18. 嘘
【第一戦闘部隊 射撃訓練場】
リラは機関システムの任務を済ませ、射撃場の訓練用ホロプログラムに向かっていた。
医療部隊のジアン・パクが不審な動きを見せ、軍本部はカルザ族による神経リンク開通と判断した。
確実に軍内部に神経リンクは侵食している。
こうしている間にも、ゼノンに監視されているかもしれない。
射撃場に着くと、武器庫の施錠を解除し、自分のライフルを手に取る。
大丈夫、もう中級コースはクリアできる。
「……はず」
小さくつぶやき、ホロプログラムへ入った。
中級コースはテラ軍内にカルザ族が侵入してくることを想定した訓練だ。
普段通りの軍の様子。
本当によくできている。
リラは注意しながら通路を進んだ。
横を通り過ぎようとしていた隊員二人がライフルを向けてきた。
来た──
一人を撃つ間にほかの一人に後ろからライフルを持った腕を掴まれる。
合気道の組手を使い、腕を引いて相手を倒して撃った。
よし!
リラは立ち上がり、先へ進む。
そこへなぜか、ルークが姿を現した。
「え……?」
実際の登場人物は出てこないはずだ。
〈リラ〉
彼はいつものようにリラに優しくほほ笑みかけた。
どういうこと?
「ルーク?」
いたずらでプログラムに入り込んでいるの?
〈おいで、行こう〉
いぶかしげなリラの手を引くルーク。
「待って、どういうこと?」
そのルークの腕の色が、茶褐色に変化する。
え……?
〈ノヴァよ、私だ〉
その声に、心臓を鷲掴みにされた。
〈驚いたか〉
ゼノンだった。
「なぜ、ここに?」
ゼノンはいつもの優しげなほほ笑みを浮かべていたが、やがてその顔は敵に向ける凶悪な司令官の顔になる。
〈おまえの居場所はわかっている〉
ゼノンはそう言うと、その両手でリラの首を絞めた。
「う……っ」
しまった……
ゆだんした……
〈おまえは、私から逃れられない〉
その手の力は加減なく強くなる。
おかしい……
本当に、首を絞められている。
ホロプログラムにも、物に触れる感触はあり、体に圧力がかかることはある。
だが安全装置があり、危険が及ぶようなことはないはずだ。
「……っ」
気が、遠くなる……
そのとき、遠くから犬が吠える声が聞こえてきた。
リアム?
リラは力をふりしぼり、ゼノンの腕を掴んだ。
〈私に抵抗しようというのか、ノヴァ。おまえも変わったものだ。その姿形と同じように〉
「リアム……」
やっとの思いで、蚊の鳴くような声を出す。
するとあたりの景色はふっと消え、リラは無機質なプレイルームの真ん中に倒れた。
「リラ!」
キリュウの声がした。
同時に、リアムの吠える声がする。
「ワンッ、ワンッ」
「リラ、しっかりしろ」
キリュウに上半身を抱き上げられた。
リアムがキュンキュン言いながらリラの頬に鼻をくっつける。
リラは咳き込んだ。
「大丈夫か」
「だい……ごほっ、ごほっ、じょぶ……」
いったいどうなってたの……?
「プログラムに……ルークが出てきて……」
「ルークが?」
リラは上半身をキリュウの腕から起こし、プレイルームの冷たい床を感じながら座った。
「でもそれが、ゼノンに変わったの」
キリュウはそれを聞いて息を吞む。
「ゼノンに首を絞められた。〝おまえの居場所はわかっている。おまえは私から逃れられない〟って……」
リラは、横にいるリアムを撫でた。
「なぜリアムがここに? クドウがいるの?」
キリュウはため息をついてうなずいた。
「この部屋の前に、リアムを連れたクドウがいたんだ」
なぜ、訓練プログラム中に──?
「リアムが、クドウに向かって吠えてた。様子がおかしいので近づくと、きみがプログラム使用中なのがわかった」
「クドウは?」
キリュウは首を横に振った。
「無言で立ち去った」
そんなことは、いつものクドウならありえないはずだ。
「目が……」
うつむき加減だったキリュウは、つぶやくようにそう言い、リラを見た。
「カルザ族のリンクに支配された目だった」
やはり、クドウは──
「保安部に連絡する。きみは念のため医療室に」
リラはリアムを腕に抱いて撫でた。
「パートナーが……違う人になっちゃったのね、リアム……」
リアムはクゥンと、か細い鳴き声を上げた。
【医療棟】
リラはキリュウに付き添われ、医療室で診察を受けた。
倒れた拍子に肘をすりむいただけだ。
「リアム、助けてくれてありがとう」
リアムを撫でていると、ルークが慌てた様子で入って来た。
「リラ、大丈夫か」
リラは顔を上げてうなずいた。
「平気よ、すりむいただけ」
ルークは息をついて肩を落とし、リラを抱き寄せた。
「良かった……」
ルークの温もりに包まれると落ち着いた。
「ルーク、対策室で処遇を伝える。リラと話してから来てくれ」
キリュウは神妙な面持ちでそう言い、リアムを連れて医療室を出て行った。
リラとルークは静かな医療室に残された。
「きみに、話さなきゃならないことがある」
その抑えた声に、不安がよぎる。
さっきまでの温もりが、急に遠くなる。
「なんなの……?」
向かいに座ったルークは、少しだけ視線を落としたあと、淡々と話し始めた。
「オレは、もうテラ軍を出る」
──は?
周囲の音が消えた。
「どういうこと?」
言葉は出たのに、自分の声ではないようだった。
「ほかの仕事が忙しい」
意味がわからない。
そんな理由で? 今、この状況で?
「そんな……」
喉の奥が渇いてひりつく。
「きみには、特定の人になってと言ったけど……」
何の話をしているのかわからない。
ただ、嫌な予感だけがふくらんでいく。
ルークは顔を上げた。
どこか作ったような、軽薄な笑み。
「Earthの特定でいい?」
思考が止まる。
「……は?」
聞き間違いだと思った。
いや、思いたかった。
「オレは、それぞれの惑星に特定の女性がいるんだけど」
心臓が、どくん、と鈍く鳴る。
何を言っているのか、理解したくないのに、言葉だけが頭に入り込んでくる。
「きみは、Earth担当」
──ああ。
そういうこと。
さっきまで抱きしめてくれていた腕が、急に気持ち悪く思えた。
最初から、そういう男だった。
わかっていたはずだ。
かるくて、どこか信用できないところがあった。
なのに──
リラの中で、何かが音を立てて崩れた。
気づいたときには、体が動いていた。
乾いた音が、医療室に響く。
ルークの顔が横に弾かれる。
自分の手が、じん、と痺れていた。
「い……てぇ……」
その声で、現実に引き戻される。
激しい動悸と共に胸が痛み、視界がにじむ。
突きつけられた言葉が頭の中で繰り返される。
〝それぞれの惑星に特定の女性〟
〝きみは、Earth担当〟
ふざけるな。
「バカにしないで!」
声が震えた。
抑えようとしても止まらない。
これ以上ここにいたら、何を言うかわからない。
リラは踵を返した。
ドアを開けると、外にキリュウが立っていた。
──聞いてたの?
一瞬だけ視線がぶつかる。
でも、何も言えなかった。
唇を強く噛んで、そのまま走り出す。
どこをどう走ったのか、覚えていない。
気がつけば、自室のベッドに倒れ込んでいた。
あんな男に本気になった自分が情けない。
左手首に視線が向く。
ブレスレット──
一瞬、ためらいがよぎる。
でも、次の瞬間には掴んでいた。
壁に向かって、思い切り投げつける。
それでも足りない。
胸の奥のぐちゃぐちゃしたものが、全然消えない。
「……っ」
喉がつまって声にならない。
そのまま、崩れるようにベッドに突っ伏した。
──なんで。どうして。
涙が止まらなかった。
しばらくベッドに突っ伏していて、ふと、左内股の違和感に顔を上げた。
ピリッと静電気が走ったような気がした。
まさか──
リラは、はっとしてベッドに座り、はいていた軍服のパンツを脱ぐ。
「あ……!」
〝X〟
その輪郭がうっすらと浮かび上がっていた。
背すじが冷たくなる。
ゼノンの大きな褐色の手に脚を掴まれたような気がした。
「……ブレスレット」
慌てて壁に投げつけたブレスレットを探す。
「ブレスレット……どこ?」
リラは壁の前にひざまずき、床に落ちた銀のチェーンを拾い上げた。
両手に強く握る。
お願い。
やめて、復活しないで……
肩が震え、呼吸が荒くなる。
「いや……」
助けて──
*
リラが出て行った医療室で、ルークは大きく息を吐いて天井を仰いだ。
「あぁ……最悪だ……」
リラを傷つけるだけで終わってしまった。
「最悪だな」
入り口から低い声がする。
「クゥン……」
一人と一匹が入って来た。
ルークは舌打ちした。
「なんだ、いたのか」
キリュウはルークから少し離れた椅子に座った。
「リアム、Down」
リアムはコマンドを聴いて床に伏せた。
「S-7会議の結果、おまえはAKF預かりということで残留だ」
ルークは顔をキリュウに向けた。
「この期に及んで残留? どのツラ晒して彼女と仕事すりゃいいんだよ」
「神経リンク切除術は、おまえにしかできない。それに──」
キリュウはそこで言葉を切り、一拍おいて先を続ける。
「おまえを宇宙に野放しにする方が危険だ。カルザ族の思う壺になる」
ルークは目の前の床に視線を落とし、少しの間、ぼうっと無言でいた。
そして視線を上げてつぶやくように言った。
「ホロONE、ルーク・ウォン、V035824」
そのコードにAIが反応する。
「検索〝ルミナ・ウォン、施設〟」
3Dホログラムが、ベッドに横たわるルークの母親の姿を映し出した。
白髪に、痩せこけた頬の、アジア人。
「……母親か」
キリュウの声に、ルークは一点を見つめたまま答えた。
「……最期の一年は寝たきりだった」
脳の難病だった。
記憶障害、意識障害に始まり、動けなくなって寝たきりになる。
皮肉なもので、他人の脳の病気は治せても、母親の病気は治せなかった。
「病気になるずっと前──父親のことを訊いたら、話せるような人物じゃないと言われた。それ以来、訊いちゃいけないと思って、訊かずにいたんだ」
焦点の定まらない瞳で、記憶の断片をなぞるようなルークの独白を、キリュウは黙って聞いている。
「どうせ、ロクでもない男なんだろうと思ってさ」
自嘲気味に短く鼻で笑う。
「……想像以上に、ロクでもなかった」
笑みが消えた。
医療室に、沈黙が流れる。
「テラ軍として、できる限りのことはする」
キリュウの言葉に、ルークは視線を動かさず、そのまま答えた。
「彼女を、なぐさめてやって。あんたが適任だ」
そう言って立ち上がったときだった。
キリュウがリンクコムのメッセージ着信に、視線を落とす。
「……リラ」
その名前に、リアムが顔を上げる。
「──まずい」
キリュウは顔色を変え、ルークを見た。
「太もものタトゥーが復活した、と……」
血の気が引いた。
──しまった!
思考より先に、体が動いていた。
「行ってくる」
ルークはそれだけ言い残すと医療室を飛び出した。
「保安部隊! 至急、女子宿舎のリラ・ミタライの部屋へ」
後ろからキリュウの声が聞こえた。
廊下を駆ける。
靴音がやけに大きく響く。
さっきのリラの様子が頭から離れない。
震えていた声。
赤くなった目。
あんな顔をさせたいわけじゃなかった。
奥歯を噛みしめる。
エレベーターを待つ時間すらもどかしくて、階段へ向かう。
手すりを掴み、一段飛ばしで駆け上がった。




