19.暗雲
「正直驚きましたよ。どうして彼女が過激派組織に加担しているのか、どうして彼女が我々の前に立ちふさがっているのか。
怒りに身を任せ、自らのオーバーヒートすら厭わない彼女の猛攻は統括局の魔導師すら凌駕していました。当然、こちらも相応の覚悟で挑まなければ死んでしまう」
「だからお前は自分が生きるのと引き換えに、ガブリエラ・ゴートの命と魔法という犠牲を払った」
「さすがですな、全てお察しの通りです。私はその戦いで同期のガブリエラを自ら殺しましたが、魔法の使い過ぎでオーバーヒートを起こしている私の肉体はもうボロボロでした」
小さく笑うブラッドを見て、リルクレイはまた眉をひそめた。
「それが私を復活させたことと何の関係が? 私はただお前の懺悔を聞かされるためにこの時代で生を受けたのか?」
本題はここからです、と告げてブラッドはティーカップのなかの茶を全て飲み干す。
「過激派組織の崩壊と、卒業から数年の間に気が狂ったガブリエラの死。裏切りの魔導師の悲劇は幕を下ろしたと思っていましたが、真実は違った。
あの村に過激派組織なんてものはいなかった。あの村にいたのは、ただ魔法に頼らない暮らしを推奨するだけの魔法反対派でした。
作戦の真の目的は、知ってはいけないことを知ってしまったガブリエラの暗殺」
「作戦にでたメンツは誰も知らなかったのか?」
「おそらく、誰も知らなかったんでしょう」
「ならどうして、お前はその真実とやらを知ることができた」
すっくと立ちあがり、ブラッドが向かったのは背面にあった本棚。そのなかから転生魔法にまつわる一冊を抜きとり、リルクレイの目の前に優しく置く。
「この本の著者、ジョージ・ブラッドは私の父です。私の父も、今の私と同じく先代から引き継いだ転生実験を行っておりました。
第三試験場と呼び、父がその生涯で唯一の転生実験に選んだ村は……卒業したガブリエラが夫と娘と暮らしていた故郷の村」
そう告げられたリルクレイが驚きのあまり目を剥いた。
「偶然にも転生実験より生き延びたガブリエラは身内の命を奪った魔法の正体を探り、私の父と協力者たちに辿り着いてしまったのです」
「だから殺されたのか」
「はい、父からそう聞かされました」
もう一度リルクレイの対面のソファに座ると、ブラッドは深く頷く。
「魔法が使えなくなった私は統括局を辞めたあと、ひどく後悔しましたよ。ただ上の命令に従って抵抗する意思も力もない民間人を殺し、かつて愛した女性すら殺してしまったのですから。
元凶である父を憎み、そんな研究はなくなってしまえばいいと考えながら学園で勤務していた折、父が亡くなって遺品整理のために自宅の地下書庫に行くと、厳重に保管された頭蓋骨がありました」
「頭蓋骨?」
「ええ、あなたの頭蓋骨ですよ。レイア様」
「私のだって?」
自分の頭蓋骨があると知るや否や、リルクレイは飛びあがって驚いた。
「そこでようやく、私は父の研究の全貌を知ることができた。かつて四賢者モルバス様が最愛の師であるあなたのことを蘇らせるため、魂の情報をあなた本人の頭蓋骨に収納して転生魔法についての研究をはじめた」
「モルバスって、あの真面目だけが取り柄の根暗男か!」
「ハハッ、レイア様の口からお弟子様の話が聞けるのは非常に貴重だ。あなたを蘇らせようとしたのは、その真面目さゆえのことではないでしょうか」
「まったく、戦争を起こしたり私を蘇らせようとしたり、とんだバカ弟子どもめ」
「それだけ彼らは師匠であるあなたを愛していたのです。少なくとも今の我々にはそう伝わっておりますよ」
偉人の口から史学でしか知らないことを語ってくれるのは誰にとっても嬉しいことだ。例のごとく、ブラッドも嬉々として笑っていた。
