Dream.22 神無き月の男 〈3〉
月の出総家、別館。地下牢。
「屋根よぉり高い鯉のぉぼぉりぃ~!」
硝子と小夜子の入れられた地下牢のすぐ前では、床に座り込んだ大吾が、二人に贈ったものと同じ小型鯉のぼりを振り回しながら陽気なメロディを奏でていた。
「大きい真鯉はぁ、おトメさぁ~ん~!」
「お父さんね……」
「あ、そっか! お父さぁ~ん~」
小夜子にそっと訂正され、大吾がすぐさま歌い直す。
「どうして真鯉は覚えているのに、お父さんを間違えるのかしら……」
「あの」
不思議そうに首を傾げている小夜子へと、遠慮がちに声を発する硝子。
「神子になる資格をなくしたって?」
言葉の真意を問うべく、硝子が真剣な表情で小夜子に聞き返す。
「睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走。長い歴史の中、十二の暦家を、代々の月の出の神子は巡って来ました」
長い時を示すように小夜子がゆっくりと顔を上に向ける。
「ですが、その長い歴史の途中で、神無月だけが月の出の神子となる資格を無くした。実際に今は、神無月を除く十一の暦家で神子を回しているのです」
「どうして、神無月だけが除かれたんですか?」
もっともな疑問を簡潔に小夜子へと向ける硝子。
「およそ数百年の昔、神無月が月の出の神子だった頃、その神無月の神子はとある罪を犯しました」
ゆっくりとした口調で言葉を続けていく小夜子に、硝子がまっすぐに視線を送る。
「とある小さな村の者たちを全員、夢喰化したのです」
「えっ……?」
小夜子のその言葉に、硝子の表情が途端に曇る。
「村人全員を夢喰化……?」
「ええ。それも何の理由も無く、ただ悪戯に」
ローブの中から聞こえてくる小夜子の声もまた、硝子の表情と同じように曇っていることがうかがえた。
「その後、すべての夢喰は当時の日の出一族により退治されましたが、村人は皆夢喰と共に夢を消され、夢を失ったその村はやがて滅びました」
「そんな……」
朝海がかつて夢を消させてしまった恩師晴香のことを思い出し、硝子が険しい表情を見せる。
「月の出一族の夜力は、人々の夢を夢喰へと変えることが出来る。それは人命にも関わる、とても危険な力です」
緊張感を増す小夜子の声に、硝子が思わず息を呑む。
「だからこそ月の出は、悪戯に人々を夢喰化することをきつく禁じました。あなたを夜に陥れる為だけに、夢喰を生んだ修夜もきつく罰せられた。まぁ日下部朝海のお陰で夢自体は消えなかったので、それだけ処分は軽くなりましたが」
硝子を手に入れる為に、赤槻高校の生徒を次々と夢喰化させた修夜は、朝海との戦いの後、月の出の総家より謹慎処分を受けていた。
「当時の、その神無月の神子にも、月の出総家から厳しい処分が言い渡されました」
再び過去へと戻る話に、硝子がまっすぐに視線を送る。
「それは、神子資格の剥奪です」
ようやく繋がって来る話に、真剣な表情を見せる硝子。
「すぐに月の出の神子は霜月の者に引き継がれ、その後長月まで神子が巡っても神無月を飛ばして、霜月が神子となる制度がとられた。それ程に、当時の神子の行いは罪深かった」
硝子がどこか納得するように、頷きながら俯く。
「当時、“神在月”と名乗っていた一族は、神子無き月へ名を変えるようにまで命じられました。それが今の“神無月”です」
「神在月から、神無月へ……」
「ええ」
頷いた小夜子が、今度は顔を下に向ける。
「それから延々と、十二暦家でありながら神子にはなれぬ日々が続いた。それはとても、屈辱的な歴史だったと思います」
当時の神子の行いは許せるものではないが、神無月の歴史が重く苦しいものであっただろうことは、硝子にも容易に想像がついた。
「神子への憧れが、月の出への憎しみが、長い歴史の中で降り積もったことでしょう。まるで怨念のように」
「別に恨んでなどいないさ」
牢の外から返って来るその声に、小夜子がすぐさま顔を上げる。
「総家に口酸っぱく管理される神子など、こっちから願い下げだ」
