第36話 帰っても、いいのですの……?
――――声が、しますわ……。
天蓋付きの、光のベッドのような場所で、
光のシーツ、
光の布団にくるまりながら、マーガレットは、薄く目を開けた。
目に映るものも、白い光。
自分の手を見ると、ローズピンクの魔力が、
光砂のようにキラキラ輝いて溶けだしている。
マーガレットは、布団から抜け出し、
何もない、白い光の空間に足を付けた。
そのとき。
ヒュン!
と何かが、はるか遠くの光の空間から飛んできて、
マーガレットの足元に刺さる。
「きゃっ――! なんですの!?」
驚いて飛び退いたマーガレットは、
刺さっているそれが白い花だと気が付き、
周囲を見回してから、恐る恐る手に取った。
すると――。
『高飛車すぎるじゃじゃ馬娘』
「な――っ!?」
この声は、エドガーですわ!
この花から聞こえるようですけれど……まだ続きがあるようですわ!
『はやく元に戻れバカ』
「失礼しちゃうわね!」
――でも、いったい、どういうことなのかしら……?
まるで思考が追い付かない。
ここはどこで、どうなってしまっているのかも、
記憶に靄がかかるように何も思い出せなかった。
ヒュン、とまた花が飛んできた。
光の向こう側の、ずっと遠くの方から。
マーガレットが花を拾う。
『いつも、一生懸命なのを……知っている』
シリウスの静かな声だった。
『努力家で、苦労人。
……みんな待っている』
待っているって……どこに?
マーガレットは左右を見渡した。
誰もいないのに。
また飛んできた、花。
今度は二つ届いた。
よく見ると、花の表面をリリアの魔力が覆っていた。
「もう、なんなんですの……?」
一つずつ拾う。
『思ったより、面倒見がいいことに感心したよ』
カーライルの声だった。
『戻っておいで、マーガレット嬢』
もう一つは、フィンネル。
『君がいないと寂しいよ~。
ってクリス嬢が泣いてるけれど、いいのかな~?
もちろんボクもさみ――』
声は途中で途切れていた。
「最後まで言いなさいな!」
つい声を荒げてしまった。
だけど、
分からないなりに、少しだけ分かってきた。
ここは、異空間のような場所で。
外には、リリアと姉、それに生徒会のメンバーがいるようだ。
「でも、戻るって言ったって、どうやって……?」
どうしてこうなっているのかもわからないのに。
ザザッ!
とノイズのようなものが一瞬走った。
光が乱れて、
薄暗い教会の中――ステンドグラスの光をぼんやりと受けて、
天使に祈るマーガレットの姿が浮かび上がる。
「――そうだわ。
わたくし、おねい様の幸せを祈って……」
でも、そこからここまでの記憶の手掛かりは全くない。
結局、ここがどこか分からないままだった。
白い空間の異変は、このすぐ後に起きた。
「――え……っ!?」
白い空間に浮かんだ灰色の天使の像に向かって、
マーガレットの足元が滑り落ちるように崩れていく。
まるで巨大な漏斗がそこにあるかのように、
天使に向かって角度が付き始めていた。
このままじゃ――吸い込まれてしまいますわ……っ!
心臓がバクバクと跳ね、
天使から遠ざかるように走り出す。
しかし、足元に砂が絡みつくように、上手く前に進めない。
蟻地獄に捕まってしまったかのように、中心へと流されまいと必死に身体を動かした。
「だ――だれかっ! おねい様っ!!」
口から零れる絶叫。
いえ、それは、ダメよ……。
マーガレットは、頭を左右に振った。
おねい様の幸せを願うなら、今、あそこに飛び込むのが……正解?
ヒュン!
光の向こう側から飛来した花の束が、マーガレットの額にガンッ! と直撃した。
「いたッ!」
頭の中に、大音量で声が鳴り響く。
『戻ってきて、マーガレット――!!』
電撃が直撃したように、マーガレットは、大きく目を見開いた。
そして、胸の中に、やっぱり会いたいという気持ちが、芽生えてしまった。
「おねい様あああ!!」
マーガレットは叫んだ。
姉の声にすがるように。
外にいる姉に、聞こえるように。
そのときだった。
マーガレットが拾った四つの花と、今届いた花束が輝きだす。
纏っていたリリアの魔力が一つに集まり、
暖かい光となって形を成していく。
「――マーガレット様……」
光のリリアが、そっと口を開いた。
「迎えに着ました」
リリアが手を差し伸べる。
マーガレットは、光り輝くその美しい姿に息を飲んだ。
聖女――リリア――。
憎らしい、とか。
気に入らない、とか。
そんな感情なんて、湧く隙間すらなくて。
伸ばされた手を掴むことすら、頭から抜け落ちてしまった。
「リリア……」
上の空で、呟く。
リリアのエメラルド色の瞳が、痛みをこらえるように少し歪んだ。
「マーガレット様! 手を掴んでください!」
そうだわ!
マーガレットは、はっと息を吐き、
崩れていく空間を蹴って、空中に浮かぶリリアの手をしっかりと握った。
リリアの手は、とても暖かかった。
「ここから出ます!」
「ここって、どこなんですの?」
リリアの背中に生えた羽が羽ばたき、
崩れていく白い空間をひらり、ひらりと飛んでいく。
「天使様の意識の中です!」
「なら、どうしてあなたがここにいらっしゃるの!?」
繋がれた手からリリアの魔力が全身を覆って、
並列に並びながら飛ぶ。
「私の魔力――いえ、聖力がやっと役に立ちました」
「い、意味が分かりませんわ!」
反射的にそう叫んだが、
聖女と天使。
類似した魔力――聖力?
