一章最終話 トゥーフェイス
ミツキは揺れ動く自身の体に違和感を感じていたが、その瞳を開こうとはせず居心地の良い感覚に身をゆだねていた。
進む道の感覚は荒々しく、時に響く重低音は精神の奥底に眠る得体の知れない恐怖を呼び起こし、ミツキを暗闇へと引きずり込む。
「ここは…?」
どこまでも広がる暗闇の中、ミツキは弱弱しい声を上げながら微かに見える扉目指して歩みだす。
地面を歩く感触はなく、ただただ平坦で味気ないがそこには歩く価値がある気がし、歩き続けていると、今まで地平線の先に見えていた扉が目の前に現れた。
「扉、なのか?」
ミツキの疑問は共有することによって発散できるほどではあったが、そこにはミツキ一人が存在し、他に人間がいる気配はなかった。
恐る恐る扉の周りを確かめるもそこには扉があるだけで、部屋の面影や形すら無く、ただ表裏すべてが樫の木でできた扉のみが佇んでいた。
「なんで、ここに扉が?」
「知りたいか?」
「うわあああああ!」
ミツキの独り言に反応したその声に今までの恐怖が爆発するかのように尻餅をつき、その扉にやさしく手を触れる。
扉を触ったその感触は、自分とは切っても切り離せない体の一部のような感触。
「そう扉を触るくらいなら開けてみたらどうだ?」
ミツキは再び聞こえたその声が扉からではなく、扉の奥にある空間からであることを確認すると、手元にあるドアノブに手をかける。
「ここを開けるとどうなる?」
「そうだな……」
扉の奥から聞こえる声はしばらく考え込むと、ドアへ近づきミツキの胸のあたりを指先でたたいた。
「俺にもわからない。ただ、ここではわかるはずだ」
「なんだそれ」
ミツキは取り留めもないその返答に思わず鼻で笑うと、扉の向こうでは声を上げて笑う声が聞こえて切る。
「何がおかしいんだ?」
「いや、何でもない。君が笑ったと思って、俺今なかなかいいこと言ったと思ったのに笑われたら、俺も笑うしかないだろ?」
「わけがわからない」
二人は一呼吸置くと再びドアの目の前で同時に向き合う。
双子ほど近くもなく、家族ほど遠くない感覚を共有したミツキは、間に挟まれた扉のドアノブを離さぬようしっかりとつかんだ。
「さあ、その扉を開けるんだ!」
扉の奥の存在は高らかと叫び、ミツキはそれに答えるようにその扉を開け、恐怖に打ち勝ちその一歩を歩みだす。
扉の中には広くもなく狭くもない空間が広がり、赤と黒のチェックの床の上には一席の横柄なデスクトップチェアーが置かれていた。
「よく、恐怖心に勝てたね。ようこそミツキ! 僕は君を歓迎するよ!」
そこには似合わないスーツを着た半分ずつ絵柄の違う仮面をつけた、奇怪な男が足を組んで座っていた。
仮面の男はミツキの姿を見るなり、組んでいた足をほどき重い腰を上げ、その扉の元へ歩み寄る。
「な、なんですか」
「すまない、驚かせてしまったね、僕はトゥーフェイス。そうだな、君の精神を守っているものだ」
「精神?」
ミツキがそう聞くと、トゥーフェイスはミツキの頭と胸を交互に指を指した。
「ここと、ここだ」
「頭と胸? それを守ってるって、訳が分からない」
「まあそうだな、まずは座ってお茶でも飲もう」
そういうとトゥーフェイスは道化師のごとく手にはめた純白の手袋をはめたまま難なく指を鳴らすと、チェック柄の床は湖に浮かぶ波紋が振動するように歪みだし、そこから椅子やテーブル、さらにはティーセットまでもが無の中に現れた。
「まあ、座れ」
ミツキは目の前で起きた現象を疑問に思うも、その疑問よりトゥーフェイスという存在やその空間に対する疑問が勝り、仕方なく用意された椅子に座る。
椅子の触感はなぜか鮮明に感じられ、ここへたどり着くまでに触ったものの中でも一番のリアリティがあった。
「そんなに不思議か? ここが」
「それはもう、これ以上ないほど」
「そうだな、今の君に何が起こっているのか、それについて知りたい? それとも、ここに来た理由が知りたい? もしくは失った記憶を取り戻す方法?」
