17◇いつか聖女様になれるかも
「レオン……」
サーリャが口にした名を、私もなぞる。
私に両親はいません。物心ついたころには、故郷の町の教会でお世話になっていました。
かなりの高齢になっていた司祭が引退して、王都から新しい司祭が親族を引き連れ町に越してきたのは、ちょうど私とサーリャが出会ったのと同じ年。
彼、レオンは司祭の甥っ子でした。黒髪に色白で線の細い、辺境の町では見たことがないような美しい少年。
「はじめましてだねメイベル。きみはぼくと同い年だと聞いているから、もしも良かったら仲良くしてほしいな」
初めて会った日、翠色の瞳で微笑みかけながら柔らかく話す彼のことを、たぶん天使ってこういう感じなのかなと思ったものです。
生まれつき体が弱く、ときどき発作を起こして真っ青な顔で動けなくなる彼を、叔父である司祭が治癒で手当てするのが日常でした。だからわざわざ辺境の町まで付いてきた。そのくせ、自分のことより他人のことばかり考える男の子。
私が治癒を覚えたのも、彼を楽にしてあげたかったから。
──司祭の留守に彼が発作を起こして、見よう見まねでこっそり練習していた治癒を使って私がそれを抑えたときは、ちょっとした騒ぎになったものです。
司祭をはじめ色々な人たちに「いつから」「どうやって」「誰に習った」などと質問攻めにされ、どんなに「司祭様のまねをしただけ」と言っても信じてもらえず嘘つき扱い。
もしかしたら、この娘の親は黒の使徒なんじゃないか? 挙句にそんな脈絡のないことまで言い出す者もいて、でも両親を知らない私は否定もできず、ただ悔しくて涙がボロボロこぼれたそのとき。
「メイベルはすごいね。いつか、聖女様になれるかも知れないよ」
レオンの言葉に、全員が息をのんだ。落ちた沈黙の中で彼は、天使の笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。たぶん。彼と出会わなければ、私は聖女になっていなかったかも知れない。そしてきっと。彼は、私の初恋の人だった。
「──あれは、たしか五年前だ」
サーリャの言葉で、思い出の中から現実に連れ戻される。
商隊の先頭を行く隊長用の馬車で、向き合い座る彼女と私。まだお昼過ぎだけど、窓から見えるよく晴れていた空は、いつの間にか分厚い雲で覆われて薄暗い。少し嫌な予感がするのは、その曇天のせいかも知れない。
ちなみにカバンくんは馬車後方の荷台がお気に入りらしく、移動中はいつも荷物と荷物の間にはまり込んでいます。
「しばらくぶりに、あいつがバザーに会いに来てくれたんだ。叔父さんの跡を継ぐんだって、司祭のカッコが様になってた。大人になって体力が付いて、最近はだいぶ調子がいいんだって笑ってたよ。実際、顔色もよさそうに見えた。嬉しかったよ」
そのときのことを思い出しているように、彼女は微笑みながら話す。
「それで、メイベルに渡してほしいって手紙を託された」
手紙。私は受け取っていない。でも黙って、サーリャの言葉に耳を傾けます。
「そう、あんたには渡せてない。だって受け取らなかったからね、それは自分で渡すべきだって」
彼女は首を振りながら「そのときは、それが正しいと思ったんだ」と続けて、そして目頭を押さえる。
「その翌年だ。あいつが亡くなったって話を、同じ町のひとから聞かされた。私らが仲良かったことを知ってて、教えてくれたんだ」
──ああ。やっぱり、そうか。
なんとなく、わかってはいました。私が町を離れるとき彼は、いつか王都に会いに行くよと言ってくれたけれど。
聖女として経験を積めば積むほどに、私は理解してしまった。彼の命がすでに、燃え尽きた後の残り火でしかないということを。
そらに大聖堂には記録が残っていました。彼が産まれてすぐに大病を患って死にかけ、当時の聖女の綺蹟で命を繋ぎとめたという事実。
綺蹟を享受できるのはその者の人生で一度だけ。つまり、私の綺蹟はもう彼には使えない。残り火を再び燃やすことは、できない。
「すまない。隠すつもりはなかったけど、ずっと言い出せなくて、ここまで来てしまって」
たしかに、明日には故郷の町に着く。でも、だからレオンに会えることはないと思っていた。せめてお墓に祈りを捧げられればいいと、そう思っていた。けれど右の頬を、涙がひとすじ流れ落ちた。
「せめてあのとき手紙を受け取ればよかった。いま思えば、ちょっと妬いてしまってたんだ。あいつが目の前の私じゃなく、メイベルのことしか見てなかったから……」
そう、サーリャもきっと、私が引き合わせた男の子に恋をしていました。
そして彼女はずっと後悔をひとり抱えてきた。私は彼女に気付かれないよう、涙を指で拭う。
「いいの。未来のことなんて誰にもわからない。同じ立場ならきっと私もそう言ってたと思う。だってあいつ、きっといい男になってたでしょう?」
「ああ……めちゃくちゃいい男になってたよ。大陸中を周ってる私が言うんだから、相当なものさ」
「じゃあ私たち、子供のころから男を見る目があったってことね」
「……ああ、間違いない。ま、司祭様になられちゃあ手の出しようもなかったけど」
「たしかにね、女神さまが恋敵じゃなあ」
大げさに首を振る私に、彼女が笑顔を見せてくれた──その直後。
馬のいななきが響いて車体を激しい揺れが襲った。椅子から転げ落ちかけた私を、隊長の顔に戻ったサーリャが支えてくれて、体勢を立て直す間に馬車は停まっていました。
すぐに扉を開け外に飛び出したサーリャが、その場で棒立ちになる。後を追って扉の陰から覗き込んだ街道の先に、見えたのは黒い影。
それは道の真ん中に巨大な黒い剣を墓標みたいに突き立て、柄を両手で掴んで立ち塞がる漆黒の全身鎧の騎士。
「──黒騎士」
サーリャの声は、かすれていた。




