保養施設
本日、7話同時更新。
この話は2話目です。
瘴地の管理を終えた俺達は、空間魔法で管理小屋に戻り、そのまま中を通って裏手に出た。そこには渡り廊下が伸び、突きあたりには新たに建造した建物が一棟。立派な瓦屋根に“憩いの湯”と書かれた看板を掲げ、引き戸に暖簾をかけた“銭湯”が俺達を待っていた。
「あれが新しく作った公衆浴場です。いや、完全に私的な趣味だから公衆ではないか……」
「以前はなかった扉があるとは思っていましたが、こんなものができていたのですね」
「廊下に沿った植栽も一般的な物とは趣向が異なりますが、落ち着いていて風情がありますな」
「そうでしょう。僕の希望に沿うように、ユーダムさんに仕上げてもらいました」
「あまり胸を張れるようなものじゃないよ。僕のは親父の見よう見まねだからね」
宮廷に勤められるほど腕のいいお父さんの仕事を知っている分、作った本人は納得がいっていないようだけれど、立派なものだと思う。なにせ俺が都度確認や修正依頼をしたとはいえ、ユーダムさんは知識ゼロの状態から日本庭園風の坪庭を作ってしまったのだから。
いつも思うけど、この人は考え方も対応も柔軟なのだ。こちらの技術と植物の知識をそれなりに持ちつつ、拘ることなくこちらで一般的でない庭造りを素直に受け入れてくれた。たった1か月という時間でこの憩いの空間が完成したのは、彼の協力が大きい。
初見の2人に、休みを利用して趣味に振り切った作品をお披露目できたことにも満足感を覚えつつ、引き戸を開けて銭湯に入る。
「準備をしてくるので、ここで少々お待ちください。あっ、靴は脱いでお入りください」
「靴はこちらの靴箱に、代わりにこちらの履物をどうぞ」
「外観からも見て取れましたが、ドラゴニュートの里の建築様式ですな」
「オジゾウ様と同じ……セバス殿は建物にもお詳しいのですね」
「公爵家の執事たるもの、他国の文化もある程度は頭に入れておく必要がありますので。とはいえ実際に見る機会は多くありません。大変珍しゅうございます」
「僕が勝手に手を加えた部分もあるので、本物と一緒ではないですよ。あくまでも参考にしただけなので」
俺は満足しているけど、これを本物と思われるのは困る。比較対象が日本のものであっても、こちらのドラゴニュートの里のものであってもだ。後者は特に、独自発展していてもおかしくない。
それにこの銭湯の内装は昔ながらのものより、所謂“スーパー銭湯”に近い。玄関の先は大広間になっていて、右半分は洋式のソファーや飲み物入りの冷蔵庫置き場。左半分は和風のお座敷にしてある。
お座敷はもちろん畳敷き。今は開け放たれているが、玄関と広間の仕切りには襖。和風の内装を整えるために、手に入る材料を組み合わせて再現した。この2つはドラゴニュートの里出身のアサギさんに見せて、お墨付きを貰えている自信作だ。
「ではごゆっくり。ユーダムさん、しばらくお願いします」
「了解」
2人の対応は任せて、男女の脱衣所を分ける番台に付けた扉から、男湯と女湯の間に位置するボイラー室に入る。ここには大型の竈も備え付けてあるけれど、今日のところは余裕があるから魔法で一気にお湯をタンクに入れて、栓を開ければ準備完了。
「お待たせしました、中へどうぞ」
男湯の暖簾をくぐり脱衣所に足を踏み入れると、初見の2人がまた感想を口にしてくれる。
「これはまた広々とした空間ですな」
「木の香りが心地よい。ですが、これほどふんだんに木材を使っては、湿気で傷んでしまいませんか?」
「ご心配なく。この脱衣所から奥の浴室にかけては、線香のために持てる限り持ってきた放熱樹の余りを使っているので。元々湿度の高い場所に生える木ですから、水気に強いのです。香りもいいですしね。
あっ、タオルや石鹸、お風呂上がりに着る服“浴衣”をこの棚に揃えてありますので、こちらもご自由にどうぞ。
もしくは隣に置いてあるこの箱の中にクリーナースライムが待機しているので、脱いだ服を入れておけば、入浴している間に綺麗にしてくれます。お風呂から上がる頃には、綺麗になった服を着直すこともできますよ」
「至れり尽くせりですな」
