第11回:泥の海と、高床式倉庫のリビング
きなこの前脚が放った眩い光の陣が、現代の古民家のリビングを完全に覆い尽くした。
視界が白く染まり、時空が激しく反転する。先ほどまで手にしてたスマートフォンは煙のように消え去り、五十代の年輪を重ねた夫婦の手は、みるみるうちにみずみずしい十代の少年少女のものへと若返っていく。15歳前後のみのりと、18歳前後のたくみ。その二人の足元には、茶白子猫のきなこと、華北から付いてきた黒猫の玄がしっかりと寄り添っていた。
突如として、激しい雨の音と、生温かく湿った泥の臭いが二人の五感を支配した。
視界が開けたとき、そこは平穏な現代の埼玉ではなく、見渡す限りの「泥の海」であった。冷害をもたらす長雨が何日も降り続いており、本来なら青々と茂っているはずの水田は完全に濁流に飲み込まれ、茶色い泥水が不気味に渦巻いている。
「うわっ、冷た……! 想像以上の大水害だな、これは」
たくみが足元を見て顔をしかめた。二人が立っていたのは、地面から高く突き出た何本もの丸太の上に建てられた、巨大な高床式倉庫の軒下であった。周囲には、麻の衣服を身にまとった弥生時代後期の村人たちが大勢、寒さに震えながら避難している。誰もが泥まみれで、水没した我が家の畑を呆然と見つめていた。
「これじゃ、せっかく植えたお米の苗がみんな腐っちゃうわ。冷たい雨がこんなに続いたら、お米なんて獲れるはずがないじゃない」
みのりは肩をすくめ、ベランダ菜園で培った直感で即座に冷害の深刻さを見抜いた。
周囲の村人たちは、突然現れた見慣れぬ衣服の少年少女と二匹の猫に気づき、怯えと警戒の入り混じった視線を向ける。その中の一人、村の長らしき白髭の老人が、絶望に打ちひしがれた声で天を仰いだ。
「ああ、天の神がお怒りじゃ……。今年の米は全滅。これでは冬を越せずに、皆が飢え死にしてしまう。隣の村の者どもは、わずかに残った高台の水利権を奪おうと、すでに石包丁や木盾を構えておるというのに……」
老人の言葉通り、村の大人たちの間には、絶望からくる一触即発の殺気が漂っていた。生き残るためには、隣村から食糧を奪うか、水路を強引に囲い込むしかない。歴史オタクであるたくみの脳内ハードディスクが、一瞬で現状の構造を弾き出した。
(これがのちに『倭国大乱』と呼ばれる、日本史上最初の大規模な内戦の正体だ。地球規模……いや、この世界の理たる大寒冷期が列島を直撃し、米という単一の作物に依存していた弥生社会のシステムが、環境ストレスで完全に崩壊しかけているんだ)
大人たちが武器を手に隣村へ攻め込もうと立ち上がりかけたその時、みのりの主婦としての鋭い声が、緊迫した高床式倉庫の空気をピシャリと引き裂いた。
「ちょっと待ちなさい! お天気が悪くてお米が獲れないからって、どうして人間同士で血を流し合うのよ。お米がダメなら、別のものを食べればいいじゃない!」
可憐な少女の姿からは想像もつかない、あまりにも堂々とした一喝に、弥生人たちは完全に気圧されて動きを止めた。
みのりの膝の上できなこが「そうだニャ! 争ってもお米は増えないニャ!」と元気よく鳴き、玄もまた高床式倉庫の床板を踏み鳴らして「ふん、飢えたくなければ、我が主たちの知恵を拝聴するが良いな」と鋭く喉を鳴らした。
戦乱の足音が迫る泥の海のただ中で、現代の元・熟年夫婦による、列島の危機をハックする新たな戦いが幕を開けようとしていた。




