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01. 愛人ノヴァの脱出



〜アストラ族の滅亡から28年〜


惑星Zeronia。


銀河の覇権を握るカルザ帝国軍が支配するこの星で、その女は今日も〝ノヴァ〟として息をしている。


敵軍最高司令官ゼノンの――愛人として。



【カルザ帝国軍基地 司令部】



「ノヴァ、こちらへ」


カルザ帝国軍、最高司令官ゼノンの私室。

ここでその声に逆らうすべはない。


ノヴァはゼノンのもとへ歩み寄る。


穏やかな庭園。

柔らかな風。

ここが戦争を指揮する男の部屋とはとうてい思えない。


「この平穏も長くはない」


ざらついた指先が、ノヴァの髪に触れた。


「次は……Earthですか?」


「怖いか? おまえの故郷だ」


ノヴァは首を振った。


「今は、あなた様のものです」


ゼノンは笑う。


「……私も、おまえに縛られている」


唇が重なる。

そして二人は、いつものようにデイベッドへ横たわった。


ゼノンの影が覆いかぶさり、

ノヴァは静かに目を閉じる。


 

ノヴァは、惑星Earthを統括するテラ軍の中尉だ。

――だが、それは本当の名前ではない。


名を偽り、身分を隠し、カルザ帝国軍、最高司令官ゼノンの元へスパイとして送り込まれた。


一年かけて、ゼノンの愛人という地位まで登り詰めた。


そして今、カルザ帝国軍の、オリオン宇宙域制圧作戦を探っている。



「皇帝が……おいでになっていたのですか?」


ゼノンのザラついた舌と唇の感触を体に感じる。

今日もそれらしく身をよじり、吐息混じりに帝国軍の動きを探った。


「そうだ……Earth侵攻のめいを下されたのだ」


Earth侵攻。


その一言に、ノヴァの体の芯が凍る。


「我らの神、アル=ラーグスが、かのアストラ族の力がEarthに眠っているとおおせらしいのだ……」


「アストラ族は……カルザ帝国軍が滅したのでは……?」


「そうだ……そのはずだった。だが〝星脈〟をEarthから感じるようになったらしいのだ……」


Earthにアストラ族の力が眠っている?

そんな話は聞いたことがない。


アストラ族――


かつて惑星Eliosに王国を築いた種族。


白銀の髪。

蒼白の肌。

そして王族は〝星脈〟を持っていた。


宇宙の意識へ触れる力。


だが王アルセリオンは、カルザ帝国軍に奪われる前にEliosを崩壊させた。


滅びたはずだ。


それが、なぜEarthに?


