第35話 リリア視点 天使とマーガレット
卒業パーティ前日の朝。
リリアは、身支度を整えて、いつものようにエントランスロビーへ行った。
(少し早く着きすぎちゃったかなぁ)
振り子時計で時間を確認しつつ、何気なく外を見ながらソファに腰を降ろす。
しばらく待っていると、窓の外に、
くるくると毛先を巻いた、栗毛色の髪の女性生徒が、学園の方に歩いていくのが見えた。
「あっ!」
リリアは反射的に立ち上がり、鞄を持って走りだした。
「マーガレット様!」
待ってください、と思いを込めて、名前を呼ぶと、
足をぴたりと止め、首だけを動かすような不自然な動きでマーガレットが振り返った。
「……」
「おはよう、ございます……!」
追いついたリリアは、息を切らしながらマーガレットの横に並ぶ。
いつもなら、ごきげんよう、と返してくれるのに、今日はそれがなかった。
「もう、何も言わずにおいていくなんて、……マーガレット様?」
リリアは歩きながら軽く言うつもりだったのに、
マーガレットは、表情がないまま立ち止まって動かなかった。
……どこか、調子が悪いのかな……?
いつも元気で、パワフルな分、心配になる。
マーガレットは、何も言わずにさっさと歩き出し、
リリアの横を通り過ぎて学園に向かった。
何かが、違う。
先日、カーライル様が冗談めかして言っていたみたいな……、
『中身が、入れ替わっている』ような、違和感。
歩き方も、目の光も。
調子が悪い、では、片づけられない違和感があった。
今日は、卒業パーティの余興の日。
生徒会のメンバーが、それぞれ持ち場に散らばって、
イベントを管理していくけれど、
その前に一度、校舎前で最終確認をすることになっていた。
マーガレットが、無言のまま校舎前にたどり着く。
そこには、すでにエドガーがいて、
朝の鍛錬に励んでいた。
「おう、早えな」
「……」
マーガレットは答えない。
「無視かよ」
気を悪くしたエドガーが鋭く睨み、場にピリつくような空気が流れた。
わわ、なんとか、しなくちゃ……っ!
「ご、ごきげんよう……」
マーガレットの後ろから少しだけ前に出て、
何とか笑顔を作ってみる。
「おう」
エドガーは、不愛想なくらいに短い返事をして、
目を逸らして、また鍛錬に戻った。
……ふう。
小さく息を吐く。
マーガレットとエドガー。
お二人は、いつも喧嘩腰になるけれど、
いつの日か、二人がペアになって見せたバレエは、
即興で合わせたとは思えないくらいに美しくて、お似合いで――
私なんかが、エドガー様のペアを務められるなんて、到底思えなくて……。
リリアは、バレエの本番の時間が近づいていることに気が付き、
心臓がばくばく脈打つのを感じた。
でも、私がエドガーさんとペアを踊れるようになったから、
マーガレット様は、クリスティーヌ様と踊れて……、
そこだけは、頑張ったよね、私……っ!
しばらく待っていると、複数の足音が聞こえてきた。
「あれ、早いねー。もう全員集合したのか」
カーライルの明るい声に振り返ると、
銀髪の美しいクリスティーヌと、エラルド王子、
それにフィンネル、シリウス、カーライルが、
一塊になって歩いて来た。
「ごきげんよう」
リリアの挨拶に、クリスティーヌが上品に笑って返す。
「ごきげんよう。
一緒に行きたかったのに、置いてくなんてひどいわね?」
「あ…‥それは、その……」
いつもならここで、マーガレットが飛び出すのに、
……それが、ない。
リリアは助けを求めるようにマーガレットに視線を向けた。
すると――。
「あなたが、クリスティーヌね?」
「え――?」
この場にいた誰もが、
目を見開き、一瞬、呼吸を忘れるような間があった。
そして、場が凍り付く中、
マーガレットが足音無く歩み寄り、クリスティーヌの前に立った。
「あなたにとって、幸せって、なに?」
クリスティーヌが、目を見開く。
「――あなた、天使……――?」
その瞬間――。
ばさり。
マーガレットの背中から、
七色に美しく輝く天使の羽根が、左右に大きく開いた。
「この娘が願った祈りが、ひどく抽象的だったの。
あなたの幸せを知らなければ、契約の成立ができない――」
誰もが息を飲む中、マーガレットの形をした天使が手を伸ばし、
クリスティーヌの両頬を慈しむように包み込んだ。
「――さあ、言って?」
天使の白い魔力が、クリスティーヌを包み込む。
クリスティーヌの目から、意思のような光が沈むのが見えた。
「私の……幸せ――」
薄ピンク色の唇が小さく震える。
風がサアア、と吹き、見つめ合う姉妹の髪がふわりと揺れる。
美女と、天使――。
白い光が花びらとなって舞い散る。
そんな錯覚が見えるほど、美しく、眩しい光景が目の前に広がった。
だめ。
だめだよ……っ!
