第14話 世界で一番可愛い妹
夕暮れ時。太陽が次の場所へ元気を与えに行かなければいけなくなった途端、人間という生き物はそれを恋しく思う。『明日が来る』その確証はどこにもない。だけど明日が来てほしいと無意識に願って一日を終える。四月に鳴く蛙も、公園で遊ぶ少年たちも、近所のおばあちゃんも、時々恋しく思えるときがある。いつもそばにあったものが突如として姿を消したとき、人間という弱者は他者に頼ることしかできない。恋人を失ったのなら友人へ。友人を失ったのなら家族へ。家族を失ったのなら、また恋人へ。そうやって都合のいいピースを揃えて、絶えないよう循環させていく。
俺が今感じている居心地の悪さは、まさにこれだった。
「ただいまー」
いつもより大きくはなく、だけどリビングにいるであろう両親には聞こえる程度に、部屋にいるであろう妹には聞こえないくらいの微妙な声量だった。だけど両親の返事が返ってくることもなく、俺は止まった体を再起しようと靴を脱ぐ。
人間は普通靴をそろえる時に玄関の方向を向く。だから背後への不注意というものが生まれる。それは、きっと多くの殺人犯による犠牲者を生み出してきたのだろう。俺は決してそうでありたくなかったが、自分が犠牲者になるとは考えてもいなかった。
靴を揃え、背後を振り向こうとする。しかし、そこにはナイフよりも恐ろしいものがあった。勢いよく開けられたであろうリビングの扉はまだ動いていた。その扉が壁にぶつかって《《ソレ》》がようやく懐に迫ってきたことに気が付く。
「おかえり」
自信のないように、ボソッと早口で。
そこにいた彼女はきっと奥さんには向いていない。なぜなら俺は、妻は笑顔で旦那の帰宅を出迎えなければいけないと、そう信じているからだ。しかし、そこにいたオドオドしている妹はきっと完璧にならなくてもいいんだろう。
「ただいま、智咲。」
懐に感じた勢いの良い衝突。それはすぐにぬくもりへと変わった。スクールバックは肩から床に落ち、スマホからなるバイブ音に気がつくこともなかった。
「兄さんなんて大嫌い。」
顔を俺の胸の中に沈めながら言った。両手で俺のシャツの胸元を握って、妹の涙が服を通して肌で感じる。
「でも俺はおまえのことが大好きだぞ。」
「嫌いったら嫌い!ほかの女ばっか見て私には構ってくれない兄さんなんて大っ嫌い!」
俺の目を見ずに顔を伏せたままの妹は、小学生のような理不尽を押し付けてきた。気がつけば俺の胸元を握っていた両手は背中の後ろまで回っていた。
「美咲のことか?確かに美人で尊敬できるいい人だけど、智咲には勝てっこないぞ?おまえは世界で一番可愛いからな。」
「ばか!兄さんのバカ!そんな都合のいい言葉ばっか並べて、私をからかってるんでしょ。本当は好きでもないし、こんな性格の私を鬱陶しいって思ってる!」
「自分の性格分かってるんだ。」
少し笑いがこぼれる。
「うるさい!バカ!」
俺は妹の背中に両手を回すことはしなかった。抱き合うのは、きっと幸せをつなぎ合わするのだろう。だけど今はそれよりも大事なことがあるような気がした。
「世界で一番可愛い妹さん。顔を上げてくれるかな?」
そっと両手で妹の頬に触れる。さっと持ち上げて、その涙した顔を目の当たりにする。
「にいさんのっ、ばかぁ~!」
ワー!とその場で大きく口を開けて泣きじゃくった。俺に隙を与えないまま首に抱き着きながら、気がつけば妹の体は宙に浮いていた。
「ごめんよ、兄さんが悪かった。」
「分かってない!こんな気持ち、兄さんに分かるわけないもん!」
理不尽極まりない答えには毎度返す言葉がなくなる。
「分かるよ。俺のことが大好きなんだろ?それは俺もだから分かる。」
「嘘!兄さんは他の女と仲良くしてた!」
「あの人たちは俺の大事な友達だ。智咲が心配するようなことはないよ。」
自分で発したその言葉で胸が少し締め付けられた。
「ほんとう?」
「本当だ。俺の女神様、智咲様に誓って。」
「なら、本当だね。嘘じゃないんだ。」
首にしがみついていた両手がようやく離れ、鮮やかに赤みを浴びた頬をした妹が涙を拭っていた。
「やっぱり、抱っこは週一じゃないと限界みたいだな。」
「私の体はそうしないと生きていけない体をしてるの!」
長い髪を赤いリボンでハーフアップにしている妹に俺は笑顔を隠せなかった。
「智咲。かわいいよ。」
「きゅ、急に何言ってるの!」
両手で俺を押し出すようにして後ろを見て顔を隠した。
「わざわざハーフアップにして俺を待っていたところとか。」
「こ、これはちがくて!たまたま!たまたまこの髪型だったの!」
妹が顔を向けてくれたと思ったらそこには先ほどとは比べ物にならないくらい真っ赤に染まったぷくっとした可愛らしい顔が見えた。
「さっき外で会ったときは髪の毛下ろしてただろ。」
「それはちがうのー!」
ポンポンと両手で俺の胸を叩き続ける。
「だけど、リビングのドアに張り付いて俺が返ってくるタイミング待ってただろ?」
その衝撃の隠し事は一番ばれてはいけないことだった。
「し、しってたの!?」
「そりゃ兄貴だぞ。分るよそのくらい。」
「もー!なんで兄さんはそんなにすごいのー!」
笑みが止まらない。こんなにかわいいツンデレさんが俺なんかの妹でいいのだろうか。兄貴がこんな俺でいいんだろうか。そう思う時もあるが、今はこの幸せを嚙みしめておきたい。
「それはもちろん、世界で一番可愛い妹の兄貴なんだから。」
ちょっぴり小さい声で、その大きな瞳を真っすぐ見つめながら言った。
よくある子持ちの再婚ってのは、とても難しいんじゃないかって思う。
それぞれの子供がその環境の変化に耐えられるか。共同生活という未知のものに馴染めるのか。両親はそんな不安を持つのが気っと普通だ。だけど俺たち兄妹は他とはちょっぴり違ってるんだと思う。普通の義理の兄妹よりも少し変で、だけど普通の生活を送っている、きっと世界で一番幸せな兄妹だ。




