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17.イタズラの代償


 *



 ロレンスとリルクレイ。模擬戦闘で一番に指名されたふたりが、競技場の中心で向かいあった。

 魔法を用いた戦闘が及ぼす周囲への被害は殴りあいのそれとワケが違う。たとえ魔導師のたまごであろうと付近にいるのは危険であるため、模擬戦闘でマッチメイクされたふたり以外の生徒は全員観客席へ移された。


「ネズミ、この杖を知っているか?」


 「杖?」と不思議そうに首を傾げたリルクレイの視線の先で、ロレンスが手にした杖を掲げて見せつける。

 木材を基調としたそれの両端や腹の部分は黄金色の金属で装飾されており、競技場内を泳ぐ黄金灯魚の優しい明かりを刺々しく反射していた。


「世界一のウデをもつ杖匠、リトルジョン工房のスティーブ・クリッチに父上がつくらせた至極の逸品。学園に借りたボロ杖とはまさに雲泥の差」


 リトルジョン工房の杖匠クリッチといえば、魔導師を志す誰もが知っている職人。魔導師の頂点【帝議会】の一員でアリアナの父でもあるヴィクター・ジェイ・マクニコルをはじめ、世界の名だたる魔導師にも愛用する者は非常に多い。

 クリッチの名を聞いた時には誰しも目を剥いたが、ただひとりリルクレイだけはその名の偉大さが理解できずに首を傾げたまま目を点にしている。


「おいネズミ、聞いてるのか」

「ふむ、確かに良質な杖は魔力の通り道として優秀だ。とくに属性変換は杖に負担をかけるからな、杖の質も魔導師にとって大切な要素のひとつではある」


 素人目に見ても価値がまるで違う自分のボロ杖を握ると、リルクレイは嘲るように小さく笑った。


「しかしお前はまだ若いし、それだけ伸びしろがある。道具ひとつで慢心するにはもったいないと思うぞ」

「道具だけかどうか、思い知らせてやる」


 試合開始、と観客席で見ていたミルコの雄叫びが競技場内に響く。

 先に杖を振るったのはロレンスのほうだった。


「水ノ陣・ウォータルクレイン」


 杖先から現れた水は全部で四羽のツルの姿を形成し、大きな翼を広げる。


「レイクストン家に伝わる水属性魔法は美しいだけではない!」


 その場から大きく羽ばたいて飛びだした四羽のツルは空を華麗に空を舞ったあと、鋭利な嘴をリルクレイに向けて滑空。

 前後左右、全ての方向から同じタイミングで魔法が飛んできたとなれば防ぐ手段は多くない。四方に魔力を展開して自分を覆うように障壁をつくるか、同じ威力で同じ数の魔法を放って撃ち堕とすか、それとも逃げるか。


「素早く正確な展開で相手を囲いこむ。戦闘において非常に素晴らしい魔法の使い方だ」


 だが、と不敵な笑みを浮かべてリルクレイが杖を構える。


「直射系と違って属性に変換された魔法には、相性の有利不利という最大の欠点がある」


 ボロ杖の底で芝の地面を叩いたその瞬間、リルクレイの周囲の芝ごと水のツルたちが凍りついた。


「バカなっ!」


 ロレンスの瞳孔がひらく。


「今、魔法を使ったの?」


 観客席で見ていたドロシーも同じ。


「何が起きたんだ?」

「ロレンス様だ、ロレンス様がああやって遊んでるだけなんだよ」


 見ていた誰もが、驚きを隠せなかった。

 属性魔法に対して属性魔法で対処するのは基礎中の基礎で、入学したての彼らだって知っている。


「ネズミ、お前今……詠唱は?」


 ロレンスだけは、ツルを氷漬けにしたのが自分でないと知っている。けれどリルクレイは属性魔法に必要不可欠の【詠唱】をしていないのだ。


「詠唱を省略した属性魔法」


 騒然とする観客席のなかで平静を保っていたアリアナがボソッと呟いたのを、ドロシーは聞き逃さなかった。


「アナ様? そんなことできるんですか?」

「属性魔法において私たちが詠唱をするのは、その複雑さに起因します。犬に芸をしつけるように【特定の言葉】と【肉体の反応】を神経レベルで紐づけることで、魔力を属性に変換して魔法として放出する複雑な工程を即座にこなすことができる」

