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恥3

家を出ると、彼女がいた。背景が雪で白くなっているため、白髪の彼女は目立ちにくい。しかし、どうしても景色に溶け込めないのだ。

「おはよう、慎治」

「おはよう。その格好は何?」

俺は服を指さす。赤いTシャツに「アイラブキリスト」とプリントされていた。中央にはご丁寧に十字架に張り付けされたキリストの絵がある。

「今日はクリスマスよ」

「クリスマスイブな」

「そしてこれは、イエス・キリストよ」

見ればわかる。歴史の教科書に大きく載っていた。あれは踏み絵の辺りだったか……。

「じゃあ、クリスマスはイエス・キリストの……?」

答えを促すように語尾を上げて聞いてみる。

「死んだ日よ」

「違うわ! 誕生日だよ! キリスト好きって堂々とプリントしてあったのにその様かよ!」

因みに彼女と俺は今から街へ行く。プレゼントを買いに行くのだ。

「あ、そうだわ、慎治」

「なんだよ」

急に真剣な声になったので身構える。どんな爆弾発言を……。

「好きよ」

「それは会うたびに聞いている気がするんですけど」

今日はクリスマスプレゼントとしてではなく、服を買ってあげようと思い、部屋から去年のお年玉を持ってくる慎治であった。


電車に揺られて三十分。ようやく街に着いた。そこから地下道を通って百貨店まで歩かなければならない。結構距離があるので頑張らなくては。

今日は休日、しかもクリスマスイブということもあり地下道は混雑を極めていた。こんな中でもサンタコスの女性がティッシュとチラシの詰め合わせを道行く人に配っている。多くの人から拒否されてもなお呼びかけ、手を伸ばしてもらってもらおうとする姿はなんだか悲しい。

「慎治」

「ん?」

彼女の右手をつないで離さぬように気を付けて歩いていたら、彼女に名前を呼ばれた。何かあったのだろうか、と心配して後ろを向く。すると大量のティッシュを持った彼女がそこにいた。

「なにやってんだよ!」

「それは私が知りたいわ。ただでくれるなんて変な話よね」

「そりゃ宣伝だからやっているんだ!」

人の流れに逆らわずに一緒に進みながらこんなことをしていたら変人扱いを受けてしまう。彼女が天然で変人なのは肯定せざるを得ないが、巻き込まれて俺まで一緒にさせられるのは困る。

「一度上に出るか」

彼女の右手を引いて、人混みから脱した。


その後、近くのコンビニでジュースを買って、それが入っていたレジ袋に大量のティッシュを無理やり詰め込んだ。数えたら十三個もあった。

「ふぅ」

買ったジュースはカルピス。コーラよりも砂糖の量が多いそうだが気にしない。一息つくと、左から視線を感じた。

「……カルピス、飲むか?」

彼女はこくん、とうなずく。おれは腰を浮かせて「ちょっと待ってろ。買ってくる」と言うと、再びコンビニに向かおうとした。しかし

「待って」

少し歩いたときに呼び止められた。

「どうした?」

ベンチに座る彼女のところまで戻る。

「買ってこなくていいわ」

「え?」

意味が呑み込めなかった。先ほどまでは飲みたいと言っていたのに、もう心変わりしたのだろうか。女性は飽きやすいのか? 数秒で飽きることがあることも驚きだ。

「私、慎治のカルピスを飲むわ」

ベンチの前でかがんだ状態で硬直してしまった。それは……それはつまり――

「……間接キスですか」

「いいわ。慎治だもの」

そして彼女は何のためらいもなくふたを開けて少しだけ飲んだ。ずっと俺が彼女を見ていると、彼女は初めて頬を赤らめて

「見ないで、恥ずかしいわ」

といった。進展したと喜ぶべきか、こちらも恥ずかしがるべきか。思考回路がショートして、しばらくその場から動くことができなかった。


「どっちがいいかしら」

「……ひどいセンスですね」

やっとのことで百貨店に着いた。おれたちは今六階、服売り場にいる。ここまで、彼女は「アイラブキリスト」を着ていたの注目されやすかったが、彼女が選んだものはもっとひどかった。