突発的に投げかけられた質問に対し、ミツキは少しうろたえたが、なにも思い出すことのできない自分に取ってなにが今最も重要かを思い出した。
ミツキはしばらく考える姿勢をとりうつむいていると、トゥーフェイスは紅茶を人啜りし、穏やかな表情の仮面に変えミツキの顔を眺める。
「そんなに悩むことはない。君が今必要としているもの、今の君に足りないものは、自分自身を知るための好奇心を作る起爆剤だ。それを見つけさえすれば君の記憶は元に戻るだろうよ」
「起爆剤…」
「そう、起爆剤。違う言い方をするとトリガーだな、君の記憶は今ダイヤル式の金庫に収められているようなものだ、これから君には十個の課題を出す」
「それで?」
トゥーフェイスは一呼吸置くと、今までの穏やかな顔とは打って変わって真実を伝える真面目な表情の仮面に切り替わる。
何度も表情を変えるが、その表情に一貫性は無く、ミツキは、まるでロールシャッハ検査に使われるパネルのような印象を受けた。
「ちょうどいい、気が付いたんだろ? この仮面に」
「それは一体?」
「これは、今の君の精神状態だ。君が不安に思えばこの仮面も不安になる。はてまた君が決意を決めればこの仮面は、鮮明になる。すなわち君と俺の感情はつながってるって訳だ」
自分が聞いた質問に対する回答に耳を貸すもなんの事か分からず、ミツキはそれに対して考えることを放棄した。
そんなことはつゆ知らずトゥーフェイスはミツキへ課題についての規約を話すために、彼の座っていた椅子や机を再び地面の中へ沈める。
「ここからが重要だ、集中してくれ! これにはいくつかの規約がある」
椅子を戻されその場に倒れるとミツキは我を取り戻し、トゥーフェイスの顔を見る。
すると目の前でトゥーフェイスは仮面を外し、そこからは口元だけが具現化された黒い靄が彼の顔を覆い隠していた。
「いいかもう時間がない。よく聞け、規約その一、俺のことは誰にも話すな。規約その二、誰にもこの課題を悟られるな。最後に規約三、必ず生き延びろ」
「分かった」
ミツキはそれに答えるようにトゥーフェイスの顔を見つめ返す。
「それじゃあ、最初の課題だ」
ミツキは覚悟を決めたように喉元にたまるつばを飲み込んだ。
「ワンの正体を探れ」
ミツキは見知らぬ数字を聞き困惑するも、トゥーフェイスにとっては何一つとして疑問ではなく、真実へたどり着く鍵であった。
トゥーフェイスが呼んだ『ワン』という数字はミツキの頭の中に稲妻を走らせ、脳のシナプスを強制的に目覚めさせようと、頭に強い衝撃を与えた。
「…頭が!」
「痛むのか?」
ミツキが静かに頷くと、トゥーフェイスは再び仮面を取り付け、頭痛に苦しむミツキを扉の前まで移動させた。
重くのしかかるミツキの体の感触は、その命の重さを物語っていた。
「いいか、もう時間がない。今言った規約を守り課題をこなせば再び門は開かれる。門が開かれればお前の記憶も戻る。あとは、お前が冒険する勇気があるかどうかだ。俺はお前に再び会えることを切に願う」
そういうとトゥーフェイスはミツキを扉の外へ放り込む。
すでにそこに暗闇はなく、あるのは明るく照らされた一筋の光。ミツキはトゥーフェイスの仮面を見届けると頭痛に苦しむ頭を押さえその光に向けて歩き出した。
「幸運を祈る。ミツキ…」
ミツキの後姿を見届けトゥーフェイスがその扉を閉じるとミツキは一瞬にして現実世界へと引き戻された。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
ミツキが再び目を覚ますと、目の前には見たことのない薄汚れた天井や、見慣れない機械が並び、耳には心拍数の鼓動が聞こえてきた。
「やっと目を覚ましたのね」
ミツキの目の前には髪の短い少女が顔を覗き込むようにしてそこに立っていた。
「ここは?」
「そうだな、君の元居たところだよ」
少女はそういうと、ミツキの寝ているゼンマイ仕掛けのベッドを起こしミツキにその全貌を見せる。
「ようこそ、ドウジマミツキ。ゲリラ軍本拠地へ」
ミツキは少女の背後に広がるスチームパンクに思わず息をのんだ。




