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第7話 夢の中

 時折、自分の人生をなるべく思い出そうと思う。その時に最初に思い出したことが、自分の人生にとって最も重要なことであるからだ。それが善か悪か。すべてを正確に分けることはできないが、その出来事が善であることをいつも願っている。だけど、俺のそれは全くの逆だった。自分も、周りも。すべてが悪で、何かに押しつぶされそうな気持になる。死んだように生きて、何者にもなれない自分を、ただ鏡越しに見つめることしかできない。


 割れた鏡を見たのは、血だらけの拳を見た後だった。

「死ね!死ね!全員死ね!」


 暴君に犯され、自分の心の中にある自暴自棄をさまよい続けていた。そこには自分すら反射してくれる鏡もなければ、誰かを見る眼鏡もない。ぼやけた世界で、人生という長距離走を車椅子で進んでいく。ひとりだけ世界から孤立していて、真っ暗な部屋の隅でボソボソボソボソと人生を悔やんでいる。


 だけど、光を与えてくれるきっかけはいくつもあった。

「はな君~?学校行こうよー!」


 部屋の窓の隙間から、聞き覚えのある声が俺を毎日呼んでいた。七限授業の日も、雪の日も、極寒の日も。変わらず俺を呼びに来てくれていた。寒いだろうに、めんどくさいだろうに。毎日絶やさず来てくれた。


 その子が呼び始めてから、一カ月が経とうとした頃。飲み物を取りに一回のリビングに降りて行ったときだ。リビングから父とその子の声がした。中学に入って初めてできた先輩だった。周囲からの人気も高く、誰に対しても平等にやさしくできる人だった。

「はなくんって小さい頃はどんな子だったんですか?」

「あの子はとっても元気な子だったよ。亡き妻も言っていたが、人を幸せにする才能がある。」


 そこには俺の話をする先輩と父親の姿があった。二人とも嬉しそうに笑っている。俺の死んだような人生を、とても明るい笑顔で語っていたのだ。


 だけど、それが気に入らなかった。

「なに勝手に家入れてんだよ」


 自分が知らない所で自分が輝いていた。自分じゃない自分がそこにいて、羨ましかった。空になったグラスを、先輩めがけて投げつけた。悪意があったわけでもなく、気づいたら投げてしまっていた。だけど、グラスの破片が手に刺さり血が出た彼女の手を見て俺は急に罪悪感に潰された。

「華徒!」

「あ、あ。ごめ、ごめんなさい。」


 焦った俺は、両手が震えて足腰の力が抜けた。その場で崩れ落ち、目を両手で覆って現実から逃げ出した。

「大丈夫ですお父さん。ごめんね時臣くん。もうお家には来ないから。」


 その時の彼女が涙を流していたことをすら俺には知る余地もなかった。ただ罪悪感に襲われ、被害者のように泣き崩れていた。父も俺をこれ以上攻めようとはしなかったものの、先輩の両親に頭を下げに行ったと聞く。


 そんな時に、父がシングルマザーの人と再婚した。母が亡くなってもう長かったこともあり、俺も反対はしなかった。

「よろしく華徒くん。今日からお義母さんになる美佐江《みさえ》と妹になる智咲です。ほら、挨拶して。」

「ちさきです。新しい兄さん。よろしくね。」

「あぁ」


 そっけない返事にも妹は笑顔で返してくれた。目の熊も酷かったし、きっと死んだ魚のような目をしていただろう。愛想も悪くてきっと気持ち悪かったはずだ。それなのに、妹は俺を抱きしめてくれた。

「私の兄さん大丈夫。私が守るから大丈夫。」


 小学六年生には思えない包容力に俺は心を許してしまった。気が付けば涙が滝のように流れ落ち、初対面の小学生に泣きついていたのだ。よしよしと頭をなでて、大丈夫だよと背中をさすってくれる。

「おれは。おれはっ・・・」


 俺が人生を振り返って最初に思い出すのはいじめられて不登校になっていたあの頃だ。だけど、その後には必ずそれらを覆ってしまうくらいやさしい妹が頭に浮かんでくる。


 それ以降は別教室での登校だったが、学校にも通えて卒業できていた。勉学に励んだ俺は一年後、特別枠としてこの私立東正学園への推薦権を得た。それ以降大満足な生活を送れていたが唯一、あの毎日家に来てくれていた先輩がどこの高校に進学したのか知れなかったことだけ悔いが残る。次に会ったら謝罪と感謝の意を伝えたい。


 

 気が付けば朝のホームルームの終わりを告げるチャイムが耳に響いく。周りが騒がしくなっているのに気がつき顔を上げると、男子生徒は一人もいなかった。

「時臣くん。次体育だから、男子は更衣室で着替えてよ。」


 そうクラスメイトに言われてから、自分が危ない状況であると悟った。着替えたくても着替えられない女子生徒たち全員が俺を睨みつけている。見下す視線から、毛嫌うような嫌味が飛び交う。その中で、前の席の生徒がやむを得ず言ってきた。

「華徒くん。さすがにそろそろね?」


 俺は急いでその場を後にするのだった。


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