Dream.14 月、参戦 〈3〉
水無月の姉小夜子から無事、水無月との面会の許可を得た硝子は、灯子と共に憬一郎に案内され水無月のもとへと向かっていた。三人は再び一階へと戻ると、屋敷の奥から渡り廊下へと出て、敷地のさらに奥にある別館へと移動していた。
「これより先は、一層包む夜力が濃くなります」
別館に入ったところですぐに憬一郎が足を止め、後方の硝子と灯子の方を振り返る。
「月の出の獏である我々はともかく、日の出の獏であるあなたには少々酷かと」
「平気だ。とっとと案内しろ」
気遣うように言葉を向ける憬一郎だが、灯子は特に気にした様子もなく強気に言い放つ。
「ですがこの屋敷に踏み入っている時点で、体に相当負担が来ているでしょう? 獏の力も徐々に弱くなっているようですし」
憬一郎の言葉を受けると、灯子が屋敷に入った時よりも随分光りを失い始めている右手の刀を隠すように後ろに持っていく。その灯子の動作に、硝子は察するように眉をひそめた。
「灯子はここで待ってて」
「硝子、でも!」
「大丈夫、何かあったら大声で呼ぶから。ね?」
険しい表情を見せた灯子だったが、硝子の笑顔に言いくるめられるように静かに頷いた。そして硝子と憬一郎はその場に灯子を残し、別館の二階へと歩を進めた。憬一郎の言葉通り、二階は一階よりもずっと空気を包む夜力が強まっていることが、硝子にも何となくわかった。
「どうしてここは、こんなに夜力が立ち込めているんですか?」
「謹慎中の修夜様が、屋敷全体に夜力を撒き散らしているからですよ。お陰で屋敷の周りにコウモリやらフクロウやらが集まってきてしまって。まったく迷惑な話です」
「水無月君の夜力」
立ち込める夜力を感じるように、硝子がそっと瞳を閉じる。確かにその夜力は、硝子にとってどこか心地良いものだった。左肩の紋が夜力に反応して疼いているのも感じる。
「こちらが修夜様のお部屋です」
憬一郎が足を止めたのは二階の廊下を進んですぐの部屋の前であった。
「入って、も?」
「どうぞ。修夜様もどうせもう、あなたが来られていることはとっくにご存じでしょうから」
躊躇うように問いかけた硝子に憬一郎が笑顔で答えると、硝子はゆっくりと部屋の扉の前に立ち、うかがうように二度扉をノックした。
何の返事もなかったが、扉がゆっくりと開いていく。
「ここも自動扉なんですか!?」
「たぶん夜力で開けたんだと思いますよ」
驚きの表情で問いかける硝子に、憬一郎が少し呆れた笑顔を向ける。
「何だ、夜力かぁ。あっ」
開いた扉から見え始める部屋の中、小夜子の部屋とは異なり照明の点いたその部屋の奥の窓際に腰掛け、茫然と窓の外を見つめている水無月の姿を視界に入れた硝子が、思わず目を見開く。
「水無月、君……」
呼びかける硝子に、水無月は一瞬視線を送ったが、すぐにまた窓の外へと移した。
「お前は下がれ、憬一郎」
「はい」
水無月の言葉にすぐに頷いた憬一郎は、部屋の扉を開けたまま、すぐに廊下の奥へと去っていった。部屋の中に入ることは躊躇われ、硝子が扉のすぐ外からまっすぐに水無月を見つめる。
「あの、水無月君」
「君は馬鹿だね、宵」
言葉を投げかけようとした硝子よりも先に、水無月が硝子へと言葉を向ける。
「あんな目に遭わされたっていうのに、性懲りもなくまた、僕の前に現れるなんて」
窓際で腰掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がった水無月は、どこか力のない笑みを硝子へと向けた。向けられたその笑みを見た硝子が、すぐに表情を曇らせる。
「うん。自分でも馬鹿だなって思ってるよ、少し」
そっと笑みを零した硝子が、躊躇うように止まっていた足を進めて水無月の部屋の中へと入る。
「長い長い夜から覚めて病院で検査を受けながら、色んなこと考えてた。あなたのこと、許せないって思うかとか、殴りたいって思うかとか色々」