「我々は……」


ゼノンの吐く息がノヴァの耳元にかかる。


「テラ族が隠しているアストラ族の力を手に入れなければならない」


ノヴァは、ゼノンの腕の中で思考を巡らせる。


この場で殺せば終わる――


だが、帝国軍はすでに動いている。

この男を今ここで殺しても、何も変わらない。


遅すぎた。


ノヴァは、抱き寄せるゼノンの腕に抗わない。

そのぬくもりを感じながら、心だけを完全に切り離す。


任務は終了だ。

帰還する。


そして守る。

テラ族のEarthを。






行為の最中、衝立の向こうから部下の一人の声がした。


「ゼノン様」


どんな時も室内に監視役の部下が待機している。

ゼノンは忌々しそうな声を上げた。


「なんだ」


衝立越しに部下は抑えた声で話を続ける。


「エリュシア様から通信要請が。ゼノン様がリンクを切っておられると」


Nerve Pulse Link(神経パルス通信)。

神経を通して通信する、カルザ族特有のリンクだ。


エリュシアは、夫のゼノンと愛人の行為を邪魔したいのだ。


ノヴァの存在は、ゼノンが統括するこの基地では暗黙の了解になっている。


正妻のエリュシアが、許せるはずもない。


「どうせ緊急の要件ではなかろう……」


「Earth侵攻の件を聞きたいと」


「後で話すと言っておけ」


ゼノンはかまわずにノヴァにキスしながら腰を動かす。


「あぁゼノン様……お願い……まだ……」


この演技ももう終わりだ。


「ノヴァ……おまえのその声に興奮する」


カルザ族の茶褐色の肌と低い声は、戦闘種族の象徴だ。


その対極にあるテラ族の白い肌と繊細な声は、彼をたかぶらせるのだろう。


ノヴァはこの潜入作戦にあたり、声帯を手術して高く繊細な声に変えていた。



その後もしばらく行為を続け、やがて果てて満足したゼノンは、部屋を出て行った。


部屋に残ったゼノンの部下に監視される中、ノヴァは気怠い体を起こし、シャワーを浴びに行った。


天井から降り注ぐ霧のようなシャワーを浴びながら、壁に両手をついてうつむき、目を閉じる。


ここから、脱出しなければならない。


潜入作戦は、ここまでだ。

テラ軍に知らせなければならない。


この司令部近くの海岸に隠したコミュニケーター。

あれを起動するしかない。


監視の目を逃れ、どうやって海岸部まで行くか……


焦るな。

だが時間の猶予はない。

皇帝ラーゼル九世が直接Earth侵攻のめいを下した。


ノヴァは考えながらシャワーを浴び終え、長い髪を乾かした。


用意されていたバスローブに身を包み、部屋へ戻るとそこには、エリュシアの姿があった。


茶褐色の肌に赤黒い艶のある長い髪。

瞳には虹彩が無く、真っ黒なブラックホールのようで、吸い込まれそうだ。


「エリュシア様……ゼノン様は司令部へ行かれましたが」


エリュシアは面白くなさそうな表情をしてノヴァに近づいた。


「用事があるのは、ゼノンではなく、あなたによ、ノヴァ」


低い声でそう言い、ノヴァの目の前に立った。


そしてノヴァが身につけたバスローブの胸元を握り、一気に剥ぎ取った。


「わざわざこんなものを用意されて……あなたいったい何様なのよ?」


全裸になったノヴァは身を固くして立ち尽くす。


「皇帝がお越しだというのに……」


エリュシアは、舐め回すようにノヴァの頭のてっぺんから足のつま先まで見る。


「黙っていればいい気になって……いったい、こんな弱々しいテラの女のどこがいいと言うのかしら……」


ついに、夫の愛人の存在に対して怒りが沸点に達したようだ。


「お言葉ですがエリュシア様……」


「なによ」


「ゼノン様は、わたくしのこの、白い肌と繊細で高い声をお気に召しておられます」


ノヴァの言葉に、エリュシアはカッとして漆黒の瞳の色を赤黒く変化させ、右手を大きく振りかぶって頬を平手打ちした。


カルザ族の剛腕に殴られた瞬間、視界が白く弾け、ノヴァは床に倒れた。


正妻と愛人の対峙を、監視が固唾を呑んで見守っている。


「二度と私の目の前に姿を現さないで。もしまたその姿を見た時は、命はないと思いなさい」


言ったなエリュシア。

出て行く理由ができたじゃない。


ノヴァは、その機を逃すまいと胸の奥で静かに決意した。




脱出のチャンスは向こうから転がり込んできた。


エリュシアが嵐のように部屋を去ると、ノヴァはその場にうずくまり、声を殺して泣いた。


いや、渾身の泣く演技をした。


「ノヴァ様、大丈夫ですか」


ゼノンの部下の監視役が慌てて、エリュシアに剥ぎ取られたバスローブを拾い、うずくまるノヴァの背中にかけた。


「お顔をお見せください」


ノヴァは顔を上げた。


――まずい。涙が出ていない。


慌てて涙を拭う素振りを付け加えた。


「ああ……お美しいお顔にアザが……ゼノン様にお叱りを受けます! すぐに手当を!」


「少し冷やせば大丈夫よ、大事おおごとにしてはますますエリュシア様の怒りを買うわ。つい出過ぎたことを言った私が悪いのよ」


騒ぎを大きくされては困る。


「ゼノン様には、私がボーッとしてベッドから落ちたと伝えて」


監視は、エリュシアのことも無碍にできないため、ノヴァの提案に頷いた。


「……少し一人で外の風に当たりたいわ……服と、何か冷やせる物を持って来てくれる?」


「承知しました」


ノヴァは監視が持って来た服を着ると、とばりとペンでゼノン宛にメッセージを書いた。


カルザ族同士でなければ神経パルス通信はできない。

メッセージは紙に書くしかない。

 


