19◇私は聖女じゃないけれど
「さすがは伝説の大聖女メイベル。簡単には殺せないのね」
聞こえたのは、じとりと湿度をまとった女の声。
いったい、いつからそこにいたのでしょう。
黒騎士の背後からゆらりと歩み出たのは、黒と白の修道服をまとった修道女。目深にかぶったベールのせいで顔はよく見えないけれど、その口元で微笑みを浮かべる唇は、鮮やかに紅く染められている。
「──出たな、黒幕」
私は浮かんだ言葉をそのまま口にしていました。
鮮やかに紅い唇の修道女。ハモンドの教会で見かけた、そしてシャンドラ邸に黒水晶を持ち込んだという、元凶と思しき人物。
「ねえ、黒幕なんて言われちゃった。褒め言葉かしら?」
彼女は私ではなく傍らの黒騎士に問いかけながら、腕をつかんでしなだれ掛かる。
「ああ、きみは黒が似合うからね。きっと褒め言葉だよ」
黒騎士は彼女に優しく微笑みかけながら、柔らかな口調で答える。
それを聞いた瞬間に、彼の顔を見たとき頬を伝った涙の理由が、明確な形になっていました。
「あなたは、レオンなの?」
私を守るように立つ幽騎士──ザックの肩越しに、問いかける。
ザックの肩が、小さく震えた気がした。そして黒騎士は、穏やかな眼差しを私に向け口を開く。
「やあ。久しいね、メイベル」
やっぱり、そうなのか。確かに十歳のころの面影は有る。けれど、同時に違和感もあります。私と同じ齢にしては若く見える。王都の騎士団長のヒゲ面と比べているせいかも知れないけれど。
「感動の再会ね。ついでにあなたも、愛しの聖女様に素顔をお見せしたら?」
唐突に名指しされたザックは、二呼吸ほど沈黙してから、なぜか言われるがまま片手でフードを外し、亜麻色の髪を露わにする。さらに、銀仮面にも手をかけます。
「ザック? どうしたの?」
私の問いに答えず、外した仮面を無造作に足元に落として、ゆっくりと振り向く。
明らかに様子がおかしい。幽騎士としてもザックとしても、私の言葉を無視したことなんて一度もなかったのに、まるで操り人形のように修道女の言いなりです。
とは言え、今さら素顔を見せられたところで何の驚きも──
「え……」
思わず声が漏れる。もはや見慣れた、人の良さの滲み出る好青年顔は普段通り。けれど彼の額には、普段と違う黒い紋章が浮かんでいた。──蜘蛛が足を広げるようなそれは、黒騎士レオンの額に刻まれた、黒女神の勇者の証に酷似していました。
──私の中で、目の前の事実と記憶とが繋がる。
彼は幼いころ、黒の使徒だった両親によって儀式の供物にされている。儀式は失敗し、瀕死の彼は大聖堂に担ぎ込まれて、私の綺蹟によって一命を取り留めた──ことになっています。
けれど、儀式は失敗していなかった。あのときザックは黒の刻印と異能──おそらくは煙化の能力──を得て『勇者』となっていたのでしょう。
能力を使えば刻印が額に浮かぶ。彼の仮面は、それを隠すためのものだった。
「どうかしら彼の素顔、いつもよりイケメンでしょう? それに、とっても素直で可愛らしいわ。ねえ、私がお願いしたら、その女も殺してくれる?」
愉しげに問いかける修道女。それを受け、無表情で棒立ちのザックの、刀をぶら下げた右手がぴくりと動いた。
「……逃げ……て……」
続けて微かに聞こえたのは、歯を食いしばりながら彼が絞り出した言葉。
「ねえほら、殺してよ。はやく」
追い打ちをかける言葉に、彼の全身は小刻みに震え、こめかみには血管が浮き上がる。黒の刻印からは蜘蛛足が伸びて、額全体に拡がってゆきます。──刻印を通して操られている?
「ふうん、すごいじゃない。黒き女神に身を捧げた『勇者』のくせに、わたしの言葉に抗えるなんて」
修道女の反応は、揶揄ではなく純粋な驚きのよう。
そしてその発言は、私にひとつの確信を与えました。
「それは、あなたの言葉が黒女神の言葉に等しいということ?」
「ふふ。さすがは伝説の大聖女メイベル、鋭いのね」
「いいえ、もう私は聖女じゃない。けれど、あなたはきっと」
震えるザックの肩越しに、私は彼女に問いかけた。
「黒女神に選ばれた──黒の聖女なのでしょう?」
答えの代わりに彼女は紅い唇の口角を限界まで上げた笑みを浮かべ、それから。
「聖女の願いを無視するのなら、もうそんな刻印いらないわね」
黒騎士レオンの腕を離すと、すべるようにザックに近付いて、そのまま背後から抱き着いた。
──ちょっと、何を!?
突然の行動に驚きと嫉妬で混乱する私の前で、紅い唇はザックの耳元に囁く。
「……剥奪……」
瞬間、ザックの全身がびくんと大きく痙攣した。刀を手放して膝から崩れ落ち、頭を抱え苦しげな呻き声をあげる。
「うぁ……頭が……割れ……ッ…………」
「ザック! 大丈夫!?」
その姿を見下ろして微笑む修道女──黒聖女の前に、まるで壁を作るかのようにカバンくんが割り込む。ここから先は通さない、と言わんばかりに。
黒聖女が小さく溜め息をつき、振り向いて黒騎士に抱きつきながら「疲れた、少し遊び過ぎたかも」と漏らすのを聞いた気がする。けどそんなことよりも、ザックに治癒をしなければ。
ぶるぶると震えながら苦鳴を上げ続ける彼の前にひざまずき、頭を抱え込むように抱きしめる。私の腕の中で、彼の額いっぱいに拡がっていた刻印が端から黒い煙になって消えてゆきます。
「……ダメだ……メイベル様を……守れなくなる……」
その悲痛な言葉は異能──煙化能力の喪失を実感してのものでしょうか。いくら治癒をしても、白女神に祈りを捧げた聖癒を使っても、彼の苦しみが和らぐ気配はありません。
そして綺蹟は、同じ相手には一度しか使えない。ザックにはもう使えません。
「ああ……メイベル……さま……どうか、僕を……捨てないで……」
「ばかなこと、言わないで」
あるいは子供のころ、両親に捨てられた記憶と重ねているのかも知れない。懇願する彼を、強く抱きしめることしかできない。こんなのは私が好きな不憫シチュエーションじゃない。ただただ胸が苦しいだけです。
「守ってくれなくたっていいの。あなたが傍にいてくれるだけで、私は癒される。だからあなたを捨てたりするわけない。それともあなたの解釈の私は、そんな薄情な女ですか?」
ひたすら語りかける。聞こえているかもわからないけれど。
「くッ……ハァ……かい……しゃく……」
耳元に漏れる絶え絶えの息の中に、微かに混じる言葉に耳を傾けます。
「……ふいっち……です……」
解釈、不一致。ええ、そうでしょう。
「だから大丈夫、私があなたを守ってあげる」
そのまま、どのくらい時間が過ぎたのでしょう。ふと気付くと、空を覆っていた雲の隙間から幾筋か日の光の帯が、真っすぐ街道を照らしていました。
黒の聖女と黒騎士の姿はもうそこになく、少し離れた位置からは、サーリャと商隊員たちが静かに見守ってくれている。
そしてザックは私の腕の中、安らかな寝息を立てていました。




