第12回:猫の連携プレーと、どんぐりアク抜きハック
みのりの一喝によって静まり返った高床式倉庫の敷地に、にわかに殺気立った怒号が近づいてきた。長雨に煙る泥の海の向こうから、木盾を構え、石割の槍や弓矢を手にした隣村の男たちが押し寄せてきたのである。
「おい! 高台の水を堰き止めたのはお前たちの村だな! 米が獲れぬなら、水利もろともそっちの備蓄を分捕ってやる!」
一触即発の危機。両村の大人たちが血走った目で武器を握り直したその瞬間、張り詰めた空気を完全に無視して、二匹の四足歩行が泥の境目にトコトコと躍り出た。
茶白子猫のきなこと、黒猫の玄である。
きなこが男たちの目の前でコロンと仰向けになり、無防備なピンク色の肉球を見せて「そんなに怒っちゃダメニャ~」と甘えた声を上げた。あまりの愛らしさに、隣村の先頭の男が「ぬ、ぬおっ!?」と槍を突き出したまま硬直する。その隙を見逃さず、玄が男の背後の高床式倉庫の柱へと目にも留まらぬ速さで駆け上がり、鋭い爪でリズミカルに木肌を引っ掻いた。
『タタン、タタタン』
小気味よい音が響くと同時に、玄は柱からきなこの隣へと華麗に着地し、二匹揃ってシンクロするかのように小首を傾げて「にゃあ」と鳴いてみせた。
水害と飢えの恐怖で限界まで尖っていた大人たちの脳が、このあまりにもシュールで完璧な猫の連携プレーを前にして完全にフリーズした。構えられた槍の先が、力なくずるずると下がっていく。
「ふん、我らの見事な陣形に戦意を喪失したな」
「みんなで仲良くするニャ!」
二匹が勝ち誇ったように鳴くのを見て、たくみは内心で大きく拍手を送っていた。緊迫状態にある民衆のパニックを、猫たちの愛嬌という予測不能な要素で一気に緩和させる。これこそが、人間の心理の隙を突く最高のアプローチであった。
完全に毒気を抜かれ、おろおろと立ち尽くす両村の大人たちを見回し、みのりはエプロンを締め直すように腰の麻布をきゅっと結んだ。
「はい、そこまで! 喧嘩はおしまい! どんパチやったって、お腹は膨らまないんだから。お米がダメなら、これよ!」
みのりが懐から取り出して見せたのは、泥まみれの地面に転がっていた、丸々と太った数粒の「どんぐり」であった。
「そんな木の実、渋くてとても食えたもんじゃねえ! 腹を壊すだけだ!」
隣村の先頭に立っていた、顔中に泥を跳ね上げた髭面の巨漢が、吐き捨てるように弓を地面についた。だが、みのりは不敵に微笑んだ。都会のマンションの極狭ベランダで土の成分や悪環境と戦い抜いた主婦にとって、植物の「毒」や「渋」の性質をハックすることなど朝飯前であった。
「ただ食べたらそうでしょうね。でも、知恵を使えば爆速で極上のご馳走に変わるのよ。ほら、両方の村の人たち、武器を置いて籠を持ちなさい! みんなで森へ行ってどんぐりを拾うわよ!」
みのりの圧倒的な母親の調子に気圧され、弥生人たちは気づけば武器を籠に持ち替え、ぞろぞろと森へ向かって歩き始めていた。
森で大量のクヌギやトチのどんぐりを集めさせると、みのりは高床式倉庫の広場に手際よく大きな土器を据え、火を起こさせた。さらに、ただの水ではなく、現地で集めさせた木々の割り木から出た「草木灰」を水にたっぷりと混ぜ込ませた。
「たくみ、すり鉢代わりに平らな石を用意して! みんなは拾ったどんぐりの殻を割って、中身を石で細かく叩き潰してちょうだい!」
「了解、みのり。よし、みんな、これでお米の代わりを作るから手伝って!」
たくみが率先して動き、村人たちも半信半疑ながらどんぐりを砕いていく。
通常、どんぐりの強烈なタンニン(渋み)を抜くには、流水に何日も晒すか、何度も煮こぼす必要があり、飢えに苦しむ民にはその時間がない。しかし、みのりは草木灰の強いアルカリ性を利用し、熱湯の中でタンニンを爆速で中和・溶解させるという現代の化学ハックを仕掛けたのだ。
灰汁を混ぜた熱湯で、砕いたどんぐりを一気に煮立たせる。さらにそれを布で漉して真水ですすぐと、わずか半日のうちに、渋みが完全に抜けた美しい黄金色のどんぐり粉が完成した。
「嘘だろ……あの苦い実が、全く苦くない……!」
先ほどの髭面の巨漢が、恐る恐る粉を指ですくって舌に乗せた瞬間、信じられないものを見たというように目を見開いた。
みのりはその粉に少量の水を混ぜて耳たぶほどの硬さに丸め、平たい団子にすると、熱した平らな石板の上へ手際よく並べた。じゅうじゅうと小気味よい音が響く中、仕上げに取り出したのは、村の倉庫に眠っていた小魚や獣肉を塩漬けにして発酵させた、現地調達の日本古来の調味料「醤」である。みのりはそれを植物の繊維で作った刷毛に浸し、焼き上がる団子の表面へとさっと塗った。
たちまち、水害のどんよりとした空気の中に、醤油にも似た香ばしく甘辛い匂いが爆発的に広がった。集まったすべての弥生人たちの胃袋が、一斉にグウと音を立てる。
「さあ、焼き上がったわよ!名付けて、『お天気ハック! 泥の海を吹き飛ばす特製どんぐり醤餅』! 温かいうちに両方の村で分け合って、お腹いっぱい食べなさいな!」
みのりが高らかに料理の完成をアナウンスすると、お米の全滅に絶望し、先ほどまで殺し合おうとしていた弥生人たちが、今や一つの石板を囲んでどんぐり醤餅を夢中で頬張り、涙を流している。
「美味え……中まで、お天道様の味がするみてえだ……」
先ほどの巨漢も、大きな体をごく小さく丸めながら、熱々の団子を大切そうに味わっていた。胃袋をハックされた両村の間に、地続きの和解の空気が生まれつつあった。
その様子を眺めながら、きなこの前脚の鎖がまた少し、光を放って緩むのをたくみは見逃さなかった。しかし、高床式倉庫のさらに奥、鬱蒼とした木々の影から、この美味なる奇跡をじっと見つめる謎の視線があることに、まだ誰も気づいていなかった。




