Dream.23 三月の罪 〈1〉
赤槻町、小さな喫茶店“Tomo”。
「んっ……」
脇にたくさんのぬいぐるみの置かれた茜のベッドの上で、ゆっくりと目を覚ましたのは灯子であった。灯子は硝子をさらわれた際に朔十により深い傷を負わされ、曜子の獏“陽”に治療を受けた後も、ずっと眠り続けていたのである。
「気が付いた?」
ベッドの横に寄り添って座った曜子が、優しい笑顔で灯子に声を掛ける。目の下に薄らと出来た隈は、曜子がろくに眠らずに灯子に付いていてくれたことを表しているのだろう。
「姉、さん……」
目の前にある穏やかな笑顔に、灯子が少し安心したような表情を見せる。その時、扉を叩く音が響いた。
「はい?」
「朝ご飯持って来たよぉー。って、あれ? 灯子、気が付いたの?」
トレーにパンとスープを乗せて入って来た茜が、ベッドの上で目を開いている灯子に気付き、嬉しそうな笑顔を見せる。灯子が茜へと視線を動かすと、茜は何かを察するようにすぐに目を細めた。
「わかった、連れて来る。先生は下で朝ご飯食べなよ」
「え? あ、え?」
灯子は何も言葉を発していないというのに、まるで会話するようにそう答えて、曜子の手を引き部屋を出て行く茜。茜の様子に戸惑いながらも、曜子は茜と共に部屋を後にした。
部屋に灯子が一人になったのも束の間、すぐに再び扉を叩く音が響くと、茜と共に朝海が部屋へとやって来た。
「はい、どうぞっ」
茜がどこか得意げな笑顔で、朝海を部屋の中へと押し込む。
「茜。俺、まだ眠いんだけど……」
「何時間寝れば気が済むのよ? 話終わったら呼んで。灯子の分の朝ご飯持って来るから。じゃあね」
眠たげな朝海を気にすることなく一人でどんどんと話を進めると、茜はあっさりと部屋を出て行った。部屋の中に灯子と二人残された朝海が、少し気まずそうな表情を見せながらもベッドへと近付いていき、すぐ横にそっと座り込む。
「えっと、茜から君が呼んでるって言われたんだけど」
「……別に、呼んでない」
「そうか。まぁ、そうだよね」
冷たく返って来る答えに、朝海が困ったように肩を落とす。
「じゃあ、茜呼んで来るよ。一日寝てたんだし何か食べないと」
「でも、呼んでた」
静かに言い直す灯子に、朝海が立ち上がろうとした動きを止める。
「呼んでた。たぶん」
朝海から目を逸らし、じっと壁を見つめながら灯子が珍しくか細く声を漏らす。
「ごめん」
「え?」
落とされる謝罪の言葉に、朝海が戸惑うように首を傾げる。
「あの時、学校で、お前ばかりを責めて……」
――――何故、硝子を助けに行かなかった!?――――
傷の治療もままならない中、それでも朝海に喰ってかかってきた灯子の姿を思い出し、朝海が少し眉をひそめる。あまりにも必死だったその姿は、灯子がどれほどに硝子を大切に想っているのかを十分に伝えるものだった。
「硝子が連れて行かれたのは、私が守れなかったからなのに、私が弱かったからなのに……、私は全部をお前のせいにした」
壁に向かって放たれる灯子の声が、わずかに震える。
「お前のせいにして、楽になろうとした」
苦しげに吐き出される言葉に、朝海が思わず表情を曇らせる。
「本当は全部、私の弱さのせいなのに……」
「君だけのせいじゃないよ。俺だって、何も出来なかった」
灯子の心情を察するように、朝海が優しく声を掛ける。
「だから、俺を責めたことを君が謝る必要なんてない。その通りなんだから」
優しく背中に当たる言葉に、壁際を向いたまま灯子がきつく唇を噛み締める。
「ごめんっ……」
灯子の口から、再び零れ落ちる謝罪の言葉。
「だから謝る必要は」
「弱いところばかり見せて、ごめんっ……」
先程とは別の謝罪が向けられていることに気付くと、朝海がすぐに笑みを零す。
「いいよ、そんなの」
すべてを許すように穏やかに、朝海が言葉を発する。
「俺はもう十分、君が強いことを知っているから、そんなことは気にする必要ない」
向けられた言葉を噛み締めるように、きつく閉じられた灯子の瞳から溢れるものがあったが、その滴が朝海の視界に入ることはなかった。
「何とか大丈夫そうだな」
「ちょっといい感じ過ぎない? そろそろ入って邪魔をっ」
「まぁまぁ茜、もうちょい押さえて」
