Dream.23 三月の罪 〈2〉
「では朝海、手のひらの日の出の紋を」
「ああ」
カウンター席に腰掛けた朝海が手のひらを開いて、目の前に立った旭へと差し出す。旭が額に日の出の印を輝かせると、朝海の手のひらに共鳴するように日の出の紋が浮かび上がった。旭の全身から溢れ出た朝力の金光が、朝海の手のひらの紋を伝って朝海の体の中へとどんどんと流れ込んでいく。今まさに、旭の朝力が朝海に与えられているのだ。
「何故、日下部様に日の出の紋が?」
その光景を見守っていた憬一郎が、戸惑った様子で晃由へと問いかける。
「ああ。あいつ、日の出の神子と日の出の獏のミックスなんよ。んで、旭さんの本来の従獏が朝海ってわけ」
「神子と獏の混血……」
晃由から簡潔に説明を受けた憬一郎が驚きの表情を見せる。
「だから、朝海の本来の神子である旭さんなら、朝海に朝力を与えることが出来るんだ」
「成程」
晃由がこの場に旭を呼んだわけをようやく理解し、憬一郎が大きく頷く。
「しかし混血児とは驚きましたね。修夜様はご存知だったのですか?」
「まぁ、生まれる前からね……」
歯切れ悪く返って来た修夜の答えに、憬一郎は少し困ったように頭を掻いた。
「じゃあ私はそろそろ。仕事が終わったらまた来ますので、後をお願いします」
未だ眠ったままの陽を自身の体に戻した後、壁に掛かった時計の時刻を確認した曜子が、少し急いた様子でカウンターの席から立ち上がり、旭の集中を邪魔しないように小声でトモに言葉を発した。
「大変だね。土曜も出勤なんて」
「土日でも部活動はありますし、活動時間が長い分、怪我する子も多いですから」
トモに答えながら、曜子が少し困ったような笑みを浮かべる。
「朝ご飯、ご馳走さまでした。とても美味しかったです」
「大したもの出せなくてごめんね」
「いえ」
そっと首を横に振った曜子が、俯いてそっと笑みを零す。
「とても懐かしかったです。朝成さんのカフェオレ」
「懐かしかったって昔の味なんて、覚えてるの?」
「覚えてますよ」
トモの問いかけにすぐさま答え、顔を上げた曜子がまっすぐにトモを見つめる。
「大好きでしたから」
あまりにもまっすぐな曜子のその視線と言葉に、トモは思わず笑みを消し去り、返す言葉を失った。戸惑った様子のトモを見て、曜子が自嘲するような笑みを見せた後、すぐにトモに背を向ける。
「じゃあ」
短く言葉を落とすと、曜子は足早に喫茶店を後にした。曜子が去った扉を、トモは閉まった後もしばらくじっと見つめる。
「トモさん?」
「あ、茜、洗い物手伝ってくれる?」
「うん……」
何かを誤魔化すように陽気な笑みを浮かべたトモを見上げ、どこか考え込むような表情を見せながらも、茜は何も問うことなくエプロンをかけて洗い物を手伝った。
「ご馳走さまでした」
「ああ、ハイハイっ」
そこへ憬一郎が修夜と二人分の空いた食器をカウンターへと運んでくる。
「ありがとう、旭」
その時、朝海が旭から朝力を受け取っていた手を引く。
「もっと与えなくて大丈夫ですか?」
「これ以上もらったら、君の朝力が回復するのにも時間がかかってしまうよ」
問いかける旭に、朝海が気遣うように答える。
「それにこれだけあれば十分だ。水無月くらいなら、余裕で倒せそうだよ」
「ほぉー、何ならこの場で試してみるか?」
「まぁまぁ、落ち着いてっ」
朝海の挑発めいた発言にあっさりと触発される修夜を、間に入った晃由が必死に宥める。
「三奈にあっさりと力を奪われた間抜けが、偉そうにっ」
「シャンデリアちゃんは俺にとっての二次元の神だから仕方ないんだ」
「どこが仕方ないんだよ!」
「まぁまぁまぁ~っ」
晃由に宥められながらも今にも殴りかかりそうな勢いで、朝海へと身を乗り出している修夜の姿を見て、憬一郎はどこか嬉しそうに笑みを零した。
「悪いねぇ~。普段はそんなことないんだけど、どうも月の出の神子クンには喰ってかかっちゃうみたいで」
「いえ」
朝海の態度を謝るトモに、憬一郎がすぐに首を横に振る。
「むしろ、感謝しています。もう十年程、水無月家に仕えていますが、修夜様のあのような年相応の子供らしい姿を見たのは初めてですから」
「そう」
