Dream.14 月、参戦 〈2〉
一度学校に行き、養護教諭の曜子に水無月の住所を調べてもらった硝子と灯子は、そのまま授業に出ることなくすぐに水無月の家へと向かった。水無月の家は三つほど離れた駅から、さらに歩いて十分ほどのところにある静かな高級住宅地の一角にあった。
大きく立派な家ばかりの並ぶ中でも一番大きな土地を占める、デザイン製に溢れたおしゃれな三階建ての洋館。洋館の前に作られた鉄製の黒門の横にある煉瓦作りの壁には、英語で水無月と書かれた表札が掛けられていた。門の外から覗く限り庭も相当に広く、何やら池のようなものまで見える。
「お金持ちなんだね、水無月君」
「硝子。変だぞ、この家」
すぐ横から聞こえてくる灯子の声に、庭を覗き見ていた硝子が振り向く。
「変?」
「家に一切、光りが差し込んでない。空はこんなに晴れてるし、隣の家までは日当たり抜群なのに、この家だけ何故か日陰だ」
「あ、本当だ」
灯子に言われて改めて洋館全体を見渡した硝子が、納得するように頷く。まだ昼前で徐々に太陽は高く昇り始めているというのに、洋館には一切日の光りが当たっておらず、どこか薄暗い。周囲の家はすべて明るい日の光りが差し込んでいるというのに、何故か水無月の家だけ日が当たっていないのだ。
空を見上げ、太陽の光りの角度を確認していた硝子が、洋館全体を包む薄い黒い膜のようなものに気付く。
「結界……、夜力の結界がお家全体を包み込んでる」
そう言って、そっと指先を門へと伸ばす硝子。硝子の指が門の手前で何かに遮られるように止まると、硝子の指先に黒い閃光のようなものが飛び散り、洋館を包む黒い膜が一瞬だけその色を濃くして姿を見せた。
「日の出総家と同じ原理ってわけか」
「うん。でもこれくらいの夜力なら平気かも。とりあえずチャイム鳴らしてみようか」
「本気で水無月の力を借りる気なのか?」
夜力の結界を気にすることなく手を伸ばし、門の横に設置されたチャイムへと指を出そうとした硝子を止めるように鋭く灯子が問いかける。
「あいつにどんな目に遭わされたか、わかっているのか? 硝子」
どこか責めるように向けられる問いかけに、硝子が少し顔を俯ける。
「私だって、心の整理が出来たわけじゃないよ。水無月君に対して、色々と思うところもある」
「ならっ」
「でも許せないって感情よりも、話したいって感情の方が強いの」
灯子の声に重なるように言葉を放って、硝子が穏やかな笑顔を見せる。
「それに今は日下部君のこともあるし、あれこれ迷ってられない。とにかく行ってみよう」
意志の強い様子でそう言うと、硝子は何の躊躇いもなく水無月の家のチャイムを鳴らした。鳴らした後しばらくしてもチャイムの向こうから反応の声は聞こえなかったが、代わりに十数秒後、家の黒門が自動的に開いた。
「自動なんだ、この門。凄いね。とりあえず入れてはもらえるみたい。行こう、灯子」
「あ、おい。ったく」
開いた門からどんどんと先へと進んで行く硝子に呆れ果てた表情を見せながらも、灯子は仕方なく硝子の後を追っていく。二人が家の敷地の中へと入ると、黒門は再び自動的に閉じていった。
池のある広い前庭を通り抜け、どんどんと洋館へと進んで行く硝子と灯子。二人が進んで行く中、洋館の玄関扉であろう両開きの木製扉がゆっくりと開くと、そこから一人の男が姿を見せた。黒い眼鏡にスーツ姿のその男に、灯子は確かに見覚えがあった。硝子の夢元世界で出会った月の出の獏を持った男、憬一郎であった。
「お前は……!」
「そろそろ来られる頃かと思っていましたよ。浅見硝子様、灯子様」
驚きの表情を見せる灯子に対し、憬一郎は落ち着き払った様子で二人を出迎える。
「よく私たちってわかりましたね。チャイムにカメラ付いてなかったのに」
「夜力の結界を貫いてチャイムを押せる者など、あなた以外にそうおられませんよ。宵」
不思議そうに問いかける硝子に、憬一郎が穏やかに答える。
「“燈”!」
「ま、待って灯子っ」
燈を目覚めさせるべくスカートの裾を捲り上げ、太腿に浮かび上がった日の出の紋へと右手を触れようとする灯子を硝子が慌てて止める。
「何をする気?」
「戦うに決まっているだろう! こいつは月の出の獏だ!」
「今の私に、あなたと戦う意志はありませんよ。日の出の獏」
力強く指先を向けた灯子に、憬一郎はまったく戦いの素振りを見せずに言い放つ。
「我が神子が、それを望んでおられませんから」
「フンっ」
憬一郎の言葉などあっさりと無視し、止める硝子の手も振り払って灯子が紋に右手を触れる。紋から強い金色の光りが放たれると、広い前庭が狭く感じるほどに巨大な金色の天馬が姿を見せた。
