18.『223』
「ふむ、興味深い書物が山ほどある。図書館にはなかったものだ」
壁を埋め尽くすほどの本棚に並んだ珍しいタイトルの数々を横目に、リルクレイは小さな体をふかふかのソファに沈めた。
「統括局での勤務が長かったもので、表には出回らないものも並んでますから」
彩り豊かな熱帯魚が泳ぐ水槽へエサを散らしながら背中越しに口をひらいたのは、基礎魔法学の講師ヘド・ブラッド。
「ここは自室かい?」
「教務における書類整理をしたり、休憩時間を過ごしたり、学園内で唯一息をつける部屋ですかな。とはいえ、我が家は西南部区域にありますよ」
少し前、ロレンスとの実践演習を終えたリルクレイを迎えたのは生徒たちの騒然とした空気と、観客席から降りてきたブラッドだった。
「プライベートな部屋に邪魔してしまって悪いな」
「いえいえ、呼んだのは私のほうですから。実践演習でお疲れのところ申し訳ない」
演習を見たブラッドが何かに気づき、彼女をこの部屋に招待したいと言いだしたのだ。誘うほうも誘うほうなら、ふたつ返事でついてきたリルクレイもリルクレイである。
「お気に召す本があれば、ご自由にどうぞ」
くるりと踵を返し、今度は小洒落たティーセットを使って、紅茶を注ぎはじめた。
茶をそそいでから客人の前にだすまで、並みの魔導師であれば容易く魔法でこなしてしまうもの。実際にリルクレイは学園内でそんな光景を見たことがあるし、魔導師が集まるマギサエンドなら魔法で家事をこなす光景くらい日常である。
けれどブラッドは自らの手で茶をそそぎ、自らの手でティーカップをリルクレイの前のテーブルに置いた。
「最近は医学書に凝っていてね。異なる解釈による魔導書たちも実に興味深いものばかりだったが、人間の脳や肉体というのは知れば知るほどハマる沼のようだ」
「私は魔法について教えることはできても、医学は少し専門外ですね」
紅い水面から沸きたつ湯気の向こうに見えるリルクレイを見て、ブラッドはクスクス笑う。リルクレイは対照的に揺れる湯気越しのブラッドを見て眉をひそめた。
「転生魔法に関する書物がかためられているな」
本棚の右上に集められていた転生魔法に関する魔導書たちが青緑色の瞳に映る。
図書館では探したって一冊も見つけられなかった転生魔法について書かれた本なのだから、珍しいのも無理はない。
「転生魔法に興味がおありで?」
「問いたいのは私のほうだよ。転生魔法なんてものがあったとして、何の用途があるのやら」
ふふ、と茶を飲みながら小さく笑ぶブラッドの目尻に深いシワができた。
「魔導師における一般論は期待しないでいただきたい。私が転生魔法を学ぶのは目的のためにほかならないのですから」
部屋に誘ったブラッド。応じたリルクレイ。ふたりの探りあいは既にはじまっていたらしい。
「目的というのは、いささか興味深いな」
「話せば長くなるので、どうぞ紅茶でも」
「いいや、喉は乾いていないよ」
淹れた茶に触れもしない姿を見て、ブラッドがまた小さく笑った。
「警戒せずとも、あなたに毒など盛りません。しかし警戒しているということは、事態を察しているのでしょう? 二二三番」
「やはり、この番号は観測用のものか」
ブラッドが口にした数字は、リルクレイの左わき腹に刻まれたもの。それを知る者など、リルクレイの裸を見た者か、この数字を実際に刻んだ者かのどちらかでしかない。
「どうしました? 杖を握ってもよいのですよ」
座る際、ソファに立てかけたリルクレイの杖。学園から借りているそのボロ杖にブラッドが視線を向けるものの、彼女はそれを握ろうとしなかった。
魔導師にとって杖を握るのは剣を握るのに等しい行為で、それを向けるのは殺意を向けるのと同義である。
「番号を知る私は村の魔法の関係者、つまりあなたにとって私は身内を殺し――」
手の届く距離に杖も刃もおかずに丸腰のまま挑発を続けていたブラッドが、言葉の途中で急に咽る。講義中のように血こそ吐かなかったものの咳はひどく、ポケットから取りだした葉を三枚ばかり口に含んで茶で流しこんだ。
「その症状、過去のオーバーヒートが原因だそうだな。魔力熱による損傷への治療法は現段階で不明と医学書で見たよ、実に不憫だ」
「ええ、現役時代に少し張り切り過ぎましてね。若気の至りというやつかな」
「そこまで話してくれるのなら、こちらも手が打ちやすい。私がここで怒りに身を任せて杖を向けようものなら、オーバーヒートの後遺症で魔法すら奪われたお前に抵抗する術はない」