「神無月朔十っ……」
扉を開けて地下牢のあるその部屋へと姿を見せたのは、鋭い笑みを浮かべた朔十であった。やって来た朔十に小夜子が椅子から立ち上がり、警戒するように身構える。
「あ、朔十様ぁ~!」
「見張りご苦労、大吾。少し外で遊んでおいで」
「うわぁ~い!」
余程退屈だったのか、朔十から許可が下りると大吾はすぐに笑顔で部屋の外へと飛び出していった。
「俺の居ないところで、俺の噂話か? 姫神子」
向けられる朔十の視線に、小夜子がローブの奥で瞳を鋭く光らせる。
「あなたが、神無月」
「さっきはロクに挨拶も出来ていなかったと思ってな。月の出一族十二暦家、神無月朔十だ」
硝子の厳しい視線に答えるように、牢の前にやって来た朔十が丁寧に名を名乗る。
「名は?」
「浅見、硝子」
「そうか、硝子か」
硝子の名を呼びながら冷たく笑みを浮かべる朔十から、どこか突き刺さってくるような痛い空気を感じ、硝子が思わず表情をしかめる。そんな硝子を庇うように、硝子の前に小夜子が立った。
「まだ挨拶の途中なんだが? 姫神子」
「あなたに彼女の力は渡しません。あなたにだけは」
牽制するようなその言葉に、朔十が小夜子からそっと視線を逸らす。
「それは、俺が神無月の人間だからか?」
「そうです」
朔十の問いかけに、小夜子は迷うことなくすぐさま頷いた。
「月の出の歴史は語っています。何故当時、神子の資格を剥奪する程の厳しい処分を神無月に与えたのか。それは神無月が、悪しき心を宿す一族であったからだと」
「悪しき心、ね」
強く主張する小夜子の言葉を繰り返しながら、朔十が小さく笑みを零す。
「酷い言われようだな。好きであの家に生まれたわけでもないというのに」
一瞬だけ曇る朔十のその表情の変化を見逃さず、硝子が少し戸惑うように眉をひそめる。
「ですが実際あなたはこうして、彼女をさらった。彼女の力を利用する為ではないのですか?」
「それは、他の月の意志あってのこと」
小夜子の鋭い問いかけをかわすように、朔十がゆっくりと答える。
「皆、宵の力をロクに使おうとしない、お前たち水無月に不満があるらしい。俺は、日の出よりも上に立ちたいという彼等の意志に十二暦家の一つとして賛同しているだけだ」
「白々しいことをっ」
流れるように放たれる朔十の言葉に、小夜子が刺々しく声を返す。
「それに、お前たちがどんなに夜の闇に隠したところで、脅威は脅威」
朔十の鋭い視線が小夜子を通り抜け、硝子へと向けられる。
「その力を持って生まれて、穏やかな日々を過ごすことなど出来るはずがないと、お前はすぐにでも実感するさ」
予言よりもずっと確信を持って響くその言葉に、硝子は険しい表情を作った。
「そのようなことはっ!」
「挨拶に来ただけだ。今日はこの辺りで失礼する」
必死に否定しようとした小夜子の言葉をあっさりと遮って、朔十が二人の居る牢へと背を向ける。
「じゃあまた。姫神子に、硝子」
二人の方を振り返り、不敵にそっと微笑むと、朔十はすぐに部屋を後にした。硝子は部屋の扉が閉まるまでじっと、朔十の背を見つめていた。
「何を考えているのか、読めない男です」
再び椅子に腰かけながら、小夜子が疲れた様子で息を吐く。
「前から、あの人を知って?」
「ええ」
硝子の問いかけに、小夜子がすぐに頷く。
「月の出総家も前々から、あの男のことは警戒していました。他の月を従わせる圧倒的な力と存在感を持ちながら、決してそんな素振りは見せない。静かだが、今までの神無月の中で最も強い野心を秘めた男だと」
先程まですぐ目の前に居た男の姿を思い出し、硝子が眉をひそめる。確かに小夜子の言葉の通り、従わせる強さと秘められた野心を感じさせる男だった。
「あの男が宵の力を得れば、何をするかわかりません。あの男にだけは、渡さないようにせねば……」
小夜子の言葉を耳に入れながら、硝子はどこか考え込むような表情で、閉じたままの扉をまっすぐに見つめていた。
「脅威は脅威……」