朝海と灯子の居る茜の部屋の扉の前で聞き耳を立てながら、中の様子をうかがっている晃由と茜。部屋に入って行こうとする茜を必死に止めている晃由の声が、廊下から階段を通じて、一階の店にまで丸聞こえの状態となっていた。
「二人共~、盗み聞きは程々にねぇ~」
カウンターの奥で朝ご飯の支度をしながら、トモが二階の二人へと声を掛ける。
「じゃあ硝ちゃんは、月の出総家の別館に?」
カウンターの一席に腰掛け、トモが用意した朝食のサンドウィッチを口にしながら曜子が振り向き、後方の席で同じように朝食を摂っている修夜と憬一郎の方を見て問いかける。
「はい。十六夜町という比較的、赤槻町に近い所にありますし、神無月は総家との関係が決して良好なわけではありませんから、総家内の神無月本邸よりもその別館に居る可能性が高いかと思われます」
「十六夜町か。電車で十分くらいね」
曜子が携帯電話で位置を確認しながら、真剣な表情を見せる。
「はい、曜子ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
そんな曜子へと、トモがカウンターの奥からカフェオレを出す。
「これを食べ終えたら、すぐ出発しよう。憬一郎」
「まぁ待てって」
急いるように言葉を発する修夜を制したのは、先程まで二階で盗み聞きしていた晃由であった。
「俺らも一緒に行くからさぁ」
「朝力のない日の出の神子と病み上がりの日の出の獏になど、付いて来てもらったところで足を引っ張られるだけだ」
「俺は元気もやる気も満々よ?」
自分を指差して得意げに名乗り出る晃由を、修夜が数秒の間じっと見つめる。
「大した戦力になるとは思えない」
「あらっ」
はっきりと言い放つ修夜に、晃由が困ったように肩を落とす。
「じゃあ、お前等の夜力だけで戦うってのか? 夜力使いばっかの連中と」
「それはっ」
晃由の鋭い問いかけに、修夜が思わず口ごもる。
「彼等の狙いは硝ちゃんの力を解放できる水無月君、あなたなんでしょう? あなたが軽率な行動をとっては大変な事態になってしまう可能性があるわ」
「俺もそう思うよ。焦る気持ちはわかるけど、お姉さんやガラスちゃんのためにも君は慎重に動くべきだ、月の出の神子クン」
宥めるような曜子とトモの言葉に、修夜は答えることなく深く俯いた。
「まぁ朝海はともかく、灯子ちゃんはもうちょっと休めば全快するっしょ。どうせ休んでろって言っても聞かないだろうし」
そう言って少し困ったように肩を落とす晃由。
「あ、でも攻め込むなら朝の内のんがいいのかな? 夜力使いの根城だし」
「総家別館には日の出総家同様、夜結界が張り巡らされています。朝に行ったところで変わりはないかと」
晃由の問いかけに、憬一郎が的確に答える。
「いっそ夜に攻め込んだ方が、敵さんの予想裏切れていいかもね」
「夜行く方が助かるわ。皆は休みだけど、私は今日出勤日だし」
「え、一緒に行くつもりなの? 曜子ちゃん」
「当たり前です」
トモの問いかけに、少し表情をしかめて答える曜子。
「妹が連れ去られたっていうのに、大人しくなんかしていられません」
「でも陽、まだあんなだよ?」
トモが店の奥のソファー席を指差すと、テーブルの上で大きな体を丸めこんだ曜子の獏、陽が、未だ回復しない朝力を取り戻そうと深い眠りについていた。自身の獏の完全ではないその姿を見て、曜子が困ったように眉をひそめる。
「俺が朝力与えてあげれば、すぐにでも復活するだろうけど」
「あなたの力は借りません」
「でしょ~? じゃあ待機した方がいいよ。君の獏は元々回復専門で、戦闘向きじゃないし」
トモの言葉を受け、曜子が不満げに唇を噛み締める。
「どうせ私の獏じゃ、戦力にはなれませんよっ……」
まるで拗ねた子供のように言葉を吐き出す曜子の姿に、トモは少し困ったように笑みを零した。
二人の決して親しげではないが、互いをよく知った様子のその姿に、晃由が戸惑うように首を傾げる。
「じゃあ今日、日が暮れたら月の出総家別館とやらに乗り込むか」
「朝海っ」
そこへ二階から降りて来た朝海が姿を見せる。朝海の脇には朝海の腕をしっかりと握り締めた茜の姿がある。茜は結局、朝海と灯子の二人だけの部屋に割って入ってしまったようである。
「乗り込むって、けどお前、朝力どうするんだよ?」
「シャンデリアちゃんに返してもらう」
「返してもらうって……」
あっさりと答える朝海に、途端に呆れたような表情となる晃由。
「そう簡単に返してもらえるとは思えないけど……」
「まぁまず無理だろうな」
晃由の言葉を、後方から修夜が強く肯定する。
「三奈は十二暦家の中でも人一倍、宵へのこだわりが強いんだ。それに力もある。奪われた朝力を取り戻すことなど、容易に出来るはずがない」
「シャンデリアちゃんには、何か深い事情があったんだ」
「はっ……?」
朝海の口から飛び出て来た思いがけない言葉に、大きく口を開く修夜。
「彼女の抱えたものの重さを、俺だけは理解している。俺がきっと、彼女を解放してみせる」
「バッカじゃないの」
「ああ、馬鹿だ」
呆れ果てた様子で言葉を放った茜に、修夜も強く同意して頷く。
「騙された男って、皆ああ言うんだよねぇ」
「騙された経験でもあるんですか?」
「アハハ、まぁね」
曜子の鋭い問いかけを、トモは陽気な笑顔ではぐらかす。その笑顔を見て、曜子は少し不満げな表情を見せた。
「まぁでも奪われたままってわけにもいかねぇし、朝海をシャンデリアちゃんのところに連れて行く必要はあるよな」
「今度は生声を録音出来るよう、ボイスレコーダーを持って行こう」
「はぁ」
シャンデリアに会うために、どちらかというと張り切って準備を始める朝海に、修夜が深々と頭を抱える。
「そんな朝力がなければ何の取り柄もない奴を連れて戦えるほど、十二暦家の連中は甘くないぞ」
「その辺はわかってるよ」
修夜の脅すような言葉に、晃由はどこか余裕の笑みを浮かべる。
「ちゃぁ~んと連絡入れといたから、そろそろ来ると思うんだけど、あ、来た来たっ」
そう言って晃由がポケットから携帯電話を取り出す。着信を知らせて震える携帯電話には出ないまま、喫茶店の入口扉まで歩いて行く晃由。
「はいはい!」
「俺だ」
晃由が勢いよく開いた扉の向こうに立っていたのは、携帯電話を右耳に当てた盟治であった。
「何故、電話に出ない? 晃由」
「どうせお前、もう居るだろうなって思ってさ」
「君は」
晃由と親しく会話をする盟治の姿を捉えた朝海が、驚きの表情を見せる。
「眞岡盟治」
「久し振りだな、日下部朝海」
晃由へと掛けていた電話を切りながら、盟治が朝海へと視線を向ける。
「君が呼んだのか? 晃」
「ああ。まぁ俺が呼んだのは別の人で、別に盟治は呼んでねぇけどな」
「我が神子を一人で、こんな遠くの地まで向かわせるわけにはいかないだろう」
「我が神子ってじゃあ」
盟治の言葉から晃由が呼んだ本当の人物を推察する朝海。
「ご無沙汰していますね、朝海」
凛とした声を響かせながら、盟治の後ろから店の中へとゆっくりとした足取りで姿を見せたのは、こんな小さな喫茶店には不釣り合いなほど高級感のある艶やかな着物を纏った旭であった。
「旭」
驚きの表情を見せた朝海に、旭は穏やかな笑みを浮かべる。
「もう一人の日の出の神子、か」
旭から強い朝力を感じたのか、まるでその朝力に反発するように修夜はそっと眉をひそめた。
「お前が朝力を得るには彼女の力を借りるしかないと思ってさ」
「成程ねぇ~」
「ご無沙汰しています、朝成さん」
「ああ、本当に久し振りだねぇ。旭ちゃん」
互いを知った様子でトモと旭が挨拶を交わす。
「我が爺様と伯父上は元気かな?」
「ええ、とても。特に爺様はまったく反省の色もなくて、大爺様も呆れ果てています」
「アハハ、伯父上らしいねぇ」
トモからの問いかけに、旭が笑顔で大きく頷く。
「聞くところによると朝海、大好きなグラビアアイドルを前に鼻の下を伸ばしきっている内に、朝力をすっかり奪われてしまったそうですね」
「晃……」
「俺は事実を伝えたまでだって」
旭に包み隠さず伝わっている事情に、朝海が少し恨みがましく晃由へと視線を送る。
「完全とまでにはいきませんが、私が貴方にある程度戦えるまでの朝力をお与えしましょう」
「済まない、旭」
「いいえ、お気になさらずに」
申し訳なさそうに謝る朝海に、旭が静かに首を横に振る。
「私と貴方はハトコですが、私は貴方とイトコのように思っているのですから」
「いや、だから、そんなに違うのか? イトコとハトコ……」
満面の笑みを浮かべる旭を見ながら、朝海は少し呆れたような表情を見せた。




