23◇やめたやめた、やめました
執事の堂々たる名乗りに視線が集まる中で、ザックは右の手で私の左の手首をぎゅっと掴む。それはきっと、はぐれないよう互いの手を握るより、絶対に離さないという想いの証でしょう。
「──いきましょう、メイベル様!」
「ええ!」
躊躇なく答え、馬車に向かって一緒に駆け出します。
「逃がしません」
氷の刃を思わせる冷たく鋭い声と共に、右側から一瞬で間合いを詰める女剣士。
その手から黒い細剣の切っ先が迫るけれど、並走していたカバンくんの角アタックが凶刃の軌跡を上方に逸らし、同時にザックが私の腕をぐいと引き寄せる。細剣は、風に舞うケープだけを切り裂きます。
「待ちなさい」
背後から冷たい声が追いすがる。風を切り裂いて迫る刺突の気配は、しかし私に届くことはありませんでした。
「──なんなのこのカバン!? ちょっと!?」
狼狽する女剣士の声が遠ざかり、並走していたカバンくんの姿も見えない。
けれど振り返る暇もなく、今度は左側から少年勇者が襲います。
「偽善の使徒め!」
まだ距離はあるけれど、その手の錐槍は禍々しく黒い雷をまとっています。それが彼の異能なのでしょう。
「受けるがいい、女神様の裁きの雷をッ!」
少年が叫んで槍を頭上に掲げ、雷が膨れ上がる。
「いと眩きはッ」
早口で、舌を嚙まないように祈りを紡ぐ。走りながらは二十年の聖女生活でも未経験です。
「女神の、加護ッ」
少年の槍が広範囲に雷を撒き散らす。同時に私は右の手のひらを前方に突き出す。
「──聖幕!」
そこからふわり大きな花びらのように拡がる、薄布状の仄かな白光が、私たち二人を包み込みます。周囲の地面に炸裂した黒雷は激しく土煙を上げるけど、光の布に触れてもそよ風のように微かに揺らすだけで、静かに消えてゆきます。
「なッ!?」
驚愕する少年にドヤ顔を向けるザック。やめなさい恥ずかしいから。
「くっ、この裏切者が! 見ていてくださいドロテア様っ!」
なるほど、勇者の力を持ちながら白の聖女に従うザックは、彼から見れば裏切者か。
それが火を着けたのか、再び槍を包む雷はさきほどより激しく荒れ狂っています。
しかも今度は槍の尖端をこちらに向け、投擲の体勢で振りかぶる。先ほどの雷のように魔法的な実体の伴わない攻撃のほとんどは防ぐ自信がありますが、実体を伴う暴力の前には無力なのが祈りというもので、だからこそ実体ある盾として聖騎士団が存在するのですが。
「喰らえ!」
しかし、少年が雷まとう槍を投げ放とうとした瞬間のこと。
後方から飛来した大きな黒い塊が彼に激突し、折り重なるように地面に倒れる。見れば塊はエリックと対峙していたはずの鎖外套の重戦士。激突の際に槍のまとっていた雷を浴びたのか、びくびくと痙攣しています。
「このエリック、一介の執事ではございますが」
満月に向けて高々と長い脚を掲げ、生真面目な執事は淡々と言い放つ。きっと、その一蹴で重戦士を吹き飛ばしたのでしょう。
「シャンドラ家秘蔵の超高級装備は、いずれも超一流にて」
白い手袋と黒い革靴から、ゆらりと妖しく立ち昇る紫色の光芒が、彼の主セフィアの瞳の色を想起させます。
静かに脚を降ろす動作から、流れるように前傾姿勢で駆け出した彼は、すれ違いざまにザックと視線を交わして一言「時間を稼いできます」とだけ囁いてゆく。
「もうすぐです!」
ザックの声に、必死で足を動かす。胸が苦しい。もう息ができない。馬車の傍まで駆け抜けた私たちに、御者台からニコラスが「乗ってくれ!」と叫びます。開けっ放しの扉から、先に飛び乗ったザックに引き上げられ馬車の中に転がり込む。
「メイベル様、平気ですか!?」
うずくまって息を整えながら、両手を左胸に重ねて、暴れる心臓にお祈りなしの簡易治癒を使う。それとほぼ同時に、馬車は町の外に向かって動き出しました。
「──それより、カバンくんとエリックさんを!」
視線を向けた馬車の外が、そのとき閃光に包まれる。真昼より明るい白い光の中から黒い執事服が飛び乗って来て、後ろ手に扉を閉めます。彼の手にはカバンくんがぶら下げられていました。
「カバンくん大丈夫!?」
名前を呼ぶと短い前足を力なく動かす。
エリックから受け取ったその前面には、いくつかの傷がありました。
もし彼が、革職人の言うように皇炎龍の翼皮膜で作られていて、最強種である竜としての命の一端を受け継いでいるのだとしたら。
「カバンくん殿は、私のことも援護して下さって」
エリックの言葉を聞きながら、手のひらを傷にかざし簡易治癒。ザックとエリックが見守る中、ゆっくり手を離すと、傷は跡形もなく消えていました。三人の安堵の吐息が重なり、カバンくんが前足をピッと上げて見せる。
「エリックさんは、お怪我ありませんか?」
「ええまあ、カバンくん殿のおかげでなんとか。しかしさすがに『勇者』を四人相手にするのは無謀ですね。特に全身鎧のあれが噂に聞く黒騎士ですか? 一対一でも勝てる気がしない」
ザックが激しくうなずいて肯定しています。
「どちらにせよ超高級装備も時間切れで、もうただの革靴と手袋です。なので眩石を使って離脱してきました」
眩石は衝撃を与えると強烈な閃光を発する鉱石。一度使えばただの石ころになってしまう上、すでに鉱脈が枯れていて、かなり稀少価値が高いはずです。超高級装備と併せていったいどれほどの金額が吹き飛んだのか、怖すぎるので聞かないでおきましょう。
「ともあれ、本当に助かりました。でも、どうしてここに?」
「少しでもご恩に報いることができたなら、本望です」
それから彼は、長くなるので今は手短にと前置きして、淡々と経緯を語り始めました
私たちが旅立った後、セフィアは本格的に『紅い唇の修道女』の調査をはじめた。騙されていいように使われたことが、実はかなり腹に据えかねていたらしい。
さらに各地の有力者がなぜか進んで全面協力してくれたこともあり、集まった断片的な目撃情報から彼女はとある仮説を立てた。
──件の修道女は黒の教団の幹部。それもかなり上位の。
そこから彼女は黒の教団の動きに焦点を合わせ、表と裏から収集した無数の情報の糸たちを撚り合せて、ひとつの可能性に辿り着く。
「メイベル様の故郷の町が黒の教団の重要な拠点となっている可能性が高い。だとすれば、修道女も必ずそこに姿を現すはず、と」
「すごい……」
思わず称賛を漏らすと、一瞬だけドヤ顔を浮かべるエリック。なんだか私が褒められたときのザックを思い出します。
「そこで私が王都に出向き、聖騎士団に直接報告をしたのですが……」
「すぐには動けない、でしょう?」
私の言葉に彼は苦々しい表情でうなずく。
聖騎士団の調査で見つけられなかった拠点を、王都から出奔した大貴族の流れをくむご令嬢が見つけたとあれば、彼らにとって何より重要な面目が丸潰れ。そう簡単に、受け入れることはできないでしょう。
そこでエリックは、せめて情報を私たちに伝えようと商隊を追いかけ──いま此処に至った。
「ああそれと、代わりに王都から預かってきたものが」
そう言って車内の奥に顔を向けたエリックの姿が、そのとき妙にぼんやりと霞んで見えました。
「──ッ! だめだメイベル様っ!」
ザックの声とほぼ同時に、私の周りに黒い煙が集まって実体化する。気付けば私は黒い鎧姿──レオンによって、包み込むように抱きしめられていました。
「え?」
状況を把握できない私を抱いたまま、レオンは馬車の扉を蹴破って外に飛び出す。空中でいわゆるお姫様抱っこの体勢になりながら、片膝立ちで着地して地面を滑走し、止まります。
「つかまえたよ、メイベル。なんだか子どものころのかくれんぼを思い出すね」
場違いに、けれど彼らしく穏やかに微笑む黒騎士。おかげで自分の置かれた状況を落ち着いて咀嚼することができました。
どうやら彼は、ドロテアによって剥奪されたザックの煙化の異能を付与されたようです。その能力で馬車に侵入し、私だけを奪い返した。
「そうね、あなたはいっつも探すのがうまくて」
「きみはすぐ見つかるけど、ドロテアは隠れるのが上手で、けっきょく二人がかりで探していたね」
「あのこ、いつも痺れを切らして自分で出てきちゃう」
「そして『わたしもいっしょに探したい』って怒るんだよ。まったく理不尽だ」
「ふふ、そうだった。なつかしいな」
それは間違いなく、私たち三人しか知り得ない思い出でした。
立ち上がって町に向かい歩き出した腕の中、それでも温もりを感じないのは鎧のせいか、あるいは彼が屍人だからでしょうか。
そして逆方向に走る馬車はどんどん遠ざかってゆく。
これでザックとカバンくんを黒の使徒の町から逃がすことはできた。
あとは私が大人しく黒女神の生贄にでもなんでもなればいい。
もしかしたら、彼らの言うように信仰に大きなダメージがあるかも知れない。でも大丈夫、新聖女ならなんだかんだ上手くやってくれる気がする。
先ほどまでは、それでもいいと思っていたのですが。
うん、やめたやめた、やめました。そもそも聖女として二十年間も他人を癒し続けてきたから、自分の癒しを求めて旅に出たのに、今度は黒女神の生贄になれって?
──いやいや、バッカじゃないの!?
私の人生は、もう私自身のものなんだ。
これからもずっとザックとふたり、癒しを求めて旅をしたいの。だから、徹底的に抗ってやる。
そう、こっちは魔族も畏れる伝説の(元)大聖女です。その恐ろしさ、思い知らせてあげましょう!
というわけで。まずはこの黒騎士『レオン』の正体を暴きましょうか。私はケープの内側に手を入れて、生前の彼からの手紙を取り出しました。