朔十が発したその言葉を繰り返しながら、硝子はそっと自身の手を見下ろした。
「戻ったわよー」
その頃、同じ月の出総家別館の一階には、朝海たちと交戦を繰り広げた三奈、慎一郎、亜八華、龍二の四人が他の十二暦家の者たちのもとへと帰還していた。
「あれ、朔十は?」
奥の椅子に朔十の姿がないことに気付き、三奈が利九へと問いかける。
「宵のところへ行っている。挨拶がまだだったそうだ」
「ふぅーん」
利九の答えにまるで興味のなさそうな声で返事をする三奈。
「やぁーん。折角朔十様に誉めてもらおうと思ってたのにぃー!」
「誉められるようなことは何一つしていませんけどね……」
残念そうにタンクトップの裾を噛む龍二の横で、慎一郎が呆れ果てた表情を見せる。二人の後方に立った亜八華は憬一郎を連れ戻して来ることが出来なかったためか、見るからに元気のない様子だった。
「やけに自信満々だと思ったら、あの日の出の神子、シャンデリアのファンだったざぁーますね」
「そう、見てた? もう楽勝よ。ほら、あいつの朝力っ」
声を掛けて来た師走に得意げに答えながら、三奈が朝海の朝力を閉じ込めた大きなマシュマロを見せる。
「後で朔十に見せるか。寄越せ」
「冗談っ」
取ろうとした利九の手を、三奈がすぐさま体を捻って避ける。
「これは私が私の力で手に入れたのよ? なんであんたに渡さなきゃいけないわけ?」
「何だと……?」
挑戦的に言い放つ三奈に、利九が大きく表情をしかめる。
「貴様っ」
「怒ってもどうせ聞かないざぁーますよ、利九」
「チっ……」
諭すような師走の言葉に、利九は舌打ちした後すぐに三奈へと出していた手を引っ込めた。不満げな利九の様子を見て、三奈は楽しげに笑う。
「まぁこれで日の出の神子は戦闘不能なわけだし? だいぶ楽になったんじゃない? 皆、感謝してくれていいわよっ」
部屋に居る全員を見回すようにして強気に言葉を発すると、三奈は朝海の力を片手に、大きな笑い声を響かせながら部屋を後にしていった。
部屋に残った皆が三奈の去った扉を見つめ、不満げに表情をしかめる。
「ムカつく女だ。ただ単に、あの日の出の神子が馬鹿だっただけだと言うのに」
「女優なんてロクな女が居ないって言うけど、ホントよねぇー」
「だから嫌なんですよ。弥生の女は」
利九と龍二に続いて、慎一郎が言葉を捨て吐く。
「そもそも弥生の女が恋などに現を抜かさなければ、月の出の獏が外に漏れることはなかった。宵だって、十二暦家の中に生まれたはずだったのに」
「そうよねぇ。世が世ならアナタが宵の獏飼いになれたかも知れないのにねぇ、残念っ」
龍二から皮肉めいた言葉を向けられ、慎一郎が眉間に皺を寄せる。
「だからこそ三奈は、今回の件に躍起になってるんざぁーますよ。夢中だった芸能活動を休止してまで、それこそ必死に」
皆の会話を聞きながら、師走はどこか案じるように小さく呟きを落とした。
――――夢でも元気そうで良かった――――
――――体の具合でも悪いのかなって、ずっと心配してたから――――
「テレビの中の会えもしない人間の心配するなんて、バッカみたいっ」
別館の廊下を歩きながら、手の中の朝海の力の結晶を見つめ、三奈は朝海から向けられた言葉を思い出していた。
「心配したって届くわけない。感謝されるわけない。喜んでくれるわけもないのに」
次々に繰り出される三奈の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
「嬉しくない。ちっとも嬉しくない。私は、喜んだりなんかしないっ」
何かを振り払うように、三奈が必死に首を横に振る。
「私は弥生の汚名を返上する。その為には、何だってしてみせる」
手の中の朝海の結晶体をきつく握り締め、三奈が決意に満ちた真剣な表情を見せる。
「この夢を、使い切ってでも……」
空いている左手で胸元を押さえながら、わずかに表情を曇らせる三奈。
「あなたに邪魔はさせないわ、朝海」
鋭く瞳を輝かせて、三奈は足早に廊下を歩き去っていった。