とやらの関係を、これ以上掘り下げる余裕はなかった。
上空から、蟻地獄のような光景を眺める。
帰りたい……ですけれど。
ちら、ちらっと、
崩れ去る白い空間の隙間から、外が見えた。
生徒会の男性たちと、その後ろに、
エラルド王子に肩を抱かれた、姉の姿が見える。
それはつまり、
エラルド王子は、姉を選んだ、ということですわよね――?
マーガレットはリリアの手を強く引いた。
「マーガレット様?」
「……わたくしはもう、帰れませんわ。
天使に祈って、叶えてもらったんですもの。
……おねい様の幸せを」
代償を、支払わないと。
「離してくださいまし!」
マーガレットは、リリアの手を解くように抵抗した。
「叶っていません!」
「え……?」
リリアは、半ば叫ぶように言葉を発した。
「天使は、クリスティーヌ様にとっての幸せを聞いただけで、
何も叶えていません!」
「……そんな……」
マーガレットの胸に、絶望に似たものが湧き上がった。
なら、あそこに見える光景は……?
リリアは必死に言葉を続けた。
「だから、まだ帰れます!
みなさんも……待っていますから!」
「な……何を、言っておりますの?」
そんなことは、関係、なくって……。
ただ、わたくしは……おねい様の幸せを願って……。
「クリスティーヌ様の気持ちを、ちゃんと受け取ってください!」
「っ……!」
マーガレットは、握りしめている花束に視線を落とした。
帰って――いいの……?
ぽろ。
雫が一筋、頬を伝ってあご先から落ちた。
手をつないだまま、リリアが白い空間の切れ目に飛び込む。
天使の中からすっぽりと抜け出て、
マーガレットは、途端に視界が開けたように感じた。
青空の校舎前。
目の前に、息を飲む四人の男性。
気を失ったリリア。
奥に、エラルド王子と、おねい様。
何があったのか分からないはずなのに、
自分のものではない記憶があった。
みんなに向かって、魔力を放ったこと。
防がれたときの苛立ちも。
今もまだ胸の中にいる天使。
だけど、もう飲みこまれるような、得体の知れない恐怖は感じなかった。
マーガレットが、気を失っているリリアの前髪をそっと払った。
「リリア……」
リリアの睫毛が震えて、綺麗な翡翠色の瞳が開く。
「マーガレット……様……」
「……っ」
目が合ったとき、心臓がどきりと鳴った。
何を、言ったらいいのかしら。
よく分からないわ。
この胸に湧いた感情を素直に表現するなら――、
そうね、安堵、かしら……。
だけどそれを、悟られたく……ありませんの。
わたくしは、本当に……弱くてダメですわ。
マーガレットは、わざと眉に力を入れた。
そして、口を開く。
「あなた――バカね」
リリアが弱々しく笑う。
「マーガレット様こそ……」
言うように、なったじゃない。
マーガレットは、口元に手を持って行こうとした。
「あら?」
腕が、動かない?
「――ふぅ」
目の前にいる男性たちが、揃ったように肩の力を抜いた。
……なぜだか、とても気恥しくなった。
コツコツと靴音を響かせて、エドガーが怖い顔で近づいて来た。
「バカは、お前だバカ!」
ゴチン!
エドガーの拳が後頭部に直撃する。
「痛っ! なんですの!? レディを殴るなんて!」
身体が動きませんわ!
どうして!?
よく見ると、フィンネルのツタが身体中に絡まっていた。
な……!
なによ、これぇえ!?
マーガレットはフィンネルを睨みつけた。
「今すぐこれを外しなさい!」
「いや~、また暴れられたら困るし~」
「そんなこと、するはずなくてよ!」
「……正気に戻ったみたいだね」
シリウスが、一人で安堵していた。
「見ていないで助けなさいよ!」
「……」
「そこで黙らないで下さる!?」
カーライルが、やれやれと肩をすくめる。
「さっきまで、ひどい目にあったんだけど?」
「わたくしが今あっていますわ!」
「そうかな?」
とぼけるんじゃありませんわ!
カーライルがツタに触れると、
ガラスのような硬さがなくなり、ツタが少し緩んだ。
「まったくもう!
痣になってしまいましてよ!」
文句を言うしか、正気を保てそうにありませんわ!
マーガレットは、顔に熱が集まるのを感じ、そっぽを向くしかなかった。
そんな中、
マーガレットの胸の内側から、白い光が一つ現れ
一瞬眩く輝いた後に形を成す。
羽が生えた、可愛らしいキューピットのような天使がふわりふわりと浮いていた。
『祈りをささげた娘よ』
「――なによ」
『契約の遂行は成し得ていない。
もう一度、祈るがいい』
リリアをはじめ、男性たちの顔色がサッと変わった。
「おい」
エドガーがマーガレットの肩を掴む。
分かっているわよ! もう!!
マーガレットはエドガーの手をパシッと振り払った。
そして、天使を見る。
「お断りよ」
『む?』
天使は首を傾げた。
「祈ったけど、もう、よくなりましたの。
あなたも、叶える願いが消えたのですから、
……もう、代償なんて、なしでいいですわよね?」
天使は、少し考えるような間を置いた。
『確かに契約は不履行、破棄された。
それ以上の願いがないのならば、我は戻ろう』
「ええ。ごきげんよう」
『また望みがあらば、呼ぶがよい。
いつでも聞いてやろう』
暇なのかしら。天使は?
「もうなくってよ」
マーガレットは、キラキラと光に溶ける天使をじっと見つめ、
風に揺れる髪を耳元で抑えて、空を見上げた。
終わりましたわね。
天使への祈りは、消えましたわ。
「……マーガレット? なにか、言うことなぁい?」
姉の穏やかな声と、肌を冷やす風に心臓が冷えた。
――やっばいですわ……。
お、ね、い、様、に――、
怒られて、しまい、ますわ――……っ!




