目撃情報と、牛乳パック
「ただいま……」
アパートの自宅内、僕の声は誰にも届かなかった。
時刻は夕方五時を回っているが、室内は窓から差し込む陽の光で満たされていた。こもった熱が人気の無さを際立たせている。僕はそれを追い払うように窓を開けて換気した。
母親の遺影に向かってもう一度「ただいま」と言う。写真の中で微笑む母親は、何も答えてくれなかった。
スーパーで買った物を仕分け、洗濯物を取り込む。自室に入りスマホを手に取ると、そこには一件のメッセージが映し出されていた。
『今週末は島に帰るよ。オジサン仕事? ちゃんとしたご飯食えよん? 帰ったら作りに行ったるわ』
相手は幼馴染みの女の子、凛だ。この島で生まれ、一緒に育った凛は、高校は県内の進学校を選んで橋を渡った。基本的には寮生活だが、まとまった連休になると島へ戻ってくる。
片親の僕を心配して、たまに様子を伺ってくれる。お節介焼き……といえば怒られてしまうが、よくしてくれる凛には頭が上がらない。
『ありがとう、僕は大丈夫。会って話すだけで十分だよ』
簡単に返信を済ませるとキッチンへ戻り、お弁当をレンジで温めた。
──それから数日後、その日の朝、ヒサシはまたしても賑やかだった。
「栄磨! わしゃ昨日どえらい可愛い子を見かけたぞ!」
連日の鼻息の荒さに僕は少し呆れてしまう。
「ヒサシ落ち着けって、またアイドルかYouTuberが島でロケでもしとったんか?」
このあたりの島々を繋ぐ海上の高速道路は、自転車も走ることができる世界でも珍しいサイクリングスポットだ。テレビや動画の撮影で訪れる人が多い。かくゆう僕も、何度か有名人を見かけたことがある。
「ちゃうわ、人形や、西洋人形みたいなドレスの子が部活の時にグラウンドを見とったんじゃ」
え?
「真っ黒な日傘差してなぁ、観光客にしてはちょっと変わっとったな」
あのゴスロリの彼女のことか? まさか学校に来ていたなんて。
「あ〜、あたしも見たよ、その子。めっちゃ可愛いかった」
「ゴスロリってやつよね? すごかったよね」
どうやらクラスの女子たちも目撃していたようだ。
「お前らも見たんか? 派手な子やったよなぁ?」
わざわざ学校を見に来るなんて、ただの観光客じゃないのか? それとも近くの神社を観光したついでに、学校裏の砂浜でも見にきていたのか? 行動が謎だ。
「でよ、な〜んか誰か探しよる雰囲気じゃったけん、ワシはフェンス越しに声かけたんよ」
「え、ヒサシ喋ったんか?」
「ほうよ、そしたらな野球部のメンバーはこれだけか? って聞かれて、ワシはほうじゃと答えたら“能智くん”はいないの? って聞かれたわ」
「なっ……!?」
驚いて口が開いた。
僕を探しに来たのか!?
「えぇ? 能智の知り合いなん?」
「まさか彼女とか?」
色恋沙汰に興味津々の彼女たちは僕の様子を伺う。違う違うと両手を振って否定しても、ヒサシは訝しむ目を向けている。
「どこの部活にも属せず、趣味やこだわりも持っとらんお前を探しに来るなんて、なんかあるに決まっとるやろ。あの子は何者なんや?」
ぐいとヒサシに詰め寄られ、背中に妙な汗をかき始めた頃、救いのチャイムが鳴った。
「ええとこやったのに……栄磨、悪いようにはせんから、後で話してくれよ」
そう言ってヒサシは席につく。胸を撫で下ろした僕も、静かに席に着いた。
──お昼ご飯を手短に済ませた僕とヒサシは体育館の裏に来ていた。僕はゴスロリ彼女と会った日の出来事をヒサシに話した。
「──へぇ、なんかようわからん女じゃのぉ」
「だろ? 僕は覚えがないのに、むこうは僕の名前も、昔野球をやっとったことも知ってるふうだった」
購買で買ったパックの牛乳にストローを突き刺す。プッと軽やかな音が鳴った。
「心当たりないんか?」
「ない……とは言えん。昔、会ったことがあるんかもしれん。なぁヒサシ。小学生の頃に転校していった女子。全員覚えとる?」
ヒサシはストローを咥えたまま、ん〜と唸る。その横顔から、空に浮かべた記憶を辿っているのがうかがえた。
「山野……池田……名前は覚えてないけど、他にも短い間しかおらん子もおったよな」
「ほうよな。僕も思い出してみたけど、さっぱり……」
僕らとみちくさ屋に行ったり、岡田のじいさんの山で一緒に秘密基地を作った女の子が、凛やアカリ以外にもいた気がする。
僕に中身を吸われた牛乳パックがズズと音を立てた。
ヒサシなら覚えているかもと期待してたけど……今度凛が帰ってきたら聞いてみよう。
ピンポンパンポーン♪
『二年B組、鳥生久士君。至急、野球部部室へ来てください。顧問の門田先生がお待ちです』
突然の呼び出しにヒサシは顔を引きつらせた。
「ゲッ! なんでや!? ワシなんもしとらんぞ!」
「なんかしたから呼ばれたんか、なんもしとらんけん呼ばれたんか。どっちかいの?」
僕はヒサシをからかった。
「はぁ〜…深いようで浅いこと言うなや。まぁ、ちょっくら行ってくるわ」
ヒサシは僕に向けて軽く手をあげると、背を向けて体育館裏から去って行った。僕は壁にもたれ掛かり、ゴスロリの彼女の姿を思い出す。
ばっちりメイクを施した子との数年ぶりの再会なら、向こうから正体を明かしてくれない限り正解は導き出せないだろう。しかも当時は小学生。顔だってきっと変わっている。
視界の端に見慣れない制服の女子を捉えた。顔を横に向けると、あの転校生の姿がそこにあった。
彼女は落とし物でも探すように腰を曲げ、眼鏡を光らせていた。




