04. 逃がした鳥
【惑星Zeronia カルザ帝国の神殿】
ゼノンは、湿気が立ち込める暗く冷たい神殿を訪れた。
〈ゼノンよ……〉
アル=ラーグスの声が脳内に響く。
我らの神がいらした……
神殿の闇が、ゆっくりとうごめいた。
天井から染み出すように黒い塊が広がり、それが集まり始める。
やがて巨大な人型の輪郭を作り、闇の奥で、二つの光る目だけが浮かび上がった。
〈おまえは、大切な鳥を逃したな〉
ノヴァのことも見抜いているのか。
ゼノンは光る目を見上げ、両腕を広げた。
「アル=ラーグス猊下、その鳥はEarthへ逃げ帰ったようです。追うべきでしょうか」
〈おまえの鳥は、星脈に呼び寄せられたのだ〉
星脈に……?
〈鳥をおびき寄せろ。そうすれば自ずと、星脈は正体を見せる〉
その声が途切れた瞬間。
アル=ラーグスの黒い体は大量の蝙蝠と化した。
視界が黒に塗り潰される。
バサバサ──────ッ!!
「う……っ」
四方八方に飛び散る蝙蝠の大群に思わず身をかがめる。
蝙蝠が去ると、ゼノンは膝を払い、立ち上がった。
同時に声がする。
「あなた、やはりここにいらしたのね」
エリュシアが神殿の入り口に立っていた。
「ここは女人禁制だぞ」
「わかってます、だからここからは入りません。早く出ていらして」
エリュシアは、ノヴァが消えてからというもの、機嫌良くゼノンのところへやって来るようになった。
「まさかおまえがノヴァを追い出したのではあるまいな」
「あぁら、追い出したなんて人聞きの悪い」
エリュシアはゼノンが入り口から外へ出ると、後をついてきた。
「愛人なんて、正妻の私が良く思うわけないでしょう? そこをお父さまに言われて、黙認してさしあげてたのよ」
エリュシアの父は先代の最高司令官。
ゼノンはその座を射止めるべく、一人娘である彼女と政略的な結婚を選んだ。
「そのうえ私、あなたのために、あの女の正体を調べてやったんだから」
ノヴァの正体?
ゼノンは立ち止まってエリュシアを振り返った。
彼女はそんなゼノンを見てため息をついた。
「ホントやだ、あの女の話になると興味をもって」
「ノヴァの正体とはなんだ」
エリュシアは得意げに笑みをうかべる。
「今、リンクを送るわ」
エリュシアからの神経パルス通信〝NPリンク〟で伝えられた内容は、驚くべきものだった。
わずかに口角を上げた、いつものクールな表情のノヴァ。
その顔の下に、彼女の名前と所属が記載されていた。
[氏名]アリア・カトウ(28)
[所属]テラ軍第一戦闘部隊所属 中尉
「なんだと……?」
エリュシアはゼノンの驚愕ぶりをおもしろそうに笑った。
「とんでもない女だったわね」
「これはどこからの情報だ!」
「お父さまよ。愛人に逃げられてしょんぼりしてるあなたを見かねてお調べになったのよ。そうしたら、こんな結果で笑えるわ」
あのノヴァが……
庭のバラの棘でけがをしてしまうような、か弱いテラ族の女が軍人だと……?
まさか!
ゼノンはすかさず、ノヴァに張ったリンクで彼女を感知しようとした。
「……神経リンクが……途切れた……」
「あらあら、ゆだんしてたら完全に見失っちゃったわね。でも大丈夫よ、お父さまの情報のとおりなら、テラ軍にいるはずだから」
ゼノンはエリュシアを睨んだ。
「そんな怖い目をして……我を失わないようにしてもらいたいわね」
エリュシアも負けじとゼノンを睨み返す。
「あなたの仕事は、皇帝に仕えて、星脈の痕跡を探って、それを利用することなのよ。愛人を追いかけることじゃないわ」
顔を近づけ、見下すような笑みをうかべる。
「……お父さまに見捨てられないように、がんばってね。期待してるわ、あなた」
そしてゼノンに背を向け、足早に去って行った。
ゼノンは壁を蹴りつけ、そのまま額を押し当てた。
「……ありえない」
ノヴァが、自分を欺いていた?