興味深そうに周囲を見回しながら2人が入浴の準備を進めるのを見て、俺とユーダムさんも遅れないように準備をする。ちなみに、この国にも公衆浴場や他人と一緒に湯船に浸かる文化はあるため、お2人にも疑問や抵抗はないようで、スムーズに準備が整った。
浴室への扉を開ければ浴槽から立ち上る湯気に伴い、放熱樹の香りが浴室内に満ちている。
理想としていた“檜風呂”にかなり近くて満足だが、
「ちょっと暗くなってきているので、明かりをつけますね」
昼間の採光は天窓からできるが、脱衣所にいた短時間のうちに日が落ちたのだろう。壁に備え付けた明かりの魔法道具を起動して、浴室内を十分な光で満たす。
「これはこれは、また贅沢な」
「個人の所有でこの広さの湯舟は、貴族の屋敷にも多くはないでしょう」
「どうせ作るなら大きなお風呂にしたかったので」
“自宅に大きな檜風呂”って響きがよくないだろうか? マイホームなんて前世では諦めていたけど、一度は理想として考えたことのある人は少なくないはず。俺はそれをここで実現したのだ。
「ささ、体が冷える前に」
ここから先は何も案内するようなことはない、普通に体を洗って湯船を楽しむだけ。
「はぁぁ……体の芯から温まって、極楽ですな。日々の疲れが溶け出していくようです」
「この浴室に漂う木の香りがまた心地よい……線香の香りも放熱樹だと聞いていましたが、焚いた場合とではこうも違うのですね」
放熱樹の香りはリラックス効果も高いようだ。普段は襟を正したお2人が湯船の縁に頭を預け、完全に表情を緩めている。セバスさんは公爵家の執事として気苦労も多そうだし、ローゼンベルグ様に至っては社畜感が漂っていた。
お2人とも、この機会に少しでも疲れを癒やしてもらいたい。
「これだとリョウマ君の指導と理由をつけて、何かと足を運びたくなりますね」
「是非、お好きな時に来てください。その方が僕も呪術について色々と聞きやすいですから」
「おや、また何かやりたいことが?」
「今のところは……線香を利用する実験に成功したので、あれを浄化だけでなく解呪やアンデッド対策にも使えるようにもしたいですね。
1つで全部の効果が得られたら便利ですが、術が混ざっておかしくなる可能性を考慮すると、線香一束につき1つの効果で種類を増やす感じが無難でしょうか?」
「事前に対策をしておくことは大切ですが、そもそも線香とはそんなに便利に使えるものなのですか?」
「線香は穢れを祓い、死者を供養する時に使うものですし、煙を使った術は浄化よりもアンデッド供養の方が習得は先でした。コルミが言うにはアンデッドの体を構成する魔力も“呪いに近い”そうですから、魔力の働きとしては解呪と大きく変わらないと予想しています」
「凄惨な亡くなり方をした人はアンデッドになりやすいと言いますからね。成功までの筋道が見えているのであれば、できるのでしょう」
ゆったりと頷くローゼンベルグ様の声が、浴室全体によく響いた。
「リョウマ君、もし線香の在庫があれば、浄化の線香も売ってもらえませんか? 近々また例の施設に行くことになるので、念のために」
「でしたら今回の残りは全部お譲りしますよ。そんなに量もありませんし、授業料ということで」
「そうですか? ではお言葉に甘えて。
代わりと言うのもなんですが、私が線香を向こうで使えば、欲しがる方が必ず出てきます。その時は余剰分を高値で売るのも良いと思いますよ」
「需要がありますか」
「間違いなく」
さらにローゼンベルグ様は“呪術師は懐が温かい人が多い”と教えてくれる。
「呪いは人の負の感情から生まれるもの。人類が滅亡するか、ありとあらゆる苦難や不幸から解放されない限り、どんな時代でも生まれ続けるものです。我々は仕事に忙殺されることはあっても、仕事がなくなることはないでしょう。
そして呪術師の報酬は基本的に高額です。依頼人に貴族が多かったり、呪術師にとっても依頼人にとっても危険な仕事であったり。ですが、あまりの忙しさから“高額報酬を貰っても使い道がない”という人も多いのです」
「自分の負担を減らすためなら、お金を払う人もいると」
