10◇大陸一の美女は誰
──賑わう大通りを吹き抜ける風が、灰色の髪を撫でてゆきます。
齢三十で聖女を引退し、癒しを求め王都から旅に出てもうすぐひと月。
聖女の象徴として腰下まで伸ばしていた髪を、ばっさり切り落としたこの髪型にもすっかり慣れたところです。足元には旅の荷物を詰め込んだ、ワインレッドの特別仕様な革鞄──カバンくんが短い脚をちょこちょこ動かして付き従っている。
「なかなか、立派な町ですね」
すぐ合流するはずだった幼なじみのサーリャ率いる商隊は、どうやら旅程のだいぶ手前で足止めを食っているらしい。なので遠回りにはなるけれど、期限のある旅でもないので、まずはその足止め地点を目指して旅を続けています。
「ご慧眼ですメイベル様。こちらは三大貴族の流れをくむシャンドラ家が、代々に渡り領主として陸路交易に力を入れ発展させた町です」
傍らで朗々と解説する革製旅装の青年は、出立の際に聖騎士団が付けてくれた従者さん。私より十歳近く年下で、人の好さが滲み出る柔らかな顔立ちに、亜麻色の短髪がよく似合う美男子です。
「ほほう、ザックくん物知りですね」
「はい! メイベル様の旅に有用そうな知識はすべて叩き込んであります。ちなみにシャンドラ家のご令嬢は大陸一の美女とのお噂で、袖にされた花婿候補たちは魂でも抜かれたようなありさまになってしまうとか──」
褒められた瞬間に満面の笑みを浮かべ、饒舌に追加情報を披露する彼は、どうやら十歳近く年上の私のことが大好きらしいのです。
嬉しくはあるけれど、どこまで本気にしていいのか、そしてどう向き合えばいいのか掴みかねている私です。
「──そのせいで影では『夢魔令嬢』などとも呼ばれているそうです」
「ふうん。ザックくんもやっぱりその大陸一の美女には興味ある?」
なのでちょっぴり意地悪な質問をしてみる。なんて答えるのかな。
「それはもちろんです!」
即答でした。まあそうだよね。いくら私がかつて彼の命を救った恩人で、しかも初恋相手でも、それはもう十年以上も前のお話。年齢も近い大陸一の美女のことが気になるのはすごく真っ当なこと……。
「だって本来なら大陸一の美女はメイベル様なのに、どの面下げてそんな世迷言を抜かしているのか興味あるじゃないですか」
そうでした。彼の思考回路はあんまり真っ当ではないのかも知れない。こういうのを”溺愛”とでも呼ぶのでしょうか? もちろん嬉しくないわけじゃないけど、大陸一の肩書きはさすがに荷が重すぎます。
「……うん……そういうこと、他の人の前では絶対に言わないで……」
刺された釘に不服そうに「善処します」と彼が答えた、それは直後のことでした。
「もし、そこの御方。さぞ名のある治癒士さまとお見受けしました」
耳をくすぐる澄んだ美声に視線を向けると、道端に停まった豪奢な馬車から、降り立つのは美しく波打つ金髪に紫のドレス姿のご令嬢。
まるでお人形さんのように整った顔立ちと、吸い込まれそうな紫の瞳。もしや、彼女が?
「こちらシャンドラ家ご息女、セフィア様にございます」
続いて響いた硬質な男声は、彼女をエスコートする執事風の黒服男性のもの。撫でつけた黒髪に生真面目そうな顔立ちで、ザックくんとは真逆な印象の美形です。年齢と背丈も少し上でしょうか。
彼の紹介を受け、目の前で優雅に膝折礼を見せるセフィア嬢。周囲に一瞬で舞踏会場の如き華やかな空気が満ち、足を止めた通行人たちが溜め息を漏らします。
お顔はもちろんのこと、すらりとした長身に起伏のあるスタイル、そしてひとつひとつの所作までも完璧に美しく、やはり大陸一の美女の称号は彼女にこそ相応しい。
──こらザック! 私とセフィア様を見比べて「ほらね」みたいなドヤ顔するのやめなさい。そう思ってるのはきみだけだから!
「ええと、お察しのとおり旅の治癒士ですが」
確かに私の着る象牙色のそれのように、淡い色をしたケープとスカートは女性治癒士の定番の衣装。ただ、元聖女の身分は隠して旅をしていますし、服装だけで「名のある」とはならないはずですが。
「残念ながら、特に名のあるものでは……」
嘘は言ってません。治癒士として、何の実績もないですから私。
「いいえ。わたくし、聖なる力には人一倍敏感で、特に強い力をお持ちの方は、近付くだけでもわかってしまうのです。そのお力を見込んで、折り入ってお願いがあるのですが……」
彼女は周囲を見渡してから、花びらみたいな唇を震わせて小さく囁きました。
「実は我が父……シャンドラ公が、もう何日も眠ったままなのです」




