第4回:お天気若返り夫婦、胃袋から難民を制圧する
「な、なんだこの小娘は……。何をわけのわからんことを喚いておる……!」
先頭に立っていた剥き出しの肉体の大男が、呆然とした声を漏らした。振り上げられていた錆びた鍬は、いつの間にかみのりの小さな手に握られている。男だけでなく、周囲を囲む黄色い頭巾の群れ全員が、毒気を抜かれたように動きを止めていた。目の前にいるのは、怯えて命乞いをする生贄ではない。自分たちの生業である農業について、凄まじい迫力でダメ出しをしてくる奇妙な少女なのだ。
「わけのわからんことじゃないわよ! あんたたち、飢えて死にそうだからって、ただ暴れて奪えば解決すると思ってるの!?」
みのりは泥まみれのクワを地面に突き立てたまま、一歩も引かずに大男を睨みつけた。心臓はまだ、破裂しそうなほどバクバクと脈打っている。それでも、中身が五十代の主婦であるみのりの脳は、一度スイッチが入ると止まらない。
「土が死んでたら、いくら奪い合っても何も生まれないの! たくみ、ちょっとそこにある枯れ葉と土の様子を見て!」
「あ、ああ……! 待ってくれ、この寒さとカチカチの地面……」
背後で、たくみが青ざめた顔のまま、必死に自分の頭を叩いていた。
(元々はただのしがない歴史好きなおじさんだった俺だけど、この狂気の暴徒からみのりを守るためには、マーケターとして培った人間心理の誘導術と、脳内の歴史オタクハードディスクをフル回転させるしかない……!)
たくみはガタガタと震える膝を必死に抑え、ゆっくりと男たちの前に歩み出た。
彼ら農民には、高度な技術も文化も知識もない。ただ「なぜか作物が実らない」「いくら耕しても飢える」という不都合な結果の連続の前に、原因の分からない絶望と、正体の見えない天の呪いのような恐怖に怯え、それが伝染して狂暴化しているだけなのだ。
たくみは男たちの怯えを逆手に取るように、静かに、しかし深く響く声で語りかけた。
「みんな、聞いてくれ。君たちが悪いんじゃない。天の巡りが変わり、冷たい不作の呪いが満ち始めているんだ。この原因の分からない恐怖に負けて、お互いに奪い合っても、全員が飢え死にするだけなんだよ……!」
「天の、呪い……?」
大男が、かすれた声で呟いた。彼らの心に蔓延していた「得体の知れない不都合への恐怖」を、この見知らぬ少年がズバリと言葉にしたことで、男たちの間に激しい動揺が走った。結果だけを恐れていた彼らにとって、それは初めて提示された「理由」だったからだ。
「そうよ! でも呪いなんかじゃない、ただ土が冷えて痛んでるだけ! ほら、そこに生い茂ってる雑草! それを今すぐ刈り取って燃やしなさい! 灰を作って土に混ぜるのよ!」
みのりが叫ぶと同時に、肩に懐いている茶白の子猫、きなこが『みのり、ボクの鎖が少し軽くなったニャ! その調子でこの世界のバグをハックするニャ!』と鳴いた。民の恐怖を和らげる行動が、時空のパッチになっているのだ。
みのりの主婦の知恵が、極限状態で冴え渡る。男たちを動かし、集めさせた雑草を燃やして「草木灰」を作らせた。それを凍った土壌に次々と混ぜ込ませる。アルカリ性の灰が、長雨と冷気で酸性に傾いた死土を急速に中和していく。
さらに、みのりは畑の隅で、冷害のせいで不揃いに自生し、今にも枯れ果てそうになっていた野生の菜っ葉(アブラナ科の古来種)の残骸を鋭く見つけ出した。これを中和した温かい土壌に植え替えさせ、周囲の藁やボロ切れを集めさせて畑全体を覆う「即席の保温マルチ(べたがけ構造)」を完成させた。
「これで、天の寒さから苗を守るの。しっかり見張ってなさい!」
だが、本当の地獄はここからだった。
「おい、いくら何でもこれが増えるまで十日はかかるぞ」とたくみが顔を寄せた。飢餓状態の人間にとって、十日は永遠にも等しい絶望の時間だ。今ここで彼らの胃袋を満たさなければ、苗が育つ前にふたりは貪り食われてしまう。
「たくみ、歴史の知識を絞り出して! 冷害で穀物が全滅したこの荒地で、今すぐ口に入る『救荒植物』は何!?」
みのりの必死の要求に、たくみの目が鋭く光った。
「――泥の中だ! 荒地の泥の奥深くに、野生の『葛』の根が眠っているはずだ! 穀物は寒さで死んでも、地中の巨大な葛の根の澱粉は生きている!」
たくみは男たちを率い、凍った泥を必死に掘り返させた。現れたのは、木のように巨大な葛の根だった。そのままでは繊維が硬くて食えないが、みのりの主婦の知恵が爆発する。根を石で叩き潰して水に晒し、アクを抜いて澱粉質だけを抽出したのだ。これを土鍋で煮詰め、即席の、とろみのついた「葛練り(くずねり)」を作り上げた。
さらに、みのりは蘇生中の菜っ葉から、成長の邪魔になる外側の硬い下葉だけを、株を殺さないように丁寧に間引いて切り落とした。芽を食べたら次が生えない。だからこそ、下葉だけを細かく刻み、熱々の葛スープの具として放り込んだのだ。
「さあ、これを食べなさい!」
差し出された熱いスープを、大男は貪るように喉に流し込んだ。硬い下葉の苦味と、お腹を膨ませる葛の温かさが、男たちの萎びきった胃袋と、凍えていた魂を内側から猛烈に満たしていく。男たちの目から、狂気が消え、ボロボロと大粒の涙が溢れ落ちた。
「温かい……。天の呪いの中で、こんな温かい汁が食えるなんて……」
大男は、汁椀を抱え込んだまま、地面にドサリと膝をついた。そして、生まれて初めて「原因の分からない恐怖」から自分たちを救ってくれたふたりを仰ぎ見た。
「……俺の、俺たちの負けだ。俺の名は、張大。生まれた故郷の村を冷害で追われ、流民になった。あんたたち、一体何者なんだ……?」
男が、初めて己の人間としての名を明かした瞬間だった。
みのりは一歩前に出だし、肩のきなこを安心させるように撫なでながら、真っ直ぐに男を見つめた。
「私はみのり。こっちは夫の、たくみ。ただの、旅の夫婦よ」
冷酷な乱世の凍土で、現代の知識と主婦の知恵が、初めて飢えた暴徒との間に人間としての絆を繋ぎ止めた。しかし、この限界集落だけで餓死者が消え、不作の呪いを跳ね返したという奇跡は、周囲の村々へ向かって「お天気をハックする神童夫婦」の噂として、爆発的に広がり始めようとしていた。




