04◇美味しいゴハンが待っている
大通りから少し外れた路地をしばらく歩いた場所に、その宿屋兼酒場はひっそり佇んでいました。夕食にはまだ少し早い時間帯ですが、一階の酒場ではもう何人かのお客さんが楽しげに酒を酌み交わしていて、香ばしい料理の香りが鼻孔をくすぐります。
「いらっしゃい、お嬢さん。お一人ですか?」
店の奥から現れたエプロン姿は、白髪交じりの髪をオールバックにしたダンディな男性です。端正なお顔に柔らかな笑顔が浮かび、目尻に刻まれた皺は彼の人生の深さを物語っているよう。
「はっはい、一人です……」
お嬢さん呼びもあって微かに熱を帯びる頬を自覚しつつ、辛うじて目的を思い出しました。
ちなみにカバンくんは飲食店への同伴が微妙なので、ただのカバンとして手持ちで入店してます。
「あの、こちらでンマトゥーマはいただけますか」
その問いに「もちろん」と即答する店主。「うちで出すのが町一番と評判でね」と自慢げに続けます。ヨシ、と拳を握りしめる私。ここでまちがいない。
「ちょうど、仕込みが終わったところですよ」
案内されたカウンター席に腰掛けて、待つことしばし。「お待たせしました」と目の前に供された白いお皿には、鮮やかな赤いソースをたっぷりまとい、こんがり焼き目の付いたひき肉のかたまりがでんと鎮座! そして白い湯気と共にたちのぼるのは強烈に食欲をそそるガリーの香ばしさ……!
「どうぞ、めしあがれ」
「いただき……ます」
カウンター越しに見守る店主の前で、思わずゴクリと生唾を飲み込みつつ、私はナイフとフォークを手に取ります。ナイフを吸い込むような柔らかさのお肉を、ひとくちぶんに切り分けて、たっぷりソースまみれにして口の中に運びます。
──こっ、これは!?
みずみずしいトゥマの実と強烈な風味のガリーが織りなすソースが、柔らかいお肉の旨味を最大限に引き出している。
「おいっ……しいっ……!」
店主のおすすめで追加注文した白米がまた怖いくらいにはかどる!
「……はふぅ……」
何度目かの恍惚の溜め息。もうすぐ食べ終えてしまうのが切ない。
他のお客さんの応対から戻った店主は、そんな私をカウンター越しで満足げに眺めています。
気になって表情をチラ見すると、彼は何か気付いたように目を見開きました。そしてカウンター越しに身を乗り出し、私の耳元で「つかぬことをお伺いしますが」と囁いたのです。
──まま待ってお顔が近い! あと耳元に触れる微かな吐息がこそばくて、なんだかそのぅ!
頭の中がンマトゥーマみたいに赤く蕩けかける私ですが、かまわず店主は続けます。
「もしや、聖女さま……いえ失礼を……先代聖女のメイベルさまではございませんか?」
「……え!? ええ、よくおわかりで……」
あ、しまった! 勢いで認めちゃった!
「もう、十年以上も前になります」
お顔を離した彼は、懐かしげに語りはじめました。
「重病を患っていた妻に、王都の大聖堂で祝福を──『綺蹟』を施していただいたのです。あなた様に」
じっと見詰める眼差しで、鼓動はどんどん高鳴ります。
「私は付き添いで離れた場所から見ておりましたが、女神さまのような慈しみに満ちたご尊顔、忘れはしません。少しだけ、雰囲気がお変わりですね」
今のお姿も素敵です。付け足してにっこり微笑むと、続けて静かに彼──マシューは昔語りを聞かせてくれました。
綺蹟によって彼の妻は見違えるように元気になった。それから、彼女本来の明るい性格で繰り出す接客術もあいまって、店の評判はうなぎ上り。ついには「町一番のンマトゥーマの店」とまで言われるようになったのだと。
「ただ、そのせいで無理をさせてしまったのかも知れません。二年ほど前に病が再発して、そのまま眠るように静かに、女神さまの元へ……」
「そう、だったのですね」
聖女だけが扱える綺蹟は、女神さまの代行者として授かった権能であり、通常のお祈りよりも段違いに強力な効果が期待できます。
たとえば、戦いの中で両目に傷を負った若い聖騎士がいました。同行していた治癒士さんの治癒で傷口はすぐに塞がったけれど、残念ながら彼の視力は失われてしまった。騎士としての未来のみならず、もうすぐ生まれる我が子の顔さえ見れなくなってしまった。
けれど彼は私の綺蹟によって、片目の視力を取り戻すことが出来ました。隻眼の騎士は今、父親としても聖騎士団長の右腕としても、立派に役割を果たしています。
綺蹟を適用できるのは、相手の人生で一度きり、ひとつの事柄だけ。だから治せたのは彼の片目だけ。そして店主の奥様も、再発した病を再び治すことはできない。
「ほんとうに感謝しております。今この店があるのも、メイベルさまのおかげです」
──だいぶ、店内が賑わってきました。給仕の若い女の子が、私の前からなかなか離れようとしない店主を睨みつけています。
「そうだ、今宵の宿はお決まりですか? よろしければ当宿はいかがです? お代は結構ですから」
断る理由もありません。私はありがたくその申し出を受けることにしました。もちろんお代はしっかり払わせていただきます。
ぶっちゃけ聖女は衣食住の保障以外は無償奉仕で、収入と言えば大聖堂の売店で販売している、私自身が祈りを込めた聖護符の売り上げぐらい。でも使い道がなかったので、二十年分の累積がけっこうな金額になっています。
もうすぐ新聖女版が入荷するということで半額以下で在庫処分されていた私の聖護符を、思わず大量に買い取ってしまったけど、それでもまだ余裕あり。
あとは免許も入手したことですし、治癒士として路銀を稼ぎながら旅していこうと思っています。
すっかり賑やかな店内から階段を上って、あてがわれた廊下のいちばん奥の部屋へ。小ぎれいで、ひとりが寝泊りするには十分すぎる広さでした。
ケープを外して大きめのベッドに腰掛け、地図を広げてこれからの旅程を詰めます。
明日は隣町まで街道を歩いて、逗留しているはずの商隊に合流、そこから北の港町──私の生まれ故郷の近くまで同行させてもらう計画。
隊を率いるサーリャとは幼なじみです。故郷の隣町のバザーで初めて会ったころは、お互い何者でもない子供同士だったなあ。
──そんなこんな想いを馳せるうち、気付けばベッドに突っ伏して眠っていました。
慣れない旅で、さすがに疲れたのかも知れない。なんとなくよくない夢を見て目覚めた気がするけど、内容は思い出せません。こういうときは大抵……。
コンコン
控えめなノックの音が聞こえて、心臓が跳ねあがります。
「……はい?」
小さく返事をすると、一拍置いて聞こえたのは。
「こんな時間にご無礼を。ランプの灯りが漏れていたもので」
店主マシューの声でした。