そんなはずがない。
ゆっくりと首を振る。
あの視線も、あの震えも、あの体温も──
すべて、偽りだったというのか。
「違う……」
演じていたのだとしても──それでもいい
それでも、選んだのは私だ
触れた。
見つめた。
それだけで十分だ。
「ノヴァ……おまえは、私から逃げられない」
低く、嗤う。
神経リンクが切れた程度で終わる関係ではない。
必ず、手繰り寄せる。
*
【惑星Earth テラ第41自治区 医療施設】
リラは夢の中にいた。
けれど今度は、今までと全く違う夢だ。
美しい花が咲き乱れる大地。
うす紫のぬけるような空には虹がかかる。
かすかに香る花の匂い。
素足に触れる、柔らかい草のふわふわした感触。
まるで桃源郷のようだ。
リラはそんな世界を歩いていた。
〈リラ〉
呼び止められて振り返る。
そこに立っていたのは、ルーク・ウォンだった。
〈もう悪夢は見ない〉
彼は優しくほほ笑んでそう言った。
ゆっくり目を開けると、ルークの顔が見えた。
え……
これは夢なの……?
「おはよう」
夢の中と同じ表情でそう言った。
リラはいつもの医療用ポッドの中だった。
「再生が終わった。気分は?」
リラは今日、彼の手術を受けた。
ゼノンの神経リンクを切断する手術を。
「終わったの?」
「終わった。わかるだろう?」
リラはうなずいた。
「わかるわ……」
ゼノンの監視は、もうない。
それが、身体の奥で理解できた。
絡みついていた何かが、ほどけて消えた。
──自由だ。
そうだ、脚のタトゥーは……?
リラはタオルケットの中の内腿を確認した。
「薄くなってる……」
くっきりと刻まれていたはずの紋様は、輪郭を失っていた。
「気分が悪くなければ、もう帰っていい」
ルークの声に顔を上げる。
「もう?」
「問題なければ来週から任務に復帰しろとのことだ。良ければ今日は自宅まで送る」
リラは一瞬、言葉につまった。
帰る場所を思いうかべる。
そこにあるのは、整然とした軍の宿舎だけだ。
「……自宅は、軍の宿舎なの」
ルークはわずかに眉を動かした。
「実家は?」
その一言に、胸の奥がわずかにきしむ。
思い出すまでもない。
もう、とっくに失った場所だ。
リラは首を横に振った。
「養父母が亡くなってからはずっと一人で……」
ルークは真顔になった。
「……じゃオレと一緒だな」
「え?」
「オレは母子家庭で育った。けど三年前に母が亡くなって、兄弟もいないし」
ただ軽薄そうな男だとばかり思っていた。
──違うかもしれない。
その奥に、別の顔がある。
「とりあえず、出る準備をしようか」
ルークは話題をもとに戻した。
「ここの施設は今日までしか使えないらしい」
「えっ……そうなの?」
「直接軍まで送る。どうせオレも行かなきゃならない」
リラはポッドの外を見回した。
どこまでも白い、無機質な壁。
窓がないため、時間を感じられない。
「16時」
ルークが察して答えた。
「ニコライは?」
「昼過ぎにきみの手術が終わって先に軍に戻った」
信頼しているニコライの姿はない。
この男と二人きりだという事実に、一抹の不安を感じる。
「……ところで、ここはどこなの?」
Zeroniaから直接ここへ連れて来られた。
すぐに整形手術からの神経リンク切断手術。
時間はおろか、場所すらわかっていない。
「第41自治区だ」
「41……」
第41自治区は、テラ軍の拠点である第1自治区からはかなり離れている。
「準備してすぐ出れば19時には軍の宿舎に着くだろう」
「軍まで何で移動するの?」
「オレの宇宙船」
オレの、宇宙船?
医者のはずだ。
なのに宇宙を巡回している?