「そうですとも、しかしあなたは杖を握らない。恐ろしいほど冷静なのか、それとも村人のことを知らないのか」
咳がおさまった途端、まだ赤みの残る顔でブラッドは不気味な笑みを浮かべる。
「この部屋の会話を聞いている者は?」
リルクレイが目をやったのは、閉めきられた扉と窓。しかしこの部屋の壁が薄ければ、話していることが外へ筒抜けになってもおかしくない。
「ここは私が赴任してくるまで催事の演奏に使う楽器を収納していた部屋だそうです。楽器の試奏にも使われていたようで、壁はかなり分厚くつくられているとか」
「あんなことをする輩だ、どこまで信じていいのやら」
「あんなことをした輩だからこそ、信じていただきたい。村であったことを外部の人間、特に学園関係者や統括局に聞かれるとマズいのでね」
それもそうか、とリルクレイが鼻で笑う。
「ではもう一度、改めて問おうか。転生魔法なんてものがあるとして、何故私を蘇らせた」
「おぉ……やはりあなたは……」
ブラッドの声が震えた。
「その葉、オオバコの一種だろう? 村にも落ちていたよ」
「はい、かつてはオオバコと呼ばれていた植物の一種で、今はカエルに似ていることからカエル草と呼ばれています」
「私がいた時代にも咳やたんに悩まされるとよく煎じられていたものだ。魔力による生態変化を遂げた今の効能はよく分からないがね」
「自らそれを願っていながら、ひどく不思議な気持ちです。まさか五百年前の、始祖の魔導師レイア様とこうして話しているなんて」
魔法の時代においてレイア・ワーグナーは歴史上の偉人である。幾人もの犠牲を払ったブラッドでなくとも、それと対面し話すことが嬉しくて堪らないだろう。
「ひとつ、お伺いしてもよろしいですかな?」
「どうした」
「何故、あなたを蘇らせたのが私だと? 何の躊躇もなく私についてきたのは、もう既に私に目星をつけていたからでしょう」
「ひとつは、村で見たお前たちの姿。もうひとつは、村で拾ったカエル草。あのタイミングで頭数を揃えて村にくる連中だ、転生魔法をしかけた張本人が観測にきた可能性は高かったし、そこで私ひとりが生きていることがバレてしまうのは厄介だと考え、身を潜めていたよ」
「なるほど、見られていましたか」
「聞けば白い外套は学園関係者のものだというし、その学園関係者のなかでもカエル草を服用していたのはお前だけだ。それでヤマを張っていたが、この部屋とお前の言動で確信を持った」
「それで学園に」
なるほどなるほど、と興味深そうに頭を頷かせたブラッドがさらに続けた。
「あなたを蘇らせた理由の前に、ひとつだけ小話をよろしいですかな」
「今晩は寮のオープンスペースでドロシーたちと食事をともにするんだ、手短に頼むよ」
嬉々として笑い、「できるだけ手短にしましょう」とだけ告げたブラッドが一度茶を挟んだ。
「私はかつて、統括局の魔導師としてひとりの女を手にかけたことがあります。彼女は魔導師でありながら、魔法反対運動を助長する奇怪な女でした」
組んだ両足の膝上に両手を添え、ブラッドはどこか遠くを見つめた。
「女の名は、ガブリエラ・ゴート。裏切りの魔導師として有名な犯罪者ですが、かつては魔導師学園で魔法を学んだ私の同期でした。
ひとつ年上の彼女はとても正義感が強く優しいうえに才能にあふれ、とても魅力的な女性でしてね、私を含め彼女を愛した男子生徒は多かったでしょう。
しかしながら彼女は卒業の少し前、故郷の村にいる幼馴染との間に子どもを授かったと幸せそうな顔で報告してきましたよ。統括局からの誘いもあったというのに、帰郷して夫と幸せな家庭をつくりたいと」
「魔法よりも大切なものを見つけたんだろう」
「はい、残念に思う気持ちもありましたが、彼女の新たな門出を心から祝いました」
そう言って、ブラッドは恥ずかしそうに笑う。
「それで? どうして女を手にかけた」
「私が統括局に勤めて六年か七年経ったくらいでしょうか、魔法反対運動の過激派組織が潜んでいる場所が分かったとの報告があり、私を含めた部隊は制圧の任務にあたりました。
今でも忘れません、小さな修道院がある質素な村。過激派組織の潜伏場所とは思えないそこで我々は上に命じられるがまま殺戮行為に及びましたが、彼らは武装しているわけでもなく、抵抗するわけでもなく、力ある魔導師たちが民間人を蹂躙するという光景はさながら地獄のようでしたよ」
「随分と気分の悪い話だ」
「しかし、たったひとりで我々に立ち向かう魔導師がいました」
「それが……ガブリエラ・ゴート」
リルクレイが眉をひそめた。




