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第16回:環濠の夜襲と、大いなる交易の芽生え

 邪馬台国(やまたいこく)連合に広まった醸熱(じょうねつ)温床(おんしょう)の知恵は、冷害(れいがい)に震える列島(れっとう)に劇的な変化をもたらしていた。しかし、その奇跡的な豊かさは、環境ストレスによって限界を迎えていた周辺の部族にとって、抗いがたい強奪の標的ともなったのである。


 ある嵐の夜、長雨の音に紛れて、南方の不穏な部族――のちに狗奴国(くなこく)と呼ばれるようになる勢力の兵たちが静かに闇から這い出してきた。彼らの狙いは単なる米ではない。この極寒の中でも爆速で耐寒野菜を実らせる農業インフラの核――すなわち、各村に備蓄された発酵用の藁(わら)と貴重な肥料(じゅうふん)、あるいは草木灰(そうもくばい)の強奪であった。


 彼らもまた、寒冷化によって飢餓の極限に達しており、邪馬台国のインフラを奪わねば部族が滅ぶという、のっぴきならない生存戦略の果ての略奪であった。


「あっちの村に行けば、凍えずに腹いっぱい食えるお宝があるぞ!」


 青銅の剣を掲げた狂暴な兵たちが、高床式(たかゆかしき)倉庫のインフラへと肉薄する。だが、彼らの前に立ちはだかったのは、民たちと掘り進めた、あの深くて太い大掘割(おおほりわり)であった。


「な、なんだこの大溝は……!? 泥水が深くて進めぬ!」


 闇夜の泥の海に阻まれ、押し寄せた兵たちが足を捕られて大混乱に陥る。その瞬間、高床式倉庫の屋根から黒猫の玄(げん)が「ふん、夜目が利かぬ愚か者どもめ」とばかりに鋭く鳴き声を上げた。それを合図に、卑弥呼(ひみこ)の弟が率いる邪馬台国の防衛隊が一斉に松明(たいまつ)を掲げ、大掘割を盾にして矢を射掛けた。


 かつて水害の象徴だった泥の海は、地政学ハックによって、外敵を寄せ付けない完璧な環濠(かんごう)へと昇華されていたのである。足場を失った兵たちは、命からがら闇の向こうへと退散していった。


 防衛には成功した。民たちが歓声を上げる中、たくみだけは、退がっていく軍勢を見つめながら、脳内ハードディスクに走る不穏な未来データに冷や汗を流していた。


(間違いない、ここから邪馬台国と狗奴国の終わらない因縁が始まるんだ。この世界の理たる寒冷期が続く限り、いずれ数十年後、彼らはさらに狂暴化して邪馬台国を破滅に追い込み、卑弥呼を死に追いやる。その最悪の未来を、僕たちの気候ハックの仕組みで書き換えることはできないか……!?)


 血で血を洗う乱世の崩壊を食い止めるため、たくみは密かに奔走(ほんそう)し始める。


 翌朝、たくみはみのりと共に、大掘割の管理を進めながら、ある大人な交渉の青写真を民たちに提示した。それは、みのりが主導した特製どんぐり醤餅(ひしおもち)や、温床で収穫された瑞々しい温床野菜の余剰生産を、大掘割の水路を使って敵対する周辺の部族へと次々に届ける、大々的な交易の開始であった。


「これだけお野菜と醤餅が余ったんだから、腐らせちゃったらもったいないでしょ。交易のルートを広げて、困っている敵の村にも美味しいものを分けてあげれば、お互いにリスクを分散して支え合える。奪い合うメリットより、繋がるメリットを大きくしちゃうのよ」


 みのりは快活にそう笑い、たくみもその言葉に深く頷いた。


 奪いに来た敵にさえ、仕組みの繋がりで食料を融通し、経済的な依存関係を結ばせる。武力による制圧ではなく、インフラの共有で境界の壁を溶かしていくこの構造ハックこそが、たくみが未来の悲劇を回避するために仕掛けた、命懸けの地続きの答えであった。


 この大掘割の経済ネットワークが回り始めてから、数ヶ月の月日が流れていた。


 長雨はいまだ断続的に続いていたが、インフラが安定したことで民の心からパニックは消え去り、邪馬台国連合はのちの巨大国家へと脱皮する確かな基盤を固めつつあった。


 たくみは、大掘割の土手で日向ぼっこをしながら、ふっと空を見上げ、独り言のように呟いた。


「これだけ人手と食料が余るなら、その有り余ったエネルギーを次の戦争に使わせちゃ駄目だ。……ねえ、みのり。みんなの力を合わせて、天への感謝を示すための、とてつもなく巨大な盛り土(古墳)でも作ったらどうかな?」


「いいじゃんそれ! たくみ、また面白そうな公共事業を思いついたね」


 みのりはクワを軽快に地面に突き刺すと、弾けるような笑顔でたくみを振り返った。たくみは、これ以上の争いを防ぎ、民の力を一つにまとめるための壮大なアイデアの青写真を、脳内で描き始めるのだった。

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