「話を戻しますが、私は父の遺品整理をしていた時に、はじめてモルバス様から受け継がれてきた転生実験の真の目的を知りました」
「それが私を蘇らせる計画だったというわけか」
「お恥ずかしい話、あなたの偉業からはじまった魔法の時代は現在多くの問題を抱えております。なかでも最も深刻な問題が、私自身も経験した魔法の有無によって生まれた人間の格差」
「そのようだな」
やわらかい背もたれに体を沈めたリルクレイの表情が曇る。
「元来、魔法都市マギサエンドをはじめとした統括局などの組織は力を持ちすぎる魔導師を制するために築かれたシステム。
しかし年々魔法犯罪は増加し、統括局も対応に奔走。激化する争いの一番の被害者でもある双方に挟まれた民間人たちは、ついに魔法反対運動を起こしました」
「マギサエンドの正門に反対派がおしかけていたね」
「世界に生きるひとりの人間として、人間に格差が生まれてしまった現状を見過ごすことはできません。ですが、魔法のひとつも使えない私にはどうすることもできない」
おおよその事態を理解したのだろう、リルクレイは呆れたように大きなため息をついた。
「それで、私を頼ったと」
「ひとつの時代を築いたあなたに、誠に勝手ながら希望の光を見ました」
「本当に勝手だな」
天井の木目を視線でなぞるリルクレイが、またため息をこぼす。
弟子のモルバスからはじまった計画。数えきれないほどの犠牲を払ってまでそれを完遂させたのは、魔法によって軋轢が生まれた現状を憂うヘド・ブラッドという男だった。
これが突如知らない時代に迷いこんだリルクレイの求めた真相の全てである。
「私に世界を変える力はないよ。レイア・ワーグナーというのは、魔法にとりつかれていただけの奇怪な女に過ぎない」
天井から徐々に視線をおろすリルクレイの真剣な顔が対面のブラッドに向かった。
「それに私は目標のためなら躊躇なく他人を犠牲にできる人間のことが好きじゃない」
「あなたがいた時代も、我々がいる時代も、多くの犠牲のうえに成立しているはず。世の中を変えようとするのなら仕方のないことだ」
「何も知らずに死んでいった者たちの前で、同じことが言えるのか?」
「それは――」
言葉を詰まらせ、顔が苦悶に歪むブラッド。彼にも多かれ少なかれ犠牲となった人々への後ろめたさがあったことを確認すると、リルクレイは呆れて鼻で笑う。
しばらくふたりの間に気まずい空気が流れたあと、それを引き裂くようにノックの音が転がりこんだ。
「客人みたいだな、話はこの辺りで終わりにしよう」
「申し訳ございません」
「さっきも言ったが私も予定があるのでね、むしろ好都合さ」
すっくと立ちあがり、リルクレイがさらに続ける。
「お前は魔法という技術に魅せられ、外道におちた者のひとりだ。本来そんな人間の話を聞く気にはなれないが、私がこうして他人の肉体を借りて蘇ったことも、私の好奇心からはじまった魔法の時代が問題をかかえていることも、事実であることに変わりない。
この浅学菲才の頭で、どうにかできないものか知恵をしぼることくらいは義務なのかもしれないな」
「ご謙遜を」
「謙遜なんかじゃないよ。私ひとりが悩んだって、お前ひとりが動いたって、結局のところ何も変わらないもんさ」
リルクレイが手をかざすと、ソファに立て掛けていたボロ杖が意思を持ったように小さな手のなかへ吸いこまれた。
「【正しさ】を追い求め、【正しさ】という答えに辿り着いた時、【正しさ】の概念は崩壊する。この時代で何度も聞いたよ」
「あなたが遺してくれた言葉です。全ての魔導師のはじまりであり、終着点でもある」
「己が信じる【正しさ】を保つために、己以外の【正しさ】を否定して葬ってしまっては元も子もない。
