03◇いと眩きは女神の慈愛
「……どちら様かな? ……見たところ旅の治癒士のようだが」
気付いてはいないようです。相手が一介の治癒士に過ぎないと認識して、彼は「やれやれ」とばかりに肩をすくめました。
「はい。治癒免許をいただきたくて参りました。ええとあれです、私の浅い知識の中にそのような儀式はないけどなあ、という意味で……」
「教会のおこぼれで稼いでいる治癒士の知識など所詮その程度だろうさ。知りたくば修道女にでもなって、しっかり神にご奉仕することだ。なんなら私が洗礼を授けてやろう」
ひたすら見下してくる司祭。その間にも激しくなる少女の咳に、母親は泣きそうな顔で背をさすっています。
「ちょうどいい。免許はくれてやるから、お前がその娘を治癒しておけ」
「え……お待ち下さい、この咳は司祭様の治癒でなければ抑えられないと先日……」
不安そうな母親の言葉に、ハモンド司祭は露骨なため息を漏らします。だいぶ苛立っている様子だけど、いったい何の儀式があるというのか。
「凡人の治癒でも咳を軽くするぐらいできるはず。お前、その歳なら十年はやってるだろう?」
「一応、十代から始めて二十年ほどになります」
経験を聞くのにわざわざ年齢の話をする必要もなかろうと思いつつ、面倒なので素直に答えます。
「ふん、思ったより上だったな。なら、齢だけ重ねた無能ではないところを見せてやれ」
彼は鼻で笑いつつ、懐から取り出した親指ほどの白い木札を放り投げました。私の足元に。
「……ええ、お任せください」
もはや怒る価値もなし。内心呆れながら恭しく頭を下げ、木札を拾ってケープの内側に収める。
それを一瞥し、司祭は背を向けそそくさと教会の白扉の向こうに消えてゆきます。薄暗がりで彼を迎え入れた女性の唇が、修道女にしてはずいぶんと紅く艷やかでした。
──さて。
変わらず苦しげな咳が響いています。カバンくんを背後に控えさせつつ、母親のすがる視線に微笑み返した私は、少女の胸元に手のひらをかざす。
なるほど、よくない感触が伝わってきます。かなり根を張っている。
「ちょっとだけ苦しいかも知れないけど、頑張れますか?」
目線を合わせ問いかければ、少女は咳き込みながらもうなずき返してくれました。うん、強い子。なら大丈夫。
「いと眩きは女神の慈愛──」
祈りと共に私の全身が白い光に包まれ、髪がふわりと広がる。
「──聖癒」
それらすべての光が手のひらに集い、少女の胸の中に吸い込まれてゆきます。
「……ッ!? ゲホッ、ごほッ……」
彼女は一瞬だけ息を呑んで、それからこれまで一番激しく咳き込む。たまらずしゃがみ込んだ口元から血のような液体がぼとぼと地面にこぼれ落ち、黒い染みが拡がります。
「ちょっ!? 何をしたのっ!」
「けふっ、こほっ……待って、お母さん……ちがうの」
今にも私に掴みかからんばかりの母親を制したのは、少女の言葉でした。
「え……その声……?」
「喉も胸もすごく軽いの! 治ったみたい!」
すっかり咳の収まった少女が、朗らかな声と共に微笑みます。母親は困惑しながらも、彼女を抱きしめる。
それを確認した私は、地面に拡がる黒い染み──いまも輪郭がもぞもぞと蠢いているその瘴気を、ブーツの踵で踏みつけます。
「浄滅」
私の呟きに続いて靴底から漏れる一瞬の白光に、キキィーと甲高い音が重なり、染みは跡形もなく消滅しました。ちょっとお行儀よろしくありませんが、私もう聖女じゃないし。
「……司祭様の治癒はもっとずっとお祈りが長くて、それに咳が収まっても声は枯れたままで……完治には何年も掛かるから、定期的に寄附しなさいと……なのに、あなたは一体……」
祈りの基本形は女神聖典に記されていますが、そこに修飾詞を付け足したり他の祈りと組み合わせれば、強化したり拡張したり特化したりできます。私のそれは逆に、二十年間で余分な言葉を削ぎ落とし限界まで研ぎ澄ませた祈り。
「お母さん知らないの? 聖女さまだよ!」
「……え?」
「さっきおねえちゃんが光ったとき、髪が銀色に見えたもん! 絵本の聖女さまといっしょ!」
母親に向かって力説する小さな名探偵に、私は苦笑しながらシーっと人差し指を立てて見せる。そして彼女の頭を優しく撫でながら「もう聖女じゃないの」と小声で囁き、呆然とする母親にも声を掛けます。
「まだ咳は出るかもだけど、すぐにこの子が勝ちます。とっても強くて賢い子だもの」
そしてカバンくんを手に立ち上がったとき、教会の扉の方角から視線を感じました。小さく開いた隙間から、いっぱいに目を見開いたハモンド司祭がこちらを覗いていて、私と視線が合った瞬間に扉をバタンと閉じる。
儀式とやらは、どうしたのでしょうね。
「あの、どうお礼をすれば……」
「それじゃあ、ひとつ教えて欲しいのですが」
──こうして私は、町で一番のンマトゥーマを出すというお店の情報を入手したのです。