リリアは、見惚れて、動けないでいる自分を叱咤し、
爪が食い込むほど、拳を強く握りしめた。
「クリスティーヌ様、答えちゃ、ダメです!」
リリアは、マーガレットの両手を握り、クリスティーヌから引きはがした。
「あっ……」
クリスティーヌを攫うように、
エラルド王子が後ろから抱きかかえ、マーガレットから距離を離す。
マーガレットの形をした天使は、眉に少し皺を作ると、
嫌なものを見るような表情を作り、リリアたちを見た。
チッ。
天使が、舌打ちをした。
「邪魔なのよ」
「マーガレット様は、そんなはしたないことはしません」
リリアが睨み返す。
今にも、足が震えそうだった。
天使が両手を前に出して、白い光のエネルギーを形作る。
――攻撃――するの……っ!?
リリアの心臓がどきんと鳴り、喉が干上がる。
「邪魔、しないで」
マーガレットの声が、冷たさを伴って、リリアの耳に響いた。
天使の掌から発せられている光の弾が、リリアに向かって放たれた。
無理して張った威勢と、ガクガク震える脚のせいで、避けることができない。
リリアは反射的に身をひねって、腕で顔を隠すことしかできなかった。
そのとき。
「『エアスクリーン』」
リリアを背後に庇うように、シリウスが飛び出した。
魔力を含んだ風の層が幕となって光を包み、
ひらりと翻って、光の軌道が空高く逸れる。
天使が、苛立ったようにまた舌打ちをした。
「邪魔しないでよね!」
再び光の弾を作り、今度はシリウスとリリアに向けてダダン、と複数の弾を撃ち出した。
「『(リトル)バースト』!」
リリアたちに届く前に、鼓膜を突くような中規模な爆発が起きる。
光の弾が全てなくなったが、
地面に焦げ跡を残し、シリウスのエアスクリーンが爆風を受けて粉微塵に散った。
シリウスが、眉根を寄せてエドガーを睨む。
「火力を調整しろ」
「ひょろい防御してんじゃねぇよ」
喧嘩、してる場合じゃ……!
シリウスがリリアを庇ってくれたけれど、胸に密着するほど強く抱きしめられる。
不機嫌なエドガーがシリウスに歩み寄ったため、リリアは二人に挟まれて、
おろおろと二人の顔を交互に見るしかなかった。
(マーガレット様は……?)
次の攻撃が来るかもしれない。
リリアはシリウスの胸を押して、天使の方に顔を向けた。
マーガレットの姿をした天使は、
地面から生えた植物のツタにぐるぐる巻きに手足を縛られて、
苦しそうにもがいている姿があった。
「離し、なさいよ! 本当に、邪魔ばっかり!」
植物のツタは、フィンネルの魔法なのに、
なぜか天使は浄化できないようだった。
ツタが、ガラスみたいに固くなってる――?
フィンネルとカーライルが、油断なくマーガレットを見据えた。
「中身は天使と言えど、女の子一人に四人がかりって、恥ずかしいね~」
「僕の『固定』が続いているうちに、どう対処すればいいか、話し合おう」
エドガーが、低い声でマーガレットを見た。
「今のうちに吹き飛ばせばいいだろ」
たちまち反感を買う。
「野蛮」
「爆破しか脳がないのかい?」
「ボクより危険人物だねぇ~」
「……」
エドガーは、眉をひくつかせながら黙った。
「マーガレット様を助けだす方法は、ないんでしょうか……?」
天使の中に、まだマーガレットがいる。
リリアは、胸に手を当ててそう願わずにはいられなかった。
カーライルが、顎に手を添えながら、慎重に答える。
「天使に完全に溶け込んでしまっていたら、助け出すのは不可能だけど――」
言葉の先を掻っ攫うように、フィンネルが甲高い声で言った。
「クリス嬢の幸せを聞かなきゃ契約不履行なら、
まだワンチャンスあるかもねっ!」
そのとき、硬化されている植物のツタが、ピキキ、と音を立てた。
みなが一斉に顔を向ける。
「――私が、浄化します!」
マーガレット様と、天使様を分けるように……っ!
リリアは、シリウスの腕を解き、
息を整えて魔力の流れに意識を向けた。
だけど。
「やめたほうがいい」
思わぬところから、ストップがかかった。
エラルド王子だ。
「天使に飲まれているのなら、マーガレットの方が異物さ。
その上にさらに浄化したら、消えるのは、マーガレットだ」
「……っ!」
リリアは、両手を引っ込めた。
なら……どうすれば……っ!
歯がゆい。
もどかしい。
リリアは、唇を噛んだ。
天使を拘束するツタに、ガラスのようなヒビがはいり、
零れ落ちた魔力が破片のようにキラキラ輝く。
もう時間がない。
「ボクらがどうしようもないんなら、
もういっそ、マーガレット嬢に何とかしてもらうしかないんじゃない?」
フィンネルの言葉に、エドガーが食ってかかる。
「何とかって、なんだよ」
「例えばさぁ――」
フィンネルが冗談めかして言った。
「マーガレット嬢の意識が反応せざるを得ない言葉を伝える――とか」
エドガーが納得したように頷いた。
「悪口でも何でもいいから、お嬢を揺らすってことか」
「どうやって届ける……?」
シリウスが首を傾げ、カーライルがリリアを見た。
「僕にいい考えがあるよ」
そう言って、聖女にしかできないある作戦をリリアに耳打ちし――、
リリアは頷いて、鞄の中に仕舞ってあった卒業花を取り出した。