お前が変えようとしている世界はお前ひとりの世界じゃないということは、肝に銘じておくことだ」
そう言い残すと、リルクレイは杖を背負って足早に部屋を出ていく。
彼女の手が分厚い扉のドアノブに触れようとした途端、ひとりでにドアノブがくるりとまわり、内開きの扉が軋む音をたてた。
「ブラッド様、いらっしゃいま――」
後ずさりしたリルクレイの華奢な体と扉をひらいて入ってきた女の恵体が、ぶつかる寸前でピタリと止まる。
「おっと」
見上げた先にあったのは、綺麗に整った小さい顔。
「失礼しました、面談中でしたか」
扉をあけてすぐぶつかりそうになったことはさぞ驚いただろうが、黒髪の彼女は表情を少しも変えることなく小さく頭をさげて謝罪する。
「いや、こちらも邪魔して悪かったね」
「あなたは、よく図書館に来てますよね?」
「む? たしかにどこかで見た顔だ」
「司書補佐官として図書館で働いています、レイチェルと申します」
「そうかそうか、あそこは興味深い書物が山ほどあって、さながら知識の海を泳いでいるようだ。これからも使わせてもらうよ」
「そう言っていただけるのは私たちとしても光栄です。ぜひ、いらしてください」
もう一度軽い会釈をしたレイチェルの隣を嬉々とした表情で通過し、リルクレイの足が女子寮へ向かった。
魔導師学園の豪華な装飾に彩られた廊下を歩くリルクレイの背中が小さくなっていくのを見送ると、レイチェルの透き通るような白い手が扉をしっかりと閉ざす。
「知り合いですか?」
「はい、よく図書館で大量の本を読んでいる生徒です。勉強熱心のように見えますが、講義をサボっているのでしょう」
「ハハハ、彼女に学園の講義は少々退屈過ぎたのでしょう」
何がおかしいのか、ほうれい線が深くなるほど笑うブラッド。彼に歩み寄る最中、レイチェルは用心深く部屋を隅から隅まで見渡していた。
「ブラッド様、五番試験場の候補地がいくつか見つかりました。四番試験場はマギサエンドからも近く、かなりのリスクがあったことも鑑みて今回選んだのは――」
「いや、それについては手を止めてくれて構いません」
「はい? なにか進捗が?」
レイチェルが不思議そうに首を傾げる。
「それよりも、計画に勘付いた厄介な娘が」
「やはり四番試験場を近いところに設定したのが裏目にでましたか。その厄介な娘とは」
「アリアナ・ヴィラ・マクニコル」
「マクニコル? 帝議会の?」
「ヴィクター・ジェイ・マクニコルの娘です。観測用の番号に勘付いたのに加え、十年前の征伐やガブリエラとの因果関係も嗅ぎまわっている。
まだ真実を知られていないにしろ、その話が帝議会魔導師に知れ渡れば厄介。統括局ならまだしも、その上層組織である帝議会には根回しもできない」
「どうされますか?」
「彼女には不幸な事故に遭ってもらいましょう、魔賊を動かしてください」
「あの連中をですか」
「万が一のことがあっても、彼らならばアシがつかない。元々そのために雇ったはず」
もう何人も殺してきたブラッドにとっては、今さらひとりを殺すことなんて何ともないのだろう。それにしても、ブラッドが浮かべる嬉々とした笑みは不気味だった。
それもそのはず、レイチェルの知る限りでヘド・ブラッドという男は並みより口数少なく、並みより感情の起伏が少ない。友人と呼べる人間は数人程度で、彼らの前ですら満面の笑みを見せた回数は少ないはずである。
なのに今は、嬉々とする感情の全てを顔にだしている。
「ブラッド様、まさか転生実験は」
「はい。なので即急に情報を隔離するため、全ての不安要素を消しましょう」
少し黙って考えたあと、「承知しました」とだけ告げて頭を下げたレイチェルがくるりと踵を返した。




