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19. 覚醒




【女子宿舎】




ルークはドアを叩いた。


「リラ!」


返事はない。


もう一度、強く叩く。


「リラ、開けろ!」


「……来ないで」


かすれた声が、ドア越しに聞こえた。


胸を殴られたように息がつまる。


「リラ、さっきのは──」


「来ないでって言ってるでしょ!」


拒絶する強い声。


「……顔も見たくない」


ルークは、ドアについたままの拳をギュッと握りしめ、うつむく。


何か言わなければと思うのに言葉は出てこず、ドア一枚隔てた向こうにいる彼女は、どうしようもなく遠い。


「……タトゥー、復活したんだろ」


感情を押し殺し、声を絞り出した。


「……なんで知ってるの?」


「メッセージ送っただろ」


「カイに送ったのよ!」


「カイもいる」


廊下を曲がってキリュウとリアムが姿を現す。


リラはドアの向こう側で、何かを押し殺していた。


「消えたと思ってたのに……」


かすかに聞こえる声。


「もう、解放されたと思ってたのに……」


彼女をこんな状態で一人にしてはいけない。


「ドアを開けろ。処置が必要だ」


「イヤ」


即答だった。


「あなたに触られたくない」


一瞬、思考が止まる。


「……私は、Earth担当なんでしょ?」


淡々とした声。


「そんな都合のいい女にはならない」


違う。

そうじゃない。


でも、そう言ったのは自分だ。


「それは……」


口にしかけて、言葉を吞みこむ。


彼女を、自分と関わる危険から遠ざけたかった。


でも本当は、まだ、自分がアストラ王族だという事実を受け止められていないだけだ。


だから傷つけるようなことを──


沈黙が流れる。


その向こうで、リラの呼吸が乱れていくのがわかる。


「……っ」


息を呑む気配。


「リラ?」


嫌な感覚が背中を走る。


「大丈夫か」


返事がない。


代わりに──


「……やめて」


震える声。


「来ないで……来ないでよ……」


さっきまでの拒絶とは違う。

あきらかに、怯えている。


キリュウがドアに顔を寄せてリラに訊く。


「リラ、どうした」


「……いるの」


涙声になっていた。


「ここに……いる……」


ルークはキリュウと顔を見合わせた。


「誰が」


一段強めたキリュウの声。


少しの沈黙。


そのあと──


「……ゼノンが」


その名前が聞こえた瞬間、空気が変わった。


「キリュウ大尉!」


保安部隊が数人駆けつけた。


「リラ、開けるぞ」


キリュウの声にすぐに反応する。


「だめ、来ないで!」


その直後。

中から、何かがぶつかる音。

押し殺した悲鳴。


「ワンッ、ワンワンッ」


異変を察知したのかリアムが吠える。


「緊急事態だ、開けてくれ」


キリュウが保安部隊に指示する。


「ミタライ中尉、ロックを解除します」


保安部隊の一人がロック解除のための指紋パネルにカードをかざした。

スーッと音もなく横にスライドする、強化合金の薄いドア。


「リラ!」


室内に踏み込んだ瞬間、よどんだ空気の重みで、体が圧迫されるような錯覚に陥った。


リアムの唸り声が背後から聞こえる。

視界の端で、何かが揺れた気がした。


部屋の奥では、リラがベッドの端にいた。

肩を抱くように腕を回し、うずくまるように座っている。


「リラ」


一歩、近づく。


「来ないで!」


鋭い声。


リラが顔を上げる。

涙で濡れた目。


その奥に──

拡張した瞳孔が見えた。


ぞくり、と背中が粟立あわだつ。

室温が下がったように感じた。


〈……ノヴァ〉


低く、異質な声が響く。

リラの喉から、二つの響きが同時に漏れた。


ルークの足が止まる。


保安部隊はライフルを向けた。

キリュウがそれを制止する。


リアムの唸る声。


〈来るなと言ったはずだ〉


その声も、不敵な表情も、あきらかにリラのものではない。


「ゼノンか」


ルークがその名を呼ぶと、リラの口の端がゆっくりと吊り上がる。


〈やはり来たか、アルセリオンの息子よ──〉


〝アルセリオンの息子〟


その言葉がルークの胸に深く突き刺さった。

だが、ひるむわけにはいかない。


「そこから、離れろ」


低い声でゆっくり言う。


「その身体からだから出ろ」


リラの肩が小さく震える。


「いや……」


かすれた声が混じる。


「ルーク……」


一瞬、目の色が戻り、助けを求めるように揺れた。


「リラ……」


ルークはもう一歩踏み出す。


その瞬間。


リラの上体がビクッと跳ね、横に倒れた。


〈来るな〉


ゼノンの声と同時に、白い内腿の〝X〟が色濃く浮かび上がる。


「……っ、あ……!」


リラは、息をつめてシーツを掴む。


「やめろ」


ルークの声が強くなる。


「彼女に何をしている」


〈何も〉


くすり、と笑う気配。


〈ただ、思い出させているだけだ〉


リラの呼吸が乱れる。

浅く、速く。


〈ノヴァ、おまえが、誰のものかを〉


「ちが……う……」


声を絞り出しながら首を振る。


「違う!」


その瞬間、〝X〟がさらに強く脈打った。


リラは全身を痙攣させる。


「ぁ……っ」


喉の奥から漏れる声。


