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第13回:泥の海の地政学と、影から現れた神子(みこ)

 『お天気ハック! 泥の海を吹き飛ばす特製どんぐり醤餅(ひしおもち)』が、いがみ合っていた二つの村の頑なな心を溶かしてから、すでに数十日の時が流れていた。


 長雨はいまだ断続的に続いていたが、たくみが地面に枝で描いたあの地政学ハック――水を一箇所に集めるための深くて太い「大掘割(おおほりわり)」の泥土作業は、両村の大人たちがひとつの運命共同体となって驚くべき速さで進められていた。水害を逆手に取り、湿地の中にいくつも築かれた一段高い「高畝(たかうね)」の畑は、長雨による根腐れを防ぐ天然のインフラとして機能し始めていた。


 たくみは、その大掘割の進捗を18歳の少年の体で眺めながら、歴史オタクとしての脳内ハードディスクを急速に回転させ、周囲の弥生人たちに穏やかに語りかけた。


「みんな、この数十日で掘り進めた大掘割のおかげで、溢れた水が綺麗に逃げるようになったね。これからは平地の水田だけに頼る必要はないんだ。この仕組みを作れば、水利を奪い合う必要もなくなるし、泥の海がそのまま村を守る盾、つまり『環濠(かんごう)』になるんだよ」


「凄え……本当に戦わずに、隣村の連中とも一緒に生き残れるようになっただ!」


 クワを握る大人たちが一斉に歓声を上げる。水を無理に排除するのではなく、あえて深い水路として引き込み、外敵を防ぐ防衛ラインに変えるたくみの鮮やかな呟きは、民の心を完全に掴んでいた。


 しかし、この「どんぐりの奇跡」と「泥の海を制する掘割の知恵」の噂は、数週間のうちに周辺の地域へと口コミでバズり、完全に拡散してしまっていた。


 この日、たくみの計画通りに大掘割の作業が進む環濠の境界に、水色の見事な大珠(たいしゅ)を首に下げた、いかにも権力者然とした大人たちが、武装した護衛を伴って次々と姿を現した。それは、邪馬台国連合に属する、周辺の有力な村々の長(おさ)たちであった。


「この地に、天の理を書き換える神童夫婦がいると聞いた。我が村に来い。お前たちの望むだけの米と絹を与えよう」


「いや、我が国へ来てもらおう。逆らうならば、力ずくでも――」


 有力者たちがギラついた欲望を剥き出しにし、二人を我が物顔で囲い込もうと一歩を踏み出す。


(うわ、やっぱりロックオンされた! 数十日もあればこれだけ噂が広がるか……。権力者のお抱えの知恵者になったら、それこそ倭国大乱の主戦場に強制連行されるじゃん!)


 たくみは内心で血の気が引くのを感じ、本能的に一歩引きながら、みのりの背後に隠れようとした。有名人を避けて静かに庶民を救いたい二人にとって、この囲い込みの圧力は最大の危機であった。


 だが、その張り詰めた大人の政治的空間を、高床式倉庫の暗い床下から響いた、一筋の小さな衣擦れの音と、か細いクシャミの音が完全にぶち壊した。


「……くちゅん」


 すべての者が視線を向けた先。鬱蒼とした倉庫の影から、ひょっこりと姿を現したのは、泥と灰でひどく汚れた衣服をまとった、10代半ばの華奢な少女であった。


 その少女は、あまりにも大きな有力者たちの怒号と、抜き払われた青銅の剣の冷たい光に、身を震わせてボロボロと大粒の涙を流していた。両手で頭を抱え、今にも消え入りそうな声でガタガタと震えている。


「ごめんなさい……ごめんなさい……っ。私が、天の声を正しく聴けなかったから……雨が止まないの……。私が、みんなを飢えさせているの……っ」


 少女のその言葉を聞いた瞬間、周囲の有力者たちが一斉に息を呑み、さっと色めき立った。


「まさか……あの、国邑(こくゆう)に引きこもっていた、天の声を聴くという神子(みこ)か!?」

 その言葉が耳に飛び込んできた瞬間、たくみの脳内ハードディスクが歓喜と戦慄で爆発した。


(間違いない……! 孤独と天候不順の責任を一身に背負わされ、引きこもって怯えているこの女の子が――のちの邪馬台国の女王、生・卑弥呼(ひみこ)だ!)


 未来の女王が目の前で泣きじゃくる中、みのりは大物の登場などどこ吹く風で、トコトコと少女の前に歩み寄ると、完全に実家のリビングのトーンでその小さな肩を優しく抱き寄せた。


「あらあら、神子さんだか卑弥呼さんだか知らないけれど、こんなに体を冷やしちゃって。お天気が悪いのはあなたのせいじゃないわよ。ほら、ちょうど今、大掘割の湿地で採れた野生のセリと野草を、貴重なお米と混ぜ込んで作った『特製のお粥(かゆ)』が温め直してあるから、上がってこれ食べなさいな」


 それは、この数十日の間に、みのりが過酷な低湿地環境をハックして自生させた耐寒性植物の知恵の結晶であった。冷害の泥水でも力強く育つセリの瑞々しい苦味と、優しく炊かれたお粥の温かさが、土器からほかほかと湯気を立てている。


 みのりの膝の上できなこが「お姉ちゃん、怖くないニャ! 温かいお粥を食べるニャ!」と優しく鳴き、玄も泥の乾いた草の上に座り直して「ふん、我が主の作った極上の粥だ、泣く暇があるなら胃の腑に入れろだな」とクールに尻尾を振った。


 数十日の月日を経て進化したみのりの新たな胃袋ハックの前に、権力者たちの囲い込みの企みも、倭国大乱の殺気も、再びぐにゃりと調子を狂わされていくのだった。

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