──親愛なるゼノン様


わたくしのような者がゼノン様の寵愛を受けることは、カルザの繁栄の妨げになります。

今までのご恩は生涯忘れません。

もうお会いすることは叶いませんが、どうか、お体だけはお大事に。

戦闘のご無事をお祈り申し上げております。


 ノヴァ──

 


この一年、必死で習得した、カルザ語の別れのメッセージをしたためた。


喋る言葉は、耳に装着するイヤーカフ型言語変換器、トランスレクサーで瞬時に変換されるので、テラの言葉のままで通じる。


だが文字だけは自力で書かなければならなかった。


ノヴァはゼノン宛に書いた遺書めいたメッセージをベッドサイドの引き出しにしまった。

ここに入れておけば、ゼノン以外が見ることはない。


「少し、外の風に当たってくるわ」


監視にそう言い、部屋を出た。


海岸へ降りる階段を進み、少しの間、砂浜を歩きながら海を眺めた。

階段の上に監視の姿が見えていたが、やがて何かの連絡を受けたようで、その姿が見えなくなった。


今だ。


ノヴァは周囲に気を配りながら、コミュニケーターを隠した海岸の洞窟へ急ぎ、それを起動した。


腕時計のようなデバイスで、通称〝リンクコム〟と言われる、軍用のものだ。


腕時計の円盤上に、小さな3Dホログラム映像が立ち上がる。


『こちらテラ軍第一戦闘部、アラン・ロベール少佐だ』


ロベール少佐!


小さなホログラムとは言え、一年ぶりに見るその姿に安堵した。


「アリア・カトウ中尉です、帰還します」


自分の本名を口にするのも一年ぶりだ。

どこか他人のようにも感じる。


『待っていたぞ、カトウ。ゼノンは?』


アリアは一呼吸置いた。


――ノヴァとして生きていた自分を、切り離すように。


そして喉の奥から搾り出すように声を出した。


「ゼノンは……()れませんでした」


チャンスがなかったわけではない。

ただ、やれなかったのだ。


『まずは君の無事がいちばんだ』


ロベールの声は、アリアをねぎらねぎらうように穏やかだった。


「少佐、私の身代わりになる女性の遺体を手配願います」


『了解した。予定通り迎えをやる』


「了解」


短い通信を終え、リンクコムを切った。

カルザ族には探知されない通信だが、それでもあまり長時間は危険だ。


暗い洞窟を進む。

やがて、反対側の光が見えた。


外に出るとそこは港だ。

ここから船で宇宙船発着地へ向かう。


数時間かけ船に揺られる間、アリアはうたた寝をした。


夜は、あまり眠れないことが多かった。


平静を装わなければならなかったが、テラ軍のスパイだとバレれば容赦ない拷問に遭い、公開処刑が待っている。


その恐怖と隣り合わせの日々で、悪夢にうなされることは少なくなかった。


露見した時は死ぬ覚悟だった。

拷問に遭って公開処刑を受けるよりマシだ。


そんな日々の中で、ゼノンの優しさにひとときの安らぎを覚えていたのは事実だった。


庭のバラの棘で小さな怪我をした時、ゼノンはまるで子どもの手当てをするかのようにノヴァに優しく接した。


〝ノヴァよ、そなたは放っておけぬ〟


そう言って、指に包帯を巻いた。


だから――


()れなかった。


アリアの頬に涙が流れた。





船の汽笛が鳴り、目を覚ます。

宇宙船が停泊するポートが見えた。


「着いた……」


ついに、ここまで来た。

すでに辺りは暗く、夜のとばりが下りていた。


Earthへ向かう商用宇宙船のポートへと進む。


用意していた偽造の個人IDを確認し、ゲートを進もうとした時だった。


「あれ? どこかでお会いしませんでしたか?」


見知らぬカルザ族の男に声をかけられた。


「いえ……」


アリアは控えめにそう答えた。


「いや……どこかで見たことがある……そうだ、帝国軍の基地だ」


ドキリとしたが、足を止めずに進む。


「まぁ待てよ、少し話してくれても……」


カルザ族の男がアリアの腕を掴んだ。


身構えた時、男とは反対側から、テラ族の男性の声がした。


「ここにいたのか」


アリアは声のする方に顔を上げた。


背の高い、テラ族の男性。


精悍で高い頬に、切れ長の綺麗な奥二重の目。

品良く上がった口角。

短髪の黒髪。


優しげに見えるが、その瞳は鋭くこちらを捉えていた。


「迎えに来た、行こう」


すぐに彼がテラ軍の人間だとわかった。

一年ぶりに見る同族の顔だ。


カルザ族の男はチッと舌打ちし、すぐにその場を離れた。


「今の男に見覚えは?」


そう聞かれ、アリアは首を横に振った。


「ありません」


本当に覚えはなかった。


彼は、去った男の後ろ姿を見送りながら息をつく。


そして改めてアリアに向き直った。


「テラ軍第一戦闘部のキリュウだ」


その名前には聞き覚えがあった。


「カトウです」


「無事で何よりだ」


キリュウはアリアの耳に顔を近づけて指示した。


「まずはトイレで服を着替えろ。君の身代わりの女性に、その服を着せる」


「了解」


アリアは個室に入り、キリュウに渡された服に着替えた。


身代わりになる誰かの存在が、頭をよぎる。


だが、その顔を想像する前に、意識的に思考を断ち切った。


「服はこのロッカーに」


キリュウに指示され、所定のロッカーに脱いだ服を入れた。


彼はその鋭い視線だけを動かし、辺りを確認する。


「行こう、もうすぐ出航だ」


アリアは彼と共にEarth行きの宇宙船へと乗り込んだ。


個室へ入り、キリュウと二人になると、アリアは唇を噛み、立ち尽くした。


「どうした?」


様子を伺うようアリアの顔を覗き込むキリュウ。

その頬に、一筋の涙が落ちる。


「……ゼノンを……れなかった」


私は――スパイ失格だ。


「カトウ、君の任務の目的はゼノンの暗殺だけではなかった。君が見聞きしてきたこの一年の情報がどれだけ我々にとって有益なものとなったか」


キリュウに支えられ、アリアは硬いベッドに座った。


「大丈夫か」


その穏やかな声にアリアは頷き、手の甲で涙を拭った。


「……大丈夫です」


「よくやった」


アリアは、彼のことを知っていた。

対カルザ帝国軍との戦闘で功績を残している軍のホープ的存在だ。

同期のはずだが、彼はすでに大尉だった。


それゆえなおさらに、ゼノンの息の根を止められなかった自分が不甲斐なかった。


「まずはここで休め」


いたわるような声色は意外だった。


軍で遠くから見る彼は、いつも厳しい表情をしていたからだ。


「キリュウ大尉」


アリアは気持ちを切り替え、顔を上げた。


「皇帝ラーゼル九世が、帝国軍にEarth侵攻を指示しました。あまり時間はないと思われます。すぐに私の記憶をテラ軍に転送してください」


頷くキリュウ。


「わかった、横になれ」


アリアはそのままベッドに横になった。


記憶転送バンドが頭部に装着される。


「少し眠るといい」


キリュウの低く温かい声ににそう言われ、アリアは大きく息を吸って吐き、目を閉じた。


柔らかなブランケットの感触に包まれ、アリアはすぐに眠りの淵へ落ちた。

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