「リラ、聞け」


さらに一歩、踏み込むルーク。


「そいつの声を切れ」


「……むり」


震える涙声。


「頭の中に、入ってくる……」


「弾き返せ」


ルークは言葉を重ねた。


「声にして出せ。受け入れるな」


リラは肩を震わせ、歯をくいしばる。


「……っ、いや!」


一瞬〝X〟の光が弱まる。


ルークはさらに距離をつめた。


あと一歩。

手を伸ばす。


そのとき──


リラの目がすっと冷え、瞳はふたたび漆黒に拡張した。


〈──無駄だ〉


ゼノンの視線に切り替わる。


次の瞬間。


正面から見えない圧力がルークを襲う。


「う……っ!」


ルークの身体は後ろに弾かれた。

壁に叩きつけられる寸前で足を踏ん張る。


〈その程度で、奪い返せると思ったか〉


ゼノンの声が、室内に満ちる。


リラはゆっくりと立ち上がった。

不自然なほど滑らかな動き。


〈ノヴァは、私のものだ……〉


「違う」


ルークは歯をくいしばり、視線を上げる。


「誰が、おまえなんかに渡すか」


そう言い切ると、リラの指先が、ぴくりと震える。


「ルーク……」


かすかな声。


ルークは足を前に出す。

見えない壁に阻まれているようだ。


「リラ」


それでも、名前を呼ぶ。


ただ、それだけを。


リラの唇が歪む。


〈おまえには、触れられない〉


その言葉が、ルークの胸に沁みこむ。


〝触れられない〟


──また、それか。


脳裏に別の光景がよぎる。



 白い病室

 動かない体

 呼びかけても返ってこない声


 届かなかった

 どれだけ手を伸ばしても──



そのとき。


〈ルーク〉


伸ばした手の向こうから、聞き覚えのある深く温かい声がした。


光の粒子が集まり、人の輪郭を結ぶ。

それは穏やかにほほ笑む、母、ルミナ。

その人だった。


〈あなたひとりでは、封印は解けない〉


封印──?


〈星脈は、あなたが望む、たったひとりのパートナーがいなければ〉


「たったひとりの」


頭の中のルミナの声が、ルークの口から発せられる。


「オレが望んだ──」


ルークはふたたび足を踏み出す。

ゼノンの力に阻まれ、伸ばす指先はなおも震える。


「リラ!」


言い切ったその瞬間、視界の奥で何かが弾けた。

音はなかった。


──見える。


リラの身体に絡みつく、黒い無数の糸が。

ゼノンの神経リンクが。


今なら、触れられる。


ルークは、そのまま手を差し入れる。


〈……なに?〉


ゼノンの声が、初めて動揺したように震えて聞こえた。


ルークの指が、リラの肩に触れる。


熱が流れ込む。


違う。

これは熱じゃない。


脈だ。


規則的な波が体の奥から広がっていき、ルーク自身の鼓動と重なる。


強く。光りながら。


「──離れろ」


はっきりと告げた。


その波がリラの中へ流れ込み、絡みついていた黒い糸がゆるむ。


「あ……!」


リラの身体が大きく揺れる。


〈やめろ……〉


ゼノンの声が歪む。


〈それ以上、干渉するな〉


ルークはさらに力を込めた。


光の脈動が強まり、室内の照明が明滅する。

床に落ちた影が、不規則に揺れた。


「ワンワンッ、ワンッ」


キリュウに制止されていたリアムが堪えきれずに吠える。

もどかしげに前足を突き出しては、弾かれたように引き戻す。


光る波は輝きを増し、ゆるんだ糸がちぎれ始めた。


「リラ」


もう一度、呼ぶ。

今度は、はっきりと届く感触があった。


「きみしかいない」


その言葉に反応が走る。

リラの黒い瞳が小刻みに震えた。


「……ルーク」


声が戻る。


彼女の内腿の〝X〟が、ひび割れるように乱れた。

ゼノンの気配がきしむ。


目醒めざめたか〉


その言葉と同時に、ルークの中で、何かがつながった。


無数の光が、線で結ばれていく。

流れが、一つになる。

自分の中に、それがかよっているのがわかる。


──これが


〝星脈〟


理解した瞬間、迷いは消えた。


流れを、そのまま解き放つ。


「戻れ」


短く言い切ると、波がぜた。

光がリラの身体を貫く。


〝X〟は音もなく砕け散り、ちぎれた黒い糸と共に、霧のように消えた。


ゼノンの気配が引き剥がされ、最後にノイズのような声が残った。


〈覚えておけ……〉


そして完全に消えた。


照明は安定し、静寂が部屋を包む。


「ワンッ」


リアムの声にハッと我に返るルーク。

一気に力が抜け、膝をつきそうになるのをこらえた。


目の前でリラが崩れ落ちる。

とっさに腕を伸ばして抱きとめると、息がかすかに触れた。


「リラ」


リラのまぶたが、ゆっくりとひらく。


「ルーク……?」


焦点の合わない視線。

だがそれは、テラ族の、リラの美しい瞳だった。


ルークは息をついた。


「ごめん……」


抱きしめる腕に、無意識に力が入る。

もう離さない。

そう強く決意したように。


「きみしか、いないんだ」


もう一度、静かにそう告げた。



女子宿舎のその部屋は、平常を取り戻す。


「なにいまの……」


「どういうこと?」


「何者?」


背後に野次馬のざわめき。


「自室に戻れ!」


その場にキリュウの声が響いた。



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