天馬が放つ眩い光りに、憬一郎が少し目を細める。
「お前の言葉など、信じられるものか」
「灯子」
拒絶するように冷たく言い切る灯子に、硝子が少し困った顔を見せる。
「わかりました。では私に何か不審な動きがあった場合は、遠慮なく攻撃していただいて結構です。ですが」
言葉を続けながら憬一郎がゆっくりと巨大な天馬を見上げる。
「あちらの獏には、こちらで待機していただきたい。中へ入れては家の中がめちゃくちゃになってしまいますので」
「……いいだろう」
少し間を置いて憬一郎を睨みつけた後、頷いた灯子が燈の方へと歩み寄っていく。
「燈」
灯子が呼びかけると燈はその背の翼を勢いよく開き、頭部の頂点からまるで一角獣のように鋭い角を伸ばした。燈が大きく首を折って下を向くと、灯子がその伸びたばかりの角をまるで刀のように抜き去る。
「行こうか」
「はい」
燈の角を刀として携え、再び硝子の横へと立った灯子を見ると、憬一郎は満足げな笑顔で頷いた。
憬一郎に導かれ、二人が洋館の中へと通される。三階まで吹き抜けになった玄関ホールは、屋根がガラス張りなのにも関わらず一切光りが入って来ておらず、家全体がとても薄暗かった。日の光りが差し込まない上に照明も最低限で、まるでわざと暗さを保っているようにも見える。
あちこち周囲を見回す二人を、憬一郎は二階に続く階段へと案内した。
「あの、私たち」
「修夜様にお会いになりに来たのでしょう?」
「あ、はい!」
先を読むように言い放つ憬一郎に、硝子が何度も大きく頷きかける。
「あの、水無月君に会わせてもらえるんですか?」
「それはわかりません。修夜様は現在、謹慎処分を受けておられまして、お会い出来るのは許可された方のみとなっておりますので」
「謹慎? どうして」
「日の出の神子に喧嘩を売ったからですよ」
「日下部君に?」
笑顔で答える憬一郎に、硝子は戸惑った様子で首を傾げる。
「何故だ? 日の出と月の出は敵同士だろう? 戦うのは当たり前のことじゃないのか」
首を傾げた硝子の後ろから、灯子が鋭い表情で問いかける。
「あなた方は誤解しておられます。日の出と月の出は同じ光りを司る神子の一族。本来、敵対するような関係ではないのですよ」
「敵じゃ、ない?」
「ええ」
「そう、なんだ」
聞き返した硝子に憬一郎が笑顔で頷きかけると、硝子は一瞬嬉しそうに笑みを零した。
「そして、光りの神子一族の中において日の出こそが最強。我ら月の出は皆、日の出の力を恐れている」
警戒するように強く刀を握り締めたまま、灯子もまた憬一郎の話に耳を傾ける。
「だからこそ月の出は、勝手に日の出に相対した修夜様を処分することで、日の出との友好関係を保たなければならないのですよ」
「それで水無月君を謹慎処分に」
「ええ」
憬一郎の頷きを聞きながら、硝子がどこか納得したような表情を見せる。
「もう間もなく処分期間を終えられますがね」
「終えたら、また普通に学校に通う気なのかよ」
灯子が憬一郎の背中に向かって鋭く言葉を投げかける。
「硝子は一年以上も眠らされて、自分の時間を奪われたってのに、たったの数日間の謹慎処分で解放されるなんて随分と虫のいい話だな」
「灯子っ」
「勿論、それだけの処分では済みませんよ」
制止を促すように灯子へと呼びかけていた硝子が、憬一郎の言葉にすぐに振り向く。
「修夜様は今まで散々好き勝手やって来ましたからね。あなたと同じ学校へ通うために無断で総家を飛び出して、神子の立場など投げ打ってあなただけにかまけて、夜力を使って人々の夢を勝手に夢喰化させて」
困ったように深々と肩を落とす憬一郎。
「謹慎などでは決して許されるものではありません。恐らく、これ以上勝手をさせぬため、総家に連れ戻されることになるでしょう。心配せずとも、あなた方の前からはきれいに居なくなりますよ」
「居なく……」
憬一郎の言葉を受けて、硝子が複雑そうに顔を俯ける。
「さぁ、こちらです。我が神子がお会いになられます」
廊下の奥で足を止めた憬一郎が目の前にある扉を勢いよく開く。硝子と灯子は部屋の中へと視線を移したが、部屋は照明がないのか真っ暗で、中の様子がまるでわからなかった。
「お会いになるって?」
「何も見えねぇじゃねぇか」
「ようこそ……」
『うわっ!』
真っ暗な部屋の中からどこか不気味な声と共に姿を見せたのは、真っ黒なローブに全身を包み込んだ硝子たちよりも少し小柄な人物であった。全身黒だけのその姿は、まるで部屋の暗闇が塊となって出て来たかのようで、硝子と灯子が思わず驚きの声をあげる。
「我が屋敷へ、フフフ……」
