20◇ここが私の故郷です
「そっ……そんなメイベルさま……ひっ……膝枕なんて……おそれ多いです……」
などと言いつつザックがすりすりと頬ずりしているのは、残念ながら私の膝ではなくて、枕代わりになってくれているカバンくんの前面です。
──黒騎士襲来のあと。
噂されていた野盗との連携もなく、商隊はすぐ再出発できました。
この近隣に黒の使徒の大規模拠点が存在する、という噂は以前から流れているらしいのですが、聖騎士団による調査は空振りに終わったようです。
となると、やはり彼らの標的は商隊よりも私ということになるかも。
思い出されるのは、最初のンマトゥーマの町で私を狙った上級司祭ハモンドの言葉。
『この二十年で貴様の存在がどれだけ白女神の信仰を深めたことか! そんな貴様の命を奪い、心臓を黒女神に捧げ、信仰を絶望に裏返す千載一遇の好機!』
とっても自己肯定感の上がる誉め言葉ではありますが、そのせいで商隊を危険に晒したくはない。そういう意味では、隊とお別れするこのタイミングはちょうど良かったとも言えます。
ほどなく目的の町に到着し、バザーの設営がはじまる中で、馬車の座席に寝かされたザックはなかなか目を覚ましません。とはいえさっきの寝言の内容的にも、心配はなさそう。
「きっと、疲れが溜まってたのもあるだろう。野営のときはいつも、率先して見張りに立ってくれたからね」
馬車の中を覗き込んで微笑むサーリャの言葉に、隊員たちからも同意の声がたくさん上がります。みんな設営の手を止めて、見送りに集まってくれている。
「自分はメイベル様のお傍にいられるだけで元気になるからって、治癒の順番をいつも譲ってくれて」
「ほんとうに助かったよ。感謝してもし切れない」
言われてみればこの商隊での旅の間、彼を治癒した記憶は数えるほどしかありません。従者の健康管理もできないようでは主人失格ですね。
「まあ、メイベル様の話をするときめちゃくちゃ早口になるのは、ちょっと怖かったけどな」
これにも同意の声がたくさん上がって、さすがに苦笑するしかない。
「──さて。名残は惜しいけどキリがない。ニコラス、頼んだよ」
「ああ、任せとけ。俺らの恩人をしっかり送り届けてくるぜ」
御者台に飛び乗ったニコラスが笑顔で親指を立てます。
隣町である私の故郷までの乗合馬車は、利用者の減少を理由に昨年をもって廃止されたとのこと。それもあって、荷を下ろし終えた馬車で送ってもらえることになったのです。
町を出る馬車を、商隊のみんなは見えなくなるまで見送ってくれました。彼らひとりひとりの手には、私の祈りの込められた聖護符があります。旅に出るとき大聖堂の売店で買い占めた在庫処分品だけど、効果は私が保証します。きっと旅のお守りになるでしょう。
馬車に揺られながら、相変わらず座席に丸まって寝息を立てるザックと、枕になったままのカバンくんを眺める。窓の外を過ぎる景色に、なつかしさが増してゆく。樹木の背が低いのは海が近い証拠です。
もうすぐ、二十年ぶりの故郷に着く。
サーリャとの別れ際。黒騎士の素顔の件は伝えずに、レオンのお墓のことだけ訊いてみました。
『ああ、いちど花を手向けに行ったよ。いつだったか、あいつが好きだって言ってた白い花』
前司祭はすでに亡くなって、教会は暫定的にレオンの母親が管理しているのだとか。
彼女は聖職者ではないけれど、信心深くも心優しい女性でした。
王都に行く前年ぐらいには、レオンへの治癒は私の担当になっていたから、教会の近くの家に何度も訪れて、お泊りしたこともある。私の中にある「家族の温かさ」とか「家庭の味」みたいな記憶はほとんどそこで得たものです。
『いずれはレオンの妹さんが引き継ぐことになっているらしいよ。いまは他所の教会で修行中だって』
──妹。小さなドロテア。レオンの家族が町に引っ越してきてから生まれた彼女は、甘えん坊で泣き虫で、レオンによく似た可愛い女の子でした。私が王都に旅立つとき、行かないでお姉ちゃんと号泣していたのを思い出す。
「きっと、美人に育っているでしょうね」
「……んん……もちろん……メイベル様がいちばん美人……です……」
独りごとに反応したザックの寝言で苦笑しつつ、思考を巡らせます。
黒騎士は本当にレオンなのか。思い起こされるのは、ンマトゥーマの店主マシューが黒の使徒に持ちかけられた、聖者の心臓を捧げて死者の肉体を蘇らせる禁忌の儀式。
レオンの母親は、彼を溺愛していた。そして司祭は亡くなっている。考えたくはないけれど、最悪の可能性を否定はできない。彼の見た目が少し若かったのも、五年前の亡くなったときのままの姿と考えれば納得できてしまう。
とは言え黒女神の儀式が骸から作り出すのは、見た目が故人と同じだけで泣きも笑いもしない肉人形。けれど彼には豊かな表情があり、私を幼馴染と認識し幼馴染として話していた。
失われた命だけは戻らない。器を作っても魂が戻ったりしない。人は死んだらそこまでだと、聖女を二十年続けて思い知りました。
──でもそれなら彼は、いったい何者なのか。
堂々巡りの思考がいちばん底まで到ったころ。馬車が停まって「着いたぜ」とニコラスの声が外から響きます。
相変わらずスヤスヤ寝息を立てるザックの肩を軽くゆすってから、引き戸をあけて馬車の外に降り立つ。微かな風がなつかしい潮の匂いを運ぶ。
「いい町じゃないか」
ニコラスの掛ける声に、小さくうなずく私。
二十年ぶりの故郷はすっかり変わっている覚悟もしていたけれど、そんなこともなく、新しい建物なつかしい面影とが同居して私を迎えてくれました。乗合馬車の利用者が減ったというものの、寂れてしまった様子もなく、ちらほら見える人々は笑顔で言葉を交わしている。
「ああ……もしかしてこれが、メイベル様の……」
背後から、震える声が聞こえました。振り向くと、蒼い瞳をきらきらさせて、ザックが馬車から降りたところ。
「ようこそ、ザック。ここが私の故郷です」
「はっはい! こちらこそです!」
なぜか深々と頭を下げた彼の後頭部。亜麻色の髪にぴょこんと仔犬の尻尾みたいな寝癖が跳ねて、私は思わず噴き出していました。