何者なの、この人。
疑問が次々とうかんでくる。
謎が多い人物で不安はあるが、とりあえず彼の言うとおりに軍まで送り届けてもらうほかない。
「わかったわ、準備する」
リラはそう言い、その場を去ろうとしないルークをじっと見た。
「ん?」
見つめ返すルーク。
「出て行ってくれない? 服を着たいの」
「あ、失礼。美しすぎて、つい見とれてた」
彼はそう言ってこちらに背を向けた。
リラは、はぁっと息を吐いて肩を落とした。
いかにも女性問題を起こしそうなセリフだ。
身じたくをして施設を出ると、ルークの車に乗り込んだ。
リラは横目で密かに運転席の彼を観察する。
カジュアルな麻のニットにジーンズ。
片耳に二つのピアス。
首もとに大ぶりのシルバーネックレスと水晶のネックレスが重なり、指にはシルバーリングが光る。
そしてかすかに香る、やわらかいムスクの香水。
……チャラい。
医者には見えない。
どうやら、仕事は医師だけではないらしい。
オリオン宇宙域でいろいろな商取引をしながら、そのかたわらで医師の仕事も受けるフリーランス。
そのため、いろんな種族の神経リンクのたぐいにも詳しくなったと。
テラ軍退役後も、何度か軍の任務に協力していたらしく、今回も要請を受けて参加するとのことだった。
『スカイハイウェイを離脱します。衝撃にご注意ください』
AIのアナウンスの直後、身体に振動を感じる。
青く発光するスカイハイウェイのレーンを外れると、重力制御フィールドの支えが外れ、周囲の光は途切れた。
あたりは一気に暗くなる。
車はすぐに宇宙船ポートに入り、異彩を放つ一機の宇宙船に近づいた。
「これがあなたの船?」
「そうだ」
流線型のボディはブラックとシルバーのグラデーション塗装。
光の当たる角度でオーロラのようなメタリックが輝く。
「キレイね」
素直な感想が口をついてでた。
「だろ?」
ルークはわずかに口の端を上げた。
「こいつを維持しなきゃならないから暇なし」
吸い込まれるように車はカーポートに入る。
宇宙船の中で車を降りると、ドラム缶型のアンドロイドが二人を迎えた。
『お帰りなさいませ、ご主人さま』
──なにこれ。
昔のSF映画に出ていたような、レトロなアンドロイドだ。
『リラ・ミタライさま、ようこそメビウス号へ』
エントランスのダークシルバーの壁に小さく、〝∞〟のマークが刻印されている。
〝無限〟というところがなんだかキザな彼らしいネーミングだ。
『わたくしはこのメビウス号のコンシェルジュ、L2-D2でございます』
シャーッと滑るようにそばにやって来る。
『さ、どうぞこちらへ。お荷物はわたくしがお預かりいたします』
L2-D2は、金属のフレキシブルアームを伸ばし、リラのバッグを持った。
『すぐに離陸いたしますので、こちらのコックピットの座席におかけになってお待ちください』
リラはL2-D2に促されるまま、コックピットの黒い革のシートに腰を下ろした。
フワッと身体が浮くような感覚。
無重力チェアだ。
シートベルトが両肩の上からとウエスト部にシュルシュルっと締まる。
コックピットの前面にはツヤ消し加工されたメタリックのコンソールパネルがあり、ルークは離陸のための操作を始めた。
継ぎ目のないパネルには操作部のほかにアナログな計器が並んでいる。
「めずらしいわね、こんなコンソールパネルがあるなんて」
最近の宇宙船は操縦をAIが完全制御している。
物理的なパネルはないものがほとんどだ。
「もちろんL2-D2に言って自動にするときもあるけど、基本は自分が操作する」
ルークは話しながらパネルをスワイプする。
「自分が飛ばしてる感覚が好きなんだ」
その横顔は少年のように楽しげに見えた。
リラは見覚えのあるその物理パネルに指先を触れる。
「しかもこれ、あれでしょう? Y2コンソール」
ルークは意外そうな顔をしてこちらを見た。
「なんで知ってるの?」
「軍に入ったときは機関システム部隊にいて、宇宙船システム開発チームにいたの。Y2コンソールの開発者と一緒に働いてた」
「そうなのか」
軍では本格実用にいたらなかったマニアックなコンソールだった。
「でもこれは、軍にあったものよりクール」
「そりゃオレの船だから」
即答。
……こういう人か。
リラは小さく肩をすくめた。
やがて宇宙船が航行ルートまで高度を上げると、自動的にシートベルトが解除された。
「十五分で下降する。ゆっくりして」
無重力チェアは静かにリクライニングする。
天窓からは天の川が見えた。
リラは子どものころから星を見るのが好きだった。
白銀と闇が混ざり合った、水彩画のような星雲。
眺めていると、不思議と落ちつく。
「ねぇ、私、手術直後だけど、何か気をつけることはないの?」
リラは隣のチェアに座るルークを見た。
「普通どおり生活してかまわない。来週、術後の経過を診る。何かあれば連絡してくれ。ホロセル、教えて」
リラは言われるままに自分のホロセルをポケットから出した。
おたがいのデバイスを近づけ、カード全体が発光するとつながり、それ以降通信が可能になる。
「〝ルーク〟って呼べばいい?」
「ああ。きみは〝リラ〟?」
「うん」
設定した名前で呼びかければ相手につながる。
ホロセルに視線を落とした彼にコンソールパネルのやわらかいライトが当たり、彫刻のような横顔を際立たせた。
「ルーク」
リラはそんな彼の名を呼んだ。
「ん?」
そしてこちらを向いた彼に右手を差し出した。
そういえば、ちゃんと挨拶をしていないことを思い出した。
「ありがとう。来週からもお願いします。チームメンバーとして」
ルークは穏やかな表情でリラの手を取った。
「こちらこそ」
その手は、思ったよりも温かかった。
リラは、そっとにぎり返した。
天窓の向こうで、星がひとつ流れた。




