第15回:ぬくぬく温床の伝授と、実りの聖女
二元政治という役割分担の仕組みがカチリと整い、肩の荷を下ろした卑弥呼が小さく息を吐いたのも束の間、みのりは待ってましたとばかりにクワを力強く担ぎ直した。
「さあ、お姉ちゃんもお兄ちゃんも、お腹がいっぱいになったら次は体を動かすわよ! お天気に文句を言って引きこもる前に、まずは冬を越すための『お野菜のぬくぬく温床』をここに作っちゃいましょう!」
みのりの視線の先にあるのは、たくみが設計したあの大掘割のおかげで、どうにか泥水が引いたばかりの湿地の一角であった。水は捌けたものの、古墳寒冷期の冷たい長雨に晒され続けた土壌は完全に冷え切り、どす黒く酸性化が進んでいる。このままでは、ただでさえ貴重な種をどれだけ大切に蒔いたところで、瑞々しい根を張る前にすべて腐ってしまうのは、ベランダ菜園の過酷な環境を知る主婦の目には火を見るより明らかであった。
「卑弥呼さん、あなたの村の周りにある藁と、それから馬や鹿の糞、それから竈の底に溜まっている草木灰を山ほど集めさせてちょうだい!」
「わ、藁と……獣の糞、ですか?」
天の声を聴く高貴な神子に向かって、事も無げに糞を集めろと言い放つみのりの調子に、卑弥呼は目を丸くして硬直した。周囲の長たちも「神聖なる神子の前でなんという不浄なものを」と一瞬ざわついたが、みのりの職人のような一切の迷いのない眼光に押され、卑弥呼の弟が真っ先に「皆の者、神童の言葉だ! 動くのだ!」と声を張り上げた。二人に命を救われ、大掘割の作業を共にしてきた両村の民たちも、今や一人の脱落者も出さずに手際よく、本来なら顧みられないはずの廃材をかき集めてくる。
たくみは18歳の少年らしい身軽さで周囲の弥生人たちを誘導し、みのりが提唱する農業インフラの仕組みを、現代の気候データと土壌学の知見からわかりやすく噛み砕いて解説し、彼らの不安を解消していった。
「皆さん、よく見ていてください。冷害の泥水にさらされたこの土地の土は、いわば元気を失って『酸っぱく』なっているんです。そこに、この竈の灰を混ぜ込むことで、土の酸っぱさを中和して、元の元気な土に戻してあげるんですよ。そして、深い溝を掘るのには理由があります」
たくみの言葉通り、みのりは民たちに掘り起こさせた深い溝の中に、集められた藁と糞を交互に重ね、何十人もの民たちの足でしっかりと踏み固めさせた。さらにそこに適度な水を撒き、仕上げに草木灰をたっぷりと混ぜた泥土を厚く被せていく。華北の劉大発の庭園でも実践した、微生物の力で発酵熱を生み出す「醸熱温床」の弥生編ハックであった。
作業を始めてからわずか数時間後、冷たい霧雨がそぼ降る広場に、誰もが言葉を失う驚愕の光景が広がった。完成したばかりの長い畝の表面から、ぽっぽと白い湯気が力強く立ち上り始めたのである。
「土から、湯気が……!? 温かい……本当に土の中に、天のお天道様が隠れているようじゃ!」
卑弥呼の弟が驚愕して畝に直接手を触れ、叫んだ。冷害による寒さでガタガタと震えていた弥生人たちが、次々と畝の周りに集まり、その土の温もりに驚きながら、次第にその顔を驚きから喜びへとほころばせていく。
みのりはそのぬくぬく温床の温かい土床に、冷害の泥水でも力強く根を張る耐寒性の高いセリや、野生の冬菜の種を丁寧に等間隔で並べていった。
「いい? お天気は人間の力で勝手に変えられないけれど、土の温度はこうやって人間の知恵でハックできるの。これなら冷たい雨が降っても、お野菜たちは凍えずに爆速で育つわ。お米だけに頼らなくても、この温床があれば冬の間の蓄えは十分に作れるからね」
みのりが優しく語りかけると、卑弥呼はその温かい湯気を見つめながら、ぽろぽろと大粒の涙を流した。天候不順の恐怖と孤独から自分の心を救ってくれた神童夫婦が、今度は民の飢えを根本から防ぐ「地続きの答え」を、目に見える奇跡として目の前で見せてくれたのだ。
「お二人は……真の、実りの聖女様と、神童の少年にございますね……」
卑弥呼が深く頭を下げると、周囲の長たちも、もはや二人を力ずくで自分たちの村に囲い込もうなどという浅ましい野心を完全に忘れ、圧倒的な畏怖と感謝の念を抱いてその場に平伏した。
その瞬間、みのりの肩の上で「これでみんな冬を越せるニャ!」ときなこが誇らしげに鳴き、足元の玄も「ふん、我が干し菜の技術に続き、温床のインフラまでも伝授するとはな。この地の民は果報者だぞ」と自慢げに喉を鳴らした。
きなこの前脚を縛る光の鎖が、また一本、美しい粒子となってパチパチと霧散していく。
しかし、邪馬台国連合がこの驚異的な農業インフラによって急速に団結し、安定へと向かう様子を、海の彼方や山陰の暗がりから、快く思わずに見つめる「次の環境ストレスの脅威」が、静かにその鎌首をもたげようとしていた。