部屋に入って数歩進んだところで硝子が足を止める。少しずつ距離を詰めてくる硝子を、水無月はただまっすぐに見つめた。
「でも実際、灯子からあなたが何日も学校を休んでることを聞いた時に、私が抱いたのは“大丈夫かな”“元気なのかな”って、あなたを心配する感情ばっかりだった」
硝子の言葉に何か思うところがあったのか、水無月が少し表情をしかめて視線を逸らす。
「あなたに会いたいって、あなたに会ってもう一度きちんと話がしたいって、自然とそう思えたの」
「それは、僕が君のクラスメイトの水無月修夜だから?」
「それもあるけど、それだけじゃなくて、たぶん」
少し迷うように言葉を彷徨わせながら、ゆっくりと顔を上げた硝子が再び水無月を見る。
「私があなたの獏だから」
「……やっぱり馬鹿だね、君は」
どこか呆れたようにそう言って、水無月が再び窓際の椅子に腰かける。
「だったら、なってくれるの? 僕の獏に。戻ってくれるの? 僕のものだった宵に」
水無月の言葉を受けた硝子が、あからさまに困った様子で眉をひそめる。
「それは無理、なんだろう? 顔に書いてある」
硝子の方を振り向いた水無月が自嘲するような笑みを浮かべる。
「うん、無理だよ」
硝子が噛み締めるように、重たく言葉を落とす。
「だって今の私は浅見硝子で、あなたの宵だった頃の記憶も力も何も持ってない。だから、どう頑張ったって、あなたの宵には戻れない」
「うん」
はっきりと告げる硝子に水無月は表情を変えることなく、窓の外を見つめたまま、ただ静かに頷いた。
「そうだね……」
頷かれるとは思っていなかった硝子が、少し戸惑うように水無月を見る。水無月はどこか遠くを見るような瞳で、悲しげな表情を見せていた。
「もう、どこにも居ないんだね。僕のものだった宵は」
虚しさの漂うその水無月の言葉に、硝子が苦しげに表情を曇らせる。
「わかっていたはずなのにね。随分と無駄なことばかりしてしまった」
少し肩を落とした水無月が、もう一度椅子から立ち上がる。
「君には迷惑をかけたね。ごめん」
「水無月君」
向き合って深々と頭を下げる水無月を、硝子が少し驚いた表情で見つめる。
「謝られても困るだろうけど、一応ね。総家に連れ戻されたら謝る機会もなくなるだろうから」
顔を上げた水無月が少し寂しげな笑みを見せる。
「水無月君、私」
「僕はもうすぐ総家に戻って監視されることになる。これ以上もう、君に何かすることもないと思うから安心して暮らしてよ、宵」
笑みで言葉を続ける水無月を、硝子がもどかしげに見つめる。
「神子と獏に戻れないなら、何の関係もない人間同士になるしかないの? 私たち」
硝子から向けられる問いかけに、水無月が少し戸惑うように首を傾げる。
「浅見硝子と水無月修夜として、今までみたいに普通のクラスメイトとして、接していくことすら許されないの? 私たちは」
「普通のクラスメイトって」
硝子の言葉を水無月が少し困ったように繰り返す。
「そんなのに戻れるわけないよ」
「どうして? 私は宵じゃないけど浅見硝子だし、水無月君だって水無月君でしょう? だったら!」
「僕が君に何をしたと思ってるの?」
硝子の声を遮り気味に水無月が問いかけを向ける。
「僕は君のとても大事な時間を奪った。夜につけ込んで、夜に閉じ込めて、君を悲しみの淵に追いやったんだ」
水無月がまるで懺悔のように、自分を責める言葉を吐き続ける。
「なのに今更、普通のクラスメイトに戻れるはずがっ」
「でも今、私はここに居るよ」
今度は硝子が水無月の言葉を遮る。
「今、私は夜の中にも悲しみの淵にも居ない。ここに居るよ」
水無月がゆっくりと視線を上げると、硝子はまっすぐ真剣な眼差しを水無月へと向けていた。
「灯子やお姉ちゃんと一緒に学校にも行けるようになったし、麗華ちゃんやクラスの皆と楽しく過ごしてる。そして教室の中に、クラスの皆の中に、水無月君が帰ってきてくれたらって思ってる」
「そんなの許されるはずが」
「許さないから、戻って来て」
強く告げられる言葉に、水無月が引き寄せられるように振り向く。
「許さないから、逃げないで。私から」
まっすぐに向けられるその瞳から、水無月は苦しげな表情を見せながらも、硝子のその言葉に従うように決して目を逸らさなかった。
「ねぇ、水無月君」
改めて水無月の名を呼んで、硝子が柔らかに笑みを浮かべる。
「私たち、過去の神子と獏には戻れないけど、今から新しく神子と獏になることなら、出来るんじゃないかな?」
硝子から向けられる笑みに、水無月が大きく表情をしかめる。
「僕の獏に、なるっていうの?」
「私は今、力を欲してる」
どこか警戒するように問いかけた水無月に、硝子が少しの間を置くこともなくはっきりと答える。
「恩ある人の、大事な人の助けになるための力を」
「日下部のための力ってことか」
「え?」
事情を把握した様子で聞き返して来る水無月に、硝子が思わず目を丸める。
「どうして」
「日の出の総家に異変があったらしいって今朝、姉さんから聞いた。そこに日下部が巻き込まれたらしいってことも聞いてる」
不思議そうに問いかける硝子に、水無月がどこか不快げに答える。硝子には素直に謝罪の言葉を向けた水無月だが、朝海に対してはまだ消化しきれていない感情があるのだろう。
「知ってるなら、もうはっきり言うね。私、日の出の総家に行って、日下部君を助けたいの」
「だから、僕の力が必要だってこと?」
「うん。だってあなたしか、私の神子は居ないんでしょう? だったら私が戦うためにも、あなたの力が必要だわ」
勇ましく言い放つ硝子の言葉を聞きながら、水無月が深く視線を落とす。
「利用しようっていうのか、僕を。あいつを助けるために」
俯いたまま低く声を落とす水無月を、硝子がどこか不安げに見つめる。
「酷い人だね、君は」
そう言って顔を上げた水無月は、どこか困ったような笑みを浮かべていた。その笑みは今まで水無月が見せて来たものではなく、硝子のよく知るクラスメイトの水無月の笑顔であった。
「いいよ、力を貸してあげる。君にはそんなことしても返せないくらいの借りがあるし」
「水無月君!」
頷く水無月に硝子が嬉しそうな笑顔を見せる。
「ありがとう!」
駆け寄って両手を取る硝子の笑顔を見下ろしながら、水無月はどこか複雑そうに笑みを見せた。
「あ、でも僕、今謹慎中だった」
「それなら心配いりませんよ、フフフ……」
「姉さん」
聞こえてくる不気味な声に水無月が視線を移すと、いつの間にか水無月の部屋に小夜子が姿を現していた。小夜子と共に部屋に入って来たのであろう憬一郎が、小夜子のために素早く部屋のカーテンを閉め、照明を最小限の明るさに抑えていく。
「それにしても、随分あっさり交渉に応じたわね。修夜……」
「だから私が申し上げましたでしょう? 修夜様は硝子様に滅法弱いので、きっとすぐに頷かれるだろうと」
「本当ね、フフフ……」
「うるさいな」
繰り広げられる小夜子と憬一郎の会話に、水無月が少し恥ずかしそうに耳を赤く染める。
「月の出総家の許可ならば、すでに取ってあるわ。すぐに硝子さんたちと日の出総家に向かいなさい、修夜」
「許可って、何でそんな簡単に」
「汚名というのは、返上するためにあるのよ」
ローブの下の表情の見えない小夜子から向けられるその言葉に、水無月がすぐに眉をひそめる。
「日の出の危機を救って、月の出の名誉を挽回して来いってことか」
「自分の仕出かしたことへの責任は、自分で取れということよ」
少し表情をしかめた水無月へ、小夜子が厳しく言葉を向ける。
「それがきっと、硝子さんへの償いにもなる」
「私、償いなんて求めてません」
小夜子が発した言葉を、硝子があっさりと否定する。
「私はただ、水無月君と一緒にいたいだけです」
笑顔で振り向く硝子に、水無月が少し困ったような顔で視線を逸らす。
「本当、君は酷い人だね」
「え?」
「ね、滅法弱いでしょう?」
「ええ、フフフ……」
水無月の呟きに首を傾げる硝子を見ながら、小夜子と憬一郎は楽しげに笑みを零した。