「実際、潤沢な資金で未熟な術師を補助要員として雇い入れる人は結構いますよ。1人1人の力は弱くとも、集団で事に当たれば対処可能なことも多いですからね。若手にとっては収入の確保だけでなく経験にもなるので、推奨されています。
リョウマ君の煙の術は広範囲の浄化に向いていますから、大規模な瘴地の管理にも使えそうですし、ミサンガとは別口でカーシェル公爵家から注文が入るかもしれませんね」
「それは、どうなんでしょうか?」
感謝状は貰ったけど他所の貴族、しかも公爵家。顧客としてはいいかもしれないけど、どう付き合えばいいのかが分からない……というか、呪術師のまとめ役で育成に力を入れていることしか、相手を知らない事実に気づいた。
「今更ですが、カーシェル公爵家とはどんな貴族家なのでしょうか?」
「特徴を挙げるなら、やはり呪術関連に特化した一族であることと、政治的に完全な中立を貫いていることでしょう。
呪いは性質上、昔から権力闘争の場で使われやすく、貴族にとっては強力な武器であると同時に警戒すべき攻撃。敵対する貴族に呪いをかけるにも、敵対貴族の呪いから自分の身を守るためにも、呪術師を求める声はいつの時代も多い。
ここで問題です。もしもどこかの派閥が呪術師の大半を買収し、その力がほぼ独占状態になったとしたら、どうなると思いますか?」
「……間違いなく、相手の派閥が不利になりますね。人手がなければ呪いをかけるにも防ぐにも不利になるので。独占している方のやりたい放題になるかと」
「正解です。カーシェル公爵家は事前に呪術師の大部分を管理することで、そのような事態になることを防ぐ役割を持っています。また、役割のために政治的中立を貫くことを条件として、国からの保障や特権を賜っている一族でもあります。
また、カーシェル公爵家が約定を破って特定の勢力に肩入れしないように、されたとしても致命的な状況は防げるように、祓魔師のまとめ役として“リュミエル公爵家”が存在します」
カーシェル公爵家とリュミエル公爵家。相互監視と協力関係。どちらも教会のような宗教組織に近い側面と、ギルドのような互助組織としての側面を併せ持つ、貴族としては特殊な存在のようだ。
他にも色々と教えてもらい、一般的な貴族の視点としてユーダムさんから、ジャミール公爵家の視点としてセバスさんからも意見を貰うと、最終的に2つの家は“権力はあるけど役割に忠実。悪い噂もなく、縁を結んでおく相手としては安全”という結論に至った。
「カーシェル公爵家に入って働くとかならまだしも、取引をするくらいなら気にしなくていいと思うよ。というか、そろそろ上がらない? このまま話し込んでいると、話に夢中で湯あたりしそうだよ」
「そういえば、どのくらい経ちましたっけ?」
「分かりませんねぇ……」
「あっ、もしかしてローゼンベルグ様、既に」
「いえいえ、そこまでではありませんよ。ただ気分が良くて、眠りそうで……」
「それはそれで危ない」
「私も歳ですし、無理をせず上がるとしましょう」
「入りたければ明日の朝、朝風呂もできますしね」
「それもいいですねぇ……」
ローゼンベルグ様が本格的に眠りそうなので、湯船から誘い出して入浴終了。湯上りの服は皆揃って浴衣を選択し、フロントにあるお座敷で涼むことにした。となればアレが必要だろう。フロントの隅に設置した冷蔵庫から、よく冷えた瓶を4本取り出す。
「皆様、湯上りにはこれをどうぞ」
「冷えた牛乳ですか。いただきます……ああ、火照った体に染み渡る」
「渇いた喉に心地よく流れ込んでいきますな」
「そうでしょう。広いお風呂に入った後は牛乳、これが伝統です」
「オーナーさん今日のためにわざわざ高価な魔法道具を仕入れて、新鮮な牛乳まで調達していたものね……何の伝統かは知らないけど、たしかに美味しい」
新鮮な牛乳の安定供給が難しいため、公衆浴場はあっても風呂上がりの牛乳という文化はないようだけれど、美味しさは伝わる。美味しいと言えば夕食だ。
皆が涼んでいる間に作ってこようとしたところ、セバスさんに呼び止められた。
