14◇食べ過ぎたわけじゃないのです
「我が主に成り代わり、お二人に心よりのご感謝をお伝えいたします……ッ!」
シャンドラ邸の門前で、出立する私に深々と頭を下げる執事エリック。
「そして私からも、主とお嬢様をお救いいただきましたご恩、重ね重ね……ッ!」
主と令嬢を人質に取られ、やむなく言いなりになっていた彼。もう目が合うたび呼吸をするように謝罪と感謝を伝えてきます。
彼のつむじに向けて「いえいえ」と返すのも、もう何度目か覚えていません。
「ええもう、ほんと充分すぎるくらいお気持ちは伝わっておりますから。あんなに素晴らしいおもてなしまでして頂きましたし」
あのあと。シャンドラ公の寝室の残留瘴気を隅々までていねいに浄化し、先に囚われていた五人の衰弱を治癒し切ったころには、もうすっかり夜でした。
そこに待っていたのは見たこともない豪勢な晩餐たち。なんとエリック氏がひとりで準備したというのだから更に驚きです。
ええもちろん、片っ端から美味しくいただきました。
特に、同席したセフィア嬢から「精が付きます」と囁くようにお奨めされた大海蛇の稚魚の炭火焼き! 稚魚と言っても器をはみ出すサイズのそれは、ふわっふわに肉厚で脂も乗っていて、塗られた甘ダレの奥深い味わいと相まって信じられないほどの美味! もうあれだけで昨日の疲れは全回復した気がします。あっいけない、思い出したら涎が。
──結果、だいぶ食べ過ぎて歩くのもやっとになった私は(ちょっと疲れが出たということにして)そのまま豪華な客室にお泊りさせていただき、ぐっすり眠って迎えた今日というわけです。
なお、ザックも例の寝室をそのまま使わせてもらったようですが、珍しく寝過ごして、今は彼の準備を待っているところです。
「ほらエリック、メイベル様もお困りじゃない」
まだ頭を下げたままのエリックの傍ら、澄んだ美声でたしなめる令嬢セフィアは今日も朝から美人です。
そんな彼女の左手から伸びる細い鎖の先につながれ、ぱたぱたとコウモリの羽根を羽ばたかせ浮遊するピンク色の毛玉。小さな巻角と矢印型の尻尾を生やし、救いを求めるようにつぶらな瞳を潤ませるこの小動物こそ、昨日まで彼女に憑依し支配していた──そして主の強化を失ってすぐ、セフィアの精神に敗れてはじき出されたサキュバスの実体です。
今はシャンドラ家の宝物庫にあった『魔獣支配の鎖』によって立場が逆転。セフィアたってのご希望で、今後は彼女のペットとして生きていくようです。
「だって可愛らしいでしょう? ほら見て、この子豚ちゃんみたいなお顔」と微笑む強メンタルの彼女とはいえ、サキュバス令嬢などと風評が立ってしまった件はさすがに心配だったのですが。
「ああ! ご安心下さいませ、あれは憑依される前のことですから。皆さま肩書きだけはご立派なのですが、味見してみるといまひとつで……」
昨夜の晩餐中にとんでもない話をさらりと聞かされ、スープを噴く寸前でした。けれど彼女はこともなげに続けます。
「名だたるご令息のみなさまよりも、ザック様のほうが断然すてき。でも、きっとメイベル様には敵わないから諦めますわ」
大陸一の美貌で無邪気に微笑みかけられ、胸がふわふわしてしまいました。
どうやら彼女、憑依されるまでもなく天性の人たらし令嬢のようです。というかむしろ本人の方が手強そう。──なんだか後輩の現・聖女を思い出してしまう。
なんでも(今回の件もあって)シャンドラ公は一線を退き、セフィアが当主になるとのことですが、シャンドラ家もこの町もきっと安泰でしょう。
実際、各地に存在するというシャンドラ商会の支部を通して、足止めされている幼馴染の隊商の情報もすぐに入手してくれました。めちゃくちゃ有能。
それにおそらく、人を見る目にも長けている。
「そういえばセフィア様、昨夜は聞きそびれていたのですが」
「何かしら? 何でも聞いてくださいませ」
「今回の元凶──黒水晶を持ち込んだのは、どんな人でした?」
エリックの話によれば、彼女だけは悪意に勘付いていた節があります。だから彼女から聞いておきたい。それがいったい何者で、彼女はどう感じたのか。
「ああ、あの女……」
美貌を苦々しく歪め、彼女は吐き捨てるように口にする。
「それが、なぜかぼんやりしか思い出せないの。しかも私やエリックだけじゃなく、父もです。さすがに父上は覚えてなきゃ駄目でしょうって、怒ったのですけどね。まったく、顔も見ずに寝室に招き入れたのかと……」
ちなみにシャンドラ公、昨日は気力で支えておられたご様子で、今日は寝台から起き上がれないとのことでした。
朝から軽い治癒を施しつつご挨拶を済ませてきたのですが、そこで消え入りそうに弱々しい声でひたすら謝られたのは、そういう経緯でしたか。
「ただ、そう。唇がずいぶん鮮やかに紅くて、修道女にしては妙に艶っぽかったことだけは、覚えていますわ」