頭まで深くかぶったローブの下から、わずかに見える口元が怪しげに微笑む。凛と響く声と小柄で細身のその体型から恐らく女性であろうことはわかるが、それ以外は表情などもまったく見えない。
「え、えっとあなたは、その」
「こちらは我が月の出の神子にして、修夜様の実の姉、水無月 小夜子様です」
「え、水無月君のお姉さん!?」
憬一郎の紹介に、硝子がまたローブの女性を驚き見る。
「そういえば前に水無月君から、お姉さんがいるって聞いたような」
「その姉です、どうも。フフフ……」
爽やかな笑顔が特徴的だった水無月とは似ても似つかない、というよりも似ているのかすらさだかではないその不気味な小夜子の姿に、硝子が少し困ったように頭を掻く。
「あなたが、宵……、そしてあなたは、燈、ね……。フフフ」
小夜子が見せる不気味な笑みに寒気でも覚えたのか、灯子が軽く肌を摩る。
「何で全身ローブなんだ?」
「小夜子様は少しでも日の光りに当たると肌が真っ赤になってしまうので、昼間はだいたいこの暗い部屋に閉じこもっておられるのです」
「さすがは月の出の神子だな」
引きつった表情を見せながらも、妙に納得した様子で頷く灯子。
「そういえば、硝子様には名乗っておりませんでしたが私、小夜子様の従獏の柊憬一郎と申します」
「小夜子さんの獏? じゃあ水無月君の獏ではないんですか?」
「修夜様の獏はあなたでしょう?」
「あ、そっか」
逆に問われた硝子が納得したように頷く。
「私、水無月君に獏が二人いるんだとばかり」
「一人の神子に対し、付き従うべき獏は一人と決まっていますから」
「へぇ。あれ、でもじゃあ」
硝子がふと何かに気付いた様子で灯子の方を見る。
「晃由君と灯子はどっちが……」
「浅見、硝子さん……」
「あ、はい」
灯子に問いかけを向けようとした硝子が、小夜子に呼ばれ慌てて振り返る。
「ええっ!?」
硝子が振り返ると、小夜子は床にきれいに膝をつき土下座する格好となって、硝子に向かって深々と頭を下げていた。突然の小夜子の姿に、硝子が驚きの声を上げる。
「な、何してるんですか!」
「この度の弟の行い……、謝って許されることとは思っていませんが、どうか、頭を下げることだけは許していただきたい……」
焦る硝子に対し、小夜子が一層頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした……」
「そんなことっ」
必死に首を横に振った硝子が、小夜子のすぐ目の前でしゃがみ込む。
「やめて下さい! 私はこんなこと望んでなんかっ……!」
「やはり土下座くらいでは済まされないですか……」
顔を上げさせようとした硝子だが、小夜子はあっさりと自発的に顔を上げた。
「仕方ないですね。快晴の空の下へと出て、この肌を焼き焦がし報いましょう……」
「やめて下さいぃー!」
立ち上がって外へと出て行こうとする小夜子を、硝子もまた立ち上がって必死に止める。
「元はと言えば私が原因なんです! 過去の私が水無月君を裏切ったりしたから、水無月君は……!」
「いいえ」
硝子の言葉を遮るようにはっきり否定して、小夜子がゆっくりと振り返る。
「いいえ……」
ローブからわずかに覗いた鋭い瞳が、まっすぐに硝子を捉えた。
「人はすべての罪を洗い流して生まれ変わるもの……、過去世の罪をあなたが背負う必要などまったくない」
力のある小夜子の瞳から、硝子は目を離すことが出来なかった。
「生まれ変わってなお、過去世を引きずった修夜がすべて悪いのです。だから、あなたには何の罪も……」
「私が背負っているのは、過去世の自分の“罪”じゃありません」
言葉を発する硝子を、小夜子が少し戸惑うように見る。
「私が背負っているのは、過去世の自分の“想い”です」
真剣な表情ではっきりと言い放つ硝子の姿に、小夜子がローブの下で少し驚いたように目を見開く。
「想いなら、背負うのは私の自由でしょう? だからどうかお願いします、小夜子さん」
止めるために掴んでいた小夜子の手を握り直し、硝子が笑顔を小夜子へと向ける。
「水無月君に会わせて下さい。私会って、きちんと話がしたいんです」
「……困りましたね」
「え?」
「修夜が何故、あんなにもあなたに固執するのか、少しわかってしまいました。フフフ……」
不気味に笑みを零した小夜子が、ゆっくりと硝子と向き直る。
「わかりました。どうぞ、修夜に会ってあげて下さい……」
「あ、ありがとうございます!」
「礼を言わねばならぬのは、こちらの方ですよ、フフフ……」
今度は穏やかに口元を緩め、小夜子はまた不気味な笑い声を発した。




