずかに開き、外を確認する。
夜の住宅街。
街灯の光。
異常は、見えない。
だが――
「……観測できない。」
リアは小さく呟いた。
「でも、何もないとは言い切れない。」
その言葉に、剣也は立ち上がる。
「中に入ってきてる可能性は?」
「現時点では低い。ただし――」
リアは振り返る。
「“境界が近い”状態では、例外が起きる可能性がある。」
剣也は数秒だけ考え、やがて小さく頷いた。
「今日は警戒だけしとくか。」
「了解。」
部屋の照明が、わずかに落とされる。
戦闘ではない。
だが、完全な日常でもない。
その中間の、曖昧な緊張。
窓の外では、夜が静かに広がっている。
その闇の奥で――
“何か”が、確かにこちらを見ていた。
だがそれを、確認する術はまだない。