「はい、基礎魔法学でもそうやって教わりました」

「しかし、複雑な工程を一瞬にしてこなせるのならば紐づけする必要性はありません」

「言われてみればそうですけど」

「まともな人間にできる芸当ではありません。そんなことをしようものなら、肉体よりも先に頭がオーバーヒートを起こしてしまいますから」


 属性魔法において詠唱は不可欠。そんな誰もが知っている常識が一瞬にしてくつがえされた。


「まともな人間の常識が、あのネズミに通用するとも思えませんが」


 リルクレイが常識の外側にいる人間だと知っているアリアナだけは、驚きもせず疑惑の視線だけを送り続ける。


「ふむ、羽根のひとつまで素晴らしい仕上がりだ。私が教えていた時代よりも遥かに魔法のレベルがあがっている」


 そんな視線を向けられていることも知らず、リルクレイは砕けたツルの翼の一部を拾いあげて嬉しそうに笑っていた。


「さて、これで水属性が私に効かないということが証明された。次はどうする?」

「水ノ陣・クロウズラッシュ」


 挑発的な言葉と態度につられ、ロレンスがさらなる魔法を放つ。

 属性魔法の複雑さは個人が扱う属性の種類にも影響しており、ロレンスの場合は【水属性】にのみ特化した魔導師である。複数の属性を使い分ける器用な魔導師も実在するが、ロレンスはどちらかといえば不器用な類であった。


「スピードで勝負をしかけてきたか」


 ロレンスが送りこんできた十羽ほどいる水のカラスたちは先ほどのツルよりも素早く、広く展開しながらリルクレイを目指す。


「魔法の仕上がりはなかなかのものだが、種類の少なさをカバーするための工夫がない。それに頭に血がのぼりやすいのは知恵と精神力を酷使する魔導師にとって欠点といえるだろう」


 くすくすと笑うリルクレイの全身を眩い光とともに電撃が駆け抜けた。


「ほら、カラスどもにも隙間ができてるぞ?」


 リルクレイの短くて華奢な足のひと蹴りが、氷の溶けて湿った芝を大きくえぐる。


「このっ!」


 常軌を逸したスピードで迫ってくるリルクレイのことが、ロレンスは恐ろしかった。

 素早く動く水のカラスたちにできた隙間をかいくぐって猛進するリルクレイ目掛けて魔力弾を放つが、がむしゃらに放ったそれが小さな体躯を捉えることはない。


「未熟なお前がそんなに魔法を連発していては、オーバーヒートも時間の問題だ」

「ネズミが、ちょこまかと!」

「今の教育がどうかは知らないが、私は昔の人間でね。痛みで分からせるしかできないこと、どうか悪く思わないでほしい」


 体にぶつかる風の音にかき消されてしまうほど小さな声で呟くリルクレイ。

 斧のように振るった彼女の杖の先端が、見事にロレンスの顔面を捉えた。



 *



「小さいクセして、男子相手に肉弾戦とはやるなぁ!」


 痛みと衝撃で吹き飛んだロレンスの姿を観客席から見ていたミルコが驚きの声をあげる。


「あれは雷属性の魔法で肉体を強化しているんだよ」

「ヘド・ブラッド先輩ではないですか! いやぁ、あなたも現役時代は強かった!」


 げほげほと咳をしながら青ざめた顔でミルコの隣に姿を表したのは、彼と同じ学園の講師でもあるブラッド。


「君も肉体強化の魔法は使うだろう?」

「はい! 肉体強化は最強の魔法ですから!」


 当然、それはミルコ個人の感想にすぎない。


「一般的に肉体強化の魔法は、体に流した魔力を操作することによって筋力を増強させる魔法だ。しかし彼女はもっと別の方法で筋力を増強させている」


 また大きく咳きこみ、ブラッドが続ける。


「脳から送られる電気信号を微弱な雷属性魔法で再現し、筋肉の収縮を自在に行っている。理論上、そうすることで肉体が魔力熱に侵されることを避けられるし、魔力で無理に筋肉を動かすよりも肉体への負担が軽減されるはずだ」