「お渡しする機会を逃しておりましたが、先日いただいたレシピで製造したレトルト食品の試作品が届いております。製造担当者から味を確かめて欲しいと言われておりますし、これを夕食にしてはいかがでしょうか?」
「もうできていたんですね。もちろんです」
そう遠くないうちにやってくるグレンさんに引き渡すレトルト食品。公爵家で対応するのは2回目以降の取引だが、今のうちから味や品質の確認とフィードバックを行い、万全な状態を整えておくことになっていた。ありがたく使わせてもらおう。
「それからこちらは私的なものですが、よろしければお試しください。ジャミール公爵家の料理長、バッツが監修したレシピで作られたレトルト食品です」
「えっ!? もしかして前に話していたアレまで、もう作ったんですか?」
「私から旦那様とバッツに話をしたところ“実に面白い”とのことで、試験的に。バッツが言うには、以前リョウマ様から好評を得たスープも入っているそうです」
「それは嬉しい! けど、どのスープだろう……何度もお世話になっているし、毎回美味しいからなぁ……」
「辛みの強いスープだと聞いています。他者との食事に供すのであれば、気を付けるようにとも言っていました」
「! あの激辛スープでしたか」
貴族のパーティ用の料理を味見させてもらった時の一皿だ。俺は前世で激辛料理にも慣れていたけど、あれは確かに注意が必要だろう。これは一人で、ありがたくいただくことにする。
お座敷用のテーブルの上に魔法道具のコンロと鍋でレトルトを温め……待ち時間の間にもう1つ、こちらからもいい物を提供しよう。
再び冷蔵庫に向かい、キンキンに冷えたグラスと瓶を2本回収。テーブルに戻ってグラスに瓶の中身を注ぐと、薄い金色に輝く液体で満たされる。
「グルートビールというお酒がありますが、飲まれますか? ミサンガの仕事のお礼にと教会から貰った物で、今年収穫できたばかりの材料を使った初物だそうです。今回初めて飲みましたけど、美味しかったですよ」
「教会のお酒ですか、それも初物とは縁起がいい。ありがたくいただきます」
「私も御相伴に与ります」
「僕も一杯貰うよ」
「どうぞどうぞ。皆さん今日もお疲れ様でした。乾杯!」
一口飲むと、麦の甘味と僅かな酸味。ただし嫌な酸味ではなく、ほのかにハーブの香りも漂っている。炭酸も弱いので飲みやすく、スルスルと飲めてしまう。ビールよりもジュースを混ぜたカクテルに近い気がするが、これはこれで美味しいものだ。ぬるくなってくると香りが開いて、味が変わるのも面白い。
前世の歴史的にも教会では酒造が行われていたらしいが、この世界でも同様。酒の神としても崇められているテクンがいることもあって、お酒作りは聖職者の修行の一環であり、寄付と並ぶ教会の収入源。ローゼンベルグ様が言っていたように、縁起物としての付加価値もついている。
「3日後に前々から誘われていた会合に参加する予定がありまして――」
「特定の動作、例えば踊りを必要とする呪術師は加齢だけでなく怪我での引退も多く――」
「旦那様方はお元気ですが、社交の備えに奔走しておられますね。もうじき社交の季節ですし、今年は色々とございますので――」
「このまえ買った馬だけど、だいぶ慣れてくれたと思うよ。ちょっと臆病だけど、健康で強い馬だから重い馬車でもガンガン引けるし――」
経緯を話している間に温まった料理と合わせて、さらに美味しくなった夕食をいただく。温かい食事にお酒が入れば、弾んでいた会話がさらに弾む。ささやかながら宴会のような雰囲気にもなってきた。
しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。
「ローゼンベルグ様?」
「……」
「ダメだね。完全に寝ちゃってるよ」
「お風呂の時点で眠たげでしたし、満腹でお酒も入れば無理もないかと」
「ですね……このまま寝かせてあげましょう。布団と枕を持ってきます」
「ならその間にテーブルを片付けておくよ」
「お手伝いします」
ローゼンベルグ様の穏やかな寝息が規則正しく響く中、俺達はようやく訪れた安寧の時間を妨げないよう静かに動き始めた。