憬一郎のその言葉は、修夜が自身の感情を表に出せるような相手に出会ったことを喜んでいるようであった。憬一郎の心情を察したトモもまた、穏やかな笑みを見せる。
「そういえば君も、十二暦家の人間なんだってね」
真剣な表情となって、トモが少し遠慮がちに憬一郎へと問いかける。
「はい。十二暦家、“睦月”の生まれです」
トモの遠慮がちな態度とは対照的に、憬一郎は何を隠すこともなくすぐさま頷いた。
「月の出の獏も、月の出の神子同様、十二暦家内から選ばれます。どこの家に生まれるかわかりませんので、神子のように家を順次巡るわけではありませんが」
「それで今回は、睦月の家に月の出の獏を持った君が生まれたと」
「はい」
頷いた憬一郎が、わずかに表情を曇らせる。
「睦月の家は元々上昇志向が高く、私を獏として差し出す代わりに睦月の意向に従うよう、神子である水無月家に求めました。ですが水無月は、それを強く拒んだ。睦月の言いなりになるくらいなら、獏の力などいらないと言って」
自身の深い話を始める憬一郎を、トモはまっすぐに見つめた。
「怒った睦月は、総家に水無月から神子を剥奪するよう訴えました。水無月が神子と獏の力を使って月の出に反乱を起こそうとしているなどと、くだらない噂まで流して」
その行いを否定するように、憬一郎が何度も首を横に振る。
「我が家ながら、嫌気がさしました。自分の家の行いを、どうしても正しいとは思えずに私は」
「水無月に付いたんだね」
「はい」
頷いた憬一郎が、苦々しい笑みを見せる。
「すぐに睦月の家から縁を切られました。今後決して睦月の姓を名乗らないようにも言われて。まぁ、当然ですよね。睦月の野望を私が砕いたのですから」
「でも君がしたことは間違ってないんじゃないかな」
「私も、間違っていたとは思っていません」
トモの言葉に大きく頷き、憬一郎が今度は誇らしげな笑みを浮かべる。
「小夜子様の獏としての道を選んだことは、今も自分自身にとって一番の誇りです」
「自分の獏にそう言ってもらえたなら、神子も本望だろうね」
先程店を後にした曜子の姿を思い返しながら、トモは少し困ったように微笑んだ。
「けど、十二暦家の中に月の出の獏が生まれるなら、どうしてガラスちゃんが月の出の獏に?」
浮かび上がる疑問に、トモが大きく首を傾げる。
「小夜子さんの獏である君同様、弟君の獏であるガラスちゃんも本来なら十二暦家に生まれるはずだよね?」
「かつて一度だけ、十二暦家の血が余所に漏れたことがあります」
憬一郎が厳しい表情となってトモの疑問に答える。
「それは“三月の罪”と呼ばれ、今も弥生の人間は皆、その罪の責任を追い続けている出来事です」
「弥生って確か、朝海が好きなアイドルの子の家だっけ?」
「ええ」
確認するように問いかけたトモに、憬一郎が短く頷く。
「数十年前、弥生の家に生まれたその月の出の女性は、とても奔放で、総家に縛られることを嫌い、月の出の一族を飛び出して行方をくらませた」
「その女性の血を受け継ぐのが、ガラスちゃんだって言うのかい?」
「確証はありませんが、可能性はとても高いと思います」
自信を持って答える憬一郎に、困惑の表情となるトモ。
「何故?」
「その弥生の女性が月の出の一族を抜け出た最も大きな要因が、日の出の獏である男性と恋に落ちたからだと言われていますので」
「日の出の、獏と?」
憬一郎の言葉に、トモがすぐさま表情を曇らせる。
「日の出の獏は、血によって受け継がれますよね? そして浅見硝子様の姉曜子さんと双子の妹の灯子さんは共に日の出の獏だ」
憬一郎が見せた確信に辿り着くように、トモがハッとした表情を見せる。
「十二暦家と日の出の獏、その二つの血を受け継いでいない限り、浅見姉妹のように月と日、両方の獏を受け継ぐ姉妹は存在しないはずです」
「そうか。それであの二人は双子でありながら、日の出と月の出、相対する獏を宿すことに……」
同じ日の出の獏を持つならまだしも、日の出の獏と月の出の獏というまったく別のものを持って生まれた硝子と灯子の謎が、トモはようやく見えてきたような気がした。
「勿論、ただの血の巡りではなく、運命的な巡り合わせもあってのことなのでしょうけれど」