「どうしたら「日本人」なんて書いてある服を着る気になるんだよ!」

「じゃあこっち?」

「違うわ! 「外国人」だからいいってもんじゃないんだよ! せめてこっちにしろよ!」

そういって俺は真っ黒なTシャツを手に取る。しかし、そのTシャツには「欧米人」とプリントされていた。

「じゃあこれにするわ」

黒地に白字のTシャツを持ってレジへ向かおうとする彼女をなんとかなだめて、店員に聞くことにした。店員に選んでもらえば大丈夫だろう。

「すみませーん」

近くに居た店員を呼び止めると、笑顔でこちらに来てくれた。

「どうなさいましたか?」

「あの、この子の服を……」

「この子、じゃないわ。音子(ねこ)よ。慎治の彼女の西條音子です。よろしくお願いします」

「頼むからそこで挨拶をしないでくれ! えっと、服を探しているのですが音子に似合うやつ、ありますか?」

店員は笑うのをこらえるように、腕をつねりながら「こちらです」と案内してくれた。公衆の面前で今後このようなことが起こらないように言っておこう、と移動しながら心に誓う慎治だった。


「似合うかしら」

「……」

店員さんが用意してくれたのは無地の白Tシャツ。しかし、背中には「スナイパー。私の後ろはおススメしないぜ」とプリントされている。この店はおもしろプリントTシャツの店なのだろうか。ここまでダサいと脱帽する。

「似合うかしら」

「……あの……ほかのやつはありますか」

店員に聞いてみる。しかし店員は胸を張って「それが一番お似合いです!」という。彼女のセンスも狂っているのかと疑ったが、ファッションコーディネーターという肩書なので、それはないだろう。本気でそう思っているようだ。

「似合う?」

「……音子は気に入ったのか?」

俺が効くと彼女は「気に入ったわ、スナイパー」といった。本人が気に入ったのならば、どうせコートを羽織り背中は隠れるのだし、これでもいいと思った。

「じゃあ、これ買います。そのまま着ていきます」

「ありがとうございます。千十円です」

俺が千十円ちょうどを渡すと、店員は彼女のTシャツについているタグを取るためにはさみを取りに奥へ行ってしまった。


「はぁ……」

「どうしたの、慎治」

十二時半。適当にどこかのカフェに入ろうというかとになり、「ベクターコーヒー」に入った。今はメニューを選んでいる。

「どうしたもこうしたもねぇよ! なんで後ろ前なんだよ! 詐欺だよ!」

彼女がTシャツを後ろ前に着ていたせいで言葉が背中側にあっただけで、実は前に言葉があったのだ。そのため今は俺に堂々と「スナイパー。私の後ろはおススメしないぜ」を見せつけている。

「それよりも何食べる?」

「この「ウインナーコーヒー」が気になるわ。あと「ナポリタン」がいい」

もしかして彼女は「ウインナーコーヒー」のことを誤解しているのではないか。ウインナーが乗っているコーヒーというわけではない。絶対にウインナーの乗ったコーヒーだと思っている。出てきたときにどんな顔をするのだろうか。彼女の知らない一面が見られるかもしれない。

「じゃあ、俺は「ベクタースペシャル」と「ボロネーゼスパゲティ」にしようかな。すみませーん」

「はい、ご注文は」

物凄い速さで白髪(しらが)の老人が注文を取りに来た。

「「ウインナーコーヒー」と「ナポリタン」をこの子に」

「この子じゃないわ。このおじいさんと同じ、白髪(はくはつ)の音子よ」

つい「この子」といってしまった。するとまた彼女が自己紹介をしてしまった。しかも少し失礼な自己紹介だ。

「わかったから……。えっと、「ベクタースペシャル」と「ボロネーゼスパゲティ」ください」

老人はにこにこと微笑みながら注文を復唱すると、すぐに店の奥へと姿を消した。

「ウインナーコーヒー、楽しみ」

「……ああ」

笑いをこらえつつ、少しの間だが他愛のない話をした。


「お待たせしました。「ボロネーゼスパゲティ」と「ナポリタン」で御座います。コーヒーはいつお持ちいたしますか?」

「あ、今お願いします」

老人が持ってきた皿には、美味しそうな「ナポリタン」、「ボロネーゼスパゲティ」が乗っていた。「ナポリタン」は赤い面と緑色のピーマンがいい色合いを出している。「ボロネーゼスパゲティ」はトマトソースが新鮮そうだ。この店を選んだのはいい選択だったのかもしれない。

「お待たせしました。「ウインナーコーヒー」と「ベクタースペシャル」で御座います」

「え」

「本当なのね」

なんと「ウインナーコーヒー」に本当にウインナーが乗っていた。コーヒーの表面には油が浮いている。真っ黒なコーヒーの中に真っ赤なウインナーがある光景は見ているだけでめまいがしそうなほど、インパクトがあった。彼女は眼を見開いて、ウインナーをつんつん、とフォークでつついている。

「あっ」

彼女が声を上げた。見ると、ウインナーがくるっと上下反転した。

「……タコさんウインナーね」

「えー……」

彼女はウインナーをつんつんしながら「いいこだわりね」といった。すると、こちらのコーヒーにも何かを見つけたらしく、じっと見つめた。

「慎治、「ベクタースペシャル」」

「ん?」

俺の手元にある「ベクタースペシャル」に目をやる。そして言葉を失う。これをコーヒーと呼んでいいのか。

「……レモンだな」

「レモン……というのね」

彼女がレモンを知らないことも衝撃的だが、コーヒーにレモンが浮いていることが衝撃的だ。いや、よく見ると液体にはコーヒー特有の黒さが無い。

「紅茶だ! 「ベクタースペシャル」って書いてあるからコーヒーかと思ってた!」

「でも、「ベクタースペシャル」というだけで、コーヒーとはどこにも書いていないわ」

いわれてみれば、その通りだ。しかし、店名が「ベクターコーヒー」なのでコーヒーと思うのは当たり前だろう。とりあえず飲む。

「……これ、麦茶だ」

食べ物はおいしかった。彼女はウインナーを食べてから、コーヒーを飲んでいた。俺は麦茶をゆっくりと賞味した。


彼女が「クリスマスプレゼント、買う」というので、ここからは別行動することにした。彼女を街中で一人にするのは非常に心配なので、GPSを彼女に持たせた。

「これ、持ってろ。絶対に落とすなよ! いいか、絶対だぞ」

と念を押すと、気持ちが伝わったのか真剣な顔でうなずいてくれた。百貨店の「マッチョの像」の前に、五時集合ということになった。ベクターコーヒーを出てから分かれた。俺と彼女は真逆方向――俺は百貨店から離れるように進んだ。


しばらく歩くと、目的の店を見つけた。かばん屋だ。ここで彼女にかばんを買う。べきれば茶色、いや栗色の、白に映えるような――。

「お客様、何をお探しでしょうか?」

突然現れた若い男性。どうやら店員のようだ。「若い」と言っても俺の方がまだ若い。

「あ……栗色のポーチ? バッグ? ってありますか?」

ポーチとバッグの違いをイマイチ理解できていない俺は、店員にそう伝える。

「こちらです」

店員は営業スマイルとは違う、微笑みを湛えていた。その微笑みは、いたずらを仕掛けて無邪気に笑う子どものように見えた。

「いかがでしょうか。今年新たに入った商品ですよ」

「……革製、ですか。高い……ですよね?」

店員の顔が変わった。先ほどまでの微笑みはどこへやら、営業スマイルだ。このバッグは高価なのだろう。儲けになるので買わせようというわけか。

「まあ、多少値は張りますが……。彼女さんのためを思えば……ねぇ?」

――なんと陰湿なのだろうか。セールスマンをここまで恐ろしい存在としてとらえたことはなかった。誰に買うのかまで把握してしまうとは……。ところでこのバッグ。

「あの、これ革じゃなくて、プラスチックですよね?」

そんなことは心にも思っていなかったが、大金を出して買うのだから、一応確認したい。鎌をかけたということだ。すると店員は

「疑うなんて、よくないで、ですよ! お、お客様。このバッグが、プ、プラスチックなわけ、な、ないじゃないじゃないじゃないですか! はい!」

「……」

明らかに動揺している。まさかとは思うが、この店……。

「プラスチック……なんですね?」

「いや、クロコダイルです」

「なんでだよっ!」

急に真顔になった店員に盛大な突っ込みをしてしまった慎治であった。


待ち合わせ時間が迫ってきたので、その……クロコダイルのバッグを包装してもらった。赤い包装紙に緑色のリボンをかけてもらった。四時三十四分。俺は「マッチョの像」に足を向けた。

「ありがとうございました!」

後ろから先ほどの店員の声がしたので振り向くと、若い店員は俺の方とは逆方向に手を振っていた。誰に手を振っているのかという疑問よりも振り向いてしまった恥ずかしさの方が勝っていた。

「なんだよ、もう」

足早に「マッチョの像」に向かう。

途中、ティッシュを配られそうになったが、左手に持っていた十三個のティッシュを見せると、気まずそうに手を引っ込めた。少し、面白く感じた。

そんな風にして進んでいくと、四時五十八分。ギリギリで目的地に着いた。黒光りするブロンズ像がこちらを見ている。スキンヘッドで、鼻が高く、美しい上腕二頭筋を持っている。まさに人間的肉体美だ。そんな感じで「マッチョの像」を眺めること十五分。ふくらはぎのふくらみを見終えた俺はまだ彼女が来ていないのに気が付く。しかし、焦ることはない。GPSで見れば一発だ。

「GPS、起動して……♯020を指定……決定っと」

ポン、と音がして、彼女がまだ百貨店にいることを教えてくれた。

「探しに行くかな」

俺は、彼女に連絡するという最善策に気が付かなかった。


いない。GPSの反応がある場所には彼女のバッグだけが置いてあった。

「どこだ……?」

バッグだけを見つけた時は泣きそうになった。もっと早く気が付けば、肉体美に目を奪われなければ――。後悔が押し寄せて、思考を妨げる。「今考えるべきは過去の事ではない。未来だ」などというキレイ事は完全に脳にない。早く、早く、早く。連れ去り? 持病? 喧嘩?

俺はその場にしゃがむ。バッグの中には何か手がかりがあるかもしれない。ようやく未来を考え始めた俺は彼女のバッグを漁る……調べる。周りの人の視線が痛い。「なに? あの人」「見ちゃだめよ、賢治!」という親子の声も聞こえた。その中に聞き覚えのある透き通った声が一つ。

「……慎治?」

ゆっくりと、後ろを見る。大勢の人混みの中に、特徴的な白髪(はくはつ)が見えた。こちらへ向かってくる。

「音子……」

俺は彼女の手をつかむと、力が抜けてしまい、床に膝をつく。心の底から、安心した。

「……どこに行ってたんだよ……」

そう聞くと、彼女はいつもと変わらない調子で

「トイレよ。大きいほう」

と答えた。俺は、不意に尿意を覚えた。


帰り道。再び地下道を通ることとなる。俺は左手にティッシュを、右手にプレゼントの入った紙袋を持ち、彼女は右手にプレゼントの入っているであろう紙袋を持っていた。彼女の左手は空いている。

地下道に入る直前、俺は®必須をもらわないように厳しく注意をした。雪はいつの間にか病んでいたが、まだ滑りやすい。俺は百貨店から出るときに転びそうになった。地下道は人々の足に付いた水で濡れ、滑りやすくなっているだろう。滑らないように注意をしたら「慎治はいろいろと滑るものね。気を付けて」と言われてしまった。確かに高校受験は滑ったけれど……。

地下道に入ると、やはり多くの人が歩いていた。時刻は午前六時。辺りは真っ暗だ。ただ地下道には電灯があるので明るい。

「慎治」

彼女の方を向くと、彼女は空いた左手を出してきていた。

「荷物を持って、手をつなぐわ」

しかし、俺の左手のティッシュを渡したら彼女の両手がふさがってしまう。四本の手に三つの袋ではどうあがいても手をつなぐことはできない。

あと、今更だがTシャツが気になる。コートを着ているとはいっても前を開けているので「スナイパー。私の後ろはおススメしないぜ」が目に入る。驚くべき主張力だ。

「慎治、早く出して」

「早くって言われても、誰かさんがティッシュを乱獲したから困っているんだろうが!」

「ティッシュはなめると甘いわ」

「まさか、これ全部食べる気か……?」

「まさか。慎治にあげるわ。全部揚げてね」

「凍え死にそうになったよ。寒いダジャレはやめてくれ」

すると、彼女は俺の左手にあるティッシュを取って、左手で持った。

「んー」

そして、その左手をこちらへ差し出す彼女。俺はしばらく考えたが、ようやく彼女の意思が分かった俺は、プレゼントを左手に持ち替える。そして、右手で彼女の持っているティッシュを持った。手はつないでいないが、間接的につながっている。彼女の方を見ると、とても満足げな顔で

「行くわ」

といった。


「あのさ」

「なに? 私は西條音子よ。「おとこ」って読んでは、ダメよ」

「自己紹介はいい! で、お前はハロウィンを一日間違えたよな」

ここは電車の中。乗客はなぜか少なかった。席に座って、小声で話をする。

「間違えてはいないわ。ハロウィンは元々十一月一日よ」

彼女は真剣な顔で答える。ただ、飴をなめているので息がブドウ香料だ。

「平然と嘘を吐くな! で、ハロウィンリベンジをしようと思ったのか?」

俺は彼女に言う。彼女は新たに飴を取り出すと、口に入れた。

「はほひんひへんひはんへ、はんはえへひはいは」

「「ハロウィンリベンジなんて、考えていないわ」? いや、考えてるだろ」

俺はティッシュの入った袋……いや、ティッシュとたくさんの飴が入った袋を指す。なぜ飴が入っているのかというと――


地下道を通っているときに、彼女に強く引っ張られた。俺は思わずティッシュ入りビニール袋を手放してしまった。すると彼女は、サンタコスの女性のもとへ駆け寄る。

「どうしたんだ?」

といいつつ、彼女を追うと、彼女はほかの女性のもとへ行く。トナカイの格好をしている女性だ。

「おい、危ないから待てって!」

呼び止めたが、彼女は看板を持った女性のもとへ走る。俺は彼女を追う。すると、彼女はティッシュの入っている袋を広げて、女性にこう言った。

「トリックオアトリートメント」

女性は黙って、袋に飴を入れる。看板を見ると、化粧品メーカーだと分かった。彼女は周りを見渡し、俺に気が付くと近づいてきた。俺はまた右手でビニール袋を持つ。

「……今の、「トリックオアトリートメント」ってさ、この前言ってた古代ギャグだよね。九十年位前の、えっと……」

「トランディーエンジャルよ」

「そうだ。なんか違う気がするけど、納得した」

言葉では納得した、といったが俺の頭は少しばかり混乱していた。


「ハロウィンリベンジではないわ。リベンジハロウィン、よ」

どちらにせよリベンジに変わりないのだが。これ以上この話題を続けても無意味だろうから相槌を打っておいた。

「……慎治」

「ん」

次の話題は彼女から切り出してくれるらしい。実は話のネタはあとわずかだったので助かる。

「正しいのは「ハロウィン」? それとも「ハロウィーン」? まさかの「ハローウィーン」?」

あれ、いつか俺、その違いと闘った覚えがあるのだが。その時は二択だったが、三択に増えている。真面目に答えるべきか、わからないというべきか。

「……わかりません」

素直に答えたら彼女は眉毛をハの字にして「ふーん」と言った。いつも同じ表情な彼女がこんな顔をするなんて意外だった。しかし、バカにされた気分だ。

「音子はわかるの?」

そんな顔をしたのだから、知っていて当然だよね、と続けるつもりだったが、彼女はそれを遮った。

「猫だから、わからないわ」

そういうと、紙袋からカチューシャ――猫耳カチューシャを取り出し、頭につけた。

「ニャー」

「……」

乗客の視線がこちらへ向いているのが分かる。自分がやったわけではないのに、恥ずかしい。

「……本当に猫だと思ったの? 冗談よ」

俺は恥ずかしさで顔を上げることができなかった。できれば言ってやりたい。冗談ってことくらい俺にだってわかると。そして、それは犬耳カチューシャであるということを。


三十分間ほど電車に揺られて、駅に着く。

「行くわよ」

彼女は恥ずかしさを感じていないので、顔を上げないでいる俺の手を引いてドアの前まで来た。

「お出口はー右側でーす」

「右側だぞ。間違えるなよ」

「それ、フラグよ。回収する?」

「いや、やめてくれ」

乗客のかすかな笑い声が聞こえた。俺の顔は発火寸前だ。電車はそのまま駅に滑り込む。今日の運転手は上手いのか、ほとんど慣性力を感じなかった。

ドアが開く。しかし、ドアが開く音は後ろから聞こえた。

「……フラグ回収したつもりはないのよ」

「じゃあ、天然か?」

呆れた声で話しかけながら、逆の出口から駅に出る。「ドアが閉まります。ご注意ください」とアナウンスが響いた。

「天然でもないわ。ただ、ちょっと……あの」

「右と左を間違えたのか?」

「……」

どうやら図星のようだった。それを天然というのだが、という思いは心にとどめておく。彼女は恥ずかしかったのか、顔が赤くなっていた。俺は先ほど、もっと恥ずかしい思いをしたが。

「早く、行くわよ」

彼女は焦っているのか、足早に跨線橋へ向かった。俺は両手に荷物を持ってついていった。階段を上るときにスカートの中が見えてしまったことは誰にも言わない。

改札口まで来た。

「実験よ」

「くだらないからやめとけよ」

「改札機に切符を通す時に裏表逆に通したら、改札口を通れるのか、実験よ」

「ほう」

彼女は切符を裏返しにして改札機に入れる。すると、改札口のゲートは何事もなかったかのように開いた。

「通れた。面白くない」

「通れないのはもっと面白くないけどね!」

時刻は六時三十五分。俺は左手に荷物を無理やり持つと、彼女の左手をしっかり握った。左手が痛い。

「慎治の手は、温かいわ」

「おう」

「手が温かい人って、冷たい人間だと聞いたことがあるわ」

「都市伝説だな。現に俺はこんなに温かい人間だ」

ふざけて言ったつもりだったが、彼女は「そうね」というと、左手を強く握ってきた。


彼女の家の前に着いた頃には七時十五分を過ぎていた。

「明日は「アイラブキリスト」はやめてくれよ」

俺がそういうと、彼女は微笑んで

「明日は「キリストズバースデイ」にするわ」

といった。

明日の集合時間は午後七時。非常に楽しみだ。


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