 駆けだす前のほんの一瞬、リルクレイの体を流れた電気こそ彼女の常軌を逸したスピードの正体。ブラッドはその瞬間を見逃していなかったらしい。


「俺には難しい話ですなぁ!」

「あはは、私にも難しい話だよ。きっとこれは【優れた魔法の才能】と【専門的な人体の知識】の双方がなければ不可能な芸当だ」


 困難とされている魔法の大半は、すでにその理屈が解明されているものばかりである。

 ならば、なぜ困難であるのか。


「やはりキミはそうなのだね、二二三番」


 机上の空論を実現させるだけの知識と才能をもった魔導師が存在しないからだ。

 【詠唱を省略した属性魔法】も、【超効率的な肉体強化】も、困難とされる魔法の数々を何食わぬ顔で実現してしまうリルクレイを見て、ブラッドは嬉しそうに笑った。



 *



「人体のしくみについて書かれた本を読んでいて考えついたことだったが、上手くいってよかった」


 嬉々として杖をまわすリルクレイ。対照的にロレンスは痛みに顔を歪め、「クソが」と小さく吐き捨てた。


「こんなこと、ありえない」

「顔が少し赤くなっているな、もう無理はやめた方がいい」


 痛む体に鞭をうって立ちあがるロレンスの顔はほんのり赤く、試合前に比べて体温が急激に上昇しているのは一目瞭然。


「レイクストンの魔導師であるこの俺が、名も知れぬネズミより劣っているなんてことは、絶対にありえないんだよ!」


 しかしロレンスはもう退路を絶った。

 名誉のため、そしてプライドのため。


「アリアナにしろお前にしろ、そこまで己の背負う名誉が失い難いか」


 魔力弾を撃つために杖先へ意識を集めはじめたロレンスだったが、彼がそれを放つよりもリルクレイの杖のひと振りが早かった。

 リルクレイの放つ、拳よりも小さな魔力弾の殺傷能力は極めて低い。だがやはり魔力の集合体というだけあって、魔導師がまとった魔力の膜とのあいだに衝撃反応を起こすには申し分なかった。

 狙い通りにロレンスの手の甲へ撃ちこまれた魔力弾は衝撃波を起こし、彼の手から杖を弾き飛ばしてしまう。


「しまった!」

「ほら、高級な杖が傷ついてしまうぞ? でも仕方のないことだと理解してくれ、頭に血がのぼった魔導師ほど危険な存在はないんだ」


 世界にひとつしかないクリッチ製の特注杖が、音もなく芝の地面に転がり落ちた。


「ウソだ……こんなこと……」

「さて、悪戯が過ぎる子どもには躾が必要だな」


 そう告げて不気味に笑うリルクレイの足がロレンスのもとへ向かう。


「俺はレイクストンの魔導師だぞ! 俺に妙なことをしたら、タダじゃ済まないんだぞ!」


 虚勢を張るものの、ロレンスの足はガタガタ震えているし、リルクレイの姿が近づくと恐怖で腰をぬかしてしまった。


「あれは事故なんだよ! わざとじゃない!」

「嘘をつくと後が恐いぞ」


 リルクレイに鋭い目で見下ろされると、ロレンスの表情が恐怖と屈辱で醜く歪んだ。


「悪かった、もう二度とあんなことはしない。約束するっ!」

「ほう?」

「俺の負けでいいから、命だけは――」


 茜空と黄金灯魚を背に杖を振りあげた姿を見て、ロレンスは反射的に顔を伏せた。


「ひぃぃっ!」


 ――――が、何も起こらない。

 えっ、と呟いたロレンスが恐る恐る顔をあげる。


「その外套も高いのだろう? 尻もちをついていては汚れてしまう」


 ロレンスの想像とは裏腹に、リルクレイはクスクスとおかしそうに笑いながら手を差し伸べているではないか。


「ほら、情けない姿を晒し続ける気かい?」


 当然、躊躇した。

 尻もちをついている自分は誇り高きレイクストンの魔導師で、手を差し伸べているのはどこの出かも分からないネズミ女。躊躇するのは必定だった。

 差し伸べられた手に向かう自分の手を、ロレンスは何度も制止した。制止するたび、小さく震えた。


「くっ……」


 悔しそうな表情でようやく手を握ったロレンスを、リルクレイは小さな体をいっぱいに使って立たせる。

 強すぎる彼女が見せた優しさにロレンスがほっと息をついた瞬間、


「次はもっとキツい躾があると思え」


 リルクレイが彼の耳もとで脅し文句を囁いた。

 恐ろしくて恐ろしくてたまらなかったのだろう。ロレンスはその場に立ったまま、少しズボンを湿らせた。

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