「うん。そうだね」
憬一郎の言葉に同意するように、トモは深々と頷いた。
「俺たちと一緒に、月の出総家に乗り込むぅー!?」
落ち着いた空気だったトモと憬一郎の間に割って入るように大きく響いたのは、晃由の驚きの声であった。
「マジで言ってんスか!? 旭さんっ」
「ええ、大マジです」
大きく見開いた目で聞き返す晃由に、旭はニッコリと笑顔で頷いた。
「聞いた話では、相手は十二人も居るそうではないですか。ならば少しでも戦力は多い方がいいでしょう?」
「水無月は含まないから、十一人じゃないのか?」
「十一人でも多いものは多いですよ」
「そうか」
のんびりとした会話を繰り広げる朝海と旭に、晃由がどこか呆れた様子でがっくりと肩を落とす。
「それに私が行けば、朝海にいつでも朝力を与えることが出来ますし」
「それは確かに助かりますけど」
「月の出の内乱などに介入しては、日の出の神子としての貴女の立場が危うくなるのでは?」
口ごもった晃由の代わりに、旭へと鋭く問いかけを向けたのは修夜であった。
「それが理由で処分を受けても、こちらは責任を取ったりは出来ないぞ」
「大丈夫ですよ。今は口うるさい爺様が謹慎中ですので、日の出総家に私の行動を制限するような人はいません」
「だが」
「私は貴方に借りをお返ししたいのですよ。月の出の神子」
旭のその言葉に、修夜が眉をひそめて首を傾げる。
「月の出の一族でありながら貴方は日の出総家で、朝海と共に昼力の暴走した盟治を救ってくれました」
「別に救ったつもりなんてっ」
旭の言葉に、修夜が弾かれたように言葉を返す。
「僕はただ浅見さんを、自分の獏を助けるためだけにあの場に」
「ですが、私と盟治が貴方に救われたことは事実です」
美しく笑みを浮かべた旭が、まっすぐに修夜を見つめる。
「そして、私と盟治が貴方に感謝していることもまた、事実です」
旭の優しい声が、修夜へと降り注ぐ。
「恩は返すためにあるもの。ねぇ、盟治」
「ああ。借りを作りっぱなしにするのは性に合わない」
旭に同意するように盟治が答える。二人から向けられるまっすぐな想いに、修夜は慣れていないのか、少し逃げるように視線を落とした。
「有り難くお受けしましょう、修夜様」
その修夜を助けるように、すぐ傍に立った憬一郎がそっと促す。
「困っている時に厚意を受け取ることは、決して恥ずべき行為ではありません」
憬一郎の言葉を聞くと、修夜は少し間を置いた後に小さく頷いた。修夜の頷きを確認した旭が、満足げな笑みを見せる。
「貴方も構いませんか? 朝海」
最終的に了解を得るように、旭が朝海へと問いかける。
「君が一度決めたことを、そう簡単に覆さないことは十分にわかってるよ。なんせ、イトコのようなハトコだからね」
深い理解を示す朝海に、旭は嬉しそうな笑顔を見せた。
「今、盟莎もこっちに向かっている。夕方の出発までには合流するだろう」
メールを確認した盟治が、横に立った晃由へと報告を入れる。
「すげぇな。朝、昼、夜の総力戦になりそうだ」
「あ、灯子!」
晃由が思わず楽しむような笑みを見せたその時、洗い物を手伝っていた茜が階段からゆっくりと降りて来る灯子の姿を見つける。
「こんにちは」
「あんた等、確か日の出の。それに水無月まで」
ずっと茜の部屋で休んでいた灯子は、同じ空間に集まっている修夜や旭に戸惑っている様子だった。
「もう起きて大丈夫なのか?」
「あ、ああっ」
声を掛ける朝海に、灯子が少し視線を逸らしながらぎこちなく答える。そっぽを向いたその頬は、ほんのりと赤く染まっているように見えた。
「夕方には出る。それまでにしっかり体力を回復させておいてくれ」
「出るって、どこへ?」
「勿論、灯子ちゃんの大事な片割れを助けにだよっ」
戸惑った様子で問いかけた灯子に、晃由は満面の笑顔で答えた。
「硝子の? 場所がわかったのか?」
「ああ。水無月が心当たりがあるそうだ」
問いかけた灯子に、朝海がしっかりと頷く。
「硝子を助けに行こう、灯子。俺たちの手で」
「……ああ」
朝海から向けられたその言葉に、灯子は強い表情を見せてしっかりと